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国史跡 永福寺跡

2022年01月09日 04時43分00秒 | 神奈川県情報

本日は鎌倉市にある国史跡 永福寺(ようふくじ)跡について調べた結果を紹介します。

NHK大河ドラマ「鎌倉堂の13人」が1月9日(日)から始まるということでこのテーマを

選んでいます。

上の2枚の写真はかって御願寺として建てられた永福寺のCG画像です。発掘データをもとに
湘南工科大学が寺院の復元CGを作成した。

出典:2022年1月3日2:57、NHK総合テレビで放送された「北条義時ゆかりの地をめぐる」

Wikipedia(一部加筆)によれば

永福寺跡(ようふくじあと)は、神奈川県鎌倉市二階堂(旧二階堂村)にある寺院跡。
鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。二階建ての仏堂であった事から二階堂とも称された。寺跡は国の史跡に指定されている。また世界遺産候補となっている武家の古都・鎌倉の構成資産のひとつ。

永福寺は源頼朝により建久3年(1192年)、奥州合戦で亡くなった弟・義経や藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建てられた大寺院。建久5年(1194)に三堂(二階堂、薬師堂、阿弥陀堂)が完成。
源頼朝が建立した鶴岡八幡宮寺・勝長寿院と並ぶ三大寺院のひとつです。

応永12年(1405年)の火事で焼失したといわれ、現在は廃寺。発掘調査により本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並び、その前面には広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園を持つ壮大な寺院の遺構が確認されている。現在は、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡に指定され、公開活用に向けた整備工事が終了、平成29年6月から整備範囲を全面公開し、史跡を生かした公園として親しまれている。

永福寺跡の基本情報

所在地:神奈川県鎌倉市二階堂178
公開時間:4月から10月までの間は 午前9時から午後5時まで
     11月から3月までの間は 午前9時から午後4時30分

公式サイト(鎌倉観光公式ガイド):鎌倉市観光協会 | 時を楽しむ、旅がある。~鎌倉観光公式ガイド~ トップページ (trip-kamakura.com)

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

 

 

発掘調査

上の写真は永福寺跡の現況

出典:2022年1月3日2:57、NHK総合テレビで放送された「北条義時ゆかりの地をめぐる」

1983年(昭和58年)から開始された発掘調査で、北方から流れ込む谷川を水源とする南北200メートル、東西40-70メートルの苑池を中心とした浄土庭園の西岸に、二階大堂を中心に南北に阿弥陀堂、薬師堂の翼廊を従えた中心伽藍が確認された。両側の堂からはL字型の廊が付属し中門・釣殿がつくられていました。このことから、伽藍全体の空間構成は無量光院をモデルにしたと考えられる。

現在、永福寺跡周辺が「二階堂」と呼ばれているのも、この建物が由来となっている。

無量光院については下記のブログで記載しています。

 岩手県平泉町 無量光院跡へバーチャル訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

復元
長らくススキが生える湿地となっていたが、史跡指定翌年の1967年(昭和43年)度から土地の公有化を進め、2007年(平成19年)以降復元整備工事に着手し、2017年(平成29年)6月、二階堂、阿弥陀堂、薬師堂などの基壇(基礎)と苑池の復元が完了し、公開された。

2007年から復元工事が行われ、2017年に基礎と池泉が復元され公開。

上の写真は復元された現況

出典:2022年1月3日2:57、NHK総合テレビで放送された「北条義時ゆかりの地をめぐる」

国史跡指定

 昭和41年(1966)6月14日に国指定の史跡に指定されました。

 文化庁のデータベースに記載の解説文:源頼朝が奥州平泉で見た藤原氏建立の寺に習った寺で、

 本堂は2階建(二階堂の名の起こり)、その前にすぐれた苑池を設けた。今も礎石、中島、

 立石、汀石等がのこり、鎌倉文化史上重要な史跡である。


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