前回の続きです。
それで、世間では「123便の墜落”事件”」の、数々の謎に対して、いろいろな”陰謀論的”な諸説として流布され、そのなかの代表と ”されている” のが、自衛隊によるミサイル誤射説です。
著者の青山透子氏も、以前は、自衛隊誤射説には不愉快で違和感を覚えていたが、調査を進めるなかで、公式発表に対して違和感を覚えるようになったそうです。
著者は、事実を積み重ねる手法で、真実に迫っていきます。
結論からいきます。
著者は、
1.完全炭化した遺体から推測できることとして、ガソリンとタールを混ぜたゲル化液体を付着させる武器(火炎放射器)を使用した可能性がある。
2.非発表のファントム二機による墜落前の日航123便追尾が明確になった。
3.墜落直前に赤い飛行機と思われる、楕円や円筒形に見える物体を目撃した人がいる。
以上の3点により、武器を持つ自衛隊や米軍が関与している。と、結論づけていますミサイル誤射説です。
これが、事実としたら、大変な権力犯罪です。いや、大変恐ろしい事実なのです。恐ろし過ぎて関係者は口を閉ざしているのです。
航空関係者も、捜査関係者も、報道関係者も、”圧力隔壁修理ミス説”を誰も信じていないそうです。
それで、わたしとしては、この事実を多くの人に知ってもらい!との思いがあるので、結論に至る過程の詳細は、本書を買い求める事をお薦めします。
でも、ほんの少し、触りだけちょっと。でも、しかし、この先は、本書の記述に対しの感想と、私の、解釈と憶測と推測と、裏取りのない証言等が、まぜこぜに、思いつくままに、書き記します。
先ずは、事故原因ですが、事故発生時に後方で、2度連続しての衝撃音がボイスレコーダーに記録されている事です。これは、1回目はミサイル訓練用の無人の標的機が垂直尾翼に衝突し、垂直尾翼を破壊、それに続いて訓練用ミサイル(弾薬不搭載)が後部胴体に着弾。
公式には圧力隔壁の修理ミスで、内部から隔壁が破壊し、垂直尾翼を吹き飛ばしたとされていますが、破壊箇所の変形状態を見れば、目視でも一目瞭然です。
そも、そも、圧力隔壁は、墜落現場でほぼ原型を留めた形ちで発見されていました。ですから、日航整備部長が現場で直ぐに、内部破壊説を否定したのです。
圧力隔壁は、自衛隊により、救助の際に切断され、梱包搬出の際には細かく切り刻まれました。
もし、百歩、いや千歩譲って、内部要因により飛行中破壊したとしても、多くの矛盾があるのです。
1.内部圧力で隔壁が破壊され、よって垂直尾翼が吹き飛ばされたとしたら、機内は急減圧で突風が吹き、乗客の何人かは機外に吹き飛ばされる。しかし、そんな事実は無い。
2.酸素マスクは降りてきたが、使用した様子はない、室温、気温の急速な低下も起きていない。事故時の機内写真(事故調は証拠採用せず)が証明。
3.ボイスレコーダーに残る機長の音声から、酸素マスクの可能性は否定される。後部圧力隔壁が破壊されたら、客室も操縦室も同じく、気圧も、気温も、酸素濃度も、低下する。
そも、そも、発表されているボイスレコーダーの記録は、一部のみで、それに加えて、数カ所に、前後のやりとりが、繋がらず、明らかに編集の痕があるのです。
それでも、それでも、原因を隔壁修理ミスで押し切ったのは、原因特定は、政権に大ダメージを与えるからでしょうが、でも、しかし、です。
524名の乗客乗員が乗る民間航空機に、ミサイルを誤って衝突させ、墜落させ、発見しても救助せず、火炎放射器で焼き殺す。事実として、いや恐ろしいけど事実。
こんな恐ろしい事を指揮できる立場にあるのは、最高権力者の内閣総理大臣しかいません、それは元軍人の中曽根康弘で、2019年に亡くなっています。
彼は、旧帝国軍人の将校でした。思想的には国家主義者でした。個人よりも国家を優先するのです。
そも、そも、軍隊、自衛隊とは、国家を、国体を、統治機構を、領土を、守る為の組織です。国民の生命財産を守るのは、警察と消防なのです。
そして、国家主義者は、多数の為に、少数は犠牲になってもやむを得ない、と考えています。
でも、しかし、中曽根の決断は、国体護持よりも、中曽根政権護持にあったと考えます。彼としては罪悪感から逃れるために、自身、国体護持だと思い込ませていた?
まあ、私欲に、国家の衣をまとわせて、正当化を図る輩は、古今東西ウジャウジャ居るのでした。
彼が亡くなる前に、重大な事を話さなければ、と、側近にもらしていたそうです。しかし、結局、何も話すことなく、亡くなってしまったようです。
123便の件だったと推測します。国体護持を優先として、多数の為に少数を犠牲とする価値判断として、彼は、彼なりに、123便への対応は、正しかった思っていたような気がします。
もしかして、もしかして、彼が、心の奥底で、それなりの葛藤があったとすれば、「十三回忌を迎える頃、この手記を世間に公表しろと」告げ、この世を去っていたかも知れません。
しかし、現在、息子は参議院議員です。13回忌の2032年に、親族に国会議員が居なければ、もしかして?そんな事が、起きることも、無きにしも非ず?
それにしても、事実を知る関係者は、ミサイル訓練の関係者、現場の証拠隠滅関係者、政府関係者、そして、その周辺の関係者、いろいろ合わせると、少なく見積もっても、百数十人から数百人は居ると考えます。
これだけの関係者がいれば、時間とともに、誰かが、「実は、あの事故は・・・」喋り始める気がしないでもありません。
でも、事実が、あまりにも、あまりにも、恐ろしすぎて話せない!
それでは、また。
※補足・・・・・・政治的背景として、123便の事件が、全日空雫石事故(14年前自衛隊機と全日空が空中衝突162名の搭乗者全員死亡)を思い起こさせ、反自衛隊の世論が高まる事を懸念。また、当時、政府は防衛費の大幅増額を計画していた。
それと、日航側の事情として、当時、経営状態が悪化していて、政府の援助を必要とし、事故直後は外部要因説を主張していたが、政府側の圧力に屈し、圧力隔壁修理ミスに同調。