歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

①新潟市へ向かって列島横断

2012年01月10日 | 旅の話し
そろそろ、2012年度のスタートです。

先ずは、“新潟旅行”の話しからです。新潟旅行と云っても、県庁所在地で、日本海側で唯一の政令指定都市である、新潟市、それも中心部のみを歩いたのです。

忘れもしない、思い起こせば、2010年の12月でした。今となっては“一昨年”の12月です。何故か新潟市内を歩いてみたくなったのです。

“歩いて見たい”と云う“カテゴリー”を新設して、12月2日~12月16日に渡って11回のシリーズで“新潟市の話し”を、ネット情報をネタにして、行ってもいない、見てもいないのに、いろいろと綴ったのでした。

そして、そして、行って見たいと思ってから早一年の歳月を経て、遂に、2011年の10月28日、午前10時過ぎ、常磐道を“生でホンモノ”の新潟市に、助手席に連れ合いを伴って、向かったのです。

最初のトイレ休憩です。この頃は、こんな所にも“ファミマ”が進出しています。


トイレで用足して、何故か、また、入れてしまいました。ファミマの隣は“自販機のドトール”です。何か、味気ないコーヒーでした。


一休みして、常磐道を快調に走ります。青い空、白い雲、気持ちイイです。


昼食は、このところ、旅行での定番、ラーメンを、こんなお店で頂きます。


久しぶりのラーメンは、それなりに美味しかったです。


隣の席では、カレーライスを注文した中年の二人組、一人が“しかし、デカイ皿だなァ~”と、一言呟いてから、食していました。

私も、カレーの匂いに釣られて、運ばれて来たとき横目でチラリと見てしまったのです。確かに、皿だけが妙にデカイと思いました。

デカイに容器に、ご飯もカレーも薄く広く盛りつけ、見た目の満足感を狙っているようですが、行き過ぎると、製造側の思惑とは逆に、もの悲しい風景になってしまうのです。

ラーメンを啜りおわって外に出ると、目の前に“災害派遣”の文字。自衛隊の車両です。


迷彩色の戦闘服姿。今は、日本は非常事態なのでした。それでも、我々は、のんきに旅行などしているのです。少しでも、景気が浮揚する、僅かな手助けの、ほんの一部に、と・・・、思っているのです。


それで、常磐道から、いわきインターで磐越道に入り、東北道を横切り、猪苗代湖を遠くに望み、“会津若松”を過ぎて、長いトンネルが続く区間を走り、新潟平野に出ます。


長い“トンネル区間”は、それなりの歳になったわたくしには、それなりの緊張があり、車窓の変化も少なく単調で、それなりに疲れるのでした。

そんな、事で、今年度初の新潟旅行の第1回目は、このへんで、お終い。

では、また、次回。


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⑤ 福島岳温泉で“磐梯吾妻スカイライン”は雲の上

2011年12月13日 | 旅の話し
何日ぶりかの“岳温泉シリーズ”で、今日で5回目で、そして、最終回となります。

朝風呂に入って、さっぱり、スッキリして朝食です。まだ誰も来て居ません。一番乗りです。


朝食は、品数も、量も、料理の具材も、盛りつけも、味も、丁度イイ具合でした。何と云っても特別料金ですからね。トロロ汁がナカナカケッコーでした。朝食メニューの目玉商品のようです。


出されたものは、キレイに完食しました。

それでも、やっぱり気になるので、帰り際に他のテーブルを横目で厳しくチェックしたところ、我々は豆腐であった器に、厚焼き卵が盛られていました。まあ、その位は致し方ないと思うのです。

母はお楽しみのお土産選び。兎に角、何が、何でも、お土産なのです。


部屋に戻り、一休みして、チェックアウトです。心付けのお返しに地酒を頂いてしまいました。

ホテル出発は9時頃でした。この日の予定は磐梯吾妻スカイラインスです。ホテルを出て山道に入ると、辺りは霧に包まれま視界不良で安全運転です。


眼を凝らして案内板を確認。


霧の中の紅葉。


福島県内の有料道路は全て無料になっています。観光客を呼び込み復興なのです。


料金所は無人です。徴収係の人達はどうしているの? もしかして・・・・・・解雇されたりして?


不思議なことに、料金所を過ぎて、ほんの少し登ったら、そこは青空白い雲、霧が晴れたのです。雲を突き抜けたようです。


スッキリと紅葉です。


遠くには、磐梯山?でしたっけ・・・・。


兎に角、良い眺めなのです。前回、2007年に来た時はこの景色は霧で見えなかったのです。


皆さん、カメラを構えていました。


猪苗代湖が見えるのです。


気持ちのイイ~山道です。


ホント、気持ちヨカッタ!


高原の風景!


浄土平に到着。ここの駐車場も無料なのです。


母はトイレです。観光客は平日なのに、それなりに、ケッコウ来て居ます。女子トイレはそれなりに混雑の様子。


浄土平を下って行くと、下には雲が見えています。


雲海に突入です。


と、云うことで、紅葉の絶景ポイントの“つばくろ谷”は雲の中で、まったく何も見えず通過し、その日の観光は終了し東北道に乗りました。

母は旅行に行くと、必ず“ソフトクリーム”を食べるのです。


高速に乗ったら、もう、家に着いた気分になるのです。高速を降りて7~8分で我が家に到着なのです。

都内にお住まいの方は、東京に近づくと必ず渋滞が待っていますが、田舎暮らしにはそれがありません。

高速は乗ったら直ぐに目的地、降りたら直ぐに我が家なのです。

まあ、そんな、こんなで、福島への旅行は終わりました。

母も、入浴後の痒い!痒い!の症状は、何故か?温泉では出ない為、ヨカッタ!ヨカッタ!なのでした。風呂は空いていてのんびり入れて、部屋のすぐ前がエレベーターであまり歩かず、食事も、部屋の寝具も、ナカナカでヨカッタと満足していました。

宿代の安いのには、すこし申し訳ないと申しておりました。でも、互いのいろいろな状況をきびしく鑑み、それは、それで、ヨカッタのだと思う次第であります。

以上で、福島岳温泉シリーズを終わります。


それでは、また・・・。


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④ 福島岳温泉はやっぱりきびしい?

2011年12月09日 | 旅の話し
昨日の続きになります。

岳温泉の坂道を歩いています。この時、この写真を撮ったのが15時37分です。それで、初回にお話したように、ここには5年前に来ているのです。


それで、調べてみたら、何と、なんと、驚くことに、5年前に来たのも、10月の19日だったのです。何たる偶然! それで、この写真はその時撮った、15時35分の風景です。


こちらは坂の上から撮ったものですが、街灯に灯が点り始め、とてもやわらかな風景に見えるのです。5年前ですから、“安達屋さん”も、“松渓苑さん”も、皆さん、営業中だったのです。ホントに、あの時は、まさか!こんな事に!なるとは!なのです。

いろいろ厳しい風景を眼にして、いろいろな事に想いを馳せつつ宿に戻ったのでした。

部屋に帰って、風呂に入るには早いと思いテレビを点けてみたら、


左側に「放射線量測定値」の大きな文字、下には、各地の測定値がテロップで流れていくのでした。地元の福島放送では、こういう状況なのです。常時緊急放送のスタイルが、“あれから”ずっと続いているようです。

郡山の市役所は、なんと、なんと、“0.98μs”です。浜通り、中通り、は高いのです。岳温泉も中通りですが、0.20前後と聞いています、それでも、測定場所でかなりの上下があるので、それなりには心配なのです。


“0.98”の中で暮らしていくのは、相当なストレスだと思います。双葉町は何と“14.21”ここは避難区域です。


それにしても、こんな数値を見ながら、グルメ番組を見るのは、かなりの異常な事態ですが、“あれからずっと”異常事態が続いて、福島放送では、これがフツウの状態になってしまったようです。

いまは、ホントに、ホントに、とても、とても、異常な事態なのです。

そんな状況で、温泉に入ってのんびりは、何か、かなり、後ろめたいと云うか、こんな時に、こんな処で、こんな事をしていてイイの?なのですが、兎に角、それなりの“復興支援”なのです。

母は、“何かしないとわるいから”と、部屋に案内をしてくれた仲居さんに“2千円 ”を包んだのでした。でも、これに対しては、帰りの料金精算の時に、心付けのお礼として宿から、お土産に“地酒”を頂いてしまいました。

それで、前回の松渓苑の話しでも、震災で風呂も部屋も、壁や天井が、崩れ、剥がれ、大変な被害で廃業したのですが、こちらの宿も、“改修・修復・補強工事”で大変だったようで、6月から再開したそうです。

それで、来た時には気付かなかったのですが、窓から入る光の変化で、壁に奇妙な走る“シワ”が浮き上がってきたのを発見。


手で触って撫でてみると、壁にヒビが入っていてその上から壁紙が貼ってあるのでした。シワはヒビ割れなのです。地震の爪痕なのでした。“そうか、そうか、ここも大変だったのか”と思いつつも、“ヒビ割れに紙を貼っただけで強度的には大丈夫なのか?”とも思ったのです。

宿泊中に震度2程度の地震が3回ほど発生しましたが、特に問題は有りませんでした。震度2程度ですからね。

それから大浴場に、


それから露天プロに、


ほぼ、貸し切り状態でした。

そして、夕食は、


こんな処で、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


ひととおり、“温泉旅館料理”を頂いて、それなりに母も私も、満足、満足で、ご馳走様なのでした。

実は、何を隠そう、今回の宿泊料金は“特別割引料金”なのです。茨城県と宮城県と岩手県に居住する人々に適用されるのです。地元福島県の方は“超特別割引料金”になっています。

それで、割引料金での宿泊は、“料理の品数が少なくなります”との、但し書きがあるのです。それは承知の宿泊です。

食事中、他のテーブルをそれとなく、配善時とか、帰り際とかに、素早くチェックしたのですが、品数だけでなく、材料にも差がありまた。でも、それは、それで、仕方がないことですし、それでも、十分満足でした。兎に角、少しでも“支援”なのです。

因みに、一般料金が“1万2千円”ほどですが、特別割引では“8千4百円”なのです。でも、今日調べたら、最近は居住地域に関係無く“9千百五十円”の期間限定割引(料理の内容は一般料金と同一)キャンペーンをやっていました。

これは、きっと、かなり、宿泊客が少なく、客室20室の旅館ですが、かなり経営が厳しいのかも知れません。12月を越せば雪が積りスキー客が増え、一息つけるのでしょうか? でも、近所にスキー場はあったけ?


兎に角、福島は、いろいろ厳しい、冬の季節に入ります。


皆さん、期間限定割引を利用して、福島県岳温泉に行きましょう。

※詳しくは、「岳温泉観光協会」のホームページを見て下さい。

http://www.dakeonsen.or.jp/cgi-bin/dakeonsen/news.cgi?id=127


それでは、また次回。





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③ 福島岳温泉は静かで落ち着いた温泉地

2011年12月08日 | 旅の話し
約一週間ぶり、兎に角、岳温泉シリーズです。

それで、温泉街の入り口に立ち、これより坂道を登ります。平日の夕方、ホントに誰も歩いて居ないんです。

ひなびた温泉には、それなりの“風情と趣”がありますが、寂れつつある温泉には、何とも、言い難い、“静寂とうらぶれ感”が漂うのです。


私としては、こういう風景が好きなのですが、温泉街の入り口にこれは、やっぱり一般的にはチョットねェ~です。ここはベニヤ板で目隠しをして、観光ポスターの掲示板とか案内板にした方が、兎に角、見栄えが良いと思います。


こちらは、温泉街で一番規模の大きかった?と思われる閉鎖したホテル、後で泊まった旅館で聴いたところ、こちらは震災前に閉鎖されたとの事。中心部にありよく目立ちます。


こちらも、かなりの規模の“ホテル安達屋”こちらも、震災前の2009年の倒産だそうです。


負債総額は約16億円で、従業員23人を解雇したそうです。明治36年創業の老舗旅館で岳温泉の中でも知名度が高かったそうです。

昭和59年に本館、平成2年には約5億円を投じ新館を建設、客室数は56室、300人収容の旅館だったそうです。大きいところから、団体客相手から、順番に潰れていくのです。

それにしても、平成2年と云えば1990年でバブルの頂点でした。この時の新規投資が命を縮めたようです。先を読むのはムズカシイものです。

こちらは、


和風旅館の“松渓苑(しょうけいえん)”


近づいてみると、玄関に一枚の貼り紙が、


こちらは、今回の震災で閉鎖されたようです。株式会社“佐藤旅館”が“松渓苑”を経営しているようです。

105年続く老舗旅館で、経営者の方は震災前は「岳温泉観光協会」の会長さんだったようです。大地震で大浴場や露天風呂など九つの風呂がすべて壊れたそうです。

風呂以外にも客室の天井が落ち壁も崩れ、修繕費は約3500万円ぐらい必要だったそうですが、震災前からの負債が約7億円もあり、銀行としても、今般の“いろいろな事情”を考慮し、貸し付け不可との結論を下したらしいのです。

社長が58歳で、妻の“元女将”が56歳で、若女将が26歳で、これからも、まだまだ、十分に、やっていけそうに思えるのですが、銀行としては、岳温泉の将来は明るく無いと判断したのでしょう。

そんな、こんなで、“松渓苑”は震災の“12日後”に廃業を決定したそうです。それにしても、四代目社長の何とも、素早い決断でした。“ある事情通”はあきらめが早すぎたと嘆いているそうです。

いろいろ大変な岳温泉に、ほんの少し応援にと思って来たのですが、かなり状況は厳しいようです。不況で少子高齢化で人口減少の時代、個人客相手の小さな旅館だけが生き残るのでしょう。

団体客のバカ騒ぎの大宴会時代は終わり、ストリップ小屋も、大きなホテル・旅館も消えて、個人客を相手に、静かで落ち着いた温泉地として、岳温泉は、これからも続いて行くのでしょう。

今日は、これで、寂しく、終わります。


それでは、次回。


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② 福島岳温泉“ソースカツ丼”と“煮込みカツ丼”どっちがフツウ?

2011年12月02日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

夕食前、温泉街の偵察に出発します。岳温泉は、そこそこの坂道の両側に旅館街が形成されています。道の真ん中を流れる渓流的水路が、なかなかケッコウなのです。我々の宿はほぼ坂の途中に位置しています。


先ずは坂を下ります。観光客の影も、店の人の影も、気配もない温泉街のお土産屋さんです。


ひょいと見上げると、“岳観光劇場”の看板。これは温泉地の定番である“ストリップ劇場”に間違いないと踏んだのです。看板下の路地に入ります。


日が沈む前、人影のない温泉街のストリップ小屋。これは、もう、うらぶれ感漂う演歌の世界と、期待に胸膨らませ路地を進み、キョロキョロ歩いたのですが、それらしき建物も、それらしき痕跡も、発見できませんでした。


この温泉街では、もうストリップ小屋は経営的に成り立たなくなったのです。団体客が少ないのです、むかしは盛んだった企業の慰安旅行には、なくてはならない施設でした。でも、しかし、家族連れの観光客には必要のない施設です。

そんな、こんなを考えながら歩いていると、なかなかの枝ぶりで、なかなかの老木の下に“居酒屋庄助さん”です。


でも、ねぇ、この“アルコール管理局”の看板。面白くもなく、可笑しくもなく、洒落になっていません。


“アルコール管理局”ですかァ?何だかなァ~と思いつつ、温泉街の入り口に出ました。丁字路の交差点になっています。左手は食堂。 


突き当たりは共同浴場です。何やら、爺ちゃんと婆ちゃんが入り口で世間話しをしているようです。


右手には、人っ子ひとり居ない“福島交通岳温泉駅”です。駅と云うよりも、バスの発着場です。“駅”と云う文字に、繁盛した時代の名残を感じてしまいます。


それで、左手の食堂ですが“旨い・ソースかつ丼”の垂れ幕。こちらでは、かつ丼と云えばソースかつ丼が主流のようです。“昭和三十年から変わらぬ味”とか“元祖”とか書いてあります。ナメコ汁にお新香が付いて、ロースが950円、ヒレが1000円とあります。

因みに、新潟でふつうに“かつ丼”と云えば“タレかつ丼”になります。この店ではわざわざ“ソースかつ丼”と表記しているところをみると、この地域でもソースかつ丼はそれほど普及していないのでしょう。

向かいの“多夢炉”では、メニューに“煮込みかつ丼”となっています。ソースかつ丼は扱っていないのです。それと、わざわざ“煮込み”と入れた処に、ソースかつ丼への対抗を意識を感じます。ソースの方は“成駒さん”一軒で頑張っているようです。


それと、成駒屋さんの壁には、こんな貼り紙がありました。


栃木県警の方々が利用されるようです。派遣部隊とは自衛隊のこと? 皆さん、こちらで英気を養い、再び災害現場に向かうのでしょう。ご苦労様です。

これから、上に向かって温泉街を端から端まで隈無く偵察します。


本日はここまで。


それでは、また次回。

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① 福島県の岳温泉に行って来ました。

2011年11月30日 | 旅の話し
タイトルに“福島県の岳温泉に行って来ました”と書いたのですがァ~、なんせ、行ったのが10月の20日ですから、あれからもう、かれこれ一ヶ月以上も歳月は流れているのです。

それでも、写真を見直し、思いを呼び覚まし、時を引き戻し、あの時、あの場所で、見たこと、感じたことを、あたかも、昨日のこと?のように、綴ってみたいと思うのであります。

それで、何故?福島?で、何故?岳温泉?と云えば、思い起こせば4年前の秋、連れ合いと二人で岳温泉を訪れているのです。その時から、母が、私も、いつか、きっと、行きたいと云っていたのです。(※その時の話しは2007年10月23日から11月13日まで19回のシリーズ綴っています)

行きたい、行ってみたいと、早、4年の歳月が流れ、そして、今年、東日本大震災で東電福島第一原発の原子炉爆発で放射能汚染です。

岳温泉付近の放射線量は“0.2マイクロシーベルト”前後で推移、我が家の周囲とそれほど差はありません。それでも母は“福島は・・・ちょっと・・・大丈夫?・・・”と、ちょっと気の進まぬ母に、兎に角、行くことで、それなりに、東北の、福島の、復興支援になるのだと説得し、今回、旅に出掛けたのです。

東北道は所々で復旧工事で車線規制があり、一番渋滞したのは、目的地の二本松インターの手前で、渋滞と云うよりも何度も、何度も、流れが止まり、尺取り虫状態でした。


こちらは急ぐ旅ではなく、旅館のチェックイン時間にかなり早かったので、丁度いい時間調整でした。

予定どうり、3時5分前に旅館到着。


こちらは、ご夫婦でハーレーに跨がり温泉旅行。50代とお見受けしました。イイですねェ~。


なかなかイイ感じです。


玄関前の太鼓橋、これも、イイです。


でも、しかし、このフロントの、土足を脱いで、畳敷き、そして、カーペットのフロアー、この畳敷きの狭い出っ張りの意味が判らん! 年寄りには邪魔くさい!


チェックインはこちらに座って記入。


高齢者が居ると云っておいたので、エレベーター前の部屋でした。部屋数は20室の旅館。


部屋は一応二間です。この小さい2畳ほどの部屋はどう使うの?


布団は敷かれていました。寝具は、さっぱりと綺麗で清潔で合格。


時間も早く、わたくしは、おふくろを部屋に残し、温泉街の偵察に出発します。


偵察の報告は次回とします。


それでは、また。


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福島・新潟に行って来ました。

2011年10月31日 | 旅の話し
先週と先々週は、月曜日と水曜日の週二回の更新でした。

実は、実は、先々週は水・木で福島県の岳温泉で湯に浸かり、


高原をドライブし、


朝霧の中で煙る紅葉を眺めたりしたのです。



そして、先週は金・土で新潟県は、新潟市内を歩いたり、



早朝、萬代橋を渡ったり、


信濃川沿い遊歩道を河口に向かって、歩いたりしたのでした。


まあ、今朝も、まだ、それなりに、旅の疲れが残っておりまして、“都心歩きシリーズ”はお休みです。

福島の話し、新潟の話し、いろいろあるのですが、“都心歩きシリーズ”も、まだ、道半ば、しっかり、きっちり、片付けてから、綴って行きたいと思います。

それにしても、“岳温泉”はかなり心配です。地震と“原発事件”が最後の“とどめを刺して”しまったような・・・・・・。

それと、新潟ですが、それが、予想外に、とても、とても、素敵な街でした。さすがに、日本海側で最大の都市であり、日本海側で唯一の“政令指定都市”は、伊達ではなかったのでした。

まあ、そんな、こんなは、そのうちに綴りたいと思うのです。

それと、今週末は人間ドックです。


それでは、次回。









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十和田湖あたり

2011年08月05日 | 旅の話し
十和田湖あたりです。

































十和田湖あたりでした。


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白川郷あたり

2011年07月21日 | 旅の話し































白川郷でした。


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大洗港あたり

2011年07月18日 | 旅の話し




























大洗港あたり、でした。

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