歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

水海道“21世紀の夢見台”で?

2008年02月27日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

お総菜屋さんを過ぎ、信号のある交差点に出ました。傍らの「市街地案内図」を見ると、交叉している通りは「宝町サンロード」とあります。

サンロードは水海道には珍しい「直線道路」で歩道も広く、この数年で整備さられた新しい路と思われます。

それにしても“サンロード”とは、一般からの公募で採用された愛称と思われますが、何とも、しかし、兎に角、無難な名称です。

それで、交差点で信号待ちをしていると、この不思議な一画が眼に付いたのです。


信号が青になり道路を渡ると、白い柱に“二十一世紀の夢見台”と書かれています。


確かに“石”で築かれた1.5㍍ほどの高さの“台”です。ここは「絵画の道」ではありませんが、ここにも「あの手」の「絵画」が置かれています。


先ほどの「水海道一高」の生徒が描いた絵です。「これが?」「えッ!」って、思わず叫んでしまいそうになりました。

もう。ハッキリと云います! この手の「えッ」は“絵画の道”だけにしましょう。

洒落にもなりません! 悪い冗談です! 床の間の柱にペンキを塗るようなものです。街の景観を損ねています。以上。


兎に角、夢見台です。夢を見る為の台と云う事です。


「ビーナス」の肩越しに、何やら刻まれた石板があります。


宣言と云うか、宣誓と云うか、そんな言葉が刻まれています。


    “二十一世紀の夢見台”

  かつて鬼怒の恵沢によって栄えた・・・・・・

  町の歴史に誇り・・・・・・愛着を覚える

  考えよう 参加しょう 町づくり・・・・・・

  始めよう 二十一世紀の夢見台から
   
 “1986年11月 水海道青年会議所” 

今から22年前、21世紀を迎えるまで、後15年と迫っていたそんな年に、この夢見台は造られたのです。

かつての繁栄を21世紀には取り戻そうと、「考えよう、参加しょう、始めよう」と市民に呼びかけています。

21世紀に入って7年が経過した現在、今の水海道を“青年会議所”の方々はどう考えているのでしょうか?

水海道の50年前をボンヤリ知る私としては、現在の水海道は、まぁ、そこそこ、それなりにいい町だと思います。

駅前の商業地の“衰退”は時代の流れです。郊外の“大型ショッピングモール”の時代です。小さな個人商店では勝負になりません。

郊外が商業地になら、ここは一発、逆転の発想で、駅前は住宅地として再開発、何て方が面白いと思うのです。

責任ある地位とは無関係な私としては、面白いとか、面白く無いとか、無責任で勝手な話をしています。でも、駅前住宅街はいいと思います。

そうです! “常総の田園調布”です!

でも、しかし、その昔、バブルの頃に“千葉リーヒルズ”何てニュータウンを大手の不動産屋が造り、今は、ゴーストタウンになっている何て事、風の便りで耳にしたような・・・・・・・。  

兎に角、物流が水運から鉄道、そしてトラック輸送に変化したのですから、物資の集積地としての繁栄は無い訳です。

兎に角、22年前のあの頃に戻った気持ちになり、夢見台の石段をしっかっりと、一歩、一歩踏み締めて台に上がりました。


“頂上”に辿り着き、手をかざし、四方を望んだのですが、特に何も見えません。

それなりの高さがあれば、それなりの景色が望めるのですが、1.5㍍では低い。


こちらの方向には公衆トイレが望まれます。


そうでした。この台は、遠い彼方の21世紀を望むと云うよりも、この台の上で21世紀を夢見るのでした。

それにしても、何故、夢見る為に台が必要だったのか?

高い所に登ると、遠くを望むことが出来ます。距離的な遠くと、時間的な遠くが、意識の中で重なり合う気はします。

この夢見台、兎に角、夢を見るにも、遠くを望むにも、高さが不足しています。数十㍍あれば、水海道はもっと変わっていたのかも知れません。

この方たち、現在の水海道をどう思っているのでしょうか?


兎に角、夢見台の上で、いろいろ考えましたが、公衆トイレで用足しです。



さぁ、これから、どっちに向かって歩こうか?  


それでは、また明日。


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水海道は赤煉瓦と哀愁の街だった!

2008年02月26日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

正面が水海道第一高等学校で、左手が報国寺の参道になります。報国寺を後にして振り返って撮ってます。

通りから数十㍍のこの道は、報国寺への参拝と、水海道一高への通学の、専用通路です。

それで、一高なのですが、門のところに車があり、二人の教師らしき中年男が佇んでいるのです。


銅像の下に、ウィンドブレーカー着た一人が写っていますが、何やら“見張り番”のように見えます。いったい何を見張っているのでしょうか?


危険人物の侵入を防ぐと云っても、高校ですからそれなりの対処は生徒自身でも可能と思います。まさか、構内からの“脱出”を監視しているとも思えません。

見張り番なのか?、監視人なのか? 謎を残し中心街に向かいます。

専用通路から通りに出ます。この通りには、お寺関連の“墓石屋さん”と、“仏具屋さん”が軒を並べています。

報国寺方向に振り返って撮っています。田舎町の匂いがいいです。

それにしても、この墓石屋さんの、ビカチュウに、ドラミちゃんに、ドラエモンに、一番端は・・・・・・何だっけ? 兎に角、最近このアニメキャラクターをお寺の境内で見かけるのです。

こんなところで造っていたのです。著作権はどうなっているのでしょうか?


いい感じの蔵です。


蔵の隣は「レコード屋さん」。演歌歌手のポスターが、街の佇まいにピッタリとはまってます。


“ナガタヤさん”には哀愁があります。演歌が似合います。


堪りません!この“演歌専用”の“ポスター用ショーウィンドー”


レコード屋さんを過ぎ、交差点の瀬戸物屋さんです。お店の正面は“アルミの外壁材”で“赤煉瓦”を被っています。


正面も、アルミを取り除き、煉瓦造りを強調した方が、絶対!に商売は繁盛!します。繁盛しないとき私に云って下さい。慰めの言葉だけは、お掛け致します。

兎に角です、長田屋さん! 時代の“流れ”は“赤煉瓦の方向”に有ります。


兎に角、デカイ! “無事カエル”の置物、「無」が笑っているのが斬新です。


店仕舞いしたようです。なかなかの「店蔵造り」、もったいないです。


お洒落な街灯です。このデザインには赤煉瓦が似合います。


そうです。この洋品屋!ではなく“メンズファッション”のお店。赤煉瓦風の外壁がお洒落です。長田屋さん!どうですか? 


お洒落なメンズファッションの隣は、手作りお総菜のお店“八百久さん”です。この落差が堪らなくいいです。これぞ水海道です。


水海道は、いろいろあって面白いです。


この次も、まだ面白いものがありそうです。


それでは、また明日。



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水海道“二水会館”で八つ当たり!?

2008年02月20日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

街の情報を仕入れようと、くねくね道を辿り常総図書館に向かいました。入り口付近には、図書館の「定番的飾り物」のブロンズ像がお出迎え。


庭先に眼をやると「クラシックな西洋建築」が佇んでいます。事前に調べていた「あの建物」のようです。


「あの建物」は知っていたのですが、何処にあるのか迄は知りませんでした。まぁ、その程度の事前調査でした。

いつもそうなのですが、事前調査をやりすぎると、初めて見る感動が薄れてしまい、だからと云ってまったく下調べ無しで行くと、大事なものを見落としてしまったり、このさじ加減が微妙なのです。

先ずは、西洋風建築から見学します。


外壁のパステルカラー、背景の青い空、童話の挿し絵の様な可愛い建物です。堅い役場の面影はありません。94歳にしては“お若く”見えます。

大正2年(1913年)に役場庁舎として建てられ、昭和35年まで水海道役場として使われ、その後は公民館となり、昭和59年に現役を引退し、現在の場所に移築されたそうです。

現在の「二水会館」の名称は、市内を流れる鬼怒川・小貝川にちなんで移築された時に付けられたそうです。水運で栄えた水海道に因んでの命名なのです。


建物お話はこの解説板に書かれていたのですが、この「二水会館」の名称をわざわざ付けた意味が、いまいち理解できないのです。


単に、“旧水海道町役場”とした方が、建物の歴史を一番分かり易く表現して、いいと思うのです。敢えて「二水会館」とした意図が分かりません。


市民会館として使用された時期の名称が「二水会館」だと、それなりに理解できるのですが・・・・・・、まぁ、よそ者が何と云おうと「二水会館」何のです。

名称の件はここらで終わりにして、この建物の話なんですが、建物の周りを一回りして、ポーチに立て上を見上げると、こんな細工がしてありました。


この板の斜めにした組み合わせ、床の間の天上に使われる様式に似ています。洋風建築には見かけない?やり方です。

このあたりが、“ちょっと見洋風”、“じっと見和風”の「擬洋風建築」と云ったところでしょうか。

二水会館の見学を終わり、図書館に向かったのですが、入り口にこの貼り紙です。


図書館を利用するのは、これまでの人生において、片手で数えられる程度です。

金曜日の午前休館、午後開館は、私が知らないだけで、全国的な“図書館標準”なのでしょうか?

この日、「ガイドパンフ」を探し彷徨い、市役所で裏切られ、駅で裏切られ、そして、図書館でも。

そんな、裏切られ続けた気持ちは、男の裸像では癒されません。


面白くも、美しくも、力強くも・・・・・・、何も感じないのですよ、このブロンズ像からは! 


タイトルが「流想」とあります。何のコッチャ? そんな日本語は無いぞ!

その時は、そう感じたのです。ブロンズ像に八つ当たりしてしていました。

兎に角、「行き当たりバッタリ方式」を貫き通す覚悟を新たに、図書館を後にしました。


それでは、また明日。


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水海道と“千姫”は関係を持っていた?

2008年02月19日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

くねくねの「絵画の道」を歩き、何だか判らない一画を観察し、駅舎に向かいました。そもそも駅舎に向かったのは、街の「ガイドパンフ」を探しての事です。

昔は、駅前に広場は無かったと思います。それにしても、この駅前広場は兎に角広いのです。只だ々広く、その広さ故に寂しさが漂います。


駅舎は新しくはなっていますが、大きさは昔と変わらない?様な気がします。50年も前の記憶ですから・・・・・・。


中に入って「パンフ」を探したのですが、ここにも有りませんでした。“街の玄関”である改札口には、必ず「街のガイドパンフ」が有ると思っていたのです。

市役所にも「パンフ」は置いてあるものと思い込んでいましたが、有りませんでした。駅に無し、市役所にもなし、これでは「街の活性化」が危うい気が・・・・・・。


「まったくもォー! 何考えているんだ!」と、頭の中で呟きつつ外に出ると、真正面にこの「市街地案内図」です。

まぁ、これでも少しは参考にと思い、歩くコースを“それとなく”決めようとしたのです。

しかし、ボンヤリ眺めていても、特に目標が定まらず、やはり、ここはいつもの「行き当たりバッタリ方式」に決定しました。


左上に「千姫となごみの街 みつかいどう」の“キャッチコーピー” 水海道は“千姫”で売り出しを図っているようです。


千姫と水海道が“関係を持っている!”とは、知りませんでした。江戸から離れたこの小さな田舎町に何故? いつ頃? 何処で? 関係したのでしょうか?


それで、探し求め、彷徨い歩いた「ガイドパンフ」の件なのですが、それなりの施設が駅前広場にあったのです。

実は、後で判ったのですが、駅舎の真向かい、それも遠~い、遠~い真向かいの位置、「公衆トイレ」と並んで「観光案内所」があったのです。

その隣には「大きな大きな地図」もあったのでした。偶然、何気なく、撮った写真がその姿はを捉えていました。


観光案内所は、余りにも、余りにも、駅舎から遠すぎるのです。これも、余りにも、余りにも「だだっ広い」駅前広場の弊害と思われます。

実は、今書いていて、改めて「案内図」を拡大して眺めていたら、しっかりと赤い文字で「観光案内所」の位置が示されていました。

当日は、ボンヤリ眺めていたせいで、まったく気付かなかったのです。かなり「危なく」なってきました。

兎に角、街の様子は大まかに掴んだので、「行き当たりバッタリ方式」で散策に出発です。

駅前の通りを、案内図の上方向に歩きはじめると、蕎麦屋の大きな看板が眼に付きました。

看板の下、曲がり角に「常総図書館」の案内看板が有りました。


図書館でも覗いて、千姫の情報でも仕入れようと思い、看板に従い左に曲がると、この道も「くねくね道」でした。

くねくね道の先に図書館が見えてきました。


くねくねの「絵画の道」、くねくねの「図書館への道」、水海道は「くねくね道」の多い街です。

本日は、これでお終いです。

“水海道と千姫”の関係解明は、まだ先になりそうです。

それでは、また明日。


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水海道「ブラジルとスリランカ」で“ややっこしい?”

2008年02月18日 | 水海道の風景
一昨々日の続きです。

曲がりくねった道を辿り駅前に到着しました。

それでこの角に、店なのか?事務所なのか?ギャラリーなのか?良く分からない「変なもの」がありました。


福禄寿の朱い幟がはためき、入り口のガラス扉には「常総市指定」の「排水工事店」とあり。


横の窓には「ギャラリー絵の里」とあり。


“スリランカ祭り”や“セイロン紅茶の試飲会”もここで?開かれているようであったり。

いろいろと何かやっているようであったり。

大黒様に、福禄寿に、よく分からない絵や、ギリシャ彫刻があったり。


室内をガラス越しに覗くと、事務のようでもあり、ギャラリーのようでもあり、しかし、人の気配は無くよく分かりません。

平日が「水道工事店」で、祝祭日には「ギャラリー」に変身するようでもあり、兎に角、よく分からない一画です。

それに、先ほどの「セイロンとスリランカ」もよく分からないのです。「紅茶はセイロン」で、「国名はスリランカ」なのです。

我々の年代にとっては、セイロンは国名であり、セイロンで採れる紅茶なのでセイロン紅茶でした。

島の名前は今でも「セイロン島」と呼び、国名は「スリランカ民主社会主義共和国」で、略してスリランカと云うそうです。ややっこしいのです。

国内の政治も「ややっこしく」なっているようで、多数派のシンハラ人に対して少数派タミル人が武装闘争を展開しているのです。

「スリランカ祭り・セイロン紅茶試飲」の催しに、日本に出稼ぎに来ているシンハラ人か?タミル人?が関係して、かなり複雑でややっこしい政治的背景があったりしての? 延期? だったりして? 

「?」の多用で「ややっこしく」なってしまった。兎に角、事前にチョットだけ調べてきたのですが、水海道には「在留外国人」がかなり暮らしているのです。

「常総市」と隣の「つくばみらい市」を合わせて、去年の12月末現在で4千8百93人の外国人が暮らしており、そのうちブラジル国籍は3千2百人だそうです。

人口は、つくばみらい市が4万1千9百57人、常総市が6万5千8百58人ですから、合計で10万7千8百15人です。

外国人比率は4.54%で、かなり高いと思います。ブラジル国籍の人達が多いのは、この地域から昔、ブラジルに移民した人が多かった為のようです。

生活の為にブラジルに渡った子孫が、生活の為に日本に戻ってる・・・・・・・、ややっこしい歴史の背景があったのです。

駅前の一等地にある“ブラジルスーパー”「TAKARA」


スーパーの壁にはブラジルの航空会社が宣伝看板を掲げ。


駅から少し離れた線路際には「BANCO DO BRASIL」。


ブラジル銀行群馬支店茨城出張所です。群馬県はもっとブラジル人比率が高いのでしょう。


水海道は“ブラジルで活性化する”、そんな予感がしてきました。

それにしても、皆さん何処で働いているのでしょうか? そんな大きな工場がこの辺りに有るのでしょうか?


“水海道”に“ブラジル”が“関係”しているとは、今回はじめて知りました。


水海道、まだまだ続きます。


それでは、また明日。


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水海道“化けるサンプル”と“駅前旅館”

2008年02月15日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

くねくねと“蛇行”した「絵画の道」を歩き駅に向かって歩きます。


この緩やかなカーブは、何もない草原を人間が無意識に歩く事で造られた、自然の道なのでしょうか?

真っ直ぐに歩くよりも、緩やかな曲線を描いて歩くことの方が、より自然で歩き易い気がします。自然界に直線はありません。

田舎の食堂的“面影”を残す、なかなかいい佇まいです。


こちらの「食品サンプル」も、自然界の法則に任せ、かなりの変化を遂げています。

ビフテキ?カツレツ?天丼?親子丼?カツ丼?チャーシュー麺?ラーメン?何だか判らない麺?

この様に長い年月を経て、埃にまみれ、色褪せ、「化石」に近づきつつある食品サンプルは昔はよく見かけたものです。

このまま後、数十年?時の流れに身を任せていれば、いつかきっと「民俗資料館」の貴重な展示品として、後世に伝えられる筈です?

オムライス?餃子?チャーハン?何だか判らない?月見そば?天ぷらそば?

それに引き替え、こちらの旅館は手入れが行き届き、小綺麗で、こぢんまりで、とても気持ちいいです。

きっと部屋には塵一つ無く、床の間には女将の手で季節の花が飾られていたり・・・・・・。そんな想像をかき立てる、趣のある素敵な駅前旅館です。


代々頑固一徹を貫いている、ご主人と女将が居たりして、こんな旅館に一度は泊まってみたいものです。


そろそろ、駅前に到着します。


この続きは来週の月曜日に。


それでは、また来週。



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水海道 ガンバレ“街角のビーナス” 

2008年02月14日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

銀行建築を過ぎたところで、「道端」や商店の軒先に、絵が飾られているのです。絵と云っても名画の類ではなく、その辺の人が描いたそれなりの絵です。


有りました! ここは“絵画の道”だったのです。これは、よくある「あの」、「町の活性化」と云う企てなのでしょう。


昨日触れた、「水海道商人博物館」もそうですが、最近は日本全国、津々浦々で「活性化」が叫ばれています。

活性化を辞書で引くと、「沈滞していた機能が活発に働くようにする」と、有ります。この水海道の町も、沈み滞っているので、何とかしょうとしているのです。

確かに、水海道の中心部の商店街は人通りも少なく、静かで寂しさが漂っています。「中心商店街の活性化」にガンバッテいるようです。

小さな「個人商店」が昔の様に商売するのは難しい時代です。人口は減少し、高齢化し、郊外型の大規模ショッピングモールに客足は向きます。

大駐車場が有り、明るく綺麗で、新しいくて豊富な商品揃え、個人商店はまったくその逆を行っているのですから、勝ち目はほとんど有りません。

まぁ。そんなこんなのご時世に、ささやかな闘いを挑む企画が“絵画の道”なのでしょう。

農機具屋さんの軒先に立てかけられた「絵」。

頑張っている気持ちは「痛い」ほど判るのですが、この風景からは「寒々しさ」とか、「侘びしさ」とか、そんな思いが浮かんでしまうのです。

宝町大通りを左に折れ、駅に向かう道に入ります。この道が「絵画の道」で駅から続く商店街なのです。銀色に輝く「火の見櫓」、懐かしい風景です。


店仕舞いした商店に飾られた“朱い鳥居と寿老人” 兎も角、枯れ木も山の賑わい「シャッター通り」対策と思われます。


仮面建築の石版印刷所です。「石版」を使った印刷? 凸版とか、平版とか、グラビアとかは聞いた事があります。

石の版を使うとなると、相当に古い方式なのでしょうか? 人類が金属を造りだす以前の印刷方式? それは有りません!


みゆきサ~ン! 居ましたよここに! 


あなたが探していた“街角のビーナス”が水海道の絵画の道に居ました。

“恵比寿様”と“朱い鳥居”を背景に間違いなく“ビーナス”です。

この空き地にも、寒い絵が飾られていました。


街角に「絵画」を飾る、ビーナス像を飾る・・・・・・、活性化・・・・・・、気持ちは判ります、アイディアも判ります。

でも、しかしです、現実に「絵」が飾られた町の風景は、発案者も企画段階で思い描いた風景と、かなりの「隔たりが生じてしまった」と、思っている様な? そんな気がします。

この空き地に、その全てが凝縮しているようです。でも、しかし、見方を変えればこれは、これで「面白い」と思いました。

この「寒さ」を突き抜け、みんなが、みんなやりたい事を勝手にやってみる。

『芸術は爆発だ!』と、彼の天才芸術家「岡本太郎さん」も叫んでいます。

「方向性」とか、「まとまり」とか、「コンセプト」とか、そんなの関係ねぇ!でやってみたらどうか? と思ったりして・・・・・・。 

それにしても、“街角のビーナス”は笑えました。

ガンバレ水海道! ガンバレ絵画の道!


それでは、また明日。


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“水海道は常総市”50年ぶりです!

2008年02月11日 | 水海道の風景
つくば市の隣町“水海道”に行って来ました。

本当は東京を歩きたいと思っているのです、しかし、電車に乗り人混みの中を歩くと、インフルエンザに感染する恐れが有る為、人混みの無い近くの町、水海道を歩くことにしたのです。

水海道はそれなりに想い出のある町です。母の田舎は現在の岩井市で、水海道の隣になります。

むかし、むかし、小学校にあがる前の幼かった頃、田舎に行くには上野から常磐線に乗り「取手」で降り、「関東鉄道常総線」に乗り換え「水海道」で降り、そこからバスと云う経路で行ったものです。

当時、取手から乗る「常総線」はディーゼル機関車で、“電車”なのに、「ブルン・ブルン」とエンジン音がする、不思議な「トラック電車」だと思っていました。

寂しい田舎の駅だった記憶があります。ここ数年で2、3回、町の外れを通過する事はあったのですが、駅前、町中を見るのは50年ぶりです。

50年前の記憶は駅前だけですから、町中を歩くのは生まれて初めてになります。

50年と云うと“半世紀”凄い事です! 最近、水海道市は石下町と合併して常総市になっています。

出掛けたのは8日の木曜日。市役所の駐車場に車を入れて、町を歩く事にしていたのですが、市内に入って市役所に辿り着くのに少し手間取りました。

294号線を右折して354号線に入り、常総線の踏切を越えて直ぐに左折して町中に入ったのですが、市庁舎らしい建物が右手に見えるのですが、そこに辿り着く道が直ぐに見つかりませんでした。

だいたいの位置は確認できたので、ひとまず車で町中を一周する事にしました。これが駅前広場です。昔は広場は無かったと思います。


町の外周を廻って354号線に出て、今度は先ほど逆方向から市役所に向かいました。


今度は、一発で市役所に到着しました。


駐車場に空きがあり一安心。先ずは市役所で市内観光の「パンフレット」でもないかと覗いてみました。

正面の入り口から入って、ひとまずトイレに向かい用足しを済ませませ、一息ついて、ロビーに置かれたラックを探したのですが見当たりませんでした。


職員に聞いてみようかと思い、辺りを見回したのですが、皆さん忙しそうでボンヤリしている人が見つかりません。

ここは諦め、駅前にでも行けばパンフは置いてあるだろうと、庁舎を後に駅前に向かいました。

庁舎の正門前の狭い路地、車は通れません。居酒屋が二軒、寿司屋が一軒、庁舎に出入りする人達が利用する店のようです。


さぁ。これから町を歩きます、何があるのか楽しみです。先ずは駅前に向かいます。

この続きは次回、たぶん面白いです。


それでは、また明日。

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