2022年2月18日、梅の観覧と和室で開催の神戸女子大学古典芸能研究センター開設
20周年記念展示 冬 写真展「ひょうごの祭りと暮らし」を見るために須磨離宮公園に
来ていました。
途中、「傘亭」の近くに建つ「戦災者供養塔」の写真を撮りましたので紹介します。
上の2枚の写真は戦災者供養塔と書かれた表面と裏面の説明書きです。
説明文をそのまま転記しておきます。
1945年、第二次世界大戦中の神戸大空襲では
この近辺でも多くの市民が犠牲になられました
当時この地には武庫離宮がありましたが、その近くに
住まわれていた日本山の尼僧小川行相さんが、犠牲者を
火葬され、戦後この地にて永遠の世界平和を願い、
南無妙法蓮華経と彫られた供養塔を建立されました。
一九九五年一月一七日の阪神淡路大震災で供養塔は
倒壊しましたが、戦災にて犠牲になられた方の慰霊と
記録を後世に残すため、この供養塔を設置いたしました。
二〇一一年十月吉日
小川行相さんは空襲で多数の犠牲者の遺体が野焼きにされた惨状をみて犠牲者たちの
霊を慰めることを決意し、この地を接収していた米軍と折衝し園内に供養塔を建てた。
1995年1月17日、阪神淡路大震災でこの供養塔は倒壊したが、尼僧の遺族や塔の再建を
望む人たちが須磨離宮公園の管理者である神戸市に再建を要望し続けたが、市は「市有地
に宗教色のある施設は置けない」として認めず、長らく供養塔の残骸は倒壊した場所に
置かれていた。2011年秋、市は政教分離の考えのもと、供養塔跡に「戦災者供養塔」を
建て、供養塔の破片は尼僧に関係のある東灘区の寺に引き取られた。
宗教色のある事項とは慰霊塔の裏に「南無妙法蓮華経」と刻まれていた。
小川行相尼僧は1992年に没。日本山妙法寺(日蓮宗)の尼僧でした。
経緯など詳細は平成23年(2011)8月16日の神戸新聞に掲載されています。
最後に須磨離宮公園の基本情報と歴史年表を添付して筆を置きます。
須磨離宮公園の基本情報
住所:神戸市須磨区東須磨1−1 TEL:078-732-6688
開園時間:9:00~17:00
休園日:毎週木曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
臨時の休園日もあるようなのでご注意ください
入園料金:15歳以上(中学生を除く) 400円 小中学生は200円
兵庫県内在住の65歳以上の方は証明書の掲示で無料となります。
駐車料金:500円
公式サイト:神戸市立 須磨離宮公園 (kobe-park.or.jp)
武庫離宮及び須磨離宮公園に関連した出来事を下記年表で纏めた。
明治19年(1886) 弁天浜の専崎邸を買い上げ神戸御用邸とする。
関連ブログ 明治天皇御用邸跡の碑
明治30年(1897) 御用邸候補地として須磨高倉町・潮見台町一帯(6,900坪)
明石城址が検討されたがどちらも不適切と判断
明治36年(1903) 西本願寺の大谷光瑞法主が須磨月見山別邸を建設
明治40年(1907) 大谷光瑞以下2名の宅地・山林 20,805坪を買い上げ
明治41年(1908)2月10日 離宮設置決定(宮内省告示2号)
明治44年(1911)11月25日 武庫離宮起工
工事費総予算:571,393円 敷地:21ha 建築面積:約5千㎡
大正3年(1914)12月25日 武庫離宮完成
同年11月17日に大正天皇が摂河泉陸軍大演習の途時に初行幸
大正12年(1923) 御幸通り(現在の離宮道)を地元の交通の便のため神戸市に下賜
昭和10年(1935)4月21日~23日 ラストエンペラー溥儀が宿泊
昭和20年(1945)3月17日 神戸大空襲で焼失
昭和21年(1946)6月 米駐留軍の射撃演習上となる 約10年間
昭和31年(1956)8月 米駐留軍接収解除 神戸市へ返還
昭和33年(1958)4月 皇太子殿下(平成天皇)ご成婚記念事業として公園整備に着手
昭和48年(1973) 東の隣接地 旧岡崎邸用地を買収
昭和54年(1979) 神戸市市制90周年事業として植物園を増設
平成元年(1990) 日本の都市公園100選に選定される
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