昨日の続きです。
お総菜屋さんを過ぎ、信号のある交差点に出ました。傍らの「市街地案内図」を見ると、交叉している通りは「宝町サンロード」とあります。
サンロードは水海道には珍しい「直線道路」で歩道も広く、この数年で整備さられた新しい路と思われます。
それにしても“サンロード”とは、一般からの公募で採用された愛称と思われますが、何とも、しかし、兎に角、無難な名称です。
それで、交差点で信号待ちをしていると、この不思議な一画が眼に付いたのです。
信号が青になり道路を渡ると、白い柱に“二十一世紀の夢見台”と書かれています。
確かに“石”で築かれた1.5㍍ほどの高さの“台”です。ここは「絵画の道」ではありませんが、ここにも「あの手」の「絵画」が置かれています。
先ほどの「水海道一高」の生徒が描いた絵です。「これが?」「えッ!」って、思わず叫んでしまいそうになりました。
もう。ハッキリと云います! この手の「えッ」は“絵画の道”だけにしましょう。
洒落にもなりません! 悪い冗談です! 床の間の柱にペンキを塗るようなものです。街の景観を損ねています。以上。
兎に角、夢見台です。夢を見る為の台と云う事です。
「ビーナス」の肩越しに、何やら刻まれた石板があります。
宣言と云うか、宣誓と云うか、そんな言葉が刻まれています。
“二十一世紀の夢見台”
かつて鬼怒の恵沢によって栄えた・・・・・・
町の歴史に誇り・・・・・・愛着を覚える
考えよう 参加しょう 町づくり・・・・・・
始めよう 二十一世紀の夢見台から
“1986年11月 水海道青年会議所”
今から22年前、21世紀を迎えるまで、後15年と迫っていたそんな年に、この夢見台は造られたのです。
かつての繁栄を21世紀には取り戻そうと、「考えよう、参加しょう、始めよう」と市民に呼びかけています。
21世紀に入って7年が経過した現在、今の水海道を“青年会議所”の方々はどう考えているのでしょうか?
水海道の50年前をボンヤリ知る私としては、現在の水海道は、まぁ、そこそこ、それなりにいい町だと思います。
駅前の商業地の“衰退”は時代の流れです。郊外の“大型ショッピングモール”の時代です。小さな個人商店では勝負になりません。
郊外が商業地になら、ここは一発、逆転の発想で、駅前は住宅地として再開発、何て方が面白いと思うのです。
責任ある地位とは無関係な私としては、面白いとか、面白く無いとか、無責任で勝手な話をしています。でも、駅前住宅街はいいと思います。
そうです! “常総の田園調布”です!
でも、しかし、その昔、バブルの頃に“千葉リーヒルズ”何てニュータウンを大手の不動産屋が造り、今は、ゴーストタウンになっている何て事、風の便りで耳にしたような・・・・・・・。
兎に角、物流が水運から鉄道、そしてトラック輸送に変化したのですから、物資の集積地としての繁栄は無い訳です。
兎に角、22年前のあの頃に戻った気持ちになり、夢見台の石段をしっかっりと、一歩、一歩踏み締めて台に上がりました。
“頂上”に辿り着き、手をかざし、四方を望んだのですが、特に何も見えません。
それなりの高さがあれば、それなりの景色が望めるのですが、1.5㍍では低い。
こちらの方向には公衆トイレが望まれます。
そうでした。この台は、遠い彼方の21世紀を望むと云うよりも、この台の上で21世紀を夢見るのでした。
それにしても、何故、夢見る為に台が必要だったのか?
高い所に登ると、遠くを望むことが出来ます。距離的な遠くと、時間的な遠くが、意識の中で重なり合う気はします。
この夢見台、兎に角、夢を見るにも、遠くを望むにも、高さが不足しています。数十㍍あれば、水海道はもっと変わっていたのかも知れません。
この方たち、現在の水海道をどう思っているのでしょうか?
兎に角、夢見台の上で、いろいろ考えましたが、公衆トイレで用足しです。
さぁ、これから、どっちに向かって歩こうか?
それでは、また明日。
お総菜屋さんを過ぎ、信号のある交差点に出ました。傍らの「市街地案内図」を見ると、交叉している通りは「宝町サンロード」とあります。
サンロードは水海道には珍しい「直線道路」で歩道も広く、この数年で整備さられた新しい路と思われます。
それにしても“サンロード”とは、一般からの公募で採用された愛称と思われますが、何とも、しかし、兎に角、無難な名称です。
それで、交差点で信号待ちをしていると、この不思議な一画が眼に付いたのです。
信号が青になり道路を渡ると、白い柱に“二十一世紀の夢見台”と書かれています。
確かに“石”で築かれた1.5㍍ほどの高さの“台”です。ここは「絵画の道」ではありませんが、ここにも「あの手」の「絵画」が置かれています。
先ほどの「水海道一高」の生徒が描いた絵です。「これが?」「えッ!」って、思わず叫んでしまいそうになりました。
もう。ハッキリと云います! この手の「えッ」は“絵画の道”だけにしましょう。
洒落にもなりません! 悪い冗談です! 床の間の柱にペンキを塗るようなものです。街の景観を損ねています。以上。
兎に角、夢見台です。夢を見る為の台と云う事です。
「ビーナス」の肩越しに、何やら刻まれた石板があります。
宣言と云うか、宣誓と云うか、そんな言葉が刻まれています。
“二十一世紀の夢見台”
かつて鬼怒の恵沢によって栄えた・・・・・・
町の歴史に誇り・・・・・・愛着を覚える
考えよう 参加しょう 町づくり・・・・・・
始めよう 二十一世紀の夢見台から
“1986年11月 水海道青年会議所”
今から22年前、21世紀を迎えるまで、後15年と迫っていたそんな年に、この夢見台は造られたのです。
かつての繁栄を21世紀には取り戻そうと、「考えよう、参加しょう、始めよう」と市民に呼びかけています。
21世紀に入って7年が経過した現在、今の水海道を“青年会議所”の方々はどう考えているのでしょうか?
水海道の50年前をボンヤリ知る私としては、現在の水海道は、まぁ、そこそこ、それなりにいい町だと思います。
駅前の商業地の“衰退”は時代の流れです。郊外の“大型ショッピングモール”の時代です。小さな個人商店では勝負になりません。
郊外が商業地になら、ここは一発、逆転の発想で、駅前は住宅地として再開発、何て方が面白いと思うのです。
責任ある地位とは無関係な私としては、面白いとか、面白く無いとか、無責任で勝手な話をしています。でも、駅前住宅街はいいと思います。
そうです! “常総の田園調布”です!
でも、しかし、その昔、バブルの頃に“千葉リーヒルズ”何てニュータウンを大手の不動産屋が造り、今は、ゴーストタウンになっている何て事、風の便りで耳にしたような・・・・・・・。
兎に角、物流が水運から鉄道、そしてトラック輸送に変化したのですから、物資の集積地としての繁栄は無い訳です。
兎に角、22年前のあの頃に戻った気持ちになり、夢見台の石段をしっかっりと、一歩、一歩踏み締めて台に上がりました。
“頂上”に辿り着き、手をかざし、四方を望んだのですが、特に何も見えません。
それなりの高さがあれば、それなりの景色が望めるのですが、1.5㍍では低い。
こちらの方向には公衆トイレが望まれます。
そうでした。この台は、遠い彼方の21世紀を望むと云うよりも、この台の上で21世紀を夢見るのでした。
それにしても、何故、夢見る為に台が必要だったのか?
高い所に登ると、遠くを望むことが出来ます。距離的な遠くと、時間的な遠くが、意識の中で重なり合う気はします。
この夢見台、兎に角、夢を見るにも、遠くを望むにも、高さが不足しています。数十㍍あれば、水海道はもっと変わっていたのかも知れません。
この方たち、現在の水海道をどう思っているのでしょうか?
兎に角、夢見台の上で、いろいろ考えましたが、公衆トイレで用足しです。
さぁ、これから、どっちに向かって歩こうか?
それでは、また明日。