過去3回、2016年7月17日に実施の祇園祭 前祭 山鉾巡行について
第1回 1番目の長刀鉾~6番目の太子山
第2回 7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山
第3回 13番目の鶏鉾~18番目の木賊山
下記ブログで紹介した。
祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その1 1番目の長刀鉾~6番目の太子山
祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その2 7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山
祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その3 13番目の鶏鉾~18番目の木賊山
今回はこのシリーズの第4弾(最終回)としての19番目の郭巨山~23番目の
船鉾までの山鉾巡行の様子を動画と写真で紹介します。
今回をもってこのシリーズを終了します。
19番目 郭巨山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/5f/3646c65375939de6c9e1ebe1fd2edb93.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/cc/f92f21162c73718fa952f6c940e67b4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4f/a4a919b8df685cd977b70b50c368ba35.jpg)
上の3枚の写真は郭巨山(かっきょやま)の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/72/1ef05f97a016cd067caf2d9ac09aeb64.jpg)
上の写真はJR京都駅に展示されていた郭巨山のコーナー
別名を釜掘山とも呼ばれ、古代中国の史話二十四孝の一人の郭巨(かくきょ)の
故事にちなんで造られています。故事の内容は「郭巨は貧困のため老母と三歳の
男子を養えなくなり山へ埋め捨てようとしたところ黄金の釜を掘り当て母親の
孝行をしたという」
山の人形は郭巨と童子
20番目 油天神山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/73/eae4814ba21744135087ebf190670db7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a4/70a2fe8a3ea2c0173cf82e64c20c42d7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/74/f5a2f3f42b77daf59ffc5ef6d0eba8d4.jpg)
上の3枚の写真は油天神山の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/84/253dbbcd78d595f9d26708c632b718e5.jpg)
上の写真はJR京都駅に展示されていた油天神山のコーナー
古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、
油小路通にあるところから「油天神山」と呼ばれる。
勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれる。
天神さんと深い関係のある紅梅の枝を立て鈴をつける。
見送は平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織
21番目 放下鉾
上の動画は放下鉾(ほうかほこ)の巡行
鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する
鉾頭には日・月・星の三つの光が下界を照らす形をしている。
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より「三光丸」と命名された。
巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている
下水引は「華厳宗祖師絵伝」を下絵にした綴織
22番目 岩戸山
上の動画は岩戸山の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/24/8a59f17a7fa586cbce1ebbbc83236537.jpg)
上の写真は会所にあった岩戸鉾の説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/6e/925cb9ee39516023225c1245cb9da88e.jpg)
上の写真は出発前の岩戸山
古事記、日本書紀に記されている「国生み」と「天の岩戸」の神話を
題材にした曳山(鉾と同様に車輪をつけた山)
天照大神、手力男命、伊弉諸尊の三体の御神体が祀られている。
前懸は玉取獅子図中国絨毯、胴懸は唐草文様インド絨毯
見送は日月龍唐子嬉遊図の綴織
23番目 船鉾
上の動画は船鉾の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/1a/2591af0d7074ab8ff3d76e65becea89b.jpg)
上の写真は出発前の船鉾
神功皇后の三韓征伐の説話により、軍船の形をしている。船鉾の船首には
想像上の鳥である鷁(げき)、船尾には飛龍紋の舵をつけ、神功皇后と
安曇磯良(龍神)・住吉・鹿島の三神を祀る。
神功皇后が巻いていた岩田帯が巡行後に妊婦に安産のお守りとして授与
最終回にあたり、祇園祭も含めた日本全国の練り物 (祭り)について概略の
一般論を考えてみたい。
祭りは神輿などを中心とした祭礼行列であり曳山、屋台、ダンジリ、山車、傘鉾
などは「風流」と呼ばれ本来意匠を施したり造り物を意味したものである。
Wikipediaによれば風流(ふりゅう)とは、中世以後の日本において高揚した
美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅
や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識されている
著名なものとしては今回紹介した祇園祭の曳山とともに日本の三大曳山である
飛騨高山祭、長浜曳山祭 注1)をはじめとして埼玉県秩父夜祭 注1)、博多祇園山笠、敦賀祭
大津祭、愛媛県西条祭、姫路灘のけんか祭、岸和田のダンジリ、播磨の布団太鼓
など枚挙に暇がない。
注1)Wikipediaでは日本の三大曳山は長浜曳山祭ではなく秩父夜祭としています
過去にブログを書いているものについてリンクしておきます。
2016年 海神社秋祭りの情報(布団太鼓)
長浜散策記 その7 曳山
松原八幡神社&八正寺訪問記 on 2014-7-13と灘のけんか祭り 宵宮 on 2014-10-14
第1回 1番目の長刀鉾~6番目の太子山
第2回 7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山
第3回 13番目の鶏鉾~18番目の木賊山
下記ブログで紹介した。
祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その1 1番目の長刀鉾~6番目の太子山
祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その2 7番目の四条傘鉾~12番目の保昌山
祇園祭 前祭 山鉾巡行 on 2016-7-17 その3 13番目の鶏鉾~18番目の木賊山
今回はこのシリーズの第4弾(最終回)としての19番目の郭巨山~23番目の
船鉾までの山鉾巡行の様子を動画と写真で紹介します。
今回をもってこのシリーズを終了します。
19番目 郭巨山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/5f/3646c65375939de6c9e1ebe1fd2edb93.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/cc/f92f21162c73718fa952f6c940e67b4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4f/a4a919b8df685cd977b70b50c368ba35.jpg)
上の3枚の写真は郭巨山(かっきょやま)の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/72/1ef05f97a016cd067caf2d9ac09aeb64.jpg)
上の写真はJR京都駅に展示されていた郭巨山のコーナー
別名を釜掘山とも呼ばれ、古代中国の史話二十四孝の一人の郭巨(かくきょ)の
故事にちなんで造られています。故事の内容は「郭巨は貧困のため老母と三歳の
男子を養えなくなり山へ埋め捨てようとしたところ黄金の釜を掘り当て母親の
孝行をしたという」
山の人形は郭巨と童子
20番目 油天神山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/73/eae4814ba21744135087ebf190670db7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a4/70a2fe8a3ea2c0173cf82e64c20c42d7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/74/f5a2f3f42b77daf59ffc5ef6d0eba8d4.jpg)
上の3枚の写真は油天神山の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/84/253dbbcd78d595f9d26708c632b718e5.jpg)
上の写真はJR京都駅に展示されていた油天神山のコーナー
古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、
油小路通にあるところから「油天神山」と呼ばれる。
勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれる。
天神さんと深い関係のある紅梅の枝を立て鈴をつける。
見送は平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織
21番目 放下鉾
上の動画は放下鉾(ほうかほこ)の巡行
鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する
鉾頭には日・月・星の三つの光が下界を照らす形をしている。
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より「三光丸」と命名された。
巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている
下水引は「華厳宗祖師絵伝」を下絵にした綴織
22番目 岩戸山
上の動画は岩戸山の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/24/8a59f17a7fa586cbce1ebbbc83236537.jpg)
上の写真は会所にあった岩戸鉾の説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/6e/925cb9ee39516023225c1245cb9da88e.jpg)
上の写真は出発前の岩戸山
古事記、日本書紀に記されている「国生み」と「天の岩戸」の神話を
題材にした曳山(鉾と同様に車輪をつけた山)
天照大神、手力男命、伊弉諸尊の三体の御神体が祀られている。
前懸は玉取獅子図中国絨毯、胴懸は唐草文様インド絨毯
見送は日月龍唐子嬉遊図の綴織
23番目 船鉾
上の動画は船鉾の巡行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/1a/2591af0d7074ab8ff3d76e65becea89b.jpg)
上の写真は出発前の船鉾
神功皇后の三韓征伐の説話により、軍船の形をしている。船鉾の船首には
想像上の鳥である鷁(げき)、船尾には飛龍紋の舵をつけ、神功皇后と
安曇磯良(龍神)・住吉・鹿島の三神を祀る。
神功皇后が巻いていた岩田帯が巡行後に妊婦に安産のお守りとして授与
最終回にあたり、祇園祭も含めた日本全国の練り物 (祭り)について概略の
一般論を考えてみたい。
祭りは神輿などを中心とした祭礼行列であり曳山、屋台、ダンジリ、山車、傘鉾
などは「風流」と呼ばれ本来意匠を施したり造り物を意味したものである。
Wikipediaによれば風流(ふりゅう)とは、中世以後の日本において高揚した
美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅
や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識されている
著名なものとしては今回紹介した祇園祭の曳山とともに日本の三大曳山である
飛騨高山祭、長浜曳山祭 注1)をはじめとして埼玉県秩父夜祭 注1)、博多祇園山笠、敦賀祭
大津祭、愛媛県西条祭、姫路灘のけんか祭、岸和田のダンジリ、播磨の布団太鼓
など枚挙に暇がない。
注1)Wikipediaでは日本の三大曳山は長浜曳山祭ではなく秩父夜祭としています
過去にブログを書いているものについてリンクしておきます。
2016年 海神社秋祭りの情報(布団太鼓)
長浜散策記 その7 曳山
松原八幡神社&八正寺訪問記 on 2014-7-13と灘のけんか祭り 宵宮 on 2014-10-14