2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第3回として洲本八幡神社と金天閣を紹介します。
本日はその第3回として洲本八幡神社と金天閣を紹介します。
過去の訪問記
洲本八幡神社の基本情報
住所:洲本市山手2-1-10 TEL:0799-22-0549(9:00~18:00)
御祭神:八幡神(第15代応神天皇、神功皇后、姫神又は仲哀天皇)
創祀:淳仁天皇により創祀
所在地のGoo地図を添付しておきます。
拝殿
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上の写真は洲本八幡神社の拝殿
永祚2年(990)に国司藤原成家からの庇護を受けた。淡路州神と称えられた文書が残る。
室町末期、三熊山に洲本城を築いた時に安宅秀一が神社に籠り祈願。
江戸時代には洲本城の鎮守として、藩主の蜂須賀氏の祈願所となり広く崇敬を受けてきた。
神社の目の前に洲本城が置かれ、淡路国における徳島藩の代参所となると共に藩主蜂須賀氏及び家老洲本城代稲田氏の祈願所として特異なる崇敬をうけた。また、淡路国で初めて檀尻(だんじり)が出されたことでも知られる。
神門
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上の写真は神門の遠景
一の鳥居
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上の写真は洲本八幡神社正面の一の鳥居
日本の三名狸「柴右衛門」
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上の写真は「芝右衛門」という狸 の石像と背後の小社。
大阪中座から洲本に帰ってきた芝右衛門狸を祀っている社殿です。
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上の写真は現地説明板 若干、読みを間違えているかも知れませんが説明文を転記しました。
洲本八狸
日本の三名狸 柴右衛門
三熊山に住む日本三名狸に数えられ芝居好きの狸
木の葉をお金に変え大阪の道頓堀芝居見物に
出かけたなどの話が伝わる人気の神。
芝居の他、商売繁盛の神としてお祀りされています。
また、元大阪中座の座員や片岡仁左衛門、藤山寛美さん等
役者や関係者に親しまれています。
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上の2枚の写真は洲本八狸の説明と愛称
上に添付した2枚の写真は下の写真から切り抜いたものです。
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柴右衛門狸は洲本八幡神社以外に洲本城、中座ビルの地下一階と一階のお狸様、
生國魂神社の源九郎稲荷神社(八兵衛大明神として合祀)、淡路島佐野の柴右衛門神社で
祀られています。
生國魂神社の源九郎稲荷神社(八兵衛大明神として合祀)、淡路島佐野の柴右衛門神社で
祀られています。
洲本城の柴右衛門狸の伝説と祠については散策シリーズ第2回で詳しく書いています。
金天閣
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上の2枚の写真は金天閣の建物外観
寛永18年(1641年)に徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)が、三熊山山麓の洲本城内に
建てた洲本御殿の一部です。洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、
この玄関と書院だけが移築され残りました。
洲本城関係の建物では現存する唯一の建物です。
現在は、金天閣として洲本八幡神社の境内にあります。
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上の写真は金天閣と書かれた木札
国瑞彦護国神社
独立した神社ではあるが洲本八幡神社に隣接してあるのでここに掲載した。
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上の写真は国瑞彦護国神社の拝殿と本殿
国瑞彦護国神社 の地には昔、龍宝院があった。
明治12年(1879)、庚午事変(稲田騒動)の後始末として阿波藩国瑞彦神社から分霊し建立 された神社です。
境内摂社
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上の2枚の写真は境内摂社の一つ白髭稲荷神社
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上の写真は境内摂社の一つ大神社 天照皇大神
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上の写真は境内摂社の一つ 天満宮
その他にリーフレットには平野神社・高良神社・八坂神社・春日神社・愛宕神社・楠宮神社
淡路代参社がリストアップされています。
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上の写真は境内にあった小祠群
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