毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「日本文学で与謝野晶子を詠む」  2012年10月9日(火) No.468

2012-10-09 20:53:36 | 中国事情
3年生の日本文学の授業で与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を紹介した。
26歳のとき、日露戦争に召集された2歳年下の弟に呼びかける形で書かれた反戦歌だ。
すごいなあ。
その上、当時の激しい非難の中で堂々と2度にわたって発表したという。
すごい女の子だったんだなあ。

歳とって日中戦争の時は、「兵隊さん、頑張って」に変化してしまった晶子。
何が彼女を変化させたのか・・・。
アジア侵略を「アジア解放」と謳う日本国家に同調した彼女の胸中に
蹂躙される側の親や子の姿が見えなかったのだろうか。
日本人だけが熱き血潮をたたえる人間で、他の民族は獣とでも思っていたのだろうか。

しかし、だからと言って
「君死にたまふことなかれ」が色褪せることはない。
「旅順」が出てくるので、ちょっと気を使ったが
反戦の心は日本語学科の学生には伝わると信じて・・・。
特に今、この時期だからこそ、
日本にもこんな反戦詩が存在したことを
ぜひ知ってもらいたかった。


末に生まれし君なれば           
 親のなさけはまさりしも 、         
 親は刃(やいば)をにぎらせて      
 人を殺せとおしえしや、           
 人を殺して死ねよとて            
 二十四までをそだてしや。         


「親は人を殺せと教えたか?
人を殺して自分も死ねと教えて24歳まで育ててきたのか?」


戦争がとんでもない犯罪行為だということを、
みんなが納得する言葉で言っている。
誰がこれに反論できるだろうか。


 旅順の城はほろぶとも、  
 ほろびずとても 何事ぞ、    
・・・・・・・・・・
すめらみことは 戦いに  
 おおみずからは出でまさね、             、               
 かたみに人の血を流し                 
獣の道に死ねよとは、
 死ぬるを人のほまれとは、             
 


「旅順が陥落しようがしまいが、何だって言うわけ!」
「天皇様は自分自身が戦いに出ることなく安穏と暮らしているのに
庶民ばかりが互いに血を流し、獣の道に落とし込められている。
なぜ、死ぬのが名誉なのか!」


明治時代は、今の世より言論統制は非常に厳しかったはずなのに・・・。
今の日本で、ここまできっぱり言える人はどれくらいいるのだろう。


  
コメント
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