2022年4月5日、諏訪山公園にある金星観測記念碑の写真を撮ってきましたので
写真紹介します。金星台の住所は神戸市中央区山本通5-1
諏訪山公園がある場所では明治7年(1874)12月9日、太陽と金星、地球が一直線に
並ぶ現象「金星の太陽面通過」をフランスの天文学者ジャンセンらの観測チームが観測。
日本人も参加し、最先端の技術を学んだという。
この出来事は「金星台」や隣接する「ビーナスブリッジ」の名前の由来となりました。
また、観測から100年後の1974年(昭和49年)に金星観測記念碑が設置されました。
上の3枚の写真は諏訪山公園の金星観測記念碑の近景、中景、遠景
金星観測記念碑の石材は生田神社の折れた鳥居が利用されています。
生田神社の折鳥居(形式:明神鳥居)は江戸時代に建立されたが、安政元年(1854)の
大地震で支柱を残して崩壊、その残骸が生田の森に安置された。
「生田の折鳥居」と呼ばれ、交通安全のご利益があると信仰されたらしい。
折れた笠木と島木が一体となった石の半分は金星台に移転された。
上記の鳥居が下の写真の鳥居の残骸(折鳥居)である。(撮影日は2010-8-13)
上の2枚の写真は2022年3月に改訂された金星観測記念碑の解説版
解説版は平成16年(2004)6月8日にもこの場所で金星の太陽面通過を観測できる
ことを記念して金星台に神戸市が説明板を設置しています。
上の2枚の写真は解説板の写真を拡大したもの
金星観測に使用された望遠鏡と観測の様子が判ります。
上の写真は金星観測記念碑の表面に書かれている内容(解説板を拡大したもの)
上の2枚の写真は金星観測記念碑の背面と記載内容(解説版より)
上の写真は金星観測記念碑の場所を示した案内板
北が下になっていますので注意が必要。JR三宮駅から神戸市バス7系統で諏訪山公園前で
下車します(上の地図では花と緑のまち推進センターの所)
上の写真が明治7年(1874)フランス観測隊の「金星の太陽面通過」観測チームの
記念写真
金星の太陽面通過の歴史についてWikipediaより調べてみました。
1631年 12月7日 ケプラーが金星の太陽面通過を予見
詳細は http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1631/
1639年 12月4日 ホロックとクラブトリーにより金星の太陽面通過を初観測
1761年 6月6日 Lomonosov, Chappe d'Auterocheらがロシアで観測
1769年 6月3日-4日 Cookがタヒチに観測隊を派遣し金星の太陽面通過を観測
1874年 12月9日 イタリアのPietro Tacchiniの指導でインド及びニュージーランド
などで金星の太陽面通過の観測
1882年 12月6日 世界各地で観測
2004年 6月8日 世界各地で観測
金星の太陽面通過に関して今後の予測も含めて下記サイトで詳細に紹介されています。
http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1882/
明治の金星観測から138年後にあたる2012年6月6日にも金星の太陽通過があり、
私も観測をトライしました。その時に書いたブログにリンクしておきます。
6月6日(水)は金星が太陽を横切る「金星の太陽面通過」 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
2022年3月4日、日本天文学会の「日本天文遺産」に長崎:長崎市と横浜:個人とともに
神戸市が認定されました。認定に合わせて金星観測記念碑の解説板もリニューアルされた。
日本天文遺産は天文学、暦学関連の歴史を次世代に伝えるため2018年度から天文学会が
認定しておりこれまでに10件が認定されています。
詳細は下記サイトを参照してください。
日本天文遺産 認定一覧 - 公益社団法人 日本天文学会 (asj.or.jp)
上の写真は横浜、神戸、長崎で明治7年(1874)12月9日に行われた金星の太陽面通過の
観測に関して纏められた資料
出典:徳島中央高校 西條敏美氏が纏めた資料
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