歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

新潟市⑪ スマートウェルネスシティーにいがた!?

2012年02月09日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

運転マナーの良さに感激しつつ、その先のバスターミナルを覗いてみました。

写真奥の方から歩いて来て、ふり返って撮っています。

手前より、イイ匂いが漂って来たので店を覗いたら、今川焼きの“焼き台?”の脇にスライスされた“沢庵”が皿の上にのって置かれていました。これは、もしかして!? 新潟では!沢庵を!今川焼きの中に!???と思ったのです。

でも、看板を見ると“大判焼き”と“おにぎり”の両方を商うお店だったのです。たまたま、今川焼きの脇に、沢庵が置かれていただけだったのです。

“イタリアン”が新潟の名物ですから、もしかして?と思ったのですが、いくらなんでも、そこまでは・・・・・・でした。

それと“大判焼き”と云う名前ですが、私としては、どちらかと云うと“大判焼き”よりも“今川焼き”と呼ぶ方に馴染みがあります。今川焼きの大きいのが“大判焼き”と云う説もあります。この店は、どちらかと云うと“中判焼き?”

“大判焼き”と“おにぎり”を食べながらバスを待つ・・・・・・。なかなかの風情です。


赤い屋根にツヤ消しの銀バス。この、“しみじみ”とした色彩は、荒れ狂う波、舞い上がる地吹雪、海岸線をひた走るローカルバス・・・・・・・、とても絵になります。哀愁です。演歌です。

ベンチに腰掛けるオジサンも、とても“しみじみ”していました。


しみじみとした薄暗いバスターミナルの外は、大きな青い空で、とても爽快です。


重量感のある萬代橋。


良く整備された信濃川沿いの遊歩道。毎朝歩きたいです。


“ウォーターシャトル”乗ってみたかったのですが、ちょっと時間が合いませんでした。


広く、広く、青い、青い、空に、高く、高くそびえる朱鷺メッセ。


漁船です。途中“ここは港とです”の標識がありました。直ぐそこは日本海なのです。


“ウッドデッキ”もあったり、


定員12名のこんな船とか、


こんな標識があったりします。かなり歩いたと思っていたら、まだ1㎞だったのです。

※この標識の“スマート・ウェルネスシティー”なんですが、これは単に、新潟市が考えたキャッチコピーでは無く、かなり、いろいろと、深く、広く、いろいろと事情がありそうなのです。


“柳都大橋”の橋の下から覗く朱鷺メッセ。


フツウに眺める朱鷺メッセ。


“新潟テレビ21”のスタジオ。


消防艇?


新潟消防局の消防艇です。放水銃がカッコイイです。


こちらは?


“漁業取締船”何てものがあるのです。どんな仕事をしているのでしょうかね。


“取締船”の後ろは、集魚灯があったり、


網を引き上げる装置があったり、こちらは“取り締まられる側”のトロール船でしょうかね。


目指す“みなとぴあ”はもうすぐです。


きょうは、ここまで、これから、“スマートウェルネス”の関係を調べます。何か?面白そうな匂いがするのですが、でも、勘がハズレるかもね。

それでは、また。


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新潟市⑩ 素敵な人が多く暮らす素敵な街

2012年02月07日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

SLを見て汽笛を聴いて感動して、お土産を孫に送って、ヨカッタ!ヨカッタ!で新潟駅を後にします。

駅前を来た時と同じ、球状に刈り込まれた花と、風にそよぐ柳の脇を通って萬代橋に向かいます。それにしても、この球状に刈り込まれた花は珍しいです。たぶん、見るのは生まれて初めてです。


途中からメインストリートを外れ脇道に入りました。この方向を行けば、きっと萬代橋へは近道の筈です。


青い空に銀杏。色づくまでもう少しです。柳都と云われるそうですが、銀杏もそれなりに植えられています。


それで、この交叉点なのですが、信号が青になっていたので、待つことなく横断していた、その時です! 向かい側に左折の合図をしてタクシーが、交叉点のかなり手前で停止しているのです。


交叉点の手前ですよ! こちらとの距離、速度の差から、当然、タクシーが目の前を横切って行くものと思ったら、タクシーはハンドルを左に切らず、こちらが横断歩道を渡りきるのを待って、左折し走り去ったのです。

その時、もしかして客待ちで停まっているのか?と思ったほどです。あの距離であれば、わたしでも歩行者の横断を待たずに左折した筈です。

歩行者を優先するにしても、ハンドルを左に切って横断歩道の直前で、歩行者が渡るのを待つのが普通です。これですと、歩行者としては、かなり“オィ!モタモタしてないで、サッサト渡れッ!”との、無言の圧力を感じてしまうのです。

この“交叉点かなり手前停止方式”は、とても、とても、人の気持ちに優しく、柔らかく、心地よく、これならまだ“ニホンは大丈夫”何て気持ちにしてくれました。

実は、ここまで褒めちぎったのは、これが初めてではなく、昨晩、食事の後の散歩でも、この日、駅に向かって歩いて来た時も、経験しているのです。最初は単なる偶然だと思っていたのですが、三回も経験したのですから、これは、もう、偶然ではないと二人で確信しました。

新潟市には、せかせか慌てず、ゆっくり、おっとり、他人を思い遣る、やさしい心を持った、とても素敵な人達が多く暮らす、とても素敵な街なのだと、思ったりしたのです。

新潟市は、横断歩道を渡るだけで、とてもイイ気分にさせてくれる、とてもイイ街なのです。

心残りは、渡っているときに気付いていれば、車に向かって笑顔で挨拶をしていたら、もっと、もっと、イイ気分になれた筈でした。ホントに残念至極。一泊の旅では、まだ心が柔らかくなっていなかったのです。

でも、少しでも、こういう気持ちになれるのも、非日常の旅のお陰かも知れません。

ホント、新潟に来てヨカッタ!ヨカッタ!です。ホント、旅に出てヨカッタ!ヨカッタ!です。これが、三つ目の“予定外”だったりして?

いゃ。まだ、まだ、イイ予定外がありそうな気がします。


新潟市民を褒めちぎったところで、本日は、お終い。


まだ、まだ、新潟歩きは続きます。


それでは、また。

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新潟市⑨ “SLばんえつ物語”に遭遇

2012年02月06日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

新潟駅の構内に入ります。入ると直ぐに改札口。


旅人?が改札口より出て来ます。孫と同じ年格好の可愛らしい女の子も居ます。


この列車で到着したのでしょう。


わたくし、新潟駅は一度だけ、このホームの、この辺りを歩き、狭く暗い改札口の、その先に広がる、新潟駅前の、こんな景色を、垣間見た記憶がボンヤリとあるのです。

あれは、15、6年前の事だったでしょうか?上越新幹線から羽越本線に乗り換え、鶴岡駅近くの“ある音響メーカー”に一人仕事で来たのです。朝一の新幹線を使って日帰りも可能だったのですが、夕方の鶴岡着で一泊出張にしたのでした。それほど煩くない会社だったのです。

それで、そのとき、帰りの列車で、斜め前に進行方向を背にして、年格好は30歳後半の女性が窓側に腰掛け、まさに、鉛色の空と鉛色の海を見つめていたのです。季節は冬、女性は黒のジャケットに黒のスカート、喪服のように見えました。

在来線の鈍行列車、車窓には荒れ狂う冬の日本海、海を見つめる喪服の女、これはもう、誰が、何と云おうと演歌の世界です。わたしは女性に気付かれないように、時折それとなく海を見つめるふりをして、女性の様子を窺い、いろいろと想いを巡らし、酒の肴にしてひとり旅を楽しんだのです。

まあ、そんな想い出の新潟駅なのでした。もしかして、そのときのその想いが、今回の新潟旅行のキッカケかも・・・・・・知れません。

まあ、そんな、こんなに想いを馳せつつ、辺りの様子を観察します。こちらは佐渡汽船の運航表です。一時間に一本程度の間隔で船が出ているようです。


ウロウロキョロキョロしていると、構内アナウンスが流れ、蒸気機関車の出発案内を告げているのです。出発時間まで10分ほど、これは、もう、見なければなりません。ちょうどその時、巡回する警察官が眼に入り、SLが見える場所を教えてもらい、早速その高架通路に向かったのです。

居ました!初めて見る、ナマの、ホンモノの、現役の、蒸気機関車です。


C57-180です! 新潟と会津若松間を走る“SLばんえつ物語”です。


出発合図の汽笛、初めてナマで聞きました!もう!驚いた!なんの!耳鳴りが暫く残る、ものすごい迫力です、久しぶりの興奮です。出張らしきスーツ姿のビジネスマンも、脚を止め携帯を向けていました。


この煙の匂い、とても懐かしかったです。


何とも、蒸気機関車は、


眼にも、


耳にも、


鼻にも、心地良いのです。


興奮冷めやらぬまま、二人で、暫く、後ろ姿を見つめていました。丁度良い時間に駅について、予定外にSLの発車に遭遇し、感動し、運がヨカッタ!ヨカッタ!と、喜び、いつか、きっと、二人で、あの汽車に乗ろうと話しながら、後ろ姿を見送ったのです。

昨日は、予定外の“日本海に沈む夕陽”そして、今日は予定外の“SLばんえつ物語”との遭遇。今回の旅は、なかなか良い予定外があるのです。“二度あることは三度ある”です、あとひとつ予定外の楽しいことがあるかも?

SLの後は、駅に来たのですから、お土産の物色です。新幹線側の駅ビルを覗きます。

この店の名前、何処かで見た覚えがあります。ショーケースに並ぶ“瓶詰め”を見て思い出しました。先日、姪から送って来た、イクラ、鮭、貝柱の瓶詰めでした。そうか!そうか!そう言う値段か・・・、と思いつつ、他の店に向かいました。


おみやげは、もちろん!カワイイ孫に送るのです。あられ、お煎餅、おかき類が好きなので、ここにしました。孫は辛党なのです。


連れが、宅急便の伝票を書きます。

これで、明日にはお土産が配達されます。

さて、お土産は送ったし、次は、萬代橋に戻り、川辺を歩きます。


それでは、また。


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新潟市⑧ 朝食は無料です

2012年02月04日 | 旅の話し
まだ、新潟の話しは続いてます。

それで、宿に戻って朝食です。

こんな感じの1階のフロアーで頂きます。セルフで食べ放題なのです。何たって朝食は“無料”なのです。まあ、無料と云っても、実質的には宿泊料金に含まれているわけですが、兎に角、二人で一泊7480円ですからね。


ちょっとした煮物に、漬け物に、パン又はおにぎりに、味噌汁、野菜ジュース、なのです。朝食はこれで十分です。連れはパンとおにぎりを各一個でしたが、おにぎりが美味しかったのでもう一個食べたのです。


さすが米どころ新潟です。おにぎりがとても美味しかったです。


仕事の方達は、かなり急いで食事して、慌ただしく出掛けて行きます。こちらは、遊びですから、二人でゆっくり頂いたのです。食後はコーヒーもゆっくりで二杯も頂きました。

それと、おかずは時間帯でかなり変化するようです。散歩から帰って部屋に戻る時には、厚焼き卵を見かけ、食事を終わって部屋で休憩して、チェックアウトする時にはソーセージがあったのです。朝食には、やっぱり、ソーセージと卵焼き食べたかった・・・・・・。

今度、何処かで、東横インに泊まった時は、そのへんも、十分気をつけなければ、と、思ったりしたのです。食べ盛りの頃は貧しかったので、食い物はへの想いは今でも強いのです。食べ残しは絶対にしないのです。

それで、無料の朝食を済ませて、部屋で一休みしてチェックアウトです。車はホテルの駐車場に預け、市内の散策を開始します。


新潟市と云えば、誰が、何と、云おうと、“新潟ブルース”にも歌われている、“萬代橋”と“新潟駅”それと“古町通り”です。古町通りは、昨日、日本海に沈む夕陽を見た帰りに通過して来ました。

先ずは、萬代橋を渡って新潟駅を目指します。


人も、車も、朝の散歩時より増えています。


1階にバスターミナルがあったビルだったかも?


ホントに良い天気でした。


この先の突き当たりが“新潟駅”です。


第一高等学院新潟校の生徒は頑張っています。


駅前の通りは銀杏並木で歩道も広く、それなりに有名な会社の地方支店が並んでいます。

連れが、歩道も広く町並みも整備されているのに、いたく感心していました。もっと田舎町をイメージしていたようです。


これも、なかなかイイです。


新潟市は、政令指定都市で、日本海側で一番の“大都会”にのでした。


新潟駅が見えて来ました。駅舎は装飾的なものはいっさい無く、かなり質素で地味なデザインになっています。50年ほど前の建築のようです。


駅前は、こんな感じ、


こんな感じ、で、これはとても手入れが行き届き綺麗でした。新潟市は“柳都”と呼ばれるそうで、柳があるのです。それと、新潟では何故か“芸者さん”を“柳都さん”と云うそうです。


こんな感じ、


こんな感じ、でした。


その町に着いたら、その町の玄関、駅前を、駅舎の中を、見なければいけません。

それでは、次回は駅舎の様子を探る事にします。


では、また。

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新潟市⑦ やっぱり美川憲一で新潟ブルースです!

2012年01月31日 | 旅の話し

先週の続きです。

まだ、新潟市内を歩いています。

来た時とは、反対側の歩道を歩いています。

萬代橋を渡り終え、すこし行ったその先に、何かの碑のようなものが見えて来ました。萬代橋の周辺には、いろいろな碑が建っているようです。何たって萬代橋と云えば、東京の日本橋と互角の“重文”ですからね。


やっぱり!ありました! “新潟ブルース”の歌碑です。


歌が流行ったのが、昭和42年(1967年)あの“美川憲一”のヒット曲です。“黒沢明とロス・プリモス”との競作だったそうですが、美川憲一の記憶しかありません。

市政100周年は1989年(平成元年)ですから、碑が造られて22年。曲がヒットしてから45年。

想えば、45年前はわたくし、まだ高校生の頃でした。こんな詞を、どんな気持ちで聴いていたのか?あれから、いろいろとあって歳月が流れ、いま、こうして新潟を訪れ、ひとり歌碑に向かって立っているのです。

美川憲一の声が聞こえてきます。歌詞をじっと見つめていると、それなりに味わい深いのです。萬代橋の傍らで“新潟ブルース”は、とても、とても、心は旅愁になるのです。

しばし、歌碑の傍らで、旅の寂しさを味わい、そして楽しみ、休日の人気の無い街を、宿に向かってひとり歩きはじめます。宿では“連れ合い”が帰りを待っているのです。


こちらも、やっぱり!の、新潟で“江戸前”の“万代寿司”です。萬代橋の側にあるから万代寿司。かなりストレートな命名です。店の外観は、“重文”の萬代橋と同じく、かなり歳月の移ろいを感じさせます。


こちらは、欄干だけが残る“鏡橋”この辺りは昔、掘り割りが多くあったそうです。新潟国体(1964年)向けて、いろいろ町並みが整備され、昭和30年代末頃までにすべて埋められたのでした。これは、その名残の欄干です。


もうすぐ宿に着き朝食です。


それでは、また。


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新潟市⑥ 萬代橋は“重文”で信濃川は千曲川です

2012年01月28日 | 旅の話し
先日の続きです。

高浜虚子さんの歌碑の先には、市内で、ロケーションと、料金で、たぶんナンバーワンかも?知れない“ホテルオークラ新潟”があります。

“この際?だから、奮発して!泊まっちゃうか?”何て、血迷ったこともあったのですが、やっぱり諸般の事情を熟慮し諦めたのでした。


12月の13日に“クリスマスディナーショー”です。女性演歌歌手ナンバーワンですから料金は3万円から3万6千円です。う~ん。石川さゆり・・・ですか、生で、観てみたい、聴いてみたい。


11月20日は、未だに“偽物”と間違われる親爺の名前を、継いだと云うか、貰ったと云うか“林家菊久蔵師匠”です。こちらも親爺の名前を、継いだと云うか、貰ったと云うか桂春蝶師匠。政治家も、芸人も、2代目、3代目の時代です。

さあ、いよいよ、憧れていた、夢に見た? 萬代橋を渡ります。


朝焼けの空をバックに“朱鷺メッセ”が見えます。


まさに、朱鷺色?に輝く空・・・・・・。今日は晴天です。


渡り終わり、振り向くと、朝日に照らされたホテルオークラ、やっぱり最高のロケーションに建っています。


渡った橋の袂には、何やら、いろいろと建っています。


何だろう、この緑青風に装飾された看板は?と近づいて見ると、


萬代橋が重要文化財であるとの説明でした。そうなんです!ニッポン広し?と云えど、橋で“重文”は東京の日本橋と、この新潟市の萬代橋だけなのです。


こちらは橋のいろいろな説明です。


由来とか、


構造とか、特徴とか、記されています。ここで、橋の長さ見ていて思い出したのです、橋の長さを歩幅で測るのを忘れていました。これで、やっぱり、虚子先生の歩数も、やっぱり、後で、弟子に歩かせたとの思いを強くしたのです。


橋の先には、長~い、長~い、長~い、バスの停留所がありました。


ふり返って、しみじみと眺めてしまいました。こういうのは生まれて初めて見ました。何でも、生まれて初めては楽しいのです。


バス停の向かいでは、ビルの工事が進行中です。私は工事現場好きなのです。道路を横断します。


“新潟日報”の社屋を建設しているようです。


クレーンの林立する風景はワクワクします。来年の今頃には完成するようです。


そろそろ萬代橋を渡って、宿に戻ることにします。


信濃川の風景、信濃の国では千曲川と呼ばれ、越後の国に入って信濃川、日本で一番長い全長367キロメートルです。もう、あの先は日本海。

※それにしても、千曲川と信濃川が同じ川だったとは、還暦を過ぎてから知りました。学校で習ったっけ?

時計を見ると、もうすぐ7時、宿に戻り朝食です。


続きは、また来週。

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新潟市⑤萬代橋は“千二百七十歩なり露の橋”

2012年01月25日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

新潟の夜が明け、いつもの朝と同じ時間に目覚めました。

トイレに行って、ベット脇のパソコンを起動して、メールを確認して、ブログのアクセス状況を見て、ニュースをチラット見て、窓の外を確認して、着替えをして、ひとりで朝の散歩に出発です。

6時20分過ぎにホテルの玄関を出ました。


こんな通りにホテルは面しているのです。


人影も、車の影も少ない土曜日の、新潟市の、萬代橋通り?の、上大川前交叉点の、早朝風景。


初めての、遠くの、知らない街を、ひとり歩く、ワクワクします。

新潟米の“シュー”が、何と!5個入りで“390円”ですか? まさかクリーム無しのシューだけ?そんなことはあり得ませんから、きっとカワイイ一口サイズなのでしょう。一個78円です。 


新潟市は、日本海側で唯一の政令指定都市で、人口は80万人の大都会なのです。かなり、都会ぽいビルです。地震が来たらかなり危ない気がします。新潟は災害の街なのです。


萬代橋が近づいて来ました。


何やら、傍らに、石碑です。


歌碑のようですが、文字がヘナヘナで読めません。


あの“高浜虚子”の歌碑のようです。「千二百 七十歩なり 露の橋」ですか・・・・・・・。虚子らしく、大変具体的で判り易く、きっちり五七五で詠んでいます、がぁ、う~ん、唸ってしまいます。こんなんで俳句なの?


だいたいですよ、橋を渡るときに長さを歩数で測ると考えていても、下流の景色を見たり、上流の景色を見たり、川面を眺めたり、空を見上げたり、考えたり、歓心したり、いろいろしたりするのです。

いろいろ見たり、感じたり、考えたりしていたら、絶対に歩数を忘れるのです。渡りはじめから終わるまで、569・570・571・・・1124・1125・1126・・・・・・何て、“伊能忠敬”じゃあるまいし、ホントに本人が数えたのでしょうか? 

もしかして、ホントに虚子自身が、「いいか!みんな!これから俺はこの橋を何歩で渡れるかを数え、その歩数を歌に詠む、気が散るから、脇で余計な話しを絶対するな!」と宣言したのでしょうか。まぁ、それは、それで、面白いですけどね。

私の想像では、渡った後で、先生是非記念に一句となり、歌を捻っている時に“橋の長さを歩数で表現したら?”と思いつき、傍らの弟子に歩かせてその歩数を報告させたのでは?と思うのです。

それで、1270歩で橋の長さ782㍍を割ると、一歩が57.3㎝となります。歩幅は身長から100㎝を引いた値が標準だそうで、歩いた方の身長は157㎝と推定されます。

そこで虚子の身長を調べてみたら、何と!何と!180㎝の大男とか、137㎝の小男だと面白かったのですが、そのような身長に関する記述は発見できませんでした。

まあ、誰の歩数でも、この「千二百 七十歩なり 露の橋」を詠んだのは虚子に間違いありません。兎に角、萬代橋の袂の傍らには、高浜虚子が50歳の“露の頃”に詠んだ句碑があります。


さあ、三代目の萬代橋307㍍は目の前です。何歩で渡れるか数え?・・・・・・ます。


それでは、次回。


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新潟市④ 夕食後は街を漂い萬代橋で面影と哀愁

2012年01月23日 | 旅の話し
先週の続きです。

それで、5時半過ぎ、そろそろ夕食と云うことで、下調べをしておいた店に向かいました。夕食を何処にするか、ネットで検索していろいろ思案の末に決定したお店です。

店の選考基準は、宿から徒歩15分程度で、和食で、個室で、料金は二人でそこそこ食べて、そこそこ飲んで1万円以内でした。最終選考に残ったのは3件、その中で料金的に一番リーズナブルだったのです。個室を選択したのは、タバコの煙を極力避けるためです。

いま、“やらせ”が噂の“食べログ”は、参考にはしませんでした。特に、この手の“旨い・不味い”評価はまったく当てになりませんからね。素人の料理評価は“好きか・嫌いか”であり、“旨い・不味い”はナカナカムズカシイのです。

まぁ、そんな事はどうでもイイのですが、兎に角、ホテルを出て、先ずは左に曲がって数十㍍行って、広い通りに出て、そこを左に曲がって百数十㍍行った左側、地図で記憶した所に、間違い無くそのお店は有りました。


メニューを拝見。


この手の書き方は、いまいち読み取りに苦労します。最近、この手の“落書き?”スタイルが流行りなの?


先ずは、付き出しで一杯。私は中生、連れは酎ハイ、それで、この酎ハイなんですが、かなり濃い感じがしました。1杯で1.5杯分かも?


それで、食した料理は、舞茸の天ぷら。


舞茸のホイル焼き、


ホタルイカの沖漬け、


サンマの刺身、


紙かつ・・・新潟名物のタレカツ丼のカツの部分をつまみ風にアレンジしたそうです。


秋鮭のハラス・イクラ添え、


旬の特上にぎり、


追加で、コハダとホタテ、


それぞれ、マアマアのお味でした。“紙カツ”はかなりボリュームがありました。“秋鮭のハラス・イクラ添え”は、少々塩分が強く、酒のつまみよりも、ご飯のおかずに向いています。

やっぱり、新潟の名物料理は、誰が、何と云っても、“イタリアン”に“タレカツ”のようです。お米の旨い土地では、料理は発達しない傾向があるのかも?

6時ごろに食事を始めて、終わったのが7時半頃、ほぼ1時間半の滞在。以上の料理を頂いて、料金は8千5百円程度でした。

腹ごなしに夜の繁華街を歩きます。金曜日の8時前でこの寂しさです。


“幼稚園座り”の可愛い女の子がひとりでベンチに佇んでいます。こんな所で独り佇むのは可哀想です、隣にお友達か姉妹を座らせて下さい。


変な格好の女の子達が、何やらチラシを配っていたのです。振り返り暫く様子を眺めていたら“連れ”が「ハロウィンの仮装じゃない」の一言で納得。


新潟の夜は、とても寂しく、哀愁と云うか、旅愁と云うか、それなりに旅人の、眼に、心に、いろいろと、染みこみ、囁き、なげかけてくれました。


新潟交通の路線バス、艶の消えた“銀ネズ”の車体が哀愁を湛えています。


新潟と云えば、誰が、何と云っても、萬代橋です。ここに立つと、“ホントに新潟に来たんだァ!”との想いがしてくるのでした。


あちらに見える高層ビルの明かりが“朱鷺メッセ”だと思います。


夜景を眺めながら歩く“夜の萬代橋” 新潟の夜は“面影の街”でした。

夜の街を漂い、それなりにお腹もこなれ、それなりにロマンチックになって、二人でホテルに戻ります・・・・・・・。

本日はこれでお終い。


新潟話しは、まだまだ続きます。



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新潟市③ ホテルの部屋の明かりが点かん!

2012年01月19日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

それで、フロントでチェックインして「鍵」を受け取って、部屋は4階でエレベーターに乗って降りて、廊下を歩き、降りてから3部屋目のドアを開け部屋に入ったのです。

さて、部屋の明かりを点けようと、入って直ぐの壁にあるスイッチを押しても、部屋は暗いまま、それではと、暗い部屋の中にそろそろと入って行ったのです。

ベットの脇のスタンドのスイッチを引っ張ったり、壁のスイッチを入れたり、鏡の前のスイッチを入れたり、バスルームのスイッチを入れたり、何処を、どうやっても、明かりはまったく点かないのです。

いったい?これは?どうなってるの?もう、これは、絶対に!何らかの故障であるとの結論に達して、フロントに降りて行ったのです。

フロントのお嬢さんに「部屋の明かりが点かないけど」と云ったら、「部屋を入って直ぐの壁にキーホルダーを差し込んで下さい」と、涼しい顔で告げられたのです。

“なに!そう云う仕掛けなの”ホテル側の不手際と思っていたら、こちらの不手際?だったの?でも、しかし、そう云う“仕掛け”を何故に、事前に説明しないのか?と思ったのです。

でも、でも、インターネット予約で、ネット決済している客だし、見た目にも、そんな仕掛けは十分承知の旅慣れた、“ビジネス”に泊まり慣れた客と判断されたのだ思うことにして、まあイイかと、納得する事にしたのです。

それにしても、退職してから10年とチョットの歳月が流れ、ビジネスホテルも変わっていたのです。働いていたあの頃は、年に数回、地方のビジネスに宿泊していたのですが、そんな仕掛けに出会ったことは有りませんでした。

何か、チョット、情け無い気分でエレベーターに乗ったら、30代と思われるカジュアルな服装の男性に、

「部屋に入って電灯が点かなくて、フロントに聞きに居いったのですが、最近は何処でも、キーホルダー差し込み方式なんですか?」

「ええ、そうみたいですね。私も初めての時は戸惑いましたよ」生真面目そうな表情で、私の方に視線を向けて答えてくれました。

「そうですかぁ~、やっぱりねぇ~」

「お先に」と生真面目な男性は3階で降りました。ビジネスマン風でも無く、単なる物見遊山の旅行者風でもなく、あの服装、あの荷物、あの言葉使い、あの雰囲気、たぶん、彼は、東京本社の技術屋さんで、工場に新製品の立ち上げで来たのでは?・・・・・・。

まあ、それで、4階に着き部屋に行くと、連れが「判ったわよ!直ぐに呼び戻そうとしたらもう、エレベーターのドアが閉まって降りって行ってしまって」と云うのです。

キーホールダーを壁の穴に挿入すると、確かに、間違い無く、明かりは灯ったのです。


明るく広い部屋で、ベットも110㎝でゆったりでした。ツインで一泊7480円と云う安さ。何か昔はもっと狭くて、暗くて、シングルで6千円位だったような記憶があります。ホテル業界もデフレ?


兎に角、明かりも灯り、部屋に荷物を下ろし、一息ついて、晩飯を食べに街に出ます。

部屋の“明かり話し”が予定より長くなってしまいました。

この続きは、次回とします。

それでは、また。

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新潟市② 日本海に沈む夕陽をミタ!

2012年01月17日 | 旅の話し
“新潟旅行話し”の第1回目から一週間が経ってしまいました。この間、いろいろとあってブログを更新するのが、チョットばかし気乗りしなかったのです。

でも、やっと、そろそろ気分もそれなりに回復して来たのです。更新しても、しなくても、アクセス数にはあまり変化が無いのも、チョットばかし何なんですがね。

昨日は、何故か?“阿部定事件”関連の記事に“125件”のアクセスがありました。いったいどうして?と、思ったら、巷では 「男性・全裸・遺体・陰部・切断」事件があったようで、その関連でアクセスがあったようです。

これで犯人が“妖婦”であったなら、これは、もう、まさに、平成の「阿部定事件」です。あの頃から“恐慌で軍国主義で戦争”の時代に、世界が、日本が、差し掛かったのでした。

歴史はくり返すと云いますが、何か、とても、見た目では世相が似ているような、似ていないような・・・・・・・。

話しが、かなり、かなり、暗く、猟奇的な方向に走ってしまいました。話しを新潟に引き戻します。

それで、磐越道をひた走り、日本列島の背骨をトンネルの連続で横断し、ようやく新潟平野に入ったのです。視界は開け目の前には平らな大地が広がっているのです。

この間、暫く、写真を撮るのを忘れていたのです。ですから、お見せする写真は残念ながら一枚も有りません。

“新潟中央IC”に近づくにつれ、右前方2時の方角あたりに、異様に大きなドーム状の建物が眼に入ってきました。きっと、アレは野球場ではなくサッカー場かも、と二人で話したのですが、面倒で未だに確認はしていません。

兎に角、新潟中央で降り、そのまま直進して、高層ビルの“新潟県庁”の交叉点を右折して市内に向かいます。このあたりの位置情報はそれなりに、事前調査で頭に入っているのです。


市内に入りました。前を走る車は、当然、新潟ナンバー、ここは間違いなく新潟市です。“新潟市内を歩いて見たい”との想いを抱いてから、はや一年と数ヶ月、とうとう、遂に、新潟市内に脚を、車を、踏み入れたのです。


右手には“東警察署”の建物が、それにしても、“新潟東警察署”ではなく、正式にも単に“東警察署”なの?


市内に入ったのが四時ちょっと過ぎで夕方です。そこで、“夕方と云えば!そうだァ!夕陽だァ!”と閃いたのです。日本海側に来たならば、これは、もう、日本海に沈む夕陽を見なければ、話しにならないのです。

旅の予定には、何故か、まったく“日本海に沈む夕陽”は入っていませんでした。兎に角、夕陽を見なければと、海岸に向かったのです。

“萬代橋”を渡って海岸に向かう事にしたのですが、曲がり損ねて、次の通りまで行き、“柳都大橋”を渡って海岸に向かいました。

橋を渡り真っ直ぐ行けば海岸に出ると思ったら、かなり、くねくねした、あまり広くない道を、あっちに曲がり、こっちに曲がりして、やっとこ、さっとこ海岸通りに出ると、目の前には丁度良い具合に駐車場があったのです。

これは、もう、水平線に沈む夕陽を見るための絶景ポイントになっております。何故か、新潟ナンバーの車が多く眼に付くのでした。地元の人でも沈む夕陽を見に来るのです。


海岸から真っ直ぐ、海の彼方の水平線に、陽が沈むと思っていたのですが、かなり陸地よりに、海岸よりに、夕陽は沈んで行くのです。


夕陽を見ていると、何故か、何だか、夕陽に向かって“叫びたい”衝動に駆られたのですが、隣に居る連れを見て、その衝動を抑え込んだのでした。


ホントに、ホントに、美しかった! 眩しかった!ロマンチックだった! ホントに予定外の感動でした。


ヨカッタ!綺麗だった!と、二人で感動しつつ、今夜の宿に向かったのです。来た時とは違うルートで、私の“動物的勘”だけを頼りに、狭い道を、一方通行の道を、くねくね道を、いろいろ通って、間違うこともなく、たぶん最短距離で宿に到着したのでした。

宿は、“東横イン新潟古町”です。


それで、車を駐車タワーに入れて、チェックインして、ドアーを開けて、それからが、“ちょっと”だったのです。


続きは、次回とします。


それでは、また。

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