2020年2月9日、明石公園内の県立図書館に出かけた時に表題の「県農発祥の地」
の石碑の写真を撮りましたので紹介します。
兵庫県立農業高等学校は現在、JR東加古川駅近くにある高校であり明治30年(1897)
4月1日に設立された兵庫県簡易農学校(明治32年兵庫県農業校、明治34年に
兵庫県立農学校に改称)が前身の学校で明石城の三の丸の位置にありました。
当所の兵庫県簡易農学校時代は一般の理解が得られず志願者はたった3人であった。
募集を延期して13人でやっと開校するという有様であった。
明治32年以降は実業学校令が公布され兵庫県農学校として当時の旧制中学校と肩を
並べる水準となり、生徒も急増した。
上の写真が上述の「県農発祥の地」の石碑です。
上の写真は石碑のある場所付近から観た明石城
関連の石碑として同じく明石公園内にある「鶴駕行啓所」も写真添付しておきます。
上の2枚の写真は「鶴駕行啓所」の石碑の表面と裏面
この碑の裏面の記載内容によれば明治32年(1899)11月5日に東宮嘉仁親王殿下が
兵庫県立農業校を訪れ生徒の学習状況を視察されたことと大正11年(1922)4月に
県農が加古川に移転することで明石公園内にあったことが忘れ去られることを危惧
して服部一三(兵庫県知事)に嘆願し大正14年(1925)3月に建立された。
嘉仁(よしひと)親王は後の大正天皇(1879-1926)である。明治32年当時は
まだ20歳の皇太子時代で当地に訪問された。
以下の文章は2022年2月4日に追記しました。
2022年2月3日、県立図書館で借りた図書、ビジュアルブックス編集委員会編
「失われた 風景を 歩く」のPage30-32に県立農学校と女子師範という章で県農の
昔の写真と文がありましたので引用紹介します。
上の写真は県立農学校の正面。(大正6年頃)
原典は故浜田秀男氏蔵「兵庫県立農学校・大正6年(1918)・第17回卒業記念写真帖」
明石城三の丸に県農があった時期は明治30年(1897)から大正11年(1922)東加古川に
移転するまでの25年間である。
上の写真は明石城跡(三の丸)を行軍する県立農学校の生徒。(大正6年頃)
手前は山陽鉄道(JR)のレール。
原典は故浜田秀男氏蔵「兵庫県立農学校・大正6年(1918)・第17回卒業記念写真帖」
上の写真は城跡で馬を使っての農耕実習(大正6年頃)
原典は故浜田秀男氏蔵「兵庫県立農学校・大正6年(1918)・第17回卒業記念写真帖」
石碑に書かれている内容は下記のとおりです。
兵庫県立農業高等学校
県農発祥の地
兵庫県知事
明治30年4月1日 兵庫県簡易農学校この地に創立
明治32年4月1日 兵庫県農学校(甲種)に昇格
明治34年4月30日 兵庫県立農学校と改称
大正11年4月1日 加古郡平岡村新在家に移転
昭和23年4月1日 兵庫県立農業高等学校と改称
創立80周年を記年してこれを建立
昭和52年11月22日
社団法人 錦江会
関連サイト
明石公園内にあった「兵庫県立農学校」100年前の写真帳発見 生徒の活動鮮明に伝え|明石|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)