CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸の地に残る菅原道真の残照

2015年10月21日 05時11分28秒 | 神戸情報
2015年10月18日に神戸市須磨区が毎年実施している須磨歴史紀行のスタンプラリーで
菅原道真所縁の綱敷天満宮に寄りました。

そこで本日は須磨区の綱敷天満宮を紹介すると共に菅原道真昌泰4年(901)、
失意のうちに大宰府の地に左遷異動する際に通過したであろう神戸の地を
紹介していこうとと思います。
901年当時は神戸という地名はなく現在の行政区に当てはめて適用した。


菅原道真は昌泰4年1月5日(新暦換算901年2月1日)、従二位に叙せられたが、
斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと藤原時平に誣告され、
罪を得て太宰権帥(大宰員外帥)に遷任されたのは同年1月25日
(新暦換算901年2月21日)のことであった。

右大臣(今でいうなら、実権のある副総理ぐらいのポジション)だった菅原道真は、
藤原氏との熾烈な政権抗争に敢えなく敗れ、太宰権帥(だざいのごんのそつ、
現在の福岡県副知事ぐらい)に降格左遷されたのである。


この時、長男高視を初め子供4人が土佐、駿河、飛騨、播磨に流刑となった
(昌泰の変)。


前置きはこれ位にして神戸市の菅原道真公ゆかりの地を紹介していきます。

(1)菅公船繋(つなぎ)の松
  住所:神戸市東灘区御影石町2丁目6 2013-3-20訪問


上の写真は菅公船繋の松のある社の遠景です。


上の写真は「菅公船繋の松」


上の写真は「菅公船繋の松」の説明板。


上の写真は現地の社。石屋川の綱敷天満神社の御旅所となっています。
石屋川の綱敷天満神社は菅原道真の子孫の菅原善輝によって建立されたそうです。


上の写真は天神橋の石碑。

(2)石屋川の綱敷天満神社
  住所:神戸市東灘区御影1−22−25 2013-3-20訪問



上の2枚の写真は石屋川の綱敷天満神社の遠景と拝殿


上の写真は綱打神事の説明

(3)神戸北野天満神社
  住所:神戸市中央区北野町3丁目12−1

  過去に何度か訪問しているが写真が中々見つからないので神戸北野八幡神社の
  公式サイトへリンクさせていただきます。
   http://www.kobe-kitano.net/

(4)匂の梅 in 東尻池町
  住所:神戸市長田区東尻池町1-6-14 訪問日 2013-10-7



上の写真は匂の梅(匂梅)の遠景です。
右手に説明板があり解説されていますのでそのまま引用させていただきます。
「匂の梅
この祠には菅原道真が祀られています。
「匂の梅」と刻まれた碑には
   「風寒み 雪にまがへて咲く花の 
   袖にぞ移れ 匂ふ梅が香」とあります。

菅原道真が九州大宰府に左遷の途中、大輪田の泊(現在の兵庫港)にに上陸したとき、
梅の良い香りに誘われてこの地にやってきて、この句を詠んだと伝えられています。

明治時代になって、東尻池一帯の耕地を整理したとき、一部を「梅ヶ香町」としたのは
この伝説によるものです。 長田区役所


 さらに詳細は下記ブログへ
  菅原道真 所縁の「匂の梅」 in 東尻池町 on 2013-10-7

(5)柳原天神社
   住所:神戸市兵庫区東柳原町1-12  訪問日:2012-12-20


上の写真は柳原天神社の拝殿。右手の二股になったイチョウの木は夫婦イチョウで
雌雄の木が根元で結ばれて共生しています。この木に触れると縁結び夫婦円満、
子宝、良縁に恵まれると言い伝えられています。


  さらに詳細は下記ブログへ
   柳原天神社 on 2012-12-20

(6)板宿八幡神社
   住所:神戸市須磨区板宿町3-15-25   訪問日:2012-2-8



上の写真は板宿八幡神社の拝殿。
板宿の名前の由来は諸説があるが一説として(伝説的で真偽の程は確かでないが)
「菅原道真公に1枚の板で雨露を凌げる宿を住民が提供した」との伝説あり。

下記の飛松の伝説もあります。

菅原道真公は京都で松、梅、桜を大切にされていましたが、梅は旅の途中香りを届け
松は左遷を悲しみ枯れてしまいました。しかし「松は何と情け知らずの木なのだろう
かと、生めは飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらむ」と
いう歌を読まれました。
すると一夜にして菅公の後を追って京都からこの地まで松が 飛 んできたと
伝えられています。
この松 に 「飛松」 の地名が由来するそうです。板宿八幡神社の西に続く丘陵を
飛び松が丘 または松岡と呼ばれ、勝福寺の背後の松岡城も上記の伝説に由来
してつけられた名前のようです。


  さらに詳細は下記ブログへ
   板宿八幡神社 on 2011-2-8

(7)元宮長田神社
   住所:神戸市須磨区天神町5-2 菅の井公園  訪問日:2007-10-4

 
上の写真は 2007-10-4撮影の元宮長田神社
現地の案内板より要約引用させていただきます。「伝説によれば延喜元年(901)
菅原道真が九州大宰府に左遷され、その道中、
風雨をさけて須磨に一時上陸した際、浦人たちは魚網の大綱を巻いて円座をつくり、
菅原道真に休んでいただいといわれています。
その時に西須磨の旧家・前田家から井戸の水をくんで差しあげたところ、
大いに喜ばれて自画像を前田家に与えたといわれています。
前田家では、その井戸を「菅の井」と名付け、
この水で銘酒「菅の井」を作って毎年太宰府天満宮へ
献上していたと伝えられている。
前田家は神功皇后の時代からの豪族でその屋敷にあった「菅の井」
「菅公お手植えの松」「杜若(カキツバタ)」が今も保存されています。

「須磨の前田のカキツのなかにアヤメ咲くとは知らなんだ、
咲いてしおれてまた咲く花は須磨の前田のカキツバタ」
などと唄われたそうです。

  
  さらに詳細は下記ブログへ
   元宮長田神社

   元宮長田神社(その2) 菅の井広場

(8)弓場八幡神社
  住所:神戸市須磨区南町3-2-11   訪問日:2008-3-21



昭和29年(1952)の本殿建替えを機に五十猛尊と菅原道真公が合祀された。
 菅原道真公が祀られているといことでリストアップしました。

  さらに詳細は下記ブログへ
    弓場八幡神社
   

(9)古山陽道(下畑付近)  訪問日:2014-9-21
     神戸市須磨区下畑

  901年に菅原道真も古山陽道で下畑付近を通過したと推定しています。
 下畑地域は平安時代まで須磨の鉢伏山の海岸は海岸沿いが絶壁になっており
  山陽道は須磨の綱敷天満宮附近より北に迂回し多井畑を通り塩屋谷川沿いに
  塩屋、滝の茶屋に抜ける道が古山陽道と呼ばれ、延喜元年(901)右大臣菅原道真は
  藤原時平の換言により九州大宰府に流されましたがそのときも神戸から陸路で
  明石海峡をを過ぎるまでこの古山陽道を利用したと伝えられています。
 


上の写真は2014年9月21日に撮った下畑の古山陽道沿い常夜燈の碑付近です。

  さらに詳細は下記ブログへ
   下畑 常夜燈の碑 on 2011-10-12

(10)菅公橋 in 塩屋

  こちらも写真がすぐに見つからないので写真はなしで勘弁願います。
  古山陽道から塩屋谷川沿いに海に出た所が塩屋の地です。
  901年当時に橋が架かっていたかどうかは未調査ですが現在の国道2号線
  JR塩屋駅の南側に菅公橋が架けられています。(現在改修工事中)

まだ他にも菅原道真公の逸話やら所縁の地はあると思いますがこの辺で区切り
いよいよ神戸市須磨区の綱敷天満宮を写真紹介していきます。

地元では「須磨の天神さま」の愛称で親しまれています。

綱敷天満宮の基本情報
住所:神戸市須磨区天神町2-1  TEL078-734-0640
御祭神:菅原道真公
創始時期:天元2年(979)



上の写真は綱敷天満宮の拝殿(正面より)の遠景です。


上の写真は側面から撮った拝殿と本殿。


上の写真は綱敷天満宮の由緒書きです。



上の写真は菅原道真公が座られた綱敷の座とその御利益。


上の写真は2015年10月8日のMBS ちちんぷいぷいで17時20分頃に紹介
された綱敷天満宮の綱敷の説明。




上の2枚の写真は同じく上記ちちんぷいぷいで紹介された茄子(ナス)の御利益
久野木宮司が説明されていました。


上の写真は地元の有名な詩人「竹中郁」の詩歌


上の写真は境内の筆塚。



上の2枚の写真は座った「仔牛の集い」と説明




上の写真は境内の祖霊社と説明板。


上の写真は境内の厄除けの祠。

過去に書いた綱敷天満宮関連のブログ:
  綱敷神社 (綱敷八幡宮)

  諏訪神社

  綱敷天満宮の梅 on 2012-3-17

  弘天さんと智慧の輪くぐり on 2014-1-28

  菅公梅粥大鍋会 in 綱敷天満宮 on 2014-2-25
















  
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須磨離宮公園 秋のローズフェスティバル on 2015-10-19

2015年10月19日 17時22分13秒 | 神戸情報
本日(2015-10-19)、須磨離宮公園 秋のローズフェスティバルでバラを鑑賞
して来ましたので写真紹介します。


上の写真は須磨離宮公園 2015 Autumn Rose Festival のリーフレットです。

詳細はこちら


上の写真は現地の説明板で2015-10-6現在の花などの紹介されています。


上の写真は正門から馬車道を登って行く途中にある説明版です。

昨年(2014)の12月25日は須磨離宮(正式名:武庫離宮)造営から100年の節目を
迎えており、色々なイベントがありました。

武庫離宮及び須磨離宮公園に関連した出来事を箇条書きにしておきます。

明治19年(1886) 弁天浜の専崎邸を買い上げ神戸御用邸とする。
  関連ブログ 明治天皇御用邸跡の碑

明治30年(1897) 御用邸候補地として須磨高倉町・潮見台町一帯(6,900坪)
         明石城址が検討されたがどちらも不適切と判断

明治36年(1903) 西本願寺の大谷光瑞法主が須磨月見山別邸を建設

明治40年(1907) 大谷光瑞以下2名の宅地・山林 20,805坪を買い上げ

明治41年(1908)2月10日 離宮設置決定(宮内省告示2号)

明治44年(1911)11月25日 武庫離宮起工
      工事費総予算:571,393円 敷地:21ha 建築面積:約5千㎡

大正3年(1914)12月25日 武庫離宮完成
     同年11月17日に大正天皇が摂河泉陸軍大演習の途時に初行幸

大正12年(1923) 御幸通り(現在の離宮道)を地元の交通の便のため神戸市に下賜

昭和10年(1935)4月21日~23日 ラストエンペラー溥儀が宿泊

昭和20年(1945)3月17日 神戸大空襲で焼失

昭和21年(1946)6月 米駐留軍の射撃演習上となる 約10年館

昭和31年(1956)8月 米駐留軍接収解除 神戸市へ返還

昭和33年(1958)4月 皇太子殿下(平成天皇)ご成婚記念事業として公園整備に着手

昭和48年(1973) 東の隣接地 旧岡崎邸用地を買収

昭和54年(1979) 神戸市市制90周年事業として植物園を増設

平成元年(1990) 日本の都市公園100選に選定される


前置きが長くなりました。早速バラの写真に写ります




上の写真はチンチンと説明版




上の写真はエーデルワイスと説明版




上の写真はラ・ヴィ・アン・ローズと説明板




上の写真はクライスラー・インペリアルと説明版。




上の写真はミュージックと説明板


上の写真はバラ全般の説明です。




上の2枚の写真は噴水を中心に撮りました。


関連ブログ:
   須磨離宮公園に残る武庫離宮の面影 on 2014-11-17

   須磨離宮公園の歌碑と句碑をめぐる on 2014-11-17&11-24

   ばらが見頃です

   旧岡崎邸 in 須磨

   第10回須磨の植物化石展を見て on 2011-7-29

   須磨離宮公園内の在原行平ゆかりの月見の松&貞室の句

   須磨離宮公園内の彫刻作品「願生」

   第10代 神戸市長 中井一夫先生百寿像 と平和の文字を刻む記念碑

   ひなまつり

   月見の宴 in 須磨離宮公園 on 2009-10-4

    須磨離宮公園でバラ観賞



須磨離宮公園は2012年の神戸の人気の観光地Best30で19位になっています。

   出典:トリップアドバイザーのサイト

1位 摩耶山   観光客数 214万人の中の1部
2位 カワサキワールド(神戸海洋博物館) 観光客数20.1万人
3位 六甲山  観光客数 214万人の中の1部
    六甲山牧場31.6万人、森林植物園22.1万人
4位 人と防災未来センター 観光客数48.4万人 
5位 神戸布引ハーブ園/ロープウェイ 観光客数 28.7万人
6位 神戸市立王子動物園  観光客数 117.3万人
7位 メリケンパーク    観光客数 1,245万人の一部 
          神戸ポートタワー36.2万人
8位 神戸市須磨海浜水族園 観光客数 110.6万人
9位 神戸花鳥園      観光客数 1,245万人の一部
10位 神戸市役所展望ロビー 観光客数 1,245万人の一部
11位 神戸ハーバーランド  観光客数 1,245万人の一部
12位 六甲ガーデンテラス  観光客数 214万人の中の1部
13位 白鶴酒造博物館    観光客数 1,245万人の一部
14位 神戸市立博物館    観光客数 47.8万人
15位 北野町        観光客数 79万人
16位 ヴィーナスブリッジ  観光客数 1,245万人の一部
17位 布引の滝       観光客数 1,245万人の一部
18位 北野異人館街     観光客数 79万人の一部
19位 須磨離宮公園     観光客数 26.9万人
20位 神戸ムスリムモスク  観光客数 1,245万人の一部
21位 生田神社       観光客数 1,245万人の一部
22位 神戸国際会館     観光客数 1,245万人の一部
23位 中華街(南京町)   観光客数 1,245万人の一部
24位 三宮センター街    観光客数 1,245万人の一部
25位 神戸ポートタワー   観光客数 36.2万人
26位 神戸市立小磯美術館  観光客数 1,245万人の一部
27位 兵庫県公館      観光客数 1,245万人の一部
28位 神戸北野天満宮    観光客数 79万人の一部
29位 新神戸ロープーウェー 観光客数 1,245万人の一部
30位 須磨寺        観光客数 410万人の一部

関連ブログ:神戸の観光客 2012年は最多の3,282万人に




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コスモスの丘 on 2015-10-15

2015年10月18日 05時44分06秒 | 神戸情報
神戸市総合運動公園 コスモスの丘 に2015-10-15(木)に行ってきました。
神戸市総合運動公園の公式HP

住所:兵庫県神戸市須磨区緑台
地図はこちら地下鉄 総合運動公園駅を中心とした周辺図
 

問い合わせ 神戸総合運動公園管理センター(078)795-5151

約4000平方メートルの広大なコスモスの丘では、例年9月下旬~10月下旬まで
10万本といわれるコスモスが丘一面に咲き、楽しむことができます。

今年(2015)は10月17日(土)にコスモス祭が挙行されました。
10月29日午後1時半からは、摘み取りイベントもある。


上の写真は神戸総合運動公園のイベント案内リーフレット。


上の写真はコスモスの丘の案内板。


上の写真は秋桜(コスモス)の種類を解説した説明版


上の写真はピコティのアップ写真です。


上の写真はセンセーションのアップ写真です。




上の写真は「コスモスの丘」の遠景です。


上の写真はユニバー記念競技場で、当日の競技はなし。
ユニバー記念競技場は昭和60年(1985)8月に開かれたユニバーシアード神戸大会の
開催に併せて建設された競技場で国際陸上競技連盟(IFFA)のクラス1種認証を
受けている。
最近では2006年ののじぎく国体でのメイン競技場として使用されました。
また昨年(2008年)9月6日にはB’sの20周年記念コンサートも開かれ
4.5万人の人出であったことも記憶に新しい。


上の写真は冒険のくにの案内図。

健康トレーニングの機器が整備されていることに初めて気付きました。



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萬福グージーのモニュメント on 2014-1-6

2015年10月17日 06時51分54秒 | 神戸情報
本日は長田神社前(サンドール北広場)にある萬福グージーのモニュメントを
写真紹介します。





上の2枚の写真は萬福グージーのモニュメントです。撮影:2014-1-6

モニュメントの製作者は富山県井波彫刻の伝統工芸士の岩倉綾泉氏。
平成21年(2009)10月17日にお披露目がありました。

5人の家族から構成されています。グージーに父親のシン、母親のキミ
おねえちゃんのミーコ、弟のコグージーの5人です。

神戸市長田区役所の下記サイトに長田神社地域活性化協議会作製の
萬福グージー通信のバックナンバーには詳しく解説されています。

http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/nagata/machizukuri/dantai/gu-ji-.news.html

関連ブログ:

  長田神社訪問記 in 2009-1-13 (その1)

   長田神社訪問記 in 2009-1-13(その2)

   長田神社訪問記 in 2009-1-13 (その3)

   長田神社古式追儺式神事 on 2012-2-3

    市営地下鉄長田駅のサルビアギャラリーに展示の江戸時代後期の長田神社の写真

   神戸の追儺式

   福聚寺 in 神戸市長田区 on 2012-12-20

   長田神社雨乞いの灯籠 on 2013-10-31

   長田神社 追儺式 on 2014-2-3 その1 須磨海岸での禊と福聚寺の太刀合わせ

    長田神社 追儺式 on 2014-2-3 その2 ねりこみ、節分祭、追儺神事



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2017年1月、神戸開港150年までの「残日計」

2015年10月16日 05時24分42秒 | 神戸情報
1868年1月1日(当時の和暦で慶応3年12月7日)に神戸は「兵庫」の名のもと開港し
平成29年(2017)1月1日に開港150年を迎えます。

ちょうど500日前となる2015年8月20日にJR三ノ宮駅南ターミナルに神戸開港150年
残日計が設置され神戸開港150年までの日数をカウントダウンしています。

2015年10月12日(残日数)447日の残日計の写真を撮りましたので紹介します。


上の写真は神戸開港150年までの残日計の正面です。


上の写真は残日計の裏面です。

サッカー、神戸ビーフ、マラソン、ジャズ、コーヒー、洋服、ゴルフ、洋家具
オリーブ、バナナ、ラムネ、水族館、映画上映、ケーキ、ボーリング


これらが日本で初めて神戸の地で創出されました。

神戸港の歩みについても簡単に触れておきましょう。赤字は開港以降

 奈良時代(710-784) 行基が大輪田泊を修復
 812年        大輪田泊を修復
 914年        三善清行大輪田泊の修築を提言
 947年        大輪田泊を修築するために「造輪田使」を任命
 1173年       平清盛が大輪田泊に兵庫島(経ケ島)を築き日宋貿易を行う
 1196年       僧重源が兵庫島(経ケ島)を修復
 1338年       興福寺が兵庫南関での関銭の徴収が認められる
 1401年       日明貿易の拠点 兵庫島に足利義満が高麗船を見る
 1445年       東大寺「兵庫北関入船納帳」で約2.000隻が兵庫津に入船
 1596年       慶長の大地震で兵庫津が壊滅的な被害を受ける
1619年(元和5年) 菱垣廻船の大坂・兵庫・江戸の航路開設
 1799年       高田屋嘉兵衛がエトロフ航路を開く 北前船の隆盛
 1855年       網屋吉兵衛が神戸村に船たで場を設置
 1858年       日米修好通商条約 兵庫が開港場に指定
 1864年       勝海舟が神戸海軍操練所を開設
 1868年 明治元年  兵庫港が開港
 1874年 明治7年   兵庫新川運河工事始まる
 1887年 明治20年  兵庫造船所が川崎造船所に払い下げ
 1892年 明治25年  勅命により「神戸港」となる
 1899年 明治32年  兵庫運河竣工
 1905年 明治38年  神戸三菱造船所開設
 1907年 明治40年  神戸港第1期修築工事着工(大正11年(1922)完成)



上の写真は大正12年(1923)頃の神戸港
出典:開港100年記念誌 Page23より

 1923年 大正12年 神戸港が国の重要港湾に指定
 1924年 大正13年 神戸港開港港則改正により神戸港の港境界拡張(3月)
          神戸海洋気象台設置(4月)
 1930年 昭和5年  神戸港が貿易額全国首位となる
 1932年 昭和7年  神戸港の突堤の名称変更(西から起算に変更)
 1933年 昭和8年  兵庫突堤完成(11月)
 1935年 昭和10年  中突堤が完成(3月)
 1936年 昭和11年 神戸港出入港船舶数最高(54,145隻、9,860万トン)
 1939年 昭和14年 神戸港第2期修築全工事が完成(5月)



上の写真は昭和15年(1940)頃の神戸港
出典:開港100年記念誌 Page23より
下記のような記載があります。
第1防波堤(大正13年竣工)
兵庫突堤(昭和7年竣工)
第2防波堤(昭和9年竣工)
第3防波堤(昭和10年竣工)
新港No.5~No.6突堤(昭和11年竣工)
中突堤(昭和11年竣工)
和田岬防波堤(昭和12年竣工)
国産波止場(昭和12年竣工)
第4仮防波堤(昭和13年竣工)
東部内国貿易地帯造成(昭和15年竣工)

 1948年 昭和23年 民間貿易再開許可される(8月)
 1950年 昭和25年 港湾法公布施行(5月)
          第5管区海上保安本部設置(6月)
 1951年 昭和26年 神戸市が神戸港の港湾管理者となる(4月)
          神戸港が特定重要港湾に指定(9月)
 1952年 昭和27年 灘埠頭が完成(5月)
          第1回国際港湾会議が神戸で開催(10月)
          第7突堤着工(12月)
 1954年 昭和29年 東部埋立工事はじまる(3月)
          第8突堤(西)着工(4月)
 1955年 昭和30年 外国貿易量戦前のレベルを越す
 1956年 昭和31年 第7突堤サイロ完成(5月) 
 1957年 昭和32年 西部海面埋立工事はじまる(4月)



上の写真は昭和34年(1959)頃の神戸港
出典:開港100年記念誌 Page45より

 1959年 昭和34年 摩耶埠頭に着工(10月)
 1963年 昭和38年 神戸港開港90周年記念事業神戸ポートタワーが完成
 1965年 昭和40年 兵庫第3突堤完成(10月)
 1966年 昭和41年 ポートアイランド着工(4月)昭和56年完成
 1967年 昭和42年 摩耶埠頭埋立完成(3月)
          開港100年祭挙行
 1968年 昭和43年 日本郵船/昭和海運 フルコンテナ船「箱根丸」摩耶埠頭に
      在来船で5日かかるところを24時間でコンテナ301本を積み込み 
1970年 昭和45年 ポートターミナル、神戸大橋竣工
 1972年 昭和47年 六甲アイランド着工 平成4年完成
 1975年 昭和50年 六甲大橋(昭和55年一部開通)
 1981年 昭和56年 ポートアイランド完成を記念して「ポートピア’81」開催
          (財)神戸港埠頭公社設立
 1987年 昭和62年 摩耶ふ頭再開発着工(平成3年供用開始)
          ポートアイランド(第2期)着工
 1989年 平成元年 兵庫突堤再開発着手(平成5年第2・3突堤間埋立完了)
 1998年 平成10年 六甲アイランド南事業着工
 1999年 平成11年 空港島埋立工事着工
 2002年 平成14年 ポートアイランド(第2期)コンテナバースPC13供用開始
 2003年 平成15年 ポートアイランド(第2期)コンテナバースPC18供用開始
 2004年 平成16年 スーパー中枢港湾に「阪神港(神戸港、大阪港)」で指定
 2006年 平成18年 神戸空港開港
 2010年 平成22年 阪神港が「国際コンテナ戦略港湾」として選定 
 2012年 平成24年 神戸港埠頭㈱が特例港湾運営会社に指定 



上の写真は昭和38年(1963)の神戸港中突堤周辺




上の2枚の写真は最近の神戸港。


姉妹港
 ロッテルダム港(オランダ王国) - 1967年(昭和42年)姉妹港提携
 シアトル港(アメリカ合衆国) - 1967年(昭和42年)姉妹港提携

友好港
  天津港(中華人民共和国) - 1980年(昭和55年)友好港提携

神戸港のコンテナ取扱量は1980年代にはニュヨーク、ロッテルダムに続き世界3位
であったが1995年の阪神淡路大震災の影響もあり2012年時点で世界52位と地盤沈下
が著しい。どのような戦略で今後活性化させていくか知恵を出し未来ビジョンを
早急に立て実行していく必要がある。

国内でも東京港、横浜港、名古屋港に続き4位の状態にある。

140周年の時にターミナルレポート社の稲垣哲社長が未来のビジョンを
語られています。(下記サイト)
 http://www.ymf.or.jp/wp-content/themes/yamagata/images/56_3.pdf

関連サイト:
 神戸新聞報道:国交省予算 神戸港強化に250億円 兵庫県関係、丹波など豪雨対策も









 




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飯田に「科学者村」を 研究拠点整備へ会社設立

2015年10月15日 18時27分30秒 | Weblog
飯田に「科学者村」を 研究拠点整備へ会社設立

2015-10-15 05:00 中日新聞プラス

生命科学分野の研究・開発施設と、居住空間を同じ敷地内に設けた「科学者村(バイオビレッジ)」を飯田市に設立しようという構想が動きだした。整備に向け、県内外の発起人が株式会社の設立で合意。用地取得や企業移転を進め、本格的な事業展開を目指す。
 発起人は、抗体製造を手掛ける「モノクローナル抗体研究所」(札幌市)の野崎直仁社長(54)を代表に、飯田下伊那の企業経営者らを加えた十一人。二〇二七年のリニア中央新幹線開通を見据え、地元でも賛同の輪が広がった。
 構想では、飯田市大瀬木の山林一万九千平方メートルを使い、研究棟や居住施設などを建設。任期を終えた大学教員らを呼び込み、定年後の「第二の生活」を送りつつ、研究を継続できる環境を整備する。
 発起人たちはこれまでに開いた会合で、事業支援のための株式会社「バイオビレッジ」の設立を決定。今月下旬の登記後に、出資金三千七百五十万円で土地を購入。研究棟などを建て、来年六月ごろにモノクローナル抗体研究所の機能を移転する方針という。
 野崎代表は「計画をさらに固め、団塊世代の研究者らの研究継続を支えたい」と意気込み、地元の発起人たちは「リニアを基盤に、飯田の存在価値を高める重要な取り組みだ」「大企業誘致と異なる、地域内外を巻き込んだ開発」と期待を寄せた。

 (高畑章)
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筒井八幡神社 on 2015-10-12

2015年10月15日 05時20分36秒 | 神戸情報
2015年10月12日、フォトエッチング銅版画を習う為にいしだふみ先生が主宰
されている工房「ぐらびゅーる神戸」に行っていた。

当日、あまりにも早く到着した為、近くにある筒井八幡神社に寄り写真を撮って
きましたので紹介します。

筒井八幡神社の基本情報

住所:神戸市中央区宮本通3丁目1−5  TEL:078-222-3477
御祭神:応神天皇、天児屋根命 旧筒井村の氏神
由緒:平安時代に「宇佐八幡宮」からご観請
   宝物の金幣に明徳元年(1390)の銘がありそれ以前に創立



前日と前々日に秋の例祭が挙行されたようで当日は片づけをされていました。


上の写真は正面の大鳥居で阪神淡路大震災で倒壊した為、平成12年(2000)10月に
再建されたものです。
「復興阪神淡路大震災」の文字が刻まれています。


上の写真は常夜灯で昭和3年(1928)11月に奉納されたものです。


上の写真は海軍大将 長谷川清 謹書の石碑




上の写真は何かが乗る台座であろうか? 立派なものである。




上の写真は拝殿の正面からの遠景と近景。


上の写真は拝殿と本殿とを横から撮ったものです。


上の写真は市民の木の説明版です。
筒井八幡神社の周辺は今でも宮本公園も含めて鬱蒼とした杜となっており
市民の憩いの場になっています。
昔は筒井村の鎮守社である筒井八幡神社の杜であり西国街道から目印になった
であろうと思われます。


上の写真は祖霊社。


上の写真は「筒の井」という井戸です。
この井戸は筒状になっていることから「筒の井」と呼ばれるようです。
筒井町や筒井村の名前の由来にもなっています。
現在宮本通などの名前があるが大正5年の区画整理で筒井八幡神社の本地
ということから宮本という名前が創出された。


上の写真は扇塚です。
毎年5月15日に扇塚」前で斎行される「扇感謝祭」では日本舞踊の関係者が、
稽古や舞台で使用して古くなった扇を持参し神火で焚き上げて供養するイベント
があるようです。
日本文化の発展や芸道の上達等を祈願するそうです。


上の写真は境内の摂社の稲荷神社
近くに割塚古墳という3~4世紀にこの地域を開いた布敷首(ぬのしきのおびと)
一族の子孫が建立したと伝えられている古墳があり稲荷社があったがいつの時期
かはっきりしないが筒井八幡神社に移されました。


上の写真は三宝荒神の遠景です。

鎮火の神様で毎月27日と28日に古式鎮火神事があるようです。







上の3枚の写真は三宝荒神の横手にある墓石群です。
神仏習合の昔、神宮寺があり社僧が宮守をしていました。
その名残だと思われます。


上の写真は西側の出入り口。


昨日までの秋の例祭で使われた獅子舞の獅子。


関連ブログ:
  神戸市JR灘駅近くにある割塚古墳の碑 on 2012-6-8

  中村八幡神社 on 2014-1-11






   
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兵庫県加東市 上鴨川住吉神社の神事舞 on 2015-10-4 その2(完)

2015年10月14日 05時51分27秒 | 神戸市以外の兵庫県
兵庫県加東市上鴨川住吉神社で10月の第1土曜、日曜に行われる神事舞を初めて
見学さ­­­­せていただいた。但し、2015年10月4日、日曜日の昼宮のみの見学。
下記の­神­事­舞­やイベントが実施されました。

その1として「盃ごと」と「ホントウの舞」を下記表題でアップしました。
  兵庫県加東市 上鴨川住吉神社の神事舞 on 2015-10-4 その1 ホントウの神事舞まで

今回は下記の神事舞及びイベントの高足から神相撲までを紹介します。(赤字部分

盃ごとが11時前に始まり下記の神事舞が奉納されます。
 
ホントウ
 太刀舞(リョンサンの舞)
  獅子舞
 田楽
 扇の舞

高足

能舞七番(七番の翁舞)
 ・いど
 ・萬才楽(万歳楽)
 ・六ぶん
 ・翁
 ・たからもの(宝物)
 ・くわじゃ(冠者)
 ・父の尉
 ・(巫女の舞)

神の相撲(宮座に入れない祇園座の子供達により奉納)


餅まきが16時過ぎから始まりお開きとなります。

上鴨川住吉神社の神事舞は昭和45年(1970)6月8日 文化庁より「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定されました。


上の動画は「高足」
 1.5m位の木の横桟があり、農耕をしている姿を舞う姿と横桟にの上に両足を
かけてビョンピョン跳ねるアクロバット的な曲技があった。

ただこの部分は動画に写っていない。(撮影のタイミングを逃してしまった)


上の動画は七番の翁舞の前奏的な演目「いど」です。


上の動画は七番の翁舞の前奏的な演目「萬才楽(万歳楽)」です。


上の動画は七番の翁舞の前奏的な演目「六ぶん」です。
この演目は垂れ幕の中で演じられます。



上の動画は七番の翁の中心的な舞である翁舞です。
両袖を左右に広げ前に組むしぐさ所謂「達拝」でほとんど動きなし。
約20分余の演目で七番の翁舞の中心となる舞である。
能楽の原型となる民俗芸能です。

また、翁が八幡太郎義家(源義家)の父親である頼義か坂上田村麻呂を意味
する動きもあると言われる。

たからもの(宝物)は翁舞と一連のものが分割したものと言われています。

翁舞の写真(下の2枚)も添付しておきます。






上の動画は七番の翁舞のくわんじゃ(冠者)です。


上の動画は七番の翁舞の父の尉です。

翁舞、冠者、父の尉の3つの組み合わせは鎌倉期の猿楽の顕著な形で
室町期からは翁、千歳、三番叟の組み合わせか翁。父尉、三番叟の
組み合わせに変化していきます。


上の動画は七番の翁舞の番外「巫女の舞」です。
この踊の最中に清座の1人が「東には女はないか男みこ」と謡うと若い衆が
「女はあれどもおかみが嫌いで男みこ」と双方が繰り返し謡う。



 上の動画は宮座に入れない祇園座(2男や3男など)による神相撲。


参考文献:

1)上鴨川住吉神社の神事舞(社町):濃紺の空を貫く火柱  藤木明子著
    Ban Cul:播磨が見える 05号 1992/11/15  Page 121-125

2)受け継がれていくもの:祭りの歴史・意義・役割 小栗栖健治 著
   Ban Cul:播磨が見える 29号 1998/9/15  Page14-18

3)祭り紀行 サイトウの火の粉を浴びて神事舞:ゴホントウ 上鴨川住吉神社
  藤木明子著 Ban Cul:播磨が見える 29号 1998/9/15  Page20-21

4)丹波の中世芸能:特に田楽について 久下隆史著
   丹波史 03号 1983/5/15  Page15-21

5)第六回市史編さん講演会講演録 三田市の民俗:祭りと年中行事
  久下隆史 市史研究さんだ 06号 2003/3/15 Page 89-97

6)ふるさとの祭 桐山宗吉 著 のじぎく文庫 1963.8 Page16-20

7)播磨の祭り 藤木明子(文)北村泰生(写真) 神戸新聞総合出版センター
  1999年11月 Page112-117

8)住吉神社(加東市上鴨川) 
  http://www.geocities.jp/engisiki/harima/bun/hrm461104-01.html

9)Wikipedia 上鴨川住吉神社神事舞
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%B4%A8%E5%B7%9D%E4%BD%8F%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E4%BA%8B%E8%88%9E

10)上鴨川住吉神社神事舞 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
   
11)上鴨川住吉神社の神事舞 (1981年) 加東郡教育委員会




兵庫県で上鴨川住吉神社の神事舞の他に重要無形民俗文化財に指定されている
ものは下記のとおりです。
 1)阿万の風流大踊小踊(神楽)

 2) 坂越の船祭

 3)車大歳神社の翁舞

 4)但馬久谷の菖蒲綱引き

 5)淡路人形浄瑠璃

 6)東光寺の鬼会


加東市では今回紹介した上鴨川住吉神社の神事舞の他に
 1)秋津住吉神社の百石踊

 2)朝光寺の鬼追踊

を加東の三大民族舞踏としてパンフレットも作成しPRしています。
今年(2015)上記の行事も観に行ってブログを作成していますのでリンク及び
TBしておきます。


加東市 秋津住吉神社に奉納された 西戸百石踊 on 2015-4-29


加東市 朝光寺鬼まつりの鬼追踊 on 2015-5-5


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“仁義なき越境”で関電、数百億円規模の売上減も 電力全面自由化まで半年、大手の戦略・新規参入…

2015年10月13日 04時50分52秒 | Weblog
“仁義なき越境”で関電、数百億円規模の売上減も 電力全面自由化まで半年、大手の戦略・新規参入…

2015年10月11日 19:02産経新聞

関西、東京、中部の各電力会社がそれぞれ従来の供給エリアを越え、店舗や工場など大口向け電力で互いの顧客を奪い合っている。背景にあるのは、来春始まる電力小売りの全面自由化への危機感だ。8兆円規模の家庭用電力市場で、新規参入組を交えた本格的な競争となる。地元で顧客の流出が避けられない大手各社は、エリア外での大口販売積み上げを狙う。

東電が関西に

 コンビニ最大手のセブン−イレブン・ジャパンは10月から、大阪、奈良、和歌山、兵庫の4府県に展開する計約千店舗で東京電力グループの「テプコカスタマーサービス(TCS)」から電力供給を受け始めた。

 セブンの担当者は「新しい商品展開をするためにも、電気料金を含め経費をいかに抑えるかは重要」と説明する。今春、関西電力が東日本大震災以降2度目となる値上げに踏み切ったことがセブンの背中を押した。

 TCSは関電より2%安い電気料金を提示。セブンは年間数億円の削減効果を見込むが、関電側から見れば数百億円規模の売り上げを失うことになる。

 TCSは、発電設備を持つ工場などから余った電力を仕入れて小売りする「新電力」。東電の供給エリア外での事業展開を担う。

関電系はヤマダ電機に

 一方、関電は子会社「関電エネルギーソリューション(ケネス)」を通じ、首都圏に展開する。千葉県市原市の火力発電所を買収して電源を確保し、今年2月には東電管内で家電量販のヤマダ電機の店舗に電力供給を始めた。

 中部電は平成25年に新電力「ダイヤモンドパワー」を買収し、首都圏に進出した。同社は電力自由化が始まった12年の設立で、幅広い顧客層を持っている。昨年2月から新電力の導入を進めるローソンの一部契約を獲得した。

 今年7月の3社の販売電力量をみると、中部電のダイヤモンドパワーが5467万キロワット時と圧倒的で、東電のTCSが続く。TCSは供給開始から1年ほどにもかかわらず、3421万キロワット時と急成長し、1104万キロワット時の関電のケネスを大きく上回る。

「東京」で決まる交渉

 東電の強みは、東京を本拠に全国展開する大手企業と古くからのつきあいがあることだ。TCSからセブンの関西店舗への電力供給についても「東京の本部で交渉を進めた」(セブンの担当者)。

 企業の流出が続く大阪に拠点を置く関電は「電力需要の3割以上が東電管内にある。自由化の主戦場は首都圏」(幹部)とみる。八木誠社長は「本社機能を(東京に)移転させた関西企業を中心に引き続き利用してもらう」と話す。

 来年4月の電力小売り全面自由化で戦線は家庭用にも広がる。東電はソフトバンクと組んで電気と通信のセット販売などで、首都圏以外に進出する構え。関電も通信子会社のケイ・オプティコムと連携する。

 ガス、石油会社や商社などが設立した新電力は、来年1月ごろに料金を決め電力の販売契約の受け付けを始める見通し。新電力各社は、効率的な営業活動ができる大都市圏に重点を置く。市場を独占してきた東電、関電、中部電はさらに厳しい競争を戦うことになる。
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ホンダ新車販売台数、中国が日本上回る見通し 今年度

2015年10月12日 09時32分23秒 | Weblog
ホンダ新車販売台数、中国が日本上回る見通し 今年度

2015年10月10日 10:32朝日新聞


 ホンダが今年度、中国で売る新車の台数が、日本での販売を初めて上回る見通しとなった。ホンダが9日発表した今年度上半期(4〜9月)の中国での販売は前年同期より3割超多い約46万台。一方、国内の新車販売は低迷している。

 ホンダの9月の中国での販売台数は前年同月より28・5%増の8万2531台。9月としては過去最高で、前年超えは7カ月連続。現地では、昨年末に売り出されたスポーツ用多目的車(SUV)「ヴェゼル」「XR―V」が人気だ。今年度の販売が90万台を超えるのは確実とみられている。

 10月からは、排気量1・6リットル以下の車にかかる税金を優遇する制度も始まる。これが、こうしたSUVなどの販売をさらに後押しするとの期待もある。

 一方、日本国内の今年度の販売計画は72万5千台で、当初の計画を9月に引き下げたばかりだ。9月の国内販売は前年同月より1割以上落ち込んでおり、回復の兆しがみえていない。

 ホンダだけでなく、9月は日本メーカーの中国販売が好調だった。日産自動車は前年同月比2・9%増の9万7900台、トヨタ自動車は1・7%増の9万2700台、マツダは3・7%増の1万9500台だった。(榊原謙、北京=斎藤徳彦)
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