2021年7月3日、神戸新聞夕刊で表題のような見出しで明石・旧波門崎燈籠の築造に関する
記事が掲載されていました。
明石・旧波門崎燈籠の築造に関して下記ブログで纏めています。
明石港の旧波門崎(はとさき)燈籠堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
上記記事で書けなかった事項と上述の新聞記事での解説事項を整理して纏めてみました。
本題に入る前に旧波門崎燈籠について現地説明版を使用して写真紹介します。
上の写真は現地まで行って撮った明石港旧灯台の写真です。
付近は釣のメッカらしく釣り人が多くおられました。
撮影日:2012年10月26日
上の写真は現地の説明板です。下記のように記載されています。
明石港旧灯台の沿革
明石港の灯台は1657年(明暦3年)に明石藩主松平忠国によって舟人の目標とする
燈明台(とうみょうだい)として造られたといわれています。
明治以前の「航路標識年表」(1968年 第五管区海上保安本部刊)によれば、
近畿で四番目に造られた灯台となります。
その当時は、江戸へ荷物を運ぶ菱垣廻船が活躍しはじめ、明石港も瀬戸内海の
物資の交易のため、潮流の速い海峡の潮まち港として、また淡路への連絡港
として重要な位置を占めるようになってきた頃です。
大正時代の写真には、港口を行き交う帆船とともに、木製の燈籠部も写っており、
昔の姿がしのばれます。
昭和7年(1932)に改修が行われて灯台となり、明石市が管理することになりましたが、
終戦後、連合軍の指令により、昭和26年(1951)5月明石市から国へ移管されました。
昭和38年(1963)3月、灯台としての機能が廃止され、照明機器などは撤去されましたが、
本体そのものは国有財産として残されていました。
その後、この灯台は港の歴史を示すシンボルであり、明石の貴重な歴史資産である
ということで、昭和60年代の初め頃から、兵庫県と明石市が国に対して譲渡の働きかけ
を行い、平成11年(1999)9月に明石市に譲渡されたものです。
これからは上述新聞記事からの要約です。
旧波門崎燈籠堂は明暦3年(1657年)の築造とされる。明石市は2004年、築造時の姿に復元
する計画を立て、学識者らによる研究会を設置。台形の台座に灯籠部が設置された石造りの
灯台の中では最古との調査結果をまとめた。
形状を厳密に区分したのは理由がある。「日本燈台史 100年の歩み」(海上保安庁編)
によれば現存する旧灯台で最も古いのは1628年(寛永5年)に造られた「春日崎灯明台」
(新潟県佐渡市)で石材を段々に積み上げた形状で明石の旧灯籠堂とは異なる。
しかし、この見解にも疑問符がつく。明石市の稲原昭嘉・文化財担当課長によれば
明石城の築城時(1619年)に港の整備も行われ、燈籠堂も設置されたのではと説明。
上の写真は明石の灯台の変遷を図示したものです。
出典:明石市立文化博物館企画展示、発掘された明石の歴史展「明石の港津」の冊子Page60より
明石の灯台は上の図のように改造、修復を繰り返されており石の台の上に平屋の建物が
載っているいる所謂、燈籠堂の形式になったのはⅢ期の1657年以降である。
上述の新聞記事では「播磨国明石城図」(1664年に刊行)に平屋の燈籠台の表記」
上記、灯台の変遷ではⅡ期に該当します。
さらに上述新聞記事には灯台の魅力いろいろと題して「日本最初の西洋式の灯台は神奈川県の
観音埼灯台(1869年)と海面から光源までが約284mある余部埼灯台」を紹介されています。
また、波門崎燈籠堂は今後修復・復元しライトアップするなどして観光資源にする計画であること
2014年に国の登録有形文化財に、2021年に明石市指定文化財になったことも紹介しています。
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