2014年5月10日 NHK Eテレで下記の内容の番組を録画を最近、視聴しました。
ETV特集「発見!謎の金銅製馬具~古代日本と朝鮮半島の交流史~」
平成25年(2013)3月、福岡県古賀市で朝鮮半島の新羅からもたらされたと見られる
金銅製装飾馬具が発見された。韓国では、これまで日本独自のものと見られていた
前方後円墳や“倭系甲冑”と呼ばれる日本由来の武具が発見されるなど、古代の日本と
朝鮮半島の交流の歴史に新たな見方を与える発見が相次いでいる。番組では最新の
調査と日韓の考古学者の議論を通して、古代の日本と朝鮮半島の交流史を探っていく。
出演者【出演】慶北大学校教授…朴天秀、国立歴史民俗博物館教授…松木武彦、
【キャスター】礒野佑子
本ブログでは船原(ふなばる)古墳から出土の金銅製装飾馬具に焦点を絞り、
発掘調査の報告書の内容も踏まえて纏めてみました。
尚、上記番組内容全体を下記サイトで纏められていますのでリンクさせていただきました。
http://inoues.net/museum2/5gatsu10nichi.html(邪馬台国大研究)
参照資料
1)船原古墳Ⅰ 古賀市文化財調査報告書68集 古賀市教育委員会 2016年3月31日
2)船原古墳Ⅱ 古賀市文化財調査報告書73集 古賀市教育委員会 2019年3月31日
3)国史跡船原古墳保存活用計画 古賀市 2018年3月
4)上述のNHK Eテレ番組
5)時を越えた宝箱 船原古墳遺物埋納坑 古賀市教育委員会
6)奈良市埋蔵文化財調査センター作成の資料
7)森浩一 日本古代文化の探求 馬 社会思想社 昭和49年(1974)10月30日
古賀市と船原古墳の位置
上の写真は古賀市の位置図 出典:3)のPage11
上の写真は船原古墳の位置図 出典:3)のPage12
船原古墳の航空写真
上の写真は船原古墳の航空写真 出典:4)
1号土坑の位置図
上の写真は1号土坑の位置図 着色部 出典:1)のPage76
1号土坑から出土の遺物
上の写真は発掘調査時の1号土坑の写真 出典:3)のPage39
上の写真は1号土坑遺物出土状況 出典:2)のPage9
船原古墳は、6世紀末から7世紀初頭に造られた、現存長37.4m、復元全長45m以上の
前方後円墳です。また、古墳に隣接して発見された遺物埋納坑からは、多数の豪華な
馬具をはじめ、総数500点を超える出土品が見つかりました。
平成25年(2013)4月に現地説明会が行われ、出土した豪華な馬具が大きな話題となりました。
遺物埋納坑から見つかった出土品の中には、国内初の発見であるガラス製の飾りが付いた
雲珠・辻金具や、国内3例目となる馬冑など希少なものが含まれていることが分かりました。
それらの出土品の類例は、朝鮮半島のみであるいは朝鮮半島で多く確認されています。
また、古墳の石室内ではなく墳丘の外に掘った土坑に多量の品々を埋めるという例自体、
国内初のものです。
上述のTV番組ではヤマト王権との関係から古賀市の首長が新羅の支配者から送られた
豪華な馬具を急いで隠すために埋めたものと推測されていました。
527年に筑紫国国造磐井の乱があり528年にヤマト王権から派兵された物部 麁鹿火
(もののべ の あらかび/あらかい)により鎮圧されましたが磐井の嫡嗣の葛子は
身の危険を感じ、当時海上交通の拠点であった糟屋屯倉(かすやのみやけ)を
ヤマト王権に差し出したと日本書紀に記載されています。
その糟屋屯倉は船原古墳の周辺にある鹿部田渕遺跡が有力な候補地となっています。
馬具の各部名称
上の写真は主な馬具の名称 出典:5)
上の写真は馬具の各部名称 出典:6)のPage5
馬具の歴史と馬具の各部の役割概要
上の写真は馬具の歴史と各馬具の役割説明 出典:5)
上の写真は姫塚古墳から出土の馬形埴輪に付記そや馬具の名称 出典:7)のPage65
出土した馬具
上の写真は金銅製歩揺付飾金具(雲珠)のCG 出典:4)
上の写真は雲珠(うず)の周辺の辻金具と杏葉(ぎょうよう) 出典:4)
上の写真は馬具の全体 CG画像 出典:4)
鈴も金銅製です。
上の写真は辻金具(イモガイ装飾)の出土状況とCG画像 出典:4)
上の写真はガラス装飾辻金具 鶏林路14号は嘉出土 出典:4)
上の写真は金銅製鳳凰文心葉形杏葉(ぎょうよう)のCTスキャン像 出典:4)
上の写真は馬冑(ばちゅう) 出典:3)Page45
関連動画
VR船原古墳~最先端技術で古代九州北部を読み解け~ / ミライアングル
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