3年生の日本文学の授業で与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を紹介した。
26歳のとき、日露戦争に召集された2歳年下の弟に呼びかける形で書かれた反戦歌だ。
すごいなあ。
その上、当時の激しい非難の中で堂々と2度にわたって発表したという。
すごい女の子だったんだなあ。
歳とって日中戦争の時は、「兵隊さん、頑張って」に変化してしまった晶子。
何が彼女を変化させたのか・・・。
アジア侵略を「アジア解放」と謳う日本国家に同調した彼女の胸中に
蹂躙される側の親や子の姿が見えなかったのだろうか。
日本人だけが熱き血潮をたたえる人間で、他の民族は獣とでも思っていたのだろうか。
しかし、だからと言って
「君死にたまふことなかれ」が色褪せることはない。
「旅順」が出てくるので、ちょっと気を使ったが
反戦の心は日本語学科の学生には伝わると信じて・・・。
特に今、この時期だからこそ、
日本にもこんな反戦詩が存在したことを
ぜひ知ってもらいたかった。
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも 、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
「親は人を殺せと教えたか?
人を殺して自分も死ねと教えて24歳まで育ててきたのか?」
戦争がとんでもない犯罪行為だということを、
みんなが納得する言葉で言っている。
誰がこれに反論できるだろうか。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても 何事ぞ、
・・・・・・・・・・
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね、 、
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
「旅順が陥落しようがしまいが、何だって言うわけ!」
「天皇様は自分自身が戦いに出ることなく安穏と暮らしているのに
庶民ばかりが互いに血を流し、獣の道に落とし込められている。
なぜ、死ぬのが名誉なのか!」
明治時代は、今の世より言論統制は非常に厳しかったはずなのに・・・。
今の日本で、ここまできっぱり言える人はどれくらいいるのだろう。
26歳のとき、日露戦争に召集された2歳年下の弟に呼びかける形で書かれた反戦歌だ。
すごいなあ。
その上、当時の激しい非難の中で堂々と2度にわたって発表したという。
すごい女の子だったんだなあ。
歳とって日中戦争の時は、「兵隊さん、頑張って」に変化してしまった晶子。
何が彼女を変化させたのか・・・。
アジア侵略を「アジア解放」と謳う日本国家に同調した彼女の胸中に
蹂躙される側の親や子の姿が見えなかったのだろうか。
日本人だけが熱き血潮をたたえる人間で、他の民族は獣とでも思っていたのだろうか。
しかし、だからと言って
「君死にたまふことなかれ」が色褪せることはない。
「旅順」が出てくるので、ちょっと気を使ったが
反戦の心は日本語学科の学生には伝わると信じて・・・。
特に今、この時期だからこそ、
日本にもこんな反戦詩が存在したことを
ぜひ知ってもらいたかった。
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも 、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
「親は人を殺せと教えたか?
人を殺して自分も死ねと教えて24歳まで育ててきたのか?」
戦争がとんでもない犯罪行為だということを、
みんなが納得する言葉で言っている。
誰がこれに反論できるだろうか。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても 何事ぞ、
・・・・・・・・・・
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね、 、
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
「旅順が陥落しようがしまいが、何だって言うわけ!」
「天皇様は自分自身が戦いに出ることなく安穏と暮らしているのに
庶民ばかりが互いに血を流し、獣の道に落とし込められている。
なぜ、死ぬのが名誉なのか!」
明治時代は、今の世より言論統制は非常に厳しかったはずなのに・・・。
今の日本で、ここまできっぱり言える人はどれくらいいるのだろう。