毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「今日試みた新しいこと」 2012年10月16日(火) No.475

2012-10-16 20:34:00 | 中国事情


Morning has broken
Like the first morning~


朝、宿舎の窓の外から雀のさえずりが聞こえてくるのを目覚まし代わりにしている。
こっちが起きるまでピチクリ、ピチクリ、ピチピチピチピチと、囀りまくる。
(日本の雀より鳴き声が大きい・・・)と、ブツブツ起きだして
朝のもろもろのことを済ませ、インスタント・コーヒーで最終的に目を覚ます。
その時にかけるのがキャット=スティーブンスのこの曲。
1948年生まれの彼は
今はイスラム教徒になって、
名前もユスフ=イスラムさんに変わった。
そっか、イスラム教徒か~。
私は御天道さま教徒だ。
「おてんとう様はご存知だ」と自分に言い聞かせると、自分の位置が定まり、
ちっぽけながらも生きていこう、てな気持ちになる。

今日は以前から(どんな味かな)と思っていた「人参果」を食べた。
お土産にいただいたこともない。話題にもならない。
2年以上ここで暮らしているのに、コリャいかん!と試食決行。
上の写真の白っぽい2個のが、人参果。そんなに安くない。



食べてみた。
気合の入らないプリンスメロンみたいな味。
マクワウリというのはこんな味なのかな、と逆想像した。
もう二度と買わない。
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「野田総理の代わりはいないのか」 2012年10月15日(月) No.474

2012-10-15 17:23:17 | 日記
どこまでこのヒト、神経ないの?

安保環境、かつてない厳しさ…観艦式で首相訓示」って・・・。
誰がそうさせたんや、誰が~~~!!!

いくら(冷静になろう、へこまんとこ、明日はもっと良くなる・・・カモ)
と自分で自分に言い聞かせていても、
石原や野田が、井戸の中の蛙の王様みたく、外の世界のことなんも考えずに要らんことばかり言ったりやったりするから、こちらの神経が持ちまへん。

もうこれでシミジミ分かった。
野田内閣は日米同盟強化をしたいばっかりに、
自作自演の「国有化」→中国の反日煽りをしたんだ。
日中経済協力をゴミ箱に捨てても、
アジアの安定を踏みにじっても、
アメリカの傘下でいることを強く強くアピールしたかったんだ。
誰に?もちろんアメリカに。そして中国に。
「俺のバックにはアメリカがおんねんぞ、どや!」
「俺を泣かしたらアメリカ来るで~。アメリカ、強いんだぞ~!」
「だからアメリカさん、僕を見捨てないでね~。」

自立できない国、日本を選択し続けている政府。
そんな政府のもとで振り回され、神経すり減らしている国民たち。
(てか、私だけ?じゃないよね

これではアジアは仲良くまとまれない。
アメリカはアジアを引っ掻き回しつつ、じりじりと一極支配の地位から脱落していっている。
そのアメリカにくっついて、日本も一緒に落下していく途上だ。
アジアには、小さくても毅然とした国がいくつもあるというのに。
何でこんなに自分の運命を狭めるのだろう、日本の政治は・・・。
やっぱ、彼らを選んだ国民がダメなんだな。
ここまで日中関係をこじらせた立役者、石原に対して東京都民のブーイング=リコールが全然聞こえてこないし。
一人ひとりはそんなにダメってわけでもないはずのに。
(てゆうか、私の知人で石原・野田を支持してる人、だれ一人いないのにねん)
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「日本の教育が『受験地獄』?!冗談でしょ」 2012年10月14日(日) No.473

2012-10-14 16:42:37 | 日本中国比較
6日、ノーベル化学賞を受賞した米・パデュー大学特別教授の根岸英一氏(75歳)が会見に臨み、
「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」
「若者よ、海外に出よ」
と発言。
これがネット上でも話題になっている。
「意外と古い考え方の人だな」
「海外生活の長い根岸氏が日本の受験事情をどこまで知っているのか」

という批判的な意見も一部にはあるものの、
「海外に出よかぁ・・・。ずっしりくる一言」
「さしたる受験地獄を経験していない人の『詰め込み教育批判』が蔓延する中、その数百倍は説得力があると思う」
「詰め込み教育は俺も賛成派です。若い頃に基礎を叩き込まれるのは、全く悪いことじゃない」

など、大多数は好意的な意見に集約。普段はシニカルなネット住民も、「ノーベル賞」という圧倒的な威光の前に、すっかりひれ伏してしまったようだ。―――R25 http://r25yahoo.co.jp―――


この夏から話題はロンドンオリンピック→尖閣諸島問題→反日デモと推移してきたが、
今週のトピックは、あっちでもこっちでもノーベル賞だ。
で、目にとまったのが上の話題。

で、私もノーベル賞の威光の前にひれ伏す訳じゃないんですけど、
子どもの時はとことん勉強させなければならない、と確信する今日この頃である(ちょっと遅すぎかも)。

ここ中国に来て分かったのだが、日本の「受験地獄」はここでは「お遊び」に過ぎない。勉強の時間と量がまるで違う。詰め込み方がハンパじゃないのだ。
これに比べたら、日本の子どもたちの受験勉強なんてホンット楽でたまらん。
小・中・高校とほとんどの子が寮生活をしながら学校で勉強している。
高校では学校の授業が終わったあと、全員夜9時まで教室で自習するが、その後寮に帰る時間がもったいないので教室でそのまま夜じゅう勉強を続け、朝方仮眠をとって、早朝寮の自室に戻り顔を洗い、朝食を取る子も珍しくないと聞く。人口が多いので、競争の厳しさは日本の比ではないのだ。
だから、大学生も日本の学生に比べたら実にきちんと勉強している。
教条的にすぎる面はあっても、やらずに偉そうな口をたたく子の多い日本の実情を見るに、
日本社会が崩れる一方なのは、実に頷ける。
根岸氏の「受験地獄支持」は当然すぎるほどである。

日本の教育傾向を表す言葉の一つに、
「何でもいいから自分が打ち込めることを一つ見つけましょう」
なんていうフレーズがあるが、
そんなこと言って、それでは、と皆小学校1年生からゲームに打ち込んだら説得するすべはあるのか。
「何でもいいって言ったじゃん!」と子どもに一蹴されるだけだ。
それでは日本中、消費することしかできない腑抜けのアホばっかりになるでしょうが。
大人たちが、これだけは絶対教え込まんとアカンということは、
まず有無を言わせず教えなければならない。

中国の子たちの勉強量、
これは今日からでも見習いたいことだ。
もう一つ大切なことは、中国の学生が先生や親を尊敬しているということだ。
大人たちを敬っている。
当たり前だ。教えてもらう存在なんだから。
その点でも日本は滅茶苦茶だ。

日本の学校の先生たちを尊敬させる体制がなければ、教育活動は円滑にできない。
田中真紀子さんが文科省の大臣になって、さあ、どうなるのかしら。
彼女は尊敬させるというより、皆を怖がらせているみたいだけど。




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中国で聞く「幕言氏のノーベル賞受賞」の知らせ  2012年10月12日(土) No.472

2012-10-13 11:27:33 | 中国事情
自慢じゃないが、とにかく私はいろんなことを知らない。
幕言さんの名前は、チャン・イーモウ監督の「紅いコーリャン」の原作者であるぐらいしか分からない。その映画だけが手がかりであるにしても、作家として世界的に評価されたことを心からお祝いしたい。
私はあの映画を観て、(ああ、中国は変わった!)と感動を覚えたものだ。
原作に対するというより、主にチャン・イーモウさんの映像表現に感動したんだけどね。

村上春樹さんは、
領土問題エッセイとかせっかく書いたのに残念でしたね~、と言っては失礼か。
あれはノーベル賞を意識してのことではないと信じたい。
そしてついでに言えば、あのエッセイには(村上さんはコスモポリタンだとは聞いていたが、それって一切の出来事を傍観視すること?)と感じる部分があった(特に、ノモンハン事件の場所に立って感じた辺りが、ちょっと呆れたな)。
「1Q84」は、エンターテインメントとして十分に楽しめたので、
私としては何も不服はないが、ノーベル賞はそういうのは受け付けないのかも。

大江健三郎さんの「憂い顔の童子」を読んで、
ノーベル賞をもらったらもらったで大変なんだな、と感じる。
それでも、自分の良心に従って身を削るように書き続け、行動する大江さんはすごいと思う。

さて、昨日学校で学生の一人に
「幕言さんがノーベル賞を受賞しましたね。」
と言うと、彼女ははちきれそうな笑顔で、
「はい、ノーベル賞が始まって100年以上経って、ようやく、初めて、中国人が受賞しました!」
と答えた。
2010年や、その前にも受賞した中国人がいることを、その時私は言えなかった。
ただただ、情報操作することの罪を思った。

今日は朝から気持ちを取り直して、
数人の子たちに昨夜の朝日新聞デジタルの記事(幕言さんの記者会見での発言)を知らせた。
実は、こういう作業はものすごく疲れる。
ある意味、信じているものを突き崩す作業だからだ。
受け取り手の柔軟で深い思考力を信じて発信するしかない。

註:昨夜の朝日デジタルの記事タイトルは載せられない。その文字は金盾によって検閲されているからだ。また2年前のように、自分のブログにアクセスできなくなる(もちろん日本に戻ったらできる)憂き目に遭いたくない。 
朝日新聞デジタル 国際 アジア 2012/10/12 22:02
http://www.asahi.com/international/update/1012/TKY201210120439.html
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「『日本の友達へ』~日本語学科の学生より①~」 2012年10月12日(金)No.471

2012-10-12 20:14:25 | 中国事情
この間から、日本から届いたメールなどを学生たちに紹介している。
これは、それに対する学生たちの返事だ。
彼女ら、彼らは今日もまた、一生懸命に日本語を勉強し続けている。

「日本の友達へ」 李しめい
拝啓 秋風が立ち始め過ごしやすい季節となりましたが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
さて、私は江西財経大学日本語学科の3年生です。
最近、悲しいことに尖閣諸島事件が起きてからというもの、中日関係は悪くなってきました。中日国民にいろいろ迷惑がかかり、本当に残念に感じています。
 5ヶ月前に私は『中日両国民が仲良くなるための、私ならではの提言』という作文を書きました。けれど今の情勢から見れば、当時の考えを甘く感じます。
 私の知る限りでは、中日両国の友好関係のために努力する人は両国にたくさんいます。でも、マスコミは考えを偏らせる危険性があるし、ネットの情報も全て正しいわけではありませんので、私たちは客観的にその情報を分析すべきです。中国に過激な人は確かにいますが、少ないです。それに中国の政府はその人達の行いに懲戒を与えます。
 実は、尖閣諸島の問題は政府間の問題、政治家の陰謀だと言えるでしょう。中日両国民は互いに敵意を持つべきではありません。
 この間、親友は彼女の同級生と一緒に東京の大学に留学しました。これは中国国民が依然として日本国民を信じていることを示すものです。両国は相互理解と信頼を深めていくべきです。
 人間だから判断能力があるので、心の善し悪しはみんな分かります。他人の噂、メディアの情報をひたすら信じるべきではありません。
 専門学科の日本人の先生は学生のために、毎日心を尽くして日本語を教えてくれます。学校は一生懸命先生を守っています。私たちも依然として日本語を真剣に勉強し続けています。本当にこの事件が早く終わってほしいです。
 もし私達が中日友好のために頑張らなければ、こんな情勢が続いたが最後、最悪の場合は戦争にもなりかねません。そうなったら両方とも損するだけに違いありません。
自分たちのために、私たちは中日の架け橋を作り続けましょう。


羅ちゅう
国慶節の休暇に故郷へ帰ったとき、親友は
「羅さん、日本語学科の学生で大丈夫?」とか
「今の有様で羅さんは仕事が見つかるの?」と聞いた。私は、
「まあ、大丈夫よ、安心して。」
とあやふやに答えた。実は、私も自信がない。確かに尖閣諸島問題は、国民に大きな影響を与えた。日本の製品を破壊し、中国人同士も怪我をした。何はともあれ、このような過激な行為は本当に我が国を守るものだろうか。逆に裏切っているのじゃないか。
 中日のマスコミ報道は一面的なので尖閣諸島の問題について真相はよくわからない。この事件の真相は何か、庶民ははっきり述べることはできないだろう。両国のマスコミは客観的に事実を報道すべきだと思う。中国のマスコミは日本の良い所を隠して、日本のマスコミは中国の良い所を隠して…。こうすると中日関係はますます悪くなるだろう。
国と国との関係は、大体人と人との関係と同じように、よく接したら矛盾が発生する確率も高くなる。中国と日本はただ海を隔てて、経済などの交流が密接なので、両国にとっての利益も多く、また矛盾も発生しやすいかも知れない。
 世の中は、是か非か簡単に判断できない。ましてさらに、国と国との間のややこしいことの是非だ。この事件は一概に日本の過ちとばかりは言えない。日本語学科の学生だから日本を庇護しているのではない。ただ事実を持って考えるだけだ。
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「『国民は自国政府の主張を支持するのが当然』と思うなかれ」 2012年10月11日(木) No.470

2012-10-11 15:45:09 | 中国事情
政治家は神様ではない。(ヾノ∀`)ナイナイ
優れた政治家と言われる人であっても、いつでも全く完璧な判断ができるわけではない。
政府についても同様である。
それだけは誰しも認めて欲しい。
そうでなければ批判的、自律的に物事を見ることができない。
外的権威から自由な立場で、自分の責任において深く考察し、判断をすること。
一人の人間がすべきことはそれだと、私は思う。

「それでも日本人(中国人)か!」
「売国奴!」
と叫ぶ人たちの頭には、
「自国政府の主張を支持するのが国民の務め」という考えがあるのだろうが、
国民には納税の義務はあっても、政府にひたすら従う義務はない。
事実に基づいて客観的に考えることこそ、
一人ひとりの国民がまず第一にしなければならないことだろう。

だから、である。
何が事実なのかを調べなければならない。
歴史上のことは文献等の資料が非常に重要だ。
そういう訳で、
あれこれ調べたことや、教えてもらったことなどをここに並べていきたい。
その資料を見比べて分析する中で、事実らしいものが浮かび上がってくるのを期待して。

前号(No.469)で紹介した北京の判さんが、
魚釣島に関する中国側の資料を、重要と思われる部分だけ日本語訳して送ってくれた。
「これを読んで日本の人たちが怒らないかとても心配です。」
と書いてあったが、このブログを読んでくれている人たちは、
間違っても(中国はまた嘘ばっかり言って!)と頭から否定しないことを信じる。
(以下中国側の主張資料;(あ)~(お)の下線はブルーはーと)

①古くから、中国福建省と台湾などの漁民は、釣魚島に雨風を避けるための建物をたてて、魚を獲り、何ヶ月間かそこで過ごしていた。中国沿海部の人々はそこに特産物を取りに行き来していた。

②明朝初期、島々は我が国の海防区域に入った。1556年、倭寇を防ぐため、胡宗憲は倭寇抵抗の総督に任命され、沿海部の各省の倭寇を防ぐ軍事を司った。(あ)明、清両朝は、琉球に派遣した使者の記録、また地誌史書の中で、それらの島々は中国に属すると述べている。中国と琉球との分割線は赤尾島と古米島(今の久米島)の間である。(い)1879年、清朝の北洋大臣李鴻章は、日本との会談で双方ともに、琉球の帰属問題について、琉球には36の島があり、釣魚島はその36の島に属さないことを合意した。釣魚島が中国に属してから百年後、日本人は1884年釣魚島を見つけた。(う)1895年、日清戦争のあと、清の敗北に乗じ、それらの島々を密かに盗みとった。その後、清朝政府はプレッシャーをかけられ『下関条約』にサインし、台湾及び付属列島、澎湖列島を日本に割譲した。第二次世界大戦後、(え)敗戦した日本政府は台湾及び付属の釣魚島を勝手にアメリカに渡し、アメリカ政府は一方的に島の施政権を有すると宣言した。1945年後、アメリカは釣魚島を占領した。

③70年代初期、日米は釣魚島を琉球群島に加えた。琉球群島を日本に返す背景の中、1970年7月、日本の海岸巡視船は釣魚島に接近し、非合法的に島を琉球群島に属するしるしを立てた。その後(お)佐藤政府は過去の中国への侵略を釣魚島の主権所有の根拠とし、また釣魚島は日本の固有領土であり、武力で守ると宣言した。1970年8月12日、駐日アメリカ大使館スポークスマンは「釣魚島は日本の一部であり、アメリカ政府は釣魚島を日本に帰すことを決めた。」と宣言した。
(《环球视野》摘自《中华人民共和国国史全鉴》第四卷1967—1976,团结出版社)


という主張である。
もし中国側の主張に詳しい人で、上記の内容に異論がある場合は教えて欲しい。
この内容に相違なければ、次に
(あ)琉球派遣の使者の記録、地誌史書の確認
(い)1879年合意内容の確認
(う)「密かに盗んだ」のかどうか当時の資料の確認
(え)「敗戦後日本政府が勝手にアメリカ政府に台湾及び付属の釣魚島を渡した」事実があるかどうか確認
(お)ちょっと意味がわからないんだけど、具体的にどういうことか確認

というのが、一読した私の課題意識である。(続く)




コメント (7)
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「『1895年、無占有の尖閣諸島を日本が開拓した』のは事実か?」 2012年10月10日(水)No.469

2012-10-10 08:26:25 | 中国事情
日本の主張と中国の主張が、真っ向から対立している尖閣諸島(魚釣島)問題が、
双方の国民感情を冷たくしている。
はじめは(早くどこかの何でもわかる公平な機関に判断してもらいたい)というのが本音だった。
が、しかし、双方の主張を聞いていると、噛み合わない部分が分かってきて、
同時に希望のようなものがムクムクと湧いてきた。
今、中国の教え子たちとともに、中日双方の主張を整理し、照らし合わせる作業ができないだろうか、という思いだ。つまり、できるだけ客観的、冷静に判断するための資料集め、そして、それを互いの友人・知人に知らせることだ。

噛み合っていないもの‘その1’は、
日本政府が主張している、
「1885-95年の10年間にわたる調査の後、尖閣諸島がどこの誰も使っていない無人島であるのを確認して、自国の領土にしたもの(開拓したもの)であり、台湾及び付属諸島の中には含まれていない」ということ。
その主張に従って、多くの日本人が信じているのは、
カイロ宣言、ポツダム宣言によって日本が返さなければならないと決められたのは、あくまでも「侵略して奪った台湾及び諸島」であり、「もともと日本が所有している尖閣諸島」は、その中に含まれていないということなのだ。

日本人の「常識」のようなこの見解を多くの中国人は知っているかどうか聞くと、
中国人学生(北京在住)の判虫生さん(匿名)は、それに対してメールで次のように書いてきた。

『日本のみんながそう思っている、と、私は先生のこの説明を見て初めてわかりました。でも、日本政府のこの主張は、中国のみんなはたぶん知らないと思います。なぜ日本のみんなが魚釣島を日本のものと思うのか、中国のみんなは、日本政府の主張を知らないわけです。で、私は、たぶん、日本の方々は中国のみんなと同じで、自分の国の政府の主張しか知らない、それで、互いの思いを理解出来ない、それで、国民感情が冷たくなるのでしょう。・・・』

こんなことすら、双方の国民たちは互いに分かっていない、ということに唖然となる。
判虫生さんは、続いて、いくつかの中国側の主張を資料を添えて述べている。
今日はその冒頭部分をここに紹介しよう。

『中国政府がなぜ釣魚島は中国のものを主張したのか、ここで、私はちょっとその主張の根拠を訳します。中国で私たちがネットで見られることです。だいたい次の文章が見られます。ワードのファイルに書きました。
(これは次回に紹介、今から授業があるので出かけなけれなならないんです~。(^_^;)ブルーはーと)

私は、もし、その翻訳を見た先生のブログの読者の怒りを買うならば、それも仕方がないと思います。(実はとても心配です。もし私の書いたものを読んで、日本の皆さんが中国に対してもっと嫌いになったらどうしよう?)ただ、互いの国の政府の主張を知れば、なぜ両国民が島を譲らない思いなのかもわかり、冷静になれるでしょう。

 中国のネットで調べたことですけど、日本国の歴史家、京都大学の教授井上清は、『尖閣諸島ーー釣魚諸島の歴史解明』(1972年10月日本現代評論社出版)の中で、「釣魚島の歴史と所有権」という文章によって、釣魚島は中国に属すると述べました。1995年井上清は中国に来て学術討論会に参加し、こう述べました。「釣魚島は中国に属し、1895年に日本に取られました。しかし、中国は史料から証拠を求めるだけだはなく、釣魚島を取り戻すため、国際法律に根拠を求めるべきです」

 それから、第三者が公平に見て結論を出したらいいですね。』


中日両国民の気持ちを思って胸を痛める学生たちがいることが、分かってもらえると思う。〈続く〉



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「日本文学で与謝野晶子を詠む」  2012年10月9日(火) No.468

2012-10-09 20:53:36 | 中国事情
3年生の日本文学の授業で与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を紹介した。
26歳のとき、日露戦争に召集された2歳年下の弟に呼びかける形で書かれた反戦歌だ。
すごいなあ。
その上、当時の激しい非難の中で堂々と2度にわたって発表したという。
すごい女の子だったんだなあ。

歳とって日中戦争の時は、「兵隊さん、頑張って」に変化してしまった晶子。
何が彼女を変化させたのか・・・。
アジア侵略を「アジア解放」と謳う日本国家に同調した彼女の胸中に
蹂躙される側の親や子の姿が見えなかったのだろうか。
日本人だけが熱き血潮をたたえる人間で、他の民族は獣とでも思っていたのだろうか。

しかし、だからと言って
「君死にたまふことなかれ」が色褪せることはない。
「旅順」が出てくるので、ちょっと気を使ったが
反戦の心は日本語学科の学生には伝わると信じて・・・。
特に今、この時期だからこそ、
日本にもこんな反戦詩が存在したことを
ぜひ知ってもらいたかった。


末に生まれし君なれば           
 親のなさけはまさりしも 、         
 親は刃(やいば)をにぎらせて      
 人を殺せとおしえしや、           
 人を殺して死ねよとて            
 二十四までをそだてしや。         


「親は人を殺せと教えたか?
人を殺して自分も死ねと教えて24歳まで育ててきたのか?」


戦争がとんでもない犯罪行為だということを、
みんなが納得する言葉で言っている。
誰がこれに反論できるだろうか。


 旅順の城はほろぶとも、  
 ほろびずとても 何事ぞ、    
・・・・・・・・・・
すめらみことは 戦いに  
 おおみずからは出でまさね、             、               
 かたみに人の血を流し                 
獣の道に死ねよとは、
 死ぬるを人のほまれとは、             
 


「旅順が陥落しようがしまいが、何だって言うわけ!」
「天皇様は自分自身が戦いに出ることなく安穏と暮らしているのに
庶民ばかりが互いに血を流し、獣の道に落とし込められている。
なぜ、死ぬのが名誉なのか!」


明治時代は、今の世より言論統制は非常に厳しかったはずなのに・・・。
今の日本で、ここまできっぱり言える人はどれくらいいるのだろう。


  
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「『日本固有の領土』と聞くと警戒心が湧く」 2012年10月8日(月) No.467

2012-10-08 16:02:04 | 日記



(写真は http://www.k3.dion.ne.jp/~kamishin/Dozinhou.htm からお借りしました) 

小学校教員になりたての頃(1980年頃だったと思う)、
先輩教員と言い争ったことがある。
それは「日本固有の領土」問題だった。

私はその同和教育推進校を経てこられた民主的な先輩教師に全幅の信頼をおいていた。
その先生と同じ5年を受け持つことができて嬉しかった。

5年生の社会科は日本地図をよく使う。
地図は国後、択捉、歯舞、色丹の北方4島が赤い日本領土色に塗られていた。
「これはソ連(当時の国名)も自国の領土だということで、現在両国が争っています。
今はソ連人がたくさん住んでいるから、ピンク色ぐらいでいいんじゃないの。」
なんてクラスの子達に言っていた。

それを聞きつけた先輩は、即座に言った。
「君は給料をもらっている教師なんだから、そういういい加減なことを言っちゃいかん。
北方4島はソ連が日本から奪い取ったものだ。あれは、もともと日本のものだったんだ。」

北海道知床生まれの私は、高校生のころ羅臼岳に登ったとき、
はるか クナシリに~の国後島が見えた(ような気がした)。
道東地域のあちこちには『北方領土は日本固有の領土です』という看板も立ち、
あとから三浦洸一の歌なんかも加わった。
地元のニュースでは「根室の漁船がソ連にダホされた」というのが珍しいことではなかった。
そんな環境だったにもかかわらず、
我が家は農家だったので直接の利害関係はなく、
(よく分からんけどその4島はソ連と日本で係争中なんだな)と思って呑気に暮らしていた。

大学生の頃アイヌ民族の歴史を知ってから考えが変わった。
自分の故郷、北海道は、
実は、アイヌモシリ(アイヌ語で‘人間の土地’)で、アイヌ人の生活圏だった事、
樺太には樺太アイヌが、クナシリ、エトロフの島々は斜里アイヌが行き来していたこと、
国家概念がないアイヌ人は、軒を貸して母屋を取られる方式で
自分たちの土地を和人(松前藩)に奪い取られたこと、
明治政府は「北海道旧土人保護法」によって、さらに収奪と差別同化政策を徹底したこと。
そんなことを知った。
私は自分がアイヌ人ではなく、和人(=日本人)の子孫なのが悲しかった。

そんな訳で、
北方4島を「もともと日本のものだ」という先輩の言葉には従えなかった。
「いや、違います。もともとはアイヌのものです。」
と言ったときの先輩の反応は今でも忘れられない。
「そんな揚げ足取りみたいなことを言うな!そんな大昔のことを言いだしたら切りがない!」
と、いらだちを隠そうともなかった。
私も(はあ?先輩がそーゆーわけわからんこと言うか!)と引っ込みがつかなくなった。
数週間(いや、もっとかな?)それは尾を引いた気がする。

そういう訳で、「日本固有の領土」と聞くと、
(ホンマにそうか?ここは慎重にじっくり調べないと政府の言葉に踊らされるぞ。
中国でもさんざん踊ってはる人たちがいるし~)
と警戒心が起きるのである。

先輩は、今、領土問題をどう考えていらっしゃるだろう。
もう一度、きちんと話をしてみたいな。



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「可愛い学生を叱る」  2012年10月7日(日) No.466

2012-10-07 09:53:08 | 中国事情
連休前の先週土曜日のことだ。
尖閣/魚釣島問題で疑心暗鬼になり、反日デモに恐怖を覚えた学生達。
その上中秋節&国慶節のゴールデンウィークが始まるというのに、
普段は休日の土曜日に無理やり振替授業だ。
しかも4年生は、私の「商務日語」ともう1クラスしか授業がない。
心中察するに余りある。

そのような状況の中、這うようにして出席した4年生に対して、私は怒った。

宿題に出したカタカナ語彙問題の答えの多くが、友達同士同じなんである。
解答チェックをしていて、全く同じ誤答が次々出てくると、
キエーッと叫んで破りたくなるのが私だ。

「他人の解答を写してどんな進歩があるのですか!そもそも、学習とは、『自学自習』に尽きるのです。もう4年生だというのに、いつまで赤ちゃんみたいなことをやっているんですか。私はこんな解答見たら(もう日本に帰ろうか)と思うんですよ。時間が無駄ですからね。しっかりしなさい!
と、日本にいた頃小学生に言ってたのとほとんど同じことを言った。

そもそも、この大学の学生の多くは一般にカンニングなどの不正行為に鈍感で、大したことじゃないと思っている様子。
先生たちものんびりおっとりしていて、
「いくら厳しくしても、学生は新たな(カンニングの)方法を生み出すので、取り締まりは不可能なんですわ~。」
と言う。
(じゃ、何でもアリなんかい?それなら期末試験なんて止めたらどうやねん)
私はどうしてもムカつきが収まらない。

授業後、帰り支度をしていると、一人の学生が泣き笑いのような顔をして近づいてきた。
「先生、申し訳ありません。私は宿題をし忘れて、隣の洪さんのを写してしまいました。先生から答案が戻ってきたら、じっくり見直せばいいと思ってしまいました。本当に恥ずかしいです。」
と言って、ポトポト涙を落とした。

「ん、分かればいいです。今度からしないでね。」
日本の子どもたちに何百回も言った言葉を返した。

(ここの大学生は本当に可愛いデチュネ~
これで心もゴールデンウィークだっ
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「岡崎嘉平太・周恩来~井戸を掘り続けた二人~」 2012年10月6日(土) No.465

2012-10-06 10:27:29 | 中国事情
今どき偉人伝は流行らず、パンダ情報の方が大切と思う人もいるとは思う。
だが、ひとりの人間として、
どうしても知っておかなければならないことや人物が存在する。
とりわけ昨今の中日関係を考えるに、
この岡崎嘉平太、周恩来が共同で実現したことを振り返る作業は決して無意味ではないだろう。
偉そうに言っている私も、実は昨日まで知らなかった。
昨日私は偶然、下のブログを見つけたのだが、文を読みながら泣けて仕方がなかった。
学校で商務日語クラスを担当しているので、
「LT貿易」「日中覚書貿易」「岡崎嘉平太」という‘語句’は見知っていたが、
正直、ここまでしてくれはった人とは!
不勉強を恥じ、ここに紹介する次第である。
いいな、と思ったら即行動!これ、私の長所かな。(´∀`*)
(以下、青字がブログ引用文)

―――――――――――――――――――
英考塾―現代に思い、未来を想う。灰中に炭火あり― 2012年09月26日
「岡崎嘉平太と周恩来。日本と中国をつないだ二人」 ブログ人:二代目・風虫

「中国には、『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』という言葉があります」
中国の元首相「周恩来」は、そう話し始めた。
時は今から40年前(1972)、戦争により国交を断絶していた日本と中国が、まさに国交を正常化させんとする、その2日前の夜のことである。それはすなわち、歴史的な「日中国交正常化」の前夜であった。

「まもなく田中角栄総理が中国に来られて、日中国交は正常化します。しかし、田中総理が来られたから国交が回復するのではありません。これまでの長い間、困難な時期にも日中間の友好に尽力された方々があったからこそ、正常化という念願が叶うのです」

日中国交正常化という「甘い水」が湧きいでたのは、それまでに汗を流して「井戸」を掘ってくれた人たちがいたからこそである、そう周恩来は言うのであった。
そして、その井戸を掘ってくれたと周恩来が感謝する人物、その一人が「岡崎嘉平太」であった。

◎暗黒の日中関係
「岡崎さんが今の中国と日本の様々な問題を知ったならば、間違いなく心配で、居ても立ってもいられなくなるでしょう」
岡崎嘉平太を心から尊敬するという、ある中国人はそんなことを言った。
岡崎の生きた時代は、日中関係が暗黒の時代。1894年の日清戦争、1937年からの日中戦争(第二次世界大戦)、そして日本の敗戦…。今とは比べようもないほど、日本と中国の関係は暴力的で険悪な状態が続いていた。
そんな交戦・断絶の関係の中、岡崎嘉平太は日中関係の改善に生命を賭け、そしてそれをまさかまさか、成し遂げたのである。
「隣りの国と、いつまでも敵対しているのはおかしい。主義の違う者の悪口を言って、蹴飛ばして済むか、そういうわけにはまいりません。いつかは友好親善をやらなきゃいかん。それは朝になれば東から太陽が昇るのと同じようなことなんです」
そうした信念を持っていた岡崎は、日本人と中国人がお互いを知り合うことが何よりも大切だと考えた。

「まず、相手を知る。とにかく行ってみる。向こうの人と直接会って、話をしてみる。そうすれば、戦争によって『カラカラに乾いてしまった感情』もいずれ戻ってくる」
生涯を通して、岡崎嘉平太は100回以上も中国へ足を運んでいる。まさに死ぬまで中国へ直接行き、中国人と会い、そして話をしてきたのであった。


以下、あまりに長いので省略。続きの項目だけ書くと、

◎中国人・留学生との出会い
◎泥だらけの額
◎貿易構想
◎親友
◎抗議
◎唯一のパイプ
◎粘り
◎新たな風
◎ささやかな食事会
◎友の死
◎雨中嵐山
◎中国古来の徳
◎100回くらいでは分からない
◎井戸の水

最後に、このブログ人「二代目・風虫」さんはこう書いている。
ぜひ「岡崎嘉平太と周恩来。日本と中国をつないだ二人」(seesaaブログ 英考塾)
を読んで欲しい。


海を挟んで国境を接する日中両国、時には風波も立つだろう。
それでも、両国2000年の歴史のその大半が平和的であったことは、偉大なる事実である。
それは岡崎嘉平太や周恩来のような人々が、永い歴史に点在してくれていた、そのお陰でもあるのだろう…。
時おり、埋まりかける井戸。
それをますます埋めようとする人々もいるかもしれない。それでも、岡崎嘉平太は掘り続けた。上から泥をぶっかけられても…。

あれから40年。
今の日中関係に、岡崎ならば何を想い、何を成すのであろう?

出典:NHKアーカイブス 「命をかけた日中友好 岡崎嘉平太」   
http://eikojuku.seesaa.net/article/294242919.html
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「『もっと教育を受ければ判るのに・・・』ある学生の胸中」 2012年10月5日(金) No.464

2012-10-05 12:30:17 | 中国事情
「第二代農民工」の知り合いはいるかと聞いたら、
この9月に広州の大学院日本語専問に進学したばかりの劉していさんから早速返事をもらった。
彼女は、今年の春節前に私を故郷の農村に招いてくれた子だ。
彼女を含めて3人が相次いで大学合格を果たした当時、「村の奇跡」と言われた。
それ以降、村から大学進学者は一人も出ていない。
中学校の途中でどこかに出稼ぎに行く子もいたと聞く。
そういう子達から見れば、彼女はエリート街道まっしぐらの人なのだろう。
しかし、彼女の両親は今も夫婦で出稼ぎし、彼女と弟に学費を仕送りしている。
「50歳になったら村に戻って農業をする」のが彼女のお母さんの夢だという。
この冬にお会いしたとき、お母さんの顔は寒風吹きすさぶ山東省ビル現場の仕事で両頬が真っ赤になり、アカギレ状態だった。
彼女にも、文ちゃんや他の日本からのメールを中国語に翻訳して、
友人・知人に知らせてくれるようお願いした。
(財大大学院生の楼しんけつさんが、既にそれをしてくれている。二日前、管理人のミズ劉にも印刷して渡すことができて、メチャ嬉しかった

〈下が彼女からのメール〉
先生
こんにちは!
毎日ニュースを見ると釣魚島についてのことが一番目立っています。
特に最近は戦争する可能性もあると聞いて、うんざりしています。
戦争なんていやです。

友達の中に、中学校を卒業してから、すぐ出稼ぎに行った人が何人も居ます。
時々QQでチャットすると、必ず反日、反日本語、反劉シテイ(わたくし)の話題になります。大嫌いです。事情がわからないくせに、堂々とそんな態度を取る資格はないと思います。別に、私は教育を受けたからと言って人を見下すつもりはまったくありません。 しかし、時々心から
「この人たちもっと教育を受けたらいいのにな、もっとこの世界のいろんなことが判明できるのに。」
と嘆きます。

私が言いたいのは、戦争を煽る中国人は本当に少人数で、しかも「盲目」的な人たちです!全部政治家たちの操り人形です!メディアや政府の言うことを疑いなく鵜呑みに信じて、他の面のことが全部悪いというのはバカです!
 

今中日の関係を見て、荒涼とした感じがあります。
今年の上半期、相互がまだ最善の方法を考えていたのに、急にお互いに槍を向けています。いつまた友好の時期が来るでしょうか。
中国のことわざに「忍一時風平浪静,退一歩海濶天空」がというのがあります。
つまり、一時我慢すれば、風や波が止む。一歩後ずさりすれば、海や空がもっと広くなるということです。
人と口論や喧嘩があったら、衝突を激化させないように我慢します。そうすれば、きっといい解決法をかんがえだせます。しかし、どうして、両国間の関係、特に中日関係になると、そう思わないですか。
 

釣魚島を共同開発するのは一番いい方法と私もそう思います。
海底の石油資源など、どこの国でも必要なんです。
全部自分の物として、ほかの国はどうなるか知ったことかという態度は悪いです。
世界はみなの世界です。当然自然資源もそうです。
共同開発すれば、いろんな争いが避けられると信じています。
  
中日間がよりよい方向へ進むことを願っています。
 では、また! 
コメント (3)
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「夢と消えた『憂歌団』復活~さようなら島田和夫さん~」 2012年10月4日(木)No.463

2012-10-04 09:16:03 | 日記

島田和夫さん


私の20代~30代は、
(音楽なくして人生なし)だった。
好みのジャンルはメチャクチャだったが、憂歌団は確実に、格別に好きだった。
大阪のどっかに出演すると聞けばビール持って出かけ、
尼(尼崎のことをみんなこう言う。ちなみに釜ヶ崎は釜。とても似ている)の市立体育館だかで市民まつりをやったときは、お客さんが10人ぐらい。
私は娘と息子をチャリに乗せ、総勢3名で参加してかなり貢献したものだ。

まだ大学生だった頃、FM大阪から流れてきた木村秀勝(充揮)の

いやんなった~~の声に心が吸い寄せられて以来、ずっと好きだった。
彼らのステージでは必ず途中で木村充揮が、
「ベース、花岡ケンジ~! ギター、内田カンタロ~! ドラムス、島田カズオ~!」
と、プロレスの司会みたいに紹介するのだった。
「生駒」はいっとき、私の歌だった。

また、きっと、憂歌団は復活すると気楽に信じていたが。
死は、一切の容赦をしない。
今は
さようなら。心からありがとう。島田和夫さん。


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「反日デモと第2代農民工」 2012年10月3日(水)No.462

2012-10-03 13:19:21 | 中国事情
福島香織という中国ウッチャーの記事
「『デモで暴れたやつは中国人の面汚し』と北京人は吐き捨てた」(日経ビジネスオンライン)に目を止めた。
今までも何回か彼女の記事を読んだが、
1967年という日本経済が破竹の進撃をしていた頃生まれたせいか、
大阪大学出身で「頭イイ子」意識があるためか、
あるいは産経新聞記者だったときの発想が染み付いているからか、
とにかく私の立ち位置ではない人だが、
今回の記事からは「第2代農民工」という言葉を教えてもらった。

〈以下記事引用〉

 「第2代農民工」というのは、百度百科という中国版のウィキペディアみたいなネット百科事典を参考にすると、次のように説明されている。
 「18歳から25歳までの年齢で、学歴、希望職種、物質的・精神的欲求は高いが、忍耐力は低い“三高一低”が特徴。製造業、紡績業、電子産業などへの就職希望が多い。彼らが働くのは生活維持のためだけでなく、農民出身の父親世代の境遇を抜け出し、都市民になること中国産業の基礎労働力をすでに形成している。2010年の党中央一号文献で初めてこの言葉が使われた。出稼ぎ農民の60%を占める。…」
 農民工と言う言葉は中国語で農民出身の労働者、つまり出稼ぎ労働者を指す言葉だが、若干の侮蔑のニュアンスがある。農民でありながら都市で肉体労働に従事する人たち。都市戸籍はなく、都市民が医療・福祉や義務教育や受ける恩恵にあずかれない。(略)

彼らは農民の子供でありながら、ほとんどが農業を知らない。一人っ子政策(中国の産児抑制政策)のため農民も子供を原則一人しかもうけられないからだ。出稼ぎに出た親たちは都市の豊かな生活を目の当たりにし、農村戸籍ゆえの差別に耐え、せめて自分のたった一人の子供には、この農村出身の悲哀を味あわせまいとして、高い教育を与えようと最善の努力をする。子供に期待するあまり、彼らがほしいものをできるだけ与え、甘やかせる。その結果、都市の若者と同様の指向、たとえばインターネットやファッションや趣味・娯楽への個人消費欲求が高いなどの特徴を備えている。欲望を我慢できず、苦労や侮辱に耐えられない。しかし、頭はけっこういい。(略)

いくら高学歴を得ても出稼ぎ者は北京戸籍と対等に口をきけない。恋愛や結婚なんてありえない。
ネットのオフ会の場で、相手の背景を知らずに若い男女が出会う機会は増えたが、相手の男性が農村戸籍であることを知ると、彼が北京市戸籍の女の子よりもあか抜けていたとしても、彼女の目に冷やかな光が宿る。同じように消費し娯楽を楽しむ若者であっても、彼らの間には越えられない壁がある
 そういう第2世代農民工が、今回の反日デモが荒れた背景にあるのだ、と言う声を北京にいる間にけっこう聞いた。
(太字;ブルーはーと責)

我が教え子で北京の大学院に進学した範さん、黄さん、
そして激しいデモが繰り広げられた上海の王さん、広州の劉さん、
深センで働く陳さんなどに感想を聞いて、
記事が中国人の若者にどう受け止められるかを確かめようと思うが、
しかしながら、彼女・彼達とて、周囲に第2代農民工の知り合いがいるとはあまり思えない。
いわゆる「勝ち組」と、どうしようもない状況でもがく「負け組」に
思いっきり派手に分けられている状況がここ中国にはあるようだ。
日本の比ではなく・・・。
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「中国人の心に届いた日本からの手紙」 2012年10月2日(火) No.461

2012-10-02 16:23:08 | 中国事情
9月23日、大阪の友人、文ちゃんからメールが届いた。
私がブログに書いた、私に対する大学の方々の手厚い保護や、
中日関係に関する大阪の若者たちの生の声について触れていたので
日本語学科の老師、学生たち、卒業生の楼さんたちに紹介した。

それに対して、とてもたくさん反響があった。
卒業生の楼さんは、文ちゃんのメール文を中国語に翻訳して
友人知人に配ってくれた。
老師2人も感想メールをくださった(9/26、9/27ブログで紹介済み)。
日本の生の声が聞けたので、お返しにひとりの中国人学生として
本音で書いた文を寄せてくれた子もいる(9/29「良識派中国人学生の意見」)。
私も楼さんから中国語の翻訳文を送ってもらい、それを印刷して、
さっき管理人室で横になっていたミズ劉に渡してきた。
もはやこの手紙は中日友好の武器である。

なぜこの手紙がそんなに中国の人々の心に響くのだろうか。
私も何回も読み返したが、
実は、文ちゃんの言葉は中国の人たちに対して、
何はともあれ、まず相手を認めようとする謙虚さや友情の心が溢れていると思う。
私も異国でのコミュニケーションについては学びつつあるのだが、
異文化・異習慣・異なる考えに対して「上から目線」がもちろんダメなのは分かる。
しかし(対等なんだから)とすぐに張り合うのもダメだ(←これ私、得意ね(*´∀`*))。
取りあえずよく見、よく聞き、しっかり理解することが、
つまり、その文化や習慣・そこで暮らす人々を認めることが、
何をおいても必要だと思う。
比較対照、分析判断、批判批評はそのずっと後からすることなんだ。
文ちゃんの手紙はそんなことについて、もう一度確認する機会を与えてくれた。

「毎日がちょっとぼうけん」を読んで、思いつくままに   にしおか文子  2012年9月23日(日) 午後6:36
 お元気ですか?
 「毎日がちょっとぼうけん」を読んで、安心し、そして、深く感動しています。
 江西財大の先生方の「日本人老師を全力あげて守ります」の言葉、老師や学生、管理人の劉さんたちが、ブルーはーとさんを安心させようと助けてくれている事に感謝の気持ちでいっぱいです(いろいろな思いはあるはずなのに、中国の人たちの心の大きさに感激しました。)
 日本語学科の学生たちが肩身の狭い思いをしていると聞いて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 日中関係が大変なときに、日本語を一生懸命に勉強してくれていることにも感謝しています。
 
 ついこの前までは、中国人学生は勉強熱心で積極的で優秀なので、日本企業は積極的に中国人学生を採用しようとしているとニュースで流れていたのに、悲しいことです。

 オーストラリアにいる次女は、韓国人の青年と付き合っていますが、竹島、尖閣問題では、悔しい思いをしています。 馬鹿な政治家のために・・・。
 「自分たちは学校で、『中国、朝鮮に侵略してひどい事をして、戦争はまちがっていた。憲法で戦争はできない』と教わった。日の丸、君が代は卒業式、入学式にはなかったし(今は違うけど)歌った事はない〈註〉。」
など、いくら説明しても分かってもらえないと嘆いていました。
「小泉、石原をはじめ、余計なことを言ったり、したりする政治家の為に、全ての日本人がそう考えていると思われているのが悔しい。」と言っていましたよ。
 長女も、「石原が余計なことをして、国民を煽るだけ煽って、あとは知らんふりして、ホンマ腹が立つ。」と言ってましたよ。
 長男は「何が本当のことなのか分からなくなってきた。インターネットで過去の戦争や竹島・尖閣のことを調べると右寄りの意見が多いので、何が真実なのか、何を信じたらいいのか分からない。」と言っていました。
 我が家にもさざなみがたっています。
 日本語学科の学生が今までよりさらに肩身の狭い思いをしていると聞いて、胸が痛みます。どうか誇りをもって勉強してください。 中国人の学生は熱心でよく勉強すると聞いています。
 将来、日中関係がよりよい方向へいくように願わずにはおられません。その架け橋になってくれたらと・・・。そして、私は、このような事態になっても、ブルーはーとさんが中国の方々に大切にされていることを、日本で少しでも多くの人に伝えたいと思います。


〈註〉
にしおか家の子ども達は3人とも大阪市の同和教育推進校で教育を受けて育った。
同和教育推進校とは、1969年文部省「同和対策審議会答申」を受けて
全国でスタートした民主教育モデル校みたいなもので、
大阪市内の小中学校だけでも何十校(百校ぐらい?忘れた。誰か教えて)もあるが、
もともと上からの制度なので、
その志高いスローガンも現実社会を前に右に左にフラフラしていたが、
今や、橋下市政の下で「風前の灯」状態と聞く。
しかし、この文ちゃんの手紙を読んで、
少なくとも当時「反戦平和・反差別」を掲げて実践した教師たちの声が、
卒業生たちの心に根付いているのを嬉しく思う。
私もその教師達の一人だったからだ。
文ちゃんの家庭教育も良かったに違いない(毎日テレビに向かって意見を言う、その真摯な態度がね~)。





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