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宇治川電気工事竣工記念碑と関西電力「宇治発電所」 on 2024-12-1

2025年01月05日 03時41分07秒 | 京都情報
2024年12月1日に宇治川工事竣工記念碑と関西電力「宇治発電所」の写真を
撮りましたので紹介します。

関西電力「宇治発電所」は私の父親が勤務していた場所であり、私達5人家族は
宇治発電所の社宅(宇治神神社のすぐ近く)に住んでいました。

宇治川電気工事竣工記念碑は宇治発電所から放出された水が宇治川へと流れる水路に
架けられた観流橋を渡ったところの山側に建っています。(下の写真)


宇治川の水力発電の計画は明治20年代後半頃に具体化し、紆余曲折を経て
明治41年(1908)に着工されています。
南郷洗堰北側から取水し、宇治橋上流に至る水路開削工事はそのほとんどが
トンネルであったため難航し多数の犠牲者を出しつつ1,600万円を費やして
大正2年(1913)6月にようやく竣工した。
総延長は約11Km、12のトンネルが建設される大工事であった。

大正2年の8月1日に創業した宇治川電気株式会社は宇治町はもとより京都、大阪に送電し
近畿地方の大きなエネルギー源となった。
宇治川電気は京都電燈、大阪電気と並ぶ関西の三大電力会社の一つであり関西電力の前身でもある。

文面の一部を記載しておきます。(数字は現代流に書き直しています)
「工事竣功記念碑
 一 水路総延長 6,137間 /隧道5,070間 暗渠440間/開渠627間

 一 最長隧道 第1号 1,357間 第7号 1,658間

 一 使用水量 毎秒2千立方尺

 一 有効落差 204尺

 一 機械容量 4万8千馬力

 一 送電線路 大阪線22哩 京都線8哩

 一 工事費総額 1,600万円

 一 工事着手 明治41年(1908)12月

 一 工事竣功 大正2年(1913)6月

   大正3年10月 宇治川電気株式会社

裏面には工事関係者の名が刻まれている。
 南面には本社発起人28名 7名ずつ4段に記載
 北面には宇治川電気の創立以来の重役13名が2段に
 その下に主要工事請負者、工事関係社員が記載されています。

最盛期で199人にのぼった宇治川電気の工事関係者は、技師長石黒五十二、主席技師千種基はじめ多くが工事の完了とともに社を離れたが、発電所の電力は宇治市内に電灯をともし、京阪電車を動かし、ユニチカなど多くの工場を誘致して、宇治市の近代化と発展に寄与し続けた。
宇治発電所の完成を受けて宇治町配電所ができた。

上の写真は関西電力宇治発電所の外観

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