歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

『人新世の資本論』⑥ 自然環境も搾取の対象でパンデミックで歴史は変わる?

2022年01月25日 | 世間話し

前回の続きです。

小難しいタイトルの本を、ぼけ対策として読んで綴って、記憶と記録に残す作業をしています。

それで、その前に、先日、晩酌をやりながら、それでは相撲を見ようかと、6時過ぎにテレビのスイッチを入れ、録画リストを起動し、大相撲中継のタイトルを探したのですが見つかりません。セットするのを忘れていたのです。

相撲は録画して、6時から見る事にしているのです。「毎回録画」にセットしておけば、その都度セットの必要が無くなるのですが、いろいろあって、毎日セットしていたのです。そんな失敗が時々ある今日この頃なのです。

阿炎、御嶽海、照ノ富士の巴戦が見られず残念でした。それでも来場所、負け越す不安のある御嶽海です。

これからは、阿炎、豊昇龍の時代かも?

それでは、惚け予防の始まり始まり。

第一章小見出しの「8.労働者も地球環境も搾取の対象」からです。

私は知りませんが、その筋では有名なイマニュル・ウォーラースティンの「世界システム論」として、資本主義は「中核」と「周辺」で構成されているとの説を紹介しています。

この話し、「中核と周辺・フロンティアの消滅」で、「利潤率低下、資本蓄積・経済成長の停滞」として、昨今、巷で、それなりに語られている「資本主義の終焉」のお話。

それで、これに一歩踏み込んで著者は、

『資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく・自然もまた単なる掠奪の対象とみなす・・・このことが本書の基本的主張のひとつをなす』

と述べています。

うん、まあ、私も、そう考えます。

はい、次ぎ、小見出し「9.外部化される環境負荷」です。

加工食品に広く使われているパーム油を例として、

『栽培拡大による、熱帯雨林の乱開発→土壌浸食、肥料、農薬の河川への流出→川魚の減少→住民の蛋白源を奪う→蛋白源の外部からの購入→現金収入を求める→絶滅危惧種の捕獲の連鎖』

『このように、「どこか遠く」の人々や自然環境に負荷を転嫁し、その真の費用を不払いにすることこそが、豊かな生活の前提条件』

まあ、この話しは、それなりに見聞きし、NHKの番組等でも採り上げていたような気がします。

そして、この「不払い」は、いつか必ず、「ツケ」として、遠くの、外部の、方々にも請求書は回ってくるのです。

でも、まあ、そんな事を知りつつ、良くない事とは思いつつ、スーパーでパーム油使用のパン、マーガリン、即席麺、ポテトチップス、ビスケット、アイスクリーム、カレールー等々、買い物カゴに入れる日々なのです。

はい、次ぎ「10.加害者意識の否認と先延ばし報い」 

『先進国の人々は「転嫁」に対する「無知」を強制されるだけではない。自らの生活をより豊かしてくれる、帝国的生活様式を望ましいものとして積極的に内面化するようになっていくのである・・・人々は無知の状態を欲望するようになり、真実を直視することを恐れる・・・知らないから、知りたくないに変わる』

バッサリと一括りにしていますが、戦後の経済成長時代から、東西対立の時代、そして、資本主義の勝利、新自由主義の時代、そして、先進国での格差貧困、グローバル・サウスの時代へと意識の変遷だと。

そして、次の行では、

『しかし、自分たちがうまくいっているのは、誰かがうまくいっていないからだと、暗に気が付いているのではないかと』

そして、そして、資本主義の終焉の始まる時代、これは、まさに、いまだと思うのです。「暗に」ではなく、それなりに「明らかに」なりつつある時代。

そもそもです。この『人新世の資本論』がベストセラーになったり、NHKBSで「欲望の資本主義」なんてタイトルの番組が放送される時代なのです。

これは、やはり、現状が、資本主義が、もう限界に近づき、幕は閉じつつあると、個人として、集団として、意識の底に、浮かび上がりつつある事の証?時代の流れ?

そして、現代ドイツを代表する哲学者マルクス・ガブリエル曰く『関係無いこと、見ないことに・・・私たちが不公正を起こしている原因と知っていながら、現在の秩序維持を暗に欲している』と引用。

この引用は特段必要ないと思うのです。そして、

『帝国的生活様式は一層強固に、危機対応は未来に先延ばし、それによって、私たち一人ひとりが、この不正に加担することになる。だが、その報いは気候危機として中核部にも忍びよってきている』

と著者は続けます。

でも、しかし、いまでは、「忍びよってきている」段階はもう既に通り越し、パンデミックとして「世界を覆い尽くしている」と、考えます。

資本が地球環境も搾取の対象とした結果、人間が野生動物の生活領域に侵入、野生動物のウィルスが人間に感染し、瞬く間に地球的規模で拡大し、そして、パンデミック。

歴史的にも、パンデミックの後、世界は変わるそうです。

コビット19で、歴史は、世界は、日本は、どう変わるのか、とても、とても、楽しみ。何とか見届けたい。

本日はここまでとします。

 

それでは、また。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『人新世の資本論』⑤ 遠ざけ・見えなく・忘れさせ・そして戦争放棄と主権放棄!

2022年01月20日 | 世間話し

前回の続きです。

惚け防止対策で『人新世の資本論』を読んで、綴って、記憶と記録に残す作業を続けています。

本日は第一章、小見出し「7.犠牲を不可視化する外部化社会」から始まります。

『代償を遠くに転嫁して、不可視化してしまうことが、先進国社会の「豊かさ」には不可欠』と、ミュンヘン大学の社会学者シュテファン・レーセニッヒさんが指摘しているそうです。

これって、前回の「犠牲に基づく帝国的生活様式」と、ほとんど同じ事ですね。

「犠牲は、遠ざけて、見えなくして、当事者以外には、気付かせない」この方式は古今東西、支配する側の常套手段です。

この典型が沖縄の基地問題です。今回、米軍基地を発生源とした、コロナ感染の拡大で、米軍基地の存在があらためて注目されました。

沖縄以外でも、「まん延防止措置」がとられた、山口県の岩国、隣接する広島でした。岩国基地は海軍と海兵隊が共用する航空基地で、沖縄の嘉手納よりも戦力的に上回り、国内最大の米軍基地だそうです。

米軍基地は、入国も出国も、検疫も、あらゆる物の持ち込みも、持ち出しも、みんな、みんな、自由なのです。日本の領土ではなく、アメリカの領土なのです。

日本国憲法の上位に、日米安保条約、それに基づく日米地位協定があるのです。1945年にアメリカに負けて、77年の歳月が流れました。いったいいつまで、この従属的関係が続くの?

「遠ざけ・見えなくして・忘れさす方式」ですが、でも、見ようと思えば、見えるのです。面倒だから!日常生活には支障が無いから!見たくない!気づきたくない!

まあ、そんな事だと思います。兎に角、面倒な事には関わりたくない!は、それなりに人情なのです。

でも、こんな日米関係を、世界は、特に当事国のアメリカは、きっと、きっと、日本はいつまでも、どこまでも、こんな従属的関係に耐えているの?人間として、国民として、国家として、矜持はないの?と、思っている筈、笑っている筈。

でも、これって、もしかして、もしかして、敗戦時に秘密協定で、日本はアメリカに対して、国家の統治権・主権を放棄させられていた? そうとしか考えられない卑屈で、屈辱的な態度。

戦争放棄と主権の放棄、ありそうかも?もしかして?天皇制の存続を条件にしていたりして? まあ、それは、いくら何でも、と、思いますが・・・・・・。

ですが、いつでも、どこでも、何にでも、アメリカに遠慮して、物が言えない日本、やっぱり、無くも無い話し。

話しが、かなり、かなり逸れてしまい、危険な領域に踏み込んだかも?

それで、話しはすこしだけ戻して「グローバル・サウス」と云う言葉ですが、著者の説明では「南北の位置関係が必然では無くなりつつある」として、従来の「南北問題」と云う言葉と置き換えた、との主張。

以前より気になっている、この言葉、その筋では、それなりに使われている?と思って調べて見たところ、著者の斉藤幸平さんだけが使用しているみたいでした。

南北問題の英語表記は 『Global North and Global South』で、直訳すれば、「地球的北、地球的南」となります。

前回か、前々回で、「グローバル・サウス」と云う表現は、グローバル化で東西南北は無くなったので、変だと書きました。

しかし、私の解釈は浅くて、狭くて、局地的解釈だと、先ほど気付きました。

著者が「南北問題」を「グローバル・サウス」と表現したのは、「サウス」と云う言葉に、「地球的南」が意味する、搾取、犠牲、差別、貧困等を込めていたのでした。

「サウス問題」は世界の至る所に広がり、存在するとして、「グローバル・サウス」と表現したのです。学者ですから言葉は厳密に使用しているのでした。

と、云うことで、人新世の資本論はここで終わります、

それで、オミクロン株の感染拡大ですが、「まん延防止等特別措置」ですが、過去に5回も出されていますが、一度も防止した実績は無く、緊急事態に移行します。

いきなりの緊急事態では、いろいろと差し障りがあるので、先ずは「まん防」でそれなりの受け入れ準備、そして緊急事態、との手順だと思います。

過去5回の状況から、緊急事態が発せられると感染拡大が収束に向かう、と、云うよりも、ウィルスの「自壊」が始まるタイミングで、緊急事態が発せられている、そう感じるのです。

それで、今回、まん防、緊急事態の発出基準を緩め、遅らせ、緊急事態の発出は極力さけ、まん防段階にウィルスの自壊タイミングを合わせ収束させる。そんな政府の狙いを感じるのです。

緊急事態は、早すぎても、遅すぎても、どのタイミングで出しても、評判が悪く、内閣支持率低下を招く、とても、とても、禁じ手なのです。

その点、まん防は言葉の響きからして、世間の受け止めは穏やかになり、内閣支持への影響は極力抑えられるのです。

まあ、兎に角、もう、そろそろ、コビット19は収束ではなく、終息向かうことを願っています。百年前のスペイン風邪も2年で自然終息しました。

と、本日も、あっち、こっちに、とっちらかりましたが、これでお終い。

 

それでは、また。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『人新世の資本論』④ 格差と貧困!非正規雇用の拡大はグローバル・サウス問題

2022年01月17日 | 世間話し

前回の続きです。

ぼけ対策、ぼけ予防で『人新世の資本論』を読んで、綴っています。

今回は第一章の小見出し、

5.「グローバル・サウスで繰り返される人災」から、はじまり、はじまり。

先ずは、「グローバル・サウス」の説明から、

『グローバル化によって被害を受ける領域並びにその住民を指す。・・・以前は南北問題と呼ばれたが、現在、新興国の台頭や、先進国への移民増大によって、南北格差は地理的位置関係が無くなりつつある』

まあ、そう言う事なんだそうです。

ですが、私としては、グローバル化と云いつつ、「サウス」を使うのは、ちょっと、ちょっと、矛盾を感じるのです。

グローバル化で「新興国の台頭、移民増大で地理的位置関係が無くなりつつある」ならば、「サウス」要らないと考えます。

貿易ルールの統一、労働市場の世界的平準化等々により、市場原理主義、競争原理主義、新自由主義で、世界は「もろだし資本主義」で「金儲け正義」となり果て、世界は、格差と貧困、1%と99%、富の偏在の時代となったのです。

まあ、本書でも、追々語られる筈ですが、一応、一言だけ云わせて貰いました。兎に角、グローバル化ですので、今や、東西南北は無くなったのです。

それで、小見出しのタイトルは「グローバル・サウスで繰り返される人災」ですので、繰り返される人災として、メキシコ湾の原油流出事故とか、多国籍アグリビジネスによる熱帯雨林での火災とか、商船三井のモーリシャス沖重油流出事故とか、挙げられています。

はい、次ぎに進みます。

小見出し「6.犠牲に基づく帝国的生活様式」です。

この「帝国主義的生活様式」と云う言葉は、2名のドイツの社会学者、ウルリッヒ・ブラント、マルクス・ヴィセンが、グローバル・サウスからの資源・エネルギの収奪に基づいた、先進国のライフスタイルをそう呼んだそうです。

と云うことは、ふたりは「南北問題」と表現していた時代の学者?

そして、『問題は、グローバル・サウスの人々の生活条件の悪化は、資本主義の前提条件、南北の支配従属関係は、例外的事態ではなく、平常運転なのである』

これは、もっと、ストレートに「資本主義はグローバル・サウスの犠牲を必要としている」と、表現すべきでは?

やはり、グローバルでも、未だ未だ南北問題が主?サウスの生活条件の悪化例として、バングラデシュでの、ファースト・ファションの縫製工場崩壊で、千人以上の死者が発生した事故とか、採り上げられて居ます。

ここで、サウスの犠牲について一言。最近、巷では「フェアトレード」なんて事が云われるようになりました。

自分たちが買う商品が、何処で、どのような環境で、どのような人達によって、どのような労働条件で、どのような取引条件で、造られ、流通し、販売されているのか、そこに不正は無いのか、何て事が問われ始めています。

悪いことではありませんが、資本主義は「フェアトレード」では成立しません。これは資本主義の問題を、単なる道徳やモラルの問題にすり替え、自己満足、自己肯定感を得る為だけの行為です。

それで、先進国の「貧困・格差拡大」、特に日本における「非正規と正規」の賃金格差は、これこそ「グローバル・サウス」の、身近な典型だと考えます。

現在、低賃金で、いつでも、何処でも、解雇自由の、非正規労働者を必要としているのは、例外的事態ではなく、必要条件なのです。

先日、日本郵政で、正規と非正規の格差解消策として示されたのが、正規の条件を、非正規に合わせて、格差を解消する策でした。

そんな時代が、いつか来ると思っていたのですが、早くも現実となりました。

格差と貧困は、世界的な問題で、資本主義の問題です。  

周辺からの収奪によって発展してき資本主義は、グローバル化で周辺部は開発し尽くし、サウスだけではなく、ノースの労働者に向かっているのです。

最近、巷では、チラホラと資本主義の限界が語られ始めています。

あの岸田首相もそれなりに、「新しい資本主義」なんて云い始めました。古い資本主義と何処が異なるのかは、良くわかりません。

そのひとつとして税制面の優遇で、賃上げ誘導を狙っているようですが、安倍チャンと変わりません。そんなことで可能ならば、とっくの昔にやっているのです。

現在、資本主義にそんな余裕はありません。「格差と貧困・非正規雇用」は必要条件なのです。

と、云う事で、今回は此処までとします。

 

それでは、また。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『人新世の資本論』③ 資本主義システムそのものに挑む!

2022年01月12日 | 世間話し

前回の続きです。

『人新世の資本論』を、惚け防止の為、読んで綴って、記憶と記録に留める作業を行っています。

前回は本のページを前後して、思いつくままに書き散らし、頭の中もとっちらかってしまったので、今回よりそれなりに各章・各小見出しに沿って綴っていきます。

それでは前回に多少触れた『第一章 気候変動と帝国主義的生活様式』です。小難しい小見出しが二十あります。

1.ノーベル経済学賞の罪

これは、それなりに前回触れたので割愛。 

2.ポイント・オブ・ノーリターン

『気候危機はすでに始まっている・・・急激で不可逆的な変化が起きて、以前の状態に戻れなくなる地点「ポイント・オブ・ノーリターン」は、もうすぐそこに迫っている

2100年までの平均気温の上昇を、産業革命前の気温と比較して1.5度C未満に押さえ込む行動計画。

そのために、「2030年」までに二酸化炭素の排出量の半減、2050年までに排出量ゼロを目指す。しかし、現状の排出ペースでは、2030年に1.5度Cラインを超え、2100年には4度C以上の気温上昇が起こる』

ここでお詫びと訂正で、一回目で二酸化炭素とか、温暖化とか、気候変動とか、海面上昇とか、排出ガス規制とか、SDGsとかを声高に叫ぶ連中は怪しいと書きました。

この表現は、とても、とても、十把一絡的で誤解を招くと反省しています。叫ぶ方々の中には、清く正しく美く、将来の地球環境を憂い活動されている、個人や組織も間違いなく存在します。

でも、しかし、です。主導権を握っているのは、金儲を目的とした連中だと思っています。温暖化対策は単なるお題目で、脱炭素で、ゲームチェンジで、新しい投資で、新しい商売で、一儲けを企んでいます。

それで、そんな企みと、思惑の象徴が、中国、欧州、米国、日本が絡んでの「2030年」とか「2035年」とか、化石燃料を使用した車の販売規制です。

これって、気候変動対策に乗じて、日本の自動車メーカー、特に、トヨタ攻略を狙っています。この覇権争い、日本のメーカーの敗北が決定的?になりました。

EV化は世界の流れとなり、トヨタも流れに抗しきれず、最近になって新たなEV化計画を発表しました。

内燃機関から電動モーター化で、自動車産業は大きな構造変化で、またしても家電・半導体の道を辿り、日本は衰退の道を辿る?と、巷では囁かれています。まあ、私もそう思ったりしています。

話しがながくなるので次。 

3.日本の被害予測

 ここは割愛。 

4.大加速時代

『私たち現役世代が無関心でいることは許されず、いまこそ「大きな変化」をはっきりと求め、起こしていく必要がある』

私としては耳が痛い言葉。求めもせず、起こしもせずの日常。そして車はガソリンを燃やして走ってます。

『本書が最終的に掲げたい「大きな変化」とは、資本主義システムそのものに挑むことである』

ここで、すっごい事が語られます。「資本主義システムに挑む」のです。「資本主義体制に挑む」と表現すると、「共産主義」とか、「革命」とか、そして、「ソ連」とか、「中国」とか、「北朝鮮」が頭を過るのです。

でも、しかし、「システム」と表現し、「体制」と表現しなかったところが、この本の「味噌・醤油・味の素」で(←とっても昭和的で好き)、それなりにマルクス主義・共産主義に対するマイナスイメージを考慮したのです。

ここが、とても、とても、本書『人新世の資本論』の肝なのです。でも、しかし、著者は上記の後に、

『だが、そのような非現実的に見える要求を先走って掲げる前に、まずは気候変動という形で顕在化している環境危機の原因についてきちんと考える必要がある』

と、来たので、私としては、オットットッです。著者はそれなりに、

『資本主義システムそのものに挑む』と、初っ端から大見得を切ったり、

『非現実的に見える』何て、それなりの不安を覗かせたり、

『環境危機の原因についてきちんと考える必要がある』と、

まあ、そこは当然、学者先生ですから、それなりに結論に至った、証拠、裏付け、科学的根拠を提示するのです。

と、まあ、ここ迄で、第一章の小見出しの4です。小見出しは20あります。これは、これは、かなりの長旅、まあ、何処まで続くかは、私にも分かりません。

兎に角、今回は、ここで終わります。

それでは、また。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『人新世の資本論』② 欧米は気候変動で!日本は地殻変動!

2022年01月04日 | 世間話し

年が明け2022年となり、今年最初の更新です。

前回の続きになります。

『人新世の「資本論』を読んでいます。

タイトルが小難しいですが、中味もそれなりに小難しい。

それでも、惚け防止対策としてページを捲っていきます。

それでは第一章「気候変動と帝国的生活様式」です。このタイトルも、かなり小難しい。帝国的生活様式なんて言葉は、ふつうの人は日常的には使いません。

紹介が遅れましたが、著者は「斉藤幸平」さんと云い、1987年生まれですから現在34歳、大阪市立大学大学院経済学研究科准教授で、専門は経済思想、社会思想だそうです。

出版は2020年9月22日で、私が購入したのは21年9月14日の第15刷りです。一年で15刷り、かなりのベストセラー本です。たぶん40万部近く売れていると思います。

※斉藤幸平さん、このところTV出演が続いています。いずれもNHKで、一本は1月1日放送のBS1スペシャル「欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマ」、もう一本は1月3日Eテレの「100分deパンデミック論」、どちらもこと録画はしましたが、未だ観ていません。

それでは、本論に入ります。

先ずは、冒頭から2018年にノーベル経済学賞を受賞した、イェール大学のウィリアム・ノードハウス批判です。この方の専門は気候変動の経済学で、気候変動を経済学に取り入れた先駆者で、炭素税導入を提唱した方だそうです。

「経済成長と新しい技術があれば、現在と同じ水準の自然環境を将来の世代のために残しておく必要はない」と主張していた方がノーベル賞。

かなり、かなりの楽観論で、一部の?環境運動家から受賞決定に対して、厳しい批判の声が上がったそうです。

それで、そもそもですが、気候変動とか、異常気象とか、温暖化が世界的に問題となりつつあった1988年、「ICPP・・・気候変動に関する政府間パネル」が、「UNFP・・・国連環境計画」と「WMO・・・世界気象機関」によって設立されたのです。

1988年と云えば、いまから34年も前の話しです。私が未だ30代後半の頃です。ずっと、ずっと昔の事だったのです。

そして、気候変動に注目した世界は、手に手を取って対策に取り組むことに・・・、とはならなかったのでした。

それは、何故だったか?と云えば、答えは、翌年1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、ソ連が崩壊し、共産圏が崩壊し、資本主義の勝利で冷戦が終結しからです。

これが、とても、とても、環境を悪化させる原因となったそうです。なるほど、そうか、そうかのお答えです。

わたしも、かねてより、社会主義という競争相手があってこそ、資本主義はその本性を「もろだし」せず、それなりに社会に、労働者に、富を分配していたのだ、と考えます。

競争相手が居なくなれば、資本はやりたい放題になり、市場原理が、競争原理が、アメリカ型の新自由主義が、世界を覆い、日本も覆い、構造改革とか、郵政民営化とか、「アベノミックス」何て政策も生まれたりしたのです。

データ的には、人類がこれまで使用した化石燃料の、なんと、なんと、約半分は、冷戦が終結した1989年以降のものだそうです。当然、結果として二酸化炭素の排出量も急拡大したのです。

それで、タイトルにある「帝国的生活様式」なのですが、簡単にバッサリと云えば、強い表現としては「強い国が弱い国を支配し富を奪いとる」事です。

弱い表現では「弱くて貧しい国の犠牲の上に成り立っている、強くて豊かな国の生活」の事です。

日本も当然、帝国的生活様式なのです。ガソリンも、衣類繊維、食料、牛肉・豚肉・鶏肉から、バッテリーの希少金属まで、海外へ依存する日本。その末端では、長時間、低賃金、危険な労働環境、そして児童労働等で支えられているのです。

いわゆる、「南北問題」、そして中心と周辺、資本主義の拡大・成長には常に、未開の地、未開の市場、未開の低賃金の労働力が必要なのです。

翌年1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、ソ連が崩壊し、共産圏が崩壊し、資本主義の勝利で冷戦は終結。

資本主義は、新たに共産圏の市場と低賃金の労働力を手に入れ、経済はグローバル化し、金融化し、アメリカに一極化したのです。

そして、30年の歳月を経過し、世界は米中の二極化へと向かい、貧困と格差は拡大し、二酸化炭素の排出量は増加し、百年に一度の災害が毎年起き、世界は対策を迫られているのです。

ところで、欧米と云うか、特にヨーロッパでは、気候変動・温暖化への関心が高く、政権選挙において気候変動・温暖化対策が大きな政策課題となっています。

それに比べて、我が日本では、それほどと云うか、あまりと云うか、気候変動で大変な事に、と、云うよりも、それよりも、二酸化炭素の削減対策で経済が大変な事に、と、受け取られている風に見えます。

まあ、二酸化炭素削減の筆頭、車のEV化を巡る争いですが、これは明らかに米、欧、中は、日本の自動車産業を標的にした、覇権争いが絡んでいると思います。

欧米の自動車メーカーは、化石燃料の排ガス対策でも、ハイブリッドでも、日本に後れを取り市場を奪われてきました。EV化は巻き返しのチャンスなのです。

この争いには、後発の中国も加わり、世間で危惧されているように、EV化シフトで日本自動車産業は追い詰められ、追い越される、家電、半導体と同じ運命を辿る予感がします。

これからは、日本は中進国として、それなりに、目立たず、温和しく、ゆっくりと、静かに、こころ豊かな国を目指しましょう。

話しを戻し、それで、欧米は温暖化で、熱波で、毎年死者が発生したりしていますが、日本で一番心配される自然災害は、地震と津波です。まあ、そんな、こんなで、気候変動・温暖化への関心が薄いのかも知れません。

兎に角、欧米は気候変動で、日本は地殻変動なのです。

話しが、あっち、こっち、と、いつものように飛んで、本の内容から幾分それてしまいました。

長くなったので、ここらで終わります。

最後までお付き合い頂きありがとう御座います。

この続きは次回と致します。

 

れでは、また。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『人新世の「資本論」』で!① 新たなマルクス主義で!年賀状の欠礼!

2021年12月26日 | 世間話し

2021年最後の更新です。

と、書きつつ、そう言えば今は21世紀と思いつつ、21年も経過したのか?と、思ってみたり、失われた10年が、20年になり、そして、いまや30数年も、と、思ってもみたりして。

2011年の東日本大震災、そして、想定外の?原発メルトダウン、次は、富士山の大噴火が起きる?と思っていたら、感染症が大爆発で世界は大混乱。

ホントに、ホントに、何が起きるか分からない21世紀です。

さて、2022年はどんな年になるのやら、と、思いつつ、惚け対策として、何とか、読み進めている本の話など綴りたいと。

最近は、ホントに、本を読んでも直ぐに忘れてしまうのです。人の名前はでてこないし、買い物に行って、買い忘れたり、その対策として、メモを書いておいても、そのメモ書きを持たずに、買い物に出掛けたりしているのです。

まあ、そんなこんなで、本も読んでは直ぐに忘れてしまうのです。そこで、記憶にとどめるのではなく、読みつつ、書きつつ、で、記憶が消えても大丈夫なように記録を残したいと。

それで、『人新世の「資本論」』(集英社新書 斉藤幸平著)のお話の始まり始まり。

※人新世・・・「人類の経済活動が地球に地質学的な痕跡を残す」と、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンさんが名付けました。

表紙をめくると、『はじめに・・・「SDGsは大衆のアヘン」である!』との文字が眼に飛び込んで来ました。

そうか!やっぱり!俺の勘は当たっていた、と、膝を叩いて、手も叩く、そんな衝動に駆られたのです。

「SDGs」前から、こいつは、どうも、怪しいと睨んでいたのです。

それは、世界中の、政府も、大企業経営者も、労働者も、一般市民も、そして、右も、左も、真ん中も、猫も杓子も皆で寄って集って声高に叫ぶ、この状況は、とても、とても、変と云うか、危険では、と、思っていたのです。

と、云う事で、最初の1ページから、これは、これは、なかなかケッコーと、読み進めたのです。

『レジ袋からエコバック、ペットボトルからマイボトル、車はハイブリッドカー・・・、そんな善意は有害・・・良心の呵責から逃れるための免罪符・・・政府や企業SDGsの行動指針をなぞったところで、気候変動は止められない・・・SDGsはアリバイ作り、危機から眼を背けさせる効果しかない・・・』

とあ、とても威勢の良い主張。

ここで、告白しますが、そもそも、私は、二酸化炭素が温暖化に影響する説には疑問を抱いていました。

そもそも、地球は人間の活動とは関係無く、二酸化炭素の増減とも関係無く、一定のサイクルで、温暖化と寒冷化を繰り返している、と、理解していました。

原発事故で、マイナーから一時メジャーとなり、国会の委員会に参考人として呼ばれた、あの広瀬隆氏の『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社新書)等を読んで、そもそも地球の温暖化説も、その原因が二酸化炭素説も、信用していませんでした。

しかし、その後に『地球46億年気候大変動』(横山祐典著 講談社ブルーバックス)を読んで、あっさり考えを改めました。

本の主張をバッサリ、大胆に、要約すると、

『いろいろな現象が、複雑に、複雑に絡み合い、結果として、最終的に、二酸化炭素の増減というかたちで、気候変動のサイクルを発生させる』

と云う事です。

ホント、この本は難しくて、変動サイクル発生のメカニズムは、とても、とても、とても、複雑で難解で理解困難。

『いろいろな要因が、いろいろと複雑に絡み合い、影響し合い、兎に角、そのメカニズムを一旦破壊してしまうと、もう、人間の想像を超えた、とんでもない破滅が・・・』と云うことなのです。

それで、この著者の見解かは忘れましたが、「温暖化」という言葉は、とても、とても、なまぬるいと考えます。

なまぬるいと云うか、なま暖かい表現の為に、吉田茂の孫が、なまぬるい頭で、「温暖化は寒いところが暖かくなるので、北海道でも旨い米がとれるようになった」なんて、バカ発言が生まれるのです。

温暖化ではなく、想定を超えて地球は「灼熱化」する可能性も無きにしも非ずだと・・・。

え~と、話が逸れました。

それで、『人新世の「資本論」』に話を戻します。

『二酸化炭素は「産業革命」以降、つまり「資本主義」が本格的に始動した以降、二酸化炭素の排出量が増加。気候変動・気候危機の原因は資本主義』

と、大胆に、バッサリと断言しているのです。

本の冒頭の5ページで著者の見解のすべて語られています。

『SDGsは大衆のアヘン・アリバイ作り・気候変動の原因は資本主義』

そして、以下の八章を使って主張の裏付け、異なる見解の論破、主張の正当性を述べています。

第一章 気候変動と帝国的生活様式

第二章 気候ケインズ主義の限界

第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つ

第四章 「人新世」のマルクス

第五章 加速主義という現実逃避

第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム

第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う

第八章 気候正義という「梃子」

と、まあ、ここまで綴ってきて、書き始めたときは、一回きりで終わりと考えていたのですが、どうも、何だか終わりそうもなく、惚け対策としては、それなりに効果がありそうなので、各章毎に、何て考えてもいたりして。

兎に角、まあ、やって見ないと分かりません。次回で終わるかも知れませんし、数回続くかも知れません。

それで、今回はこれで一旦終わりますが、最後にに、一言、二言、言わせて貰います。

章の見出しに、マルクスとか、コミュニズムとか、気になる文字がありますが、ここから、マルクス主義とか、共産主義とか、旧ソ連邦とか、中国とか、北朝鮮とか、かなり、かなり、マイナスのイメージを連想する方いると思うのです。

でも、しかし、かなり、かなり、目から鱗が数枚剥がれ落ちる、これまでとは異なる、新しいマルクスと云うか、マルクスの資本論以降の、マルクスの新たな主張が展開されるのです。

マルクス主義、共産主義のお嫌いな方も、お好きな方も、それなりに、目から鱗の話です。

と云う事で、この話は来年に続きます。

それと、話はがらっと変わって、私的な業務連絡?ですが、来年から年賀状は高齢の為?SDGsの為?欠礼するとの結論に至りましたので、ここに御連絡申し上げます。

  以上よろしく。

それでは、皆さん、良いお年を!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立憲民主党は連合党に党名変更してスッキリさせましょう!

2021年12月01日 | 世間話し

12月になりました。

最近は月一の更新となっています。

それで、11月場所ですが、予想どおり照ノ富士の優勝でした。それと、 阿炎の活躍は場所を盛り上げました。でも、来場所を見ないと、私としては何とも云えません。

期待としては、阿炎には、このまま一気に駆け上がり、綱を締めてほしいし、その素質は十分にあると思います。

横綱をになる力士は、小結、関脇、大関を一気に駆け上がるものです。

最近は皆、三役、大関でもたついている力士ばかり、まあ、稀勢の里も、期待され裏切られの連続で、最後の最後に、やっと横綱に辿りつき、直ぐに引退。

それで、オミクロン株も国内で確認されました。

オミクロンと云う、その言葉の響きからは、あまり手強さ怖さは感じません。でも、既存のワクチン効果は低下するようです。

それにしても、日本の感染状況は、世界と比較して、何とも不可思議。何が、どうして、感染が落ち着いているのか、まったくの謎。理由不明は怖いです。

三回目のブースター接種は、海外では6ヶ月後だとか、いや、3ヶ月後だとか云われているのですが、日本は原則8ヶ月で、状況により6ヶ月だそうです。

岸田さんとしては、これまで、コロナ対策の後手後手批判で、二人の首相がぶっ飛んでいますから、原則8ヶ月は、もしかして、もしかして、命取りになる?

2度あることは3度あると、むかしから云われていますからね。本人も、専門家に、大丈夫か?大丈夫か?と、何度も、何度も、しつこく問い質していることでしょう。

それにしても、立憲民主党の代表選は、とても、とても、盛り上がりませんでした。

白熱した議論を交わそうものなら、党は、またしても、またしても、分裂の危機がァ!と考え、四候補とも当たり障りの無い範囲での、お話し合いに終始。

前回、「立憲は連合に、おんぶに抱っこ」と否定的に書きましたが、これは間違いだと気が付きました。

立憲は、実態として連合の「政治部」であり、連合の組合員為の政治が使命なのです。それを、あたかも、国民を代表するような振る舞いをするから、ややこしくなるのです。

今回、泉健太クンが新たな代表に選ばれました。この際ですから、上部機関の連合の、労使協調路線に合わせ、立憲も与野党協調路線を明確にして、党名を連合党に書き換えましょう。

これで、日本の政治状況は、とても、とても、スッキリします。

と、なると、多数の国民を、非組織を、非正規を、一般市民を、リベラル派を、環境派を、代表する、政党が必要となってきます。

二大政党時代は終わっています。これからは、専門店政党が複数存在していく時代になると思います。

まあ、選挙制度に、それなりの難しさはありますが、それなりに、専門的政党が、5つ、6つできて、100議席前後を占めれば、それなりの未来が?

その先がけの一つが、「れいわ新選組」だと思うのです。そう言えば、むかし「魁け」という政党がありました。

世の中は、連合の時代は終わり、連立の時代。

 

それでは、また。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立憲民主党!連合におんぶに抱っこで!風任せ! 

2021年11月05日 | 世間話し

選挙は終わりました。

与党は解散前より「35議席」増えました。

自民党が276議席から261議席で15議席(5.4%)減。

公明党が29議席から31議席で2議席(6.9%)増。

維新が11議席から41議席で30議席(272%)増。

限りなく与党に近い、国民民主党は8議席から11議席で3議席(37.5%)増。

そして、野党は解散まえより「12議席」減らしました。

立憲民主党は109議席から96議席で13議席(11.9%)減。

日本共産党は12議席から10議席で2議席(16.7%)減。

れいわ新選組は0から3議席。※元立憲民主党の前議員は除外 

社民党は1議席で変わらず。

と、云う事で、野党は負け、そして、枝野代表は辞任。

と、云う事で、野党共闘は失敗したのか? 巷では色々云われています。

まあ、最大の原因は立憲の取り組む姿勢に、党の体質にあると考えます。

選挙結果が出た翌日、枝野代表が連合の本部へ選挙結果のご報告に赴いたのです。このような関係が、敗因のすべてなのです。

立憲の選挙は、連合におんぶに抱っこなのです。

選挙区ごとの党組織も、候補者独自の個人後援会も、とても、とても、貧弱で日常活動もほとんど機能していないのです。すべては連合におんぶに抱っこ。

それで、その連合ですが、もう、その役割は終えたと云おうか、そもそも、連合の発足自体が、労働運動の終わりの始まりだったのです。

総評と同盟が手を組んでから、労働組合の組織率の低下が始まり、労働分配率の低下による賃金の低下が始まり、非正規雇用の増加が始まったのです。

社会党、共産党が大嫌いな連合です。今回の共産党との共闘に反対していた連合です。

連合を意識して、遠慮しての共闘は、そっと静かに、ひっそり、黙って、共産党の票だけを貰いたい立憲民主党。

そんな枝野立憲ですから、党首の顔が、姿勢が、発信力が、マスコミ露出度が、人気が、影響する比例区で、解散前の61議席から22議席減らして39議席となったのでした。

国民の共産党アレルギーを利用した、自公、維新からの野合攻撃に、堂々と反論することは有りませんでした。

はい、結論。

立憲は連合と手を切る。連合は、ほんの一部の労働者を、有権者を、国民を、代表しているだけの組織です。

愛知で見られたように、トヨタ労組の組織内候補を告示直前に下ろし、自民党候補に相乗りした事実は、連合のこれからの方向を示唆しています。

立憲にとっても、連合にとっても、今の関係は互いにメリットは無いし、方向性も、利害も、異なるのです。早いところ連合とおさらばして、原発問題も、環境問題もスッキリとした政策を打ち出すべきです。

と、まあ、いろいろ並べ立てましたが、以上のような事は、枝野立憲も、当然、百も承知二百もガッテンなのです。

でも、出来ないのです、むずかしいのです。

連合と手を切って、独自の地方党組織とか、個人後援会とか、とても、とても、むずかしいのです。手間も、暇も、金も、掛かるのです。

自民も、公明も、共産も、長い時間と手間をかけて、独自の組織を作り上げてきました。それに比べて立憲は歴史が浅いのです。

立憲としては、連合と、風に任せて、乗っかって、これが、とても、とても楽ちんなのです。

ここは、ひとつ、来年7月の参議院選挙に向けて、新しいリーダーで、あたらしい風作戦を打ち出しますか?

それにしても、兎に角、連合と云う組織は、国民にとって、百害あって一利無し、分裂、再編成される事を、願ってやまない今日この頃。

れいわ新選組が非正規労働者を組織できれば、あらたな時代の、あらたな本格的政党に、なれそうな、そんな気がする今日この頃。

それにしても、やっぱり、自民党と立憲民主党、政策的にはそれほど差が無いのです。対立軸が不明確なのです。

だからと云って、 目先の政策レベルではなく、理念とか、理想とか、未来のビジョンとか、あるべきかたちとか、長期的視点での対立軸をつくりだし、選挙の争点にしても、票には繋がらないのです。

まあ、兎に角、東京8区の石原伸晃さんの落選は、とても、とても、喜ばしい出来事でした。危ないと言われていましたが、まさか、比例復活もなく、完全なる落選、ホントに、ホントに、8区の皆さん、おめでとうございます!

 

それでは、また。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衆議院選挙で四の五の言わずに政権交代!

2021年10月17日 | 世間話し

衆院選が19日に公示されます。

それにしても、思い起こせば、コロナ対策と、オリンピックと、総選挙と絡み合い、無為無策で、右往左往で、後手後手で、安倍は体調不良(仮病)を理由に政権を投げ出し。

そして、安倍の支持思惑により菅クンを後継指名。第三次安倍政権の成立。

当然、第三次安倍政権ですから、コロナ対策よりも、国民の命よりも、オリンピックを優先した結果、感染爆発で、支持率低下で、菅クンも政権を投げ出して、岸田内閣の成立。

パンデミック対策の失敗で、二つの政権が吹き飛びました。

岸田クンとしては、当然、パンデミック対策が一番の政策課題となります。

岸田クン、総裁選では、それなりの政策を掲げていたのですが、自民党の選挙公約に岸田クンの政策は消え失せ、党の役員人事も、内閣閣僚人事も、第四次安倍内閣のようです。

菅首相誕生時の、パンケーキ的なバカ騒ぎは、岸田政権では、それなりに反省したのか、マスコミはそれなりに自粛?

そんな、こんなで、岸田政権の支持率は、ご祝儀相場もなく、50%前後の低支持率となりました。しかし、しかし、政権の支持率は低くても、政党支持率では自民党がダントツで一位。野党が束になっても勝てないのです。

思い起こせば、これまでの政治は、安倍個人の思惑だけで動いていました。

オリンピックの延期を1年としたことから、混乱は始まったのです。二年では無く、強引に一年延期としたのは、唯々、安倍の総裁任期の関係からでした。

その結果が、コロナ対策の遅れと混乱と無為無策で後手後手で、菅首相の退陣となったのです。

二人の首相を吹き飛ばされた自民党としては、ここは一つ、目先を変えて、安倍カラーを一掃して、それなりの「疑似政権交代」を、と考えるのが今までの自民党でした。

しかし、しかし、今回は、岸田クン、総裁選挙の段階では、それなりに安倍カラーを払拭する、宏池会としての、正統派保守としての、リベラル的味付けの、政策を掲げていたのです。

しかし、安倍の思惑と圧力に負けて、第四次安倍内閣的カラーが濃厚となりました。

総裁選での派閥の力関係から、それなりに安倍への配慮は、当面は、それなりにで、そのうちに、徐々に、徐々に、少しずつ、少しずつ、安倍を排除しつつ、正真正銘の第一次岸田政権を、との策略を巡らしている、と、私としては考えていたのです。

しかし、しかし、どうも、そうでは、無さそうな雲行きなのです。

どうも、いろいろな情報から、そもそも、岸田クンを宏池会だから、それなりにリベラル的な考え方を持っている、と、考えるのは、かなり、かなり、疑問になってきました。

そもそも、岸田クンの、お父さんも、お祖父ちゃんも、衆議院議員で広島の人、お父さんは官僚出身の政治家。たぶん、お父さんも宏池会。

宏池会は、官僚出身の池田勇人が創設した派閥で、彼は広島県の出身。そんな、こんなで、親子の縁で、郷土の縁で、考えることも無く、迷うことも無く、派閥は宏池会となったのでしょう。

ですから、強い信念を持って宏池会を選択したのでは無く、単なる成り行きだったと思うのです。

総理大臣の椅子に座ることが一番の目的。そのためには、人の話は丁寧に聞き、なんでも受け入れるのでした。

因みに、あの丸川珠代も、あの高市早苗も、そして、あの小池百合子も、政治家になる前は、それなりにリベラル的主張の方だったそうです。

それが政治家となり、政権与党の自民党員として、国会議員として、上へ、上へと、昇るに連れ、右へ、右へ、傾いていったようです。

自民党の、女性の、国会議員として、右へ、右へ、と傾く方が、とても、とても、心地よく、有利で、楽ちんなのです。

議員になる前の環境では、リベラルチックを装い、自民党の議員になると、右翼チックを装おう。

どちらも、単に心地よく有利で、特に、信念とか、思想とか、信条とか、あまり関係無いのです。

男に限らず、女に限らず、今の政治家は、上昇志向だけで、権力志向だけで、政治家になっている輩が、政権政党には、かなり、かなり、紛れ込んでいるのです。まあ、野党にも、それなりに紛れ込んでいます。

まあ兎に角、古今東西、例外なく、長期政権は腐敗します。

兎に角、政権交代なのです。

政策が、野党では、どうのこうのと、四の五の言わずに、今一番必要なのは、政権交代です。

ためらうこと無く、安心して、期待して、野党に投票して、岸田クンの第四次安倍政権を終わらせましょう。

すべては、そこから始まります。

      以上。

それでは、また。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸田政権はバイデン政権を倣って新自由主義の否定で安倍政治も否定?

2021年10月05日 | 世間話し

昨日、予想していた岸田内閣が発足しました。

100代目の首相だそうで、因みに、初代は、以前千円札にもなった伊藤博文でした。

岸田クンも百数十年後には千円札? しかし、その頃には紙の通貨は流通していないでしょうね。

岸田クンとしては、今は安倍・麻生に忖度して、ご機嫌伺いをしつつ、31日投票の総選挙に、そして、来年の参議院選挙に、それなりに勝利し、安倍・麻生の影響力を、それなりに低下させ、岸田色を徐々に強めたいと、願っていることでしょう。

なんたって、総裁で総理大臣ですから、絶大な権力をもっているのです。でも、自民党の幹事長には、3Aの一人、あの甘利明が睨みを効かせています。

でも、しかし、安倍あっての麻生・甘利です。安倍の「森・加計・桜」で、そして、甘利の「UR収賄疑惑」で、野党としては、飛んで火に入る夏の虫です。

岸田政権としては、野党の追及は、それなりに、痛し痒しです。

安倍・甘利に対する、野党の、国民の、風当たり利用して、二人の政権への影響力を低下させる作戦をとる?

まあ、いろいろと紆余曲折を経て、時代の流れとして、安倍の影響力は消えていきます。

それで、兎に角、日本の政治はアメリカの強い影響下にあるわけです。そのアメリカのバイデン政権は、イギリスのサッチャー政権、米国のレーガン政権に始まる「新自由主義」を否定しました。

世の中の流れは、国家の経済への介入を否定し、世界を一つの経済ルールに統一し、企業が、資本が、国家の枠組みを超えて、自由に金儲けが出来る新自由主義から、国家が経済に介入する時代へ?

そして、岸田政権もアメリカに倣って新自由主義を否定し、「新しい資本主義」を掲げました。見事に連動しています。

「成長と分配の好循環で中間層を豊かに」という、高度経済成長時代を、池田勇人時代を、もう一度的な政策は、実現するの?

国家の経済への介入時代と、非介入の時代は、行ったり、来たり、戻ったりで、交互に訪れる?

それとも、新しくても、古くても、資本主義の時代は終わる?

私としては、資本主義は、もうお払い箱になりつつある、と、思うのです。

そして中国、社会主義市場経済と云う、国家主導で自由に金儲けをさせる資本主義経済も、人口減少、成長の鈍化、格差拡大で、それなりに行き詰まり、「共同富裕」を云いだしました。

どこでも、みんな、行き詰まり、活き詰まり、生き詰まり、どん詰まり?

それとも、コビット19パンデミックの終息で新し時代が始まる?

兎に角、衆議院選挙は31日の投票と決まりました。

みなさん、投票所に駆けつけ、数年に一度の主権者としての権利を行使しましょう。

 

それでは、また。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする