結局のところ、善人と悪人の違いは何か?
そんなことを哲学的に考えてしまうことはないだろうか。
私は「束縛するかしないか」ではないかという結論に至っている。
悪人ほど、他人を束縛したがるということだ。
※束縛は干渉、お節介、監視等
と置き換えることもできる。
悪人ほど他人のことを気にし、
他人に目を光らせ、隙あらば束縛しようとする。
意外なことに、
人間に無関心、人間社会でうまくやっていけない
という人のほうが、人柄がよく一緒にいて楽なことすらある。
言いがかりや因縁は、
関係のない人を不当に「束縛」すること、
パワハラ、セクハラ、モラハラ等、
広い意味ではすべて不当な「束縛」といえる。
殺人は、他人の命を不当に奪うという「束縛」、
強盗は、他人の財産を不当に奪うという「束縛」。
いい彼氏(彼女)と悪い彼氏(彼女)の違いも、
束縛するか否かだ。
「束縛も愛の証」なんて300%大嘘。
善人は、相手を一人の人間として尊重するから、
軽はずみに束縛なんてしない。
悪人は、相手を自分の所有物として思い通りにしたがる。
このように考えると、人間関係はシンプルになるのではなかろうか。
善人は大切にし、悪人は切ればよいのである。
※ちなみに、「束縛」と「気にかける」は雲泥の差がある。
対義語とすら言ってもいいくらいだ。