前回の続きです。
小難しいタイトルの本を、ぼけ対策として読んで綴って、記憶と記録に残す作業をしています。
それで、その前に、先日、晩酌をやりながら、それでは相撲を見ようかと、6時過ぎにテレビのスイッチを入れ、録画リストを起動し、大相撲中継のタイトルを探したのですが見つかりません。セットするのを忘れていたのです。
相撲は録画して、6時から見る事にしているのです。「毎回録画」にセットしておけば、その都度セットの必要が無くなるのですが、いろいろあって、毎日セットしていたのです。そんな失敗が時々ある今日この頃なのです。
阿炎、御嶽海、照ノ富士の巴戦が見られず残念でした。それでも来場所、負け越す不安のある御嶽海です。
これからは、阿炎、豊昇龍の時代かも?
それでは、惚け予防の始まり始まり。
第一章小見出しの「8.労働者も地球環境も搾取の対象」からです。
私は知りませんが、その筋では有名なイマニュル・ウォーラースティンの「世界システム論」として、資本主義は「中核」と「周辺」で構成されているとの説を紹介しています。
この話し、「中核と周辺・フロンティアの消滅」で、「利潤率低下、資本蓄積・経済成長の停滞」として、昨今、巷で、それなりに語られている「資本主義の終焉」のお話。
それで、これに一歩踏み込んで著者は、
『資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく・自然もまた単なる掠奪の対象とみなす・・・このことが本書の基本的主張のひとつをなす』
と述べています。
うん、まあ、私も、そう考えます。
はい、次ぎ、小見出し「9.外部化される環境負荷」です。
加工食品に広く使われているパーム油を例として、
『栽培拡大による、熱帯雨林の乱開発→土壌浸食、肥料、農薬の河川への流出→川魚の減少→住民の蛋白源を奪う→蛋白源の外部からの購入→現金収入を求める→絶滅危惧種の捕獲の連鎖』
『このように、「どこか遠く」の人々や自然環境に負荷を転嫁し、その真の費用を不払いにすることこそが、豊かな生活の前提条件』
まあ、この話しは、それなりに見聞きし、NHKの番組等でも採り上げていたような気がします。
そして、この「不払い」は、いつか必ず、「ツケ」として、遠くの、外部の、方々にも請求書は回ってくるのです。
でも、まあ、そんな事を知りつつ、良くない事とは思いつつ、スーパーでパーム油使用のパン、マーガリン、即席麺、ポテトチップス、ビスケット、アイスクリーム、カレールー等々、買い物カゴに入れる日々なのです。
はい、次ぎ「10.加害者意識の否認と先延ばし報い」
『先進国の人々は「転嫁」に対する「無知」を強制されるだけではない。自らの生活をより豊かしてくれる、帝国的生活様式を望ましいものとして積極的に内面化するようになっていくのである・・・人々は無知の状態を欲望するようになり、真実を直視することを恐れる・・・知らないから、知りたくないに変わる』
バッサリと一括りにしていますが、戦後の経済成長時代から、東西対立の時代、そして、資本主義の勝利、新自由主義の時代、そして、先進国での格差貧困、グローバル・サウスの時代へと意識の変遷だと。
そして、次の行では、
『しかし、自分たちがうまくいっているのは、誰かがうまくいっていないからだと、暗に気が付いているのではないかと』
そして、そして、資本主義の終焉の始まる時代、これは、まさに、いまだと思うのです。「暗に」ではなく、それなりに「明らかに」なりつつある時代。
そもそもです。この『人新世の資本論』がベストセラーになったり、NHKBSで「欲望の資本主義」なんてタイトルの番組が放送される時代なのです。
これは、やはり、現状が、資本主義が、もう限界に近づき、幕は閉じつつあると、個人として、集団として、意識の底に、浮かび上がりつつある事の証?時代の流れ?
そして、現代ドイツを代表する哲学者マルクス・ガブリエル曰く『関係無いこと、見ないことに・・・私たちが不公正を起こしている原因と知っていながら、現在の秩序維持を暗に欲している』と引用。
この引用は特段必要ないと思うのです。そして、
『帝国的生活様式は一層強固に、危機対応は未来に先延ばし、それによって、私たち一人ひとりが、この不正に加担することになる。だが、その報いは気候危機として中核部にも忍びよってきている』
と著者は続けます。
でも、しかし、いまでは、「忍びよってきている」段階はもう既に通り越し、パンデミックとして「世界を覆い尽くしている」と、考えます。
資本が地球環境も搾取の対象とした結果、人間が野生動物の生活領域に侵入、野生動物のウィルスが人間に感染し、瞬く間に地球的規模で拡大し、そして、パンデミック。
歴史的にも、パンデミックの後、世界は変わるそうです。
コビット19で、歴史は、世界は、日本は、どう変わるのか、とても、とても、楽しみ。何とか見届けたい。
本日はここまでとします。
それでは、また。