4/21の『痛いニュース』経由『INSIGHT NOW!』http://www.insightnow.jp/article/3263
4/24の『mixiニュース』経由『Business Media 誠』http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0904/24/news032.html
の記事を読んでやはり妙に納得してしまった。なんとなく周りの同じような事例を見て感じていたことそのままだったからである。
その中でも特に“ああ、やっぱりね”と思ったところは・・
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(抜粋引用なので飛び飛びです。本文を一度全部お読みください m(__)m )
そして、時代は変わった。個性が重視され、価値の多様性を認めなくてはいけない。だから使われる漢字も、バラエティ豊かになった。翼・翔・颯・陽・菜・葵・桜・望・優・彩・凛などなど、画数の多い判読の難しい漢字が、命名に使われるようになった。それ自体を悪いとは思わない。
しかし、意味や託したい想いより「呼び名=音」を優先させて、難しい漢字を組み合わせるのはいかがなものだろうか? 奏風→カナタ、琥神→ライガ、乃海→ ノア、翔空哉→カグヤ、琉希亜→ルキア、晴心→セイン。残念ながら読めない。「かわいければいいじゃん」「目立った方がお得でしょ」という問題ではない気がする。大きなお世話だと言われれば、それまでなのだが……。
週刊文春の記事には、この状況を危惧する日本司法支援センターの加藤卓也弁護士のコメントが記載されている。「名前は、その人物が社会で認識されるための符牒です。他人が読めない名前には、社会性がありません」と。
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「凝った名前を付ける親は児童虐待しやすい」と。
また盛岡市で20日開かれた児童虐待問題特別研修会で、大阪大学の西沢哲・助教授(大学院人間科学研究科)が保健師ら約百三十人を前に講演し、ユニークな持論を披露した。
西沢助教授は、セラピストとしての豊富な実務経験を基に講演した。その中で、西沢助教授は「凝った名前には、子どもを支配したいという気持ちが出ている」と指摘し、子育てがうまくいかないと、怒りが子どもに向けられがちな背景を説明。さらに「凝った名前に横やりを入れる人が周囲におらず、虐待のストッパー(歯止め役)がいないことの現れ」などと実例を交えながら説明した。また、西沢助教授は「最近は、まるで暴走族のチーム名のような当て字の名も多いが、名付けという行為1つにも家庭の様子が見て取れる」と話した。
少し暴論の気もするが、一理はある。子どもの未来に託すことは、社会性よりも個性。「自分らしく生きて欲しい」という想いが、「読めない名前」の源泉。「自分らしく生きて欲しい」の裏側には、「自分らしく生きることができなかった自分」「自分らしく生きることを許さなかった親への反発」がある。だから、子育てがうまく行かなかった時、歯止めがない。ストレスが、その名を付けた我が子に向かう。
******(ここで引用終わり)
まぁ、普段このブログを読んでくださる方でカンのいい人は何を言いたいかはおわかりでしょう。
で、これをそれからこのサイトを見るとさらに納得というか考えさせられるというか・・こんなサイト自体があることが“なんだかなぁ~”と思うが、もうそんな世の中なのである。
http://dqname.jp/
これが本当にこどもに付けられた名前なのだろうか?かなりネタも含まれている気もする。どれもひどい例なんだけど中でも・・
“爆走蛇亜”→(ばくそうじゃぁ)
・・これはもうどんな親かは想像できる。
“黄熊”→(ぷう)
・・に到ってはもうなんというか・・この名前、学校で絶対イジメられなくてもからかわれる。“黄屁”と書いてプーだよ。おならぷう。
こんな名前をつける親が増えているんだもの。社会性というのはどんどん無くなっていくんだろう。