2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
第45帖 橋姫(はしひめ)
第46帖 椎本(しいがもと)
第47帖 総角(あげまき)
第48帖 早蕨(さわらび)
第49帖 宿木(やどりぎ)
第50帖 東屋(あずまや)
第51帖 浮舟(うきふね)
第52帖 蜻蛉(かげろう)
第53帖 手習(てならい)
第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
第46帖 椎本(しいがもと)
第47帖 総角(あげまき)
第48帖 早蕨(さわらび)
第49帖 宿木(やどりぎ)
第50帖 東屋(あずまや)
第51帖 浮舟(うきふね)
第52帖 蜻蛉(かげろう)
第53帖 手習(てならい)
第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。
第3回は第47帖の総角(あげまさ)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。
シリーズのIndex
第1回
第2回
上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104
前置きが長くなりましたが総角の古跡を紹介していきます。
出典:宇治川歴史散歩 Page104
前置きが長くなりましたが総角の古跡を紹介していきます。
総角の所在地は仏徳山(大吉山)への登り口にあります
上の2枚の写真は総角之古跡 源氏物語 宇治十帖と書かれた石碑
撮影:2024年12月1日
昭和45年(1970)10月、菟道山荘、中西元次郎氏によって建てられました。
土台幅135cm 奥行90cm
上の写真は現地説明板 撮影:2024年12月1日
総角の名前の由来
「総角に 長き契りを 結びこめ 同じ所に よりもあはなん - 薫 - 」
総角の概略あらすじ
現地説明板より要約引用
総角の概略あらすじ
現地説明板より要約引用
八宮の一周忌がめぐって来た。薫君は仏前の名香の飾りに託して、大君への想いを詠んだ。
「總角に長き契りを結びこめ同じ所によりもあはなむ」
大君は父宮の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君をこそ薫君に
委ねたいと望まれた。薫君は中君と匂宮とが結ばれることによって、
「總角に長き契りを結びこめ同じ所によりもあはなむ」
大君は父宮の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君をこそ薫君に
委ねたいと望まれた。薫君は中君と匂宮とが結ばれることによって、
大君の心を得ようとされたが、意外な結果に事が運ばれてしまう。
匂宮は中宮と結ばれたが、気軽に行動できない身分であるため、
心ならずも宇治への訪問が遠のく。大君は「亡き人の御諌めはかかる事にこそ」
と故宮を偲ばれ、その心労が元となって、大君は病に臥せてしまいます。
重体となった大君は、もはや薫を遠ざけることもせず、薫に看取られながら
冬11月に薫君の胸に永遠の面影を残して帰らぬ人となった。
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