1966年10月21日、日本労働組合総評議会(総評)がベトナム反戦を世界に呼びかけ、
日本国内でベトナム戦争反対の統一ストライキを行った日。
J・P・サルトルが「世界で初めて労働組合が反戦闘争を組織した!」
と、賞賛したという。
(サルトルが讃えたとは今日wikipediaを見て、初めて知った)
その頃の日本には勇気と元気が渦巻いていたんだなあ。
敗戦後20年、高度成長期の日本社会は
(これからもっとよくなる、よくしていく!)という気概に溢れていたのだろう。
今の中国社会と重なるところがある気がする。
当時、ベトナム戦争反対を叫ぶとき、
「ハノイやサイゴン、大阪もみんな同じ空」なのだから
傍観者になるな、といった清々しい?主張ができた。
日本にある米軍基地からベトナムに向けて戦闘機が飛んでいくことを
日本の人々は痛みとして感じよう、という訴えがあったが、
多くの日本人の心に加害者としての痛みはそんなになかったんじゃないかな。
だが、同じ戦争でも、第二次世界大戦を振り返ると
兵隊に行った人たちは、対外的には100%加害者であり、
軍隊内部では悲惨ないじめと人権無視構造100%の中に身を置いていた。
従軍体験者の語る口調も絞り出すようなものになる。
それでも、語り続けてきた日本人がたくさんいる。
日本人の誇りと言うべきそんな人たちが、
一人、また一人と亡くなっていく。
「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三さん、
「戦争話の出前」の本田立太郎さん、
「蟻の兵隊」の奥村和一さん、
・・・・・・・・・
よくぞ語ってくださった。
そんな話を聞かなければ、日本が仕掛け、
外国に、そして、国民に極悪非道な振る舞いをしたあの戦争を、
子ども世代の私たちはしっかりと胸に刻むことができなかっただろう。
中国にも、抗日戦争や朝鮮戦争に従軍した退役軍人や退役兵士の人たちがいる。
日本語学科のある学生は、ボランティア活動で出かけた老人ホームで、
抗日戦争に参加した退役軍人のおじいさんたちと話をした。
おじいさんはこう言ったという。
「戦争はよくない。所詮両方の人民たちが苦難に喘ぐことにしかならない。
日本語を勉強しているのだから、中日関係に自分が何かできるようによく考えてください。」
深く傷ついた人は、どうしてこんなに優しいのだろう。
映画「蟻の兵隊」のあるシーンが頭に張り付いて離れない。
元従軍兵士の奥村和一さんが中国への謝罪の旅の途中、
年老いたひとりの女性に会いに行った。
女性は日本軍に囚えられて、兵士たちに何ヶ月にもわたって蹂躙され、
戦後は、「日本人と寝た女」と非難されて、
村の片隅でひっそり生きてきたのだった。
奥村さんの謝罪に対して、女性は
「戦争はあなたのせいじゃない。あなたも十分に苦しんできたでしょう。」
と言った。
映画の画面でその言葉を聞いたとき、
私はその女性の足元にひれ伏したい思いがした。
踏みつけられ、ボロボロにされてもなお、こんな言葉が言える人がいる。
どうしたらこの人たちに少しでも近づけるのだろう。
死ぬまで持ち続ける私の課題だ。
日本国内でベトナム戦争反対の統一ストライキを行った日。
J・P・サルトルが「世界で初めて労働組合が反戦闘争を組織した!」
と、賞賛したという。
(サルトルが讃えたとは今日wikipediaを見て、初めて知った)
その頃の日本には勇気と元気が渦巻いていたんだなあ。
敗戦後20年、高度成長期の日本社会は
(これからもっとよくなる、よくしていく!)という気概に溢れていたのだろう。
今の中国社会と重なるところがある気がする。
当時、ベトナム戦争反対を叫ぶとき、
「ハノイやサイゴン、大阪もみんな同じ空」なのだから
傍観者になるな、といった清々しい?主張ができた。
日本にある米軍基地からベトナムに向けて戦闘機が飛んでいくことを
日本の人々は痛みとして感じよう、という訴えがあったが、
多くの日本人の心に加害者としての痛みはそんなになかったんじゃないかな。
だが、同じ戦争でも、第二次世界大戦を振り返ると
兵隊に行った人たちは、対外的には100%加害者であり、
軍隊内部では悲惨ないじめと人権無視構造100%の中に身を置いていた。
従軍体験者の語る口調も絞り出すようなものになる。
それでも、語り続けてきた日本人がたくさんいる。
日本人の誇りと言うべきそんな人たちが、
一人、また一人と亡くなっていく。
「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三さん、
「戦争話の出前」の本田立太郎さん、
「蟻の兵隊」の奥村和一さん、
・・・・・・・・・
よくぞ語ってくださった。
そんな話を聞かなければ、日本が仕掛け、
外国に、そして、国民に極悪非道な振る舞いをしたあの戦争を、
子ども世代の私たちはしっかりと胸に刻むことができなかっただろう。
中国にも、抗日戦争や朝鮮戦争に従軍した退役軍人や退役兵士の人たちがいる。
日本語学科のある学生は、ボランティア活動で出かけた老人ホームで、
抗日戦争に参加した退役軍人のおじいさんたちと話をした。
おじいさんはこう言ったという。
「戦争はよくない。所詮両方の人民たちが苦難に喘ぐことにしかならない。
日本語を勉強しているのだから、中日関係に自分が何かできるようによく考えてください。」
深く傷ついた人は、どうしてこんなに優しいのだろう。
映画「蟻の兵隊」のあるシーンが頭に張り付いて離れない。
元従軍兵士の奥村和一さんが中国への謝罪の旅の途中、
年老いたひとりの女性に会いに行った。
女性は日本軍に囚えられて、兵士たちに何ヶ月にもわたって蹂躙され、
戦後は、「日本人と寝た女」と非難されて、
村の片隅でひっそり生きてきたのだった。
奥村さんの謝罪に対して、女性は
「戦争はあなたのせいじゃない。あなたも十分に苦しんできたでしょう。」
と言った。
映画の画面でその言葉を聞いたとき、
私はその女性の足元にひれ伏したい思いがした。
踏みつけられ、ボロボロにされてもなお、こんな言葉が言える人がいる。
どうしたらこの人たちに少しでも近づけるのだろう。
死ぬまで持ち続ける私の課題だ。