(写真は http://www.k3.dion.ne.jp/~kamishin/Dozinhou.htm からお借りしました)
小学校教員になりたての頃(1980年頃だったと思う)、
先輩教員と言い争ったことがある。
それは「日本固有の領土」問題だった。
私はその同和教育推進校を経てこられた民主的な先輩教師に全幅の信頼をおいていた。
その先生と同じ5年を受け持つことができて嬉しかった。
5年生の社会科は日本地図をよく使う。
地図は国後、択捉、歯舞、色丹の北方4島が赤い日本領土色に塗られていた。
「これはソ連(当時の国名)も自国の領土だということで、現在両国が争っています。
今はソ連人がたくさん住んでいるから、ピンク色ぐらいでいいんじゃないの。」
なんてクラスの子達に言っていた。
それを聞きつけた先輩は、即座に言った。
「君は給料をもらっている教師なんだから、そういういい加減なことを言っちゃいかん。
北方4島はソ連が日本から奪い取ったものだ。あれは、もともと日本のものだったんだ。」
北海道知床生まれの私は、高校生のころ羅臼岳に登ったとき、
はるか クナシリに~の国後島が見えた(ような気がした)。
道東地域のあちこちには『北方領土は日本固有の領土です』という看板も立ち、
あとから三浦洸一の歌なんかも加わった。
地元のニュースでは「根室の漁船がソ連にダホされた」というのが珍しいことではなかった。
そんな環境だったにもかかわらず、
我が家は農家だったので直接の利害関係はなく、
(よく分からんけどその4島はソ連と日本で係争中なんだな)と思って呑気に暮らしていた。
大学生の頃アイヌ民族の歴史を知ってから考えが変わった。
自分の故郷、北海道は、
実は、アイヌモシリ(アイヌ語で‘人間の土地’)で、アイヌ人の生活圏だった事、
樺太には樺太アイヌが、クナシリ、エトロフの島々は斜里アイヌが行き来していたこと、
国家概念がないアイヌ人は、軒を貸して母屋を取られる方式で
自分たちの土地を和人(松前藩)に奪い取られたこと、
明治政府は「北海道旧土人保護法」によって、さらに収奪と差別同化政策を徹底したこと。
そんなことを知った。
私は自分がアイヌ人ではなく、和人(=日本人)の子孫なのが悲しかった。
そんな訳で、
北方4島を「もともと日本のものだ」という先輩の言葉には従えなかった。
「いや、違います。もともとはアイヌのものです。」
と言ったときの先輩の反応は今でも忘れられない。
「そんな揚げ足取りみたいなことを言うな!そんな大昔のことを言いだしたら切りがない!」
と、いらだちを隠そうともなかった。
私も(はあ?先輩がそーゆーわけわからんこと言うか!)と引っ込みがつかなくなった。
数週間(いや、もっとかな?)それは尾を引いた気がする。
そういう訳で、「日本固有の領土」と聞くと、
(ホンマにそうか?ここは慎重にじっくり調べないと政府の言葉に踊らされるぞ。
中国でもさんざん踊ってはる人たちがいるし~)
と警戒心が起きるのである。
先輩は、今、領土問題をどう考えていらっしゃるだろう。
もう一度、きちんと話をしてみたいな。