2021年11月29日、神戸で4番目の「BE KOBE」のモニュメントが神戸市垂水区下畑町に
建設、公開されました。神戸新聞2021年11月30日の朝刊でも紹介されました。
2022年1月8日に現地に赴き写真を撮ってきましたので紹介します。
「BE KOBE]は阪神淡路大震災から20年をきっかけに生まれた「神戸の魅力は人である」
という思いを集約したシビックプライド・メッセージです。
さらに「人のために力を尽くす」という神戸市民の熱い思いもBE・KOBEに込められています。
BE KOBEの最初のモニュメントは2017年4月にメリケンパークに設置。その後2番目の
モニュメントがポートアイランドのしおさい公園に2019年7月に設置。さらに3番目の
モニュメントが北区の衝原湖の湖畔に2020年6月に設置されています。
これら3つの「BE KOBE モニュメント」は下記サイトで写真と地図を添えて紹介されています。
前置きが長くなりました。本題に入ります。
BE KOBEモニュメントと眺望
上の写真が神戸で4番目の「BE KOBE」のモニュメント 撮影:2022-1-8
所在地の住所は神戸市垂水区下畑町732-1
Goo地図を添付しておきます。
神戸新聞の記事によれば地元の旧家、正木真一郎さんが私費で建設されたそうです。
2022年1月5日のサンテレビ17:00から放送のキャッチで紹介されていた地図も添付(下の写真)
現地にはキャンプ用の駐車場(有料)はあるが出来る限り神戸市バス88系統の「清玄町」
下車し徒歩5分で行かれることを推奨します。
上の写真はモニュメントからの眺望
上の写真はBE KOBEのモニュメントのあるキャンプ場の入り口の案内所あたりにある
クリスマスツリーとBE KOBEの看板
土台にはBE KOBEの由来などが記載されています。
上の写真は最初に設置されたメリケンパークのBE KOBEのモニュメントを題材とした
銅版画の作品
古山陽道御神木
上の写真は古山陽道御神木の全景
上の2枚の写真は現地説明板と現在地を中心とした周辺地図
キャンプ場はBEKOBEグリーンテラス神戸・垂水と名付けられています。
上の写真はグリーンテラス神戸の現地案内所
須磨駅家~明石駅家間の古山陽道
上の写真は須磨駅家~明石駅家の山陽道のルート
出典: 兵庫県教育委員会編 大田町遺跡発掘調査報告書
神戸市大田郵便局等新築工事に伴う発掘調査報告書(1993) Page57
須磨駅家~明石駅家の山陽道のルートは、近世と同じく海岸沿いを通っていたか、
鉢伏・鉄拐山の切り立った崖の続く海岸ルートを迂回して
須磨駅家~多井畑~塩屋~舞子~朝霧~明石駅家を経由する多井畑ルート
須磨駅家から北に向かい白川峠を通り布施畑から大山寺、長坂を通過し明石駅家に
到達する白川ルートが考えられています。
多井畑ルートに関して16世紀頃に須磨浦海岸の道が開通するまでは人々が往来する
道として利用されていました。近世の山陽道と区別するために古山陽道と呼ばれています。
昌泰4年(901)に藤原時平の陰謀で菅原道真は都を追われ、九州の大宰府に左遷された
おりに古山陽道(多井畑ルート)を利用されたと思われます。
下畑町の散策マップ
上の写真は下畑の主な史跡を航空写真の中に記載したものです。撮影:2017-10-8
黄色い線が古山陽道です。
出典:下畑歴史散策マップの掲示
平成28年(2016)8月垂水伝統芸能保存会 塩屋・下畑生活文化圏部会により作成
下畑地区では佐伯、石阪、森本、佐伯、藤田、林の六家が統主と呼ばれ、
下畑地区の鎮守の社の下畑海神社を輪番制で御守している。
また各家は独自の神社を祀っておられます。
更に詳細は下記ブログで書いています。
下畑歴史散策マップ on 2017-10-8 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
上の写真は下畑の主な見どころを絵にしたものです。 明石市の伊藤太一さんの作
下記のブログでも主な見どころについて纏めています。
下畑ウォーキングに参加してきました on 2011-11-15 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
改めて下畑町の主な見どころを簡単に書いていきます。
1)臨済宗 円通山 久昌寺 垂水区下畑町2038
天徳2年(958)の創建で行基がヤマモモの木で造った観音像が本尊であるといわれています。
県の指定文化財に指定されている石造宝筺印塔が有名
上の写真は久昌寺の本堂 撮影:2007-10-5
詳細は下記ブログ
2)下畑海神社 垂水区下畑町城ヶ原1963
垂水の海神社の元宮といわれ、1750年代に垂水海神社から御分霊を迎え創建された。
120段の階段があり最初の7段は7歳まで次の15段目までが15歳まで次の38段までが青年会・・
古くは南北朝時代この地(下畑町城ケ原)に下端城という城があった。
2014年 下畑海神社秋祭り on 2014-10-19 奉納神相撲 その7
3)庚申堂 垂水区桃山台3丁目27-11
上の写真は庚申堂 撮影:2011-10-12
庚申さんは漁村では豊漁を商人は商売繁盛を古来純農村である下畑では五穀豊穣成就の
祈願に火難と水難除けに青面金剛をおまつりし悪病や災難が村に入らぬように賽之神を
お祭りしていた。
青面金剛は仏教の守護神で手が6本ある恐ろしい形相が掛け軸や木像で伝えられる。
庚申の日(かのえのさるの日 61日目になる)にお祭りをしたところから
庚申さんと呼ばれるようになった。庚申堂は東中西の3箇所に祀られた。
詳細は下記ブログ
神戸市垂水区下畑 庚申堂 on 2011-10-12 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
4)下畑大歳神社(天高大明神、乙姫大明神)垂水区下畑町神の脇437番地
乙姫大明神は平清盛が承安年間(1171年から1174年)に播磨守に任じられた時に建立と
伝わってます。境内には安産杉の根が残る。また、さざれ石も見どころ。
2014年下畑海神社秋祭り on 2014-10-19 神事 その3
5)山の神(行者堂) 垂水区朝谷町9
上の写真が行者堂 撮影:2019-2-9
行者堂は神変大菩薩役行者をおまつりする堂である。
修験道の祖で欽明天皇の時代の欽明5年(633)大和国に生まれ仏道に帰依し
各地で厳しい修行を積み32歳で座禅三昧の中に大黒天の法力を感得し、大菩薩に
なったという行者を祀ってあるお堂です。
この行者は大宝元年(701)6月7日に68歳で入寂されたそうです。
寛政11年(1800)朝廷は神変大菩薩の号を与えられました。
このお堂は昭和61年(1986)4月吉日に当地に遷座されました。
信仰する人には諸願成就、福徳円満、悪病消除の功徳が授けられると
されています。
詳細は下記ブログ
行者堂 on 2019-2-9 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
6)水道記念碑 垂水区下畑町2119−4
下畑老人いこいの家に隣接している白山神社と本願神社の後ろ側にあります。
上は水道記念碑の裏側の写真です。 撮影:2011-10-12
昭和26年(1951)4月に建立されたもので文章の要旨は下記のとおりです。
下畑町は昔から水不足に悩まされていた、当時の協議会会長であった佐伯弥三治氏が
水不足を打開の為尽力し上水道建設の議を纏め町民一致協力して多年の念願であった
上水道が建設された。
この事業を記念してこの碑が建設された。
総工費は330万円
延べ3,000人以上の人が建設のために奉仕労働した
協力市会議員:吉川国治、川崎勇、伊藤利勝
工事責任者:和泉一加
7)古山陽道の常夜灯
上の写真が下畑の常夜燈の石碑です。 撮影:2011-10-12
古山陽道沿いで下畑村の一番の中心街に設けられていたのが常夜燈です。
石碑には多井畑厄神まですぐであるとの表示があります。
右側面:往来安全
正面: 常夜燈 真グ 多井畑
厄除八幡宮道
左測面: 明治40年一月
裏面: 石坂徳三郎
上の写真は切り絵作家として著名な伊藤太一先生が描いた常夜燈付近の
下畑村の光景です。昔の風情が感じられる町並みです。
8)鯛取山
上の写真は鯛取山の遠景
乙姫大明神とは浦島太郎の伝説で関係が深い
9)氏神の祠
下畑には旧家の敷地内または近くに氏神の祠を持っています。
佐伯、林、森本、石坂、中塚、丸山、宝田、尾崎、藤田、原、松原
代表例として石坂家の天皇社(垂水区下畑1983)の写真を添付紹介
10)一つ地蔵
一ツ地蔵(上の写真)の周辺にはこの地域で多く見られる一石五輪塔が祀られています。
旧下畑村の小字名
参考として下畑村の86の小字名について下記に添付しておきます。(上の写真)
現在町名として残っているのは27番の朝谷のみであるが公園命やバス停の名前
などでたくさんの小字名が残されています。
出典:垂水百年のあゆみ(平成6年発行)
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