歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

東京駅前広場で裸で愛を叫ぶ男!それには複雑な背景が!主張が!思惑が!想いが!

2018年06月07日 | 東京の風景

先日です、「久しぶりに大都会の東京の、玄関、東京駅へ、ちょっと、行って見るか」と、なったのでした。

常磐線の品川駅乗り入れが始まって、初めての東京駅です。まあ、すべてが品川乗り入れでは有りません。今回は、11時46分位着?が運良く品川乗り入れでした。

それで、その日は土曜日で、車内はずっと肩が、触れるか、触れないか、程度に混んでいたのです。そして、日暮里到着。

以前ですと、ここで山手線、京浜東北線に乗り換える人達が降りて、車内は立っている乗客はチラホラ状態になるのです。

でも、今回は、品川乗り入れですから、ほとんど降りないと思っていたら、何のことはない、以前と同じく、乗り換えでぞろぞろ降りて行くのでした。

品川乗り入れで、「乗り換え無しで、東京、品川」とのうたい文句でしたが、品川乗り入れは、あんまり関係なかったような、皆さん、山手線で池袋方面や、京浜東北線で浦和方面に行かれる乗客の方が多かった?

それで、上野を過ぎて暫くして、新しく建設された専用高架を走ります。新幹線より高いところを走ります。高いところなので、途中駅はなく、上野の次が直ぐに東京駅。

東京駅で降り、通路を歩き改札に向かうのですが、人混みの多さに、「君達は、何処から来て?何処に向かっているの?」何て、思ったりしたのです。

丸の内南改札を抜け、駅前広場に出ます。う~~ん、東京です!この景色!

毎日、毎日、田圃の畦道を歩き、トンボや、シラサギや、カエルや、ウグイスや、ホトトギスに囲まれた生活から、この景色は、とても、とても、刺激的!

この先は、皇居となります。

高層ビル乱立で、とても、とても、刺激的。

丸の内側のこの広場が、最近完成したのです。まあ、今回の、小さな目的が、この広場でした。まあ、どんなもんやら?と見に来たのです。

確かに、以前よりも、ゆったりと、広々で、豊かで、落ち着いた雰囲気になりました。中央の芝生は我が家の近所の田圃一枚程度ですが、それなりに景色を創っています。

各国の大使が着任すると、この景色を見ながら皇居に向かうのです。

日本のイメージを決める景色?

カンヌ国際映画祭で「万引き家族」を見て、この景色を見ると、イメージに混乱を生じたり?生じなかったり? 古今東西、何処の国でも、表があれば裏がある、当然の常識!として、特に問題無し!

芝生越しに駅舎を眺めます。木陰で休息する人達、ここは、とても涼しいのです。食事している方も、ちらりほらり。でも、ここで、コンビニ弁当を一人食するのは、ちょっと寂しいです。本日、わたくしは二人連れ、小さく、小さく、写っています。

東京駅は駅舎も復元して、広場が整備され、これで平成の再建計画は一応終了でしょうか?そして、もうすぐ平成の世もおしまい。

以前来た時は気が付きませんでした。こんな処で、腰布一枚で、大空に向かって両手をひろげ、こんな男性が、立っていました。

テーマは”愛”

それで、ちょっと調べて見たのですが、この像、かなり、かなり、複雑な歴史を背負っているのでした。

実は、第二次大戦後、連合軍による東京裁判で戦争犯罪者として裁かれた、関係者や遺族が、昭和30年に平和を祈って建立したのです。

そんなことで、ふつうであれば、堂々と、建立した関係者の名前とか、目的とか、いろいろな経緯が記された説明板が設置されるのですが、それなりの配慮が働いているようです。

配慮と云えば、この像が、東京の玄関に建てられたこと、皇居を背にして立っていること、そのあたりに、複雑な、配慮と、思惑と、主張がありそうです。

建立した遺族には、A級戦犯の関係者が含まれているのです。

話しが、とても、とても、重たい方向にながれました。

はい、このあたりで、それでは、駅前を一望できる「キッテ」の展望デッキに上ります。

あちらが、皇居方面となります。ホントに!ホントに!これが平成の東京!刺激的!

今回は、これまで。

次回は八重洲口に向かいます。

 

それでは、また。

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ⑤ 千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖国神社にお参りしました  

2017年04月21日 | 東京の風景

千鳥ヶ淵で櫻の観賞も今日で最終回です。

近所の櫻もイイですが、やはり、皇居のお掘りが背景にあると、櫻もそれなりの趣と云うか、それなりの風情と云うか、艶やかさが、華やかさが、とても、とても、非日常でハレの気分になるのです。

お堀り水面に櫻

 櫻にボート

こちらは、とても、とても、風情も、趣も、まったく無い水没したドイツの国民車のようなボート、皇居のお掘りには場違い。乗って居る方には選択権が無く、偶々順番でこうなったのでしょう。

お掘りの廻りは高層ビル群。

 突然現れた最後尾の看板! そうですボートの乗船待ちの行列。

皆さん、辛抱強く2時間待ちに耐えて並んでいるのです。やはり、千鳥ヶ淵に来たならばボートでお花見と、2時間待ちもなんのその!固い決意の方々なのです。へんてこなボートに当たらないようお祈りします。

ボート乗り場の上は展望台のようです。人がいっぱいで混み合っています。テレビカメラと中継用のアンテナと送信機らしきモノ設置されています。たぶんNHK無人定点カメラかも?この角度からの映像に見覚えがあります。

お花見に着物姿は、とても、とても、イイです。着物も帯も素敵でした。良く確認しませんでしたが、着ている方もたぶん素敵な方だったと思います。

 見えて来ました。千鳥ヶ淵の戦没者墓苑です。テレビの画面では何度も見ているのですが、これまで一度も来たことはありませんし、どの辺りに在るのかも知りませんでした。

今回、戦没者墓苑と、靖国神社と、武道館との位置関係が頭の中に刻まれました。

今回、千鳥ヶ淵で櫻の鑑賞を思い立ち出掛けて来たのですが、戦没者墓苑については、まったく頭の中にありませんでした。

いつの日にかは!と思っていたので、早速お参りしたいと思います。

この案内板ですが、下の処に「環境省自然環境局」とあります。へぇー、環境省の管轄なの・・・そういう事なの?何か、分かったような、分からないような・・・。

入り口から真っ直ぐ進み、突き当たって左手方向

 傍らに説明が

と、云うことなのです。

 

こちらは厚生労働省と環境省です。

 

お参りします。

わたし達も白菊を献げました。

 両脇には三対の花束が、

 関連省庁として、総理大臣として、一年中絶やすことなく献げられているのでしょう。

 墓苑を後にして、本日の櫻観賞もほぼ終わりに近づきました。

もう一度、掘りのボートを、櫻を、

やはり、千鳥ヶ淵のお花見はボートに乗ってが一番かも?

こんな処に、インド大使館です。

 それにしても、塀に貼られた写真が、

とても、とても、派手、派手です。コレまでにいろいろと大使館を見ましたが、塀にこんな写真を貼っている大使館ははじめてです。

大使館を過ぎると直ぐに、靖国神社の鳥居が見えて来ます。本日は、こちらもお参りします。但し、大鳥居の前でのお参りです。

以前、一度、本殿にお参りしています。いろいろありますが、兎に角、いろいろな意味で戦争の“犠牲”になられた方々です。

田安門の入り口に戻って来ました。

これで本日の櫻の観賞はお終いです。

田安門に入ったのが1時ちょっと過ぎ、戻って来たのが2時半ごろで、千鳥ヶ淵一周の所要時間は約1時間半でした。

以上です。

 

それではまた。

 

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ⑤ イスラムの方達!そして眼下に千鳥ヶ淵を!遠くに吹き上げ御所を!眺望一番の三番町の高級マンションにはどなたがお住みなの?   

2017年04月17日 | 東京の風景

前回の続きです。

我が家の近所の櫻は昨日でほぼ散りました。

それでも、千鳥ヶ淵のお花見は続きます。

本日のコースは千鳥ヶ淵の土手?を歩き、内堀通りに突き当たった処で右折して北上し、「墓苑入り口」の信号を右折し、戦没者墓苑に沿って墓苑の入り口手前まで歩きます。

 

ここが千鳥ヶ淵交叉点、右に曲がります。

 

左手が内堀通り。

墓苑入り口を右折します。あちらからイスラムの方達が歩いて来ます。

ちょっと見、観光客ではなさそうです。たぶん。

それでも、やっぱり、お花見?

以前、地元のショッピングモールで見かけた2~3歳ぐらいの女の子が、全身イスラムファッションで、とても、とても、可愛かったのです。この集団はイスラムファッションのオバサン達しか居ませんでした。

この辺りが、一番混み合っていました。櫻もそれなりに、混み合って咲いています。

それで、この着物姿の女性ですが、道の反対側に建つマンションを指差し、傍らの女性と話しをしているのです。櫻よりもマンションに興味があるようです。

何か、とても、高級そうなマンションです。何と云っても、千鳥ヶ淵を、皇居を、見渡せる都心の一等地です。相当に高級で、相当にお高い筈です。 

買える訳など絶対!に無い物件ですが、兎に角、お値段を知りたくなってネットで調べてみました。

ありました!皇居の周辺ですから三菱地所の物件でした。千代田区三番町の「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」と云うそうです。竣工は2015年3月、地上14階、地下2階建。

全戸数は73戸で、販売対象22戸で、全戸1億円以上で、最高価格が5億4200万で、最多価格帯が2億7000万円だそうで、即日完売だったそうです。

賃貸が23戸あるそうで、販売が22戸で賃貸23戸で、73戸-(23戸+22戸)ですから、残りの28戸はどうなっているのでしょう。一般販売前にお得意さんに優先販売?

坪単価は800万円前後で、2008年のリーマンショック以降に新築分譲されたマンションの中では坪単価が最高額のマンションとして、富裕層や業界内でも大きな注目を集めたそうです。

即日完売で、平均倍率が5.09倍で、最高倍率が13倍だったそうです。たぶん、最高価格の5億4200万円の部屋が最高倍率では?と思うのです。その筋の情報として、バカ高い方が人気があり、売れるらしいのです。

因みに、現在の賃貸物件では、4階の3LDK(120.65m2)で、賃料は92万円だそうです。安いと思う方もいるし、バカ云ってるんじゃねェ!と思う方もいるし、世間はそう云う事なのです。

しかし、こういう処にお住まいの方は、緊迫する朝鮮半島情勢とか、トランプ政権とか、安倍政権とか、経済情勢とか、秘密保護法とか、共謀罪とか、教育勅語とかに付いて、どのようなご意見をお持ちなのでしょうか?・・・・・・。

兎に角、これで、一応、千代田区三番町の「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」の物件情報を終わります。

興味がお有りのお方は、三菱地所レジデンスにお問い合わせ下さい。その際「歩く・見る・食べる・そして・・・少し考える」で見たと、告げると・・・・・・特に何の特典もありません。

さて、冗談はこれくらいにして、花見は続きます。

大変な人出で、救急車も出動です。70代と覚しき男性が付き添って乗車していました、たぶん、奥さんが急病? 救急隊員も旦那もそれほど慌てていませんでした。 記憶に残るお花見になった?

満開の櫻。傍らには、櫻は観賞するだけで枝を折るな!立て看板が、英語、中国語、ハングルでも書かれています。今時、櫻の枝を折る人は酔っ払いでも居ないと思うのですが、よその国の方達に危ない人が居るの?

櫻は、眺めて、写真に撮って楽しみます。

ホント!ラッシュアワーの車内状態。

この辺りで、ちょっとした広場に出て、やっと、一息。

千鳥ヶ淵のお花見は、まだ、まだ、続きます。

 

それでは、次回。

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ④ アイスクリーム屋さん生活を賭けての強行販売?かなり繁盛してました!   

2017年04月14日 | 東京の風景

前回の続きです。

千鳥ヶ淵を歩いています。

前方に移動販売車を発見。こんな場所は通常は駐停車禁止です。お花見シーズンとは云え、いくら何でも販売活動などの許可は下りない筈。でもしかし、それなりに生活を賭けての強行営業。

アイスクリーム屋さんです、オバチャン達が群がっています、商売はそれなりに繁盛の様子。

櫻は所々に、

土手に上がったり、下りたり、いろいろな角度から櫻を観賞。首都高環状線はよく走りました、桜の季節は車窓から一瞬の花見。本日初めてしっかり、じっくりのお花見。

のんびり、ゆったり、花見の散歩。

この辺りが一番かも?

写真を撮る人を撮る。

海外からのお客さんも一枚パチリ。

千鳥ヶ淵をこの角度から映し出す報道を眼にします。こんな処からカメラを構えていたのです。

櫻に、首都高に、ボートに、高層ビル、こんな感じの写真を良く眼にします。

いろいろな人が歩いています。

道路の向かいは皇居。いろいろな人が通りますから警戒は怠らないのです。でも、皇宮警察の若いお巡りさん、カメラを意識して?下を向いています。

こんな場所で、シートを敷いての花見の宴会? ちょっとと云うか、かなり落ち着かない花見では・・・?

見上げれば、ほぼ満開の櫻。

この櫻、立ち姿が、とてもヨカッタです。

千鳥ヶ淵の櫻鑑賞は、まだ、まだ、続きます。

それでは、また。

 

※業務連絡

  さかいクン、お米が昨日の午後3時頃に届きました。ありがとう御座います。

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ③ 工芸館で「旧近衛師団司令部」と「元近衛師団司令部」問題を考え!公衆女子トイレの渋滞問題も考えます! 

2017年04月11日 | 東京の風景

前回の続きです。

櫻をもとめて千鳥ヶ淵を歩いています。

公園の木々の間から煉瓦造りの建物が見えて来ました。

近寄って、見上げて、じっくり見ると、なかなか趣のある建物。

煉瓦造りは、重量感があり、落ち着いていて、親しみを、温もりを、感じるのです。煉瓦造りは時代を重ねるほど、趣が増してくるのです。コンクリート造りは、時代を重ねるほど、薄汚れ感が増してくるのです。

それで、この建物の正体は「東京近代美術館」の別館、「工芸館」でした。こんな処に、こんなものがあったのです。 

 そして、その過去は、近衛師団の師団司令部庁舎だったのです。近衛師団は知っていましたが、司令部が、皇居と、こういう位置関係にあり、今も建物が健在だとは知りませんでした。

この建物内部で、周辺で、いろいろな人達が、歴史的な出来事が、いろいろと繰り広げられたのでしょう。

この「“旧”近衛師団司令部庁舎」とありますが、この表現だと、何か、今は別の場所に“新”近衛師団司令部庁舎があるの?と解釈されてしまうのでは? 「元近衛師団司令部庁舎」ではないのかな?

 それで、話しはぐっと身近にトイレなのです。そろそろ行きたくなったので、もしかして、と思い、入り口に立っていた黒のパンツスーツ姿の案内係の女性に「トイレは入館する手前にありますか?」と聞いたら、「有りません」と云われました。

入館料210円だったのですが、未だ、それほどの切迫状態でもないし、見学する気もないし、トイレだけで210円はもったいないと考え、地図を見たら側に在りそうなので、そちらに向かう事にしたのです。

一応、それなりな、外観などを見回して、それとなく、トイレに向かいました。

 

向かう途中で発見しました。そうなのです!公共施設は、ほぼ、何処でも、65歳からは無料なのです。我が家の近くの国立科学館の筑波植物園も65歳から無料です。

でも、今さら引き返すのも何だし、公園の公衆トイレに向かいます。

こちら、元近衛師団司令部の側に立つ軍馬に軍服姿の銅像は、日清戦争で近衛師団長として出征した「北白川宮能久親王」です。

それで、トイレですが、結果として工芸館を利用するのが正解でした。男性側は待ち時間ゼロでしたが、女性側は待ち人は5~6人でしたが、連れ合いは15分も待ちました。

私は待っている間、公園を眺めたり、

科学技術館を眺めたり、

時間を潰していました。トイレから出て来た連れ合いが云うのには「流すボタン?レバー?が見つからずいろいろ押したり触ったりしたがダメだった!」との事でした。待ち人の数の割りに待ち時間が長かったのはその所為!

最近のトイレはいろいろな機能が付いて操作が複雑怪奇?になっているのです。水を流すと云う、一番重要な機能は、眼につきやすい位置に、判り易い表示にするべきなのです。

でも、しかし、最近のいろいろな機器には多機能を売りにして、ややこしい操作盤が出回っています。使う側の視点が欠けている!高齢化社会です!経産省も消費者庁も、そこんとこヨロシク!

トイレ問題が長くなりました。それで、遠くに乾門を見て、

 枝垂れ桜を見て、

工芸館の前を通り、

首都高速を渡り、

千鳥ヶ淵の周囲を巡っています。

櫻は、これから、いっばい、いっばい、見られそうです。

それにしても、今日は寒い、外は冷たい雨が降ってます。

千鳥ヶ淵から帰って、今日まで、ず~と、ず~と、天気が悪い。今日の最高気温は10度。明日は20度になるそうです。

 

それでは、また。

 

 

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ② 定番はボートに乗って櫻の観賞ですが2時間待ちだそうです 

2017年04月09日 | 東京の風景

前回の続きです。

千鳥ヶ淵を目指していす。

こちらは、未だ手前の牛ヶ渕からの眺めとなります。正面に田安門の屋根が櫻の間からが少し見えます。

ここで、皇居の位置関係を説明したいと思います。わたくし、どうも、その場所の周囲はどうなっているのか?が、気になる質なのです。

先ずは、皇居の全体像です。東京駅丸の内口を直進すると、そこは皇居となります。

そして、皇居の北方向に北の丸があり、工芸館があり、科学技術館があり、武道館があり、千鳥ヶ淵があるのです。壕を隔てて、靖国神社、昭和館、千鳥ヶ淵墓園があります。

 

こちらは北の丸公園の案内図です。わたし達は武道館に近い、「田安門」から北の丸公園に入ります。

牛ヶ渕と千鳥ヶ淵を分ける土手?を通り田安門に向かいます。

ホントに人の群れです。

土手からの眺めはこのようになっています。短い煙突風の建物が昭和館、となりが九段会館となっています。ビル群と、お堀と、櫻、なかなかの眺め。

兎に角、天気が良いので、人はいっぱい、

いっぱい、くり出しているのです。やはり、この季節、日本人は、何が何でもお花見と、家から飛び出し駆けつけて来るのです。この私もそのうちの一人、いや、今日は二人で駆けつけて来ました。

ハイ!お待たせしました。こちら側が、彼の有名な千鳥ヶ淵。

千鳥ヶ淵と云えば、ボート。

こんな風景をテレビ画面で眼にするのです。この方達は、この為に、ボートを借りるのに2時間も耐え、いま、櫻の下に入るために、またも順番待ちをしているのです。

きっと、きっと、上からカメラを構えている人達よりも、堪え忍んだ分、喜びも、感動も、たぶん数倍えられるのでしょう?話しのタネにもなりますしね。

ハイ、こちらが、感動も喜びも、数分の1?と思われる皆さん。

土手から、靖国通り方面の眺め。

こちら田安門。

田安門をくぐると直ぐに左手には武道館となります。

 こちらの櫻も見事です。

門から入って来る人、出て行く人。

この日、武道館では“専修大学の入学式”が行われていました。時間は1時を15分ほど過ぎていました。明日の準備を始めていました。

櫻の季節は入学式の季節、それにしても、なんと、まあ、素敵な事です。年度の初めを、この季節に決めたのは、いつの頃から、何処の誰が決めたのでしょうか?

まあ、確かに、寒い冬が終わり、暖かい春が来ると、植物も、動物も、みな目覚め、新しい季節の始まりを感じるのは、とても、とても、自然なことなのです。

こちらも、新しい季節の始まりを祝って真っ昼間から宴会が執り行われています。わたくし、お花見だからと云って、いくら何でも、皇居の中での飲酒は御法度だと思い込んでおりました。

でも、しかし、この北の丸公園のこの一画だけは、呑んで、歌って、踊って、無礼講なのでした。たぶんカラオケは禁止なのでしょう。

天気は良いし、暖かいし、酒は美味いし、そして、そして、櫻は見事に咲いているし・・・、もう、見ていて、ホント!羨ましい!

現在の地点は、赤バッテン印 の池に架かる橋の付近に居ます。

これより、千鳥ヶ淵を一周したいと思います。

この続きは次回。

それでは、また。

 

 

 

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千鳥ヶ淵で櫻を鑑賞 ① 暫くぶりの都心に興奮しました!お上りさん気分を満喫しました!

2017年04月06日 | 東京の風景

昨日は、もう、5月の気候で、最高のお花見日和で、とても、とても、楽しめました。

かねてより、“一度は”と思っていた、お花見シーズンの定番、“千鳥ヶ淵”に行って来ました。

先ずは、常磐線で北千住へ、そして、千代田線に乗り換え、新御茶ノ水で下車、改札を抜け、B-5出口を目指して地下道を200メートルほど歩き地上に出ました。

ふり返って出口をパチリ。これより靖国通りを歩き千鳥ヶ淵を目指します。約1.5㎞ほどの距離です。

それにしても、都心は人がいっぱい歩いているのです。むかし、東京に住み働いて居た頃は何とも思わなかったのですが、ホント!東京は毎日がお祭りのような人出です。

人混みは疲れます、でも都会暮らしの人々は、疲れを、ストレスを感じなくなっているのです。でも、しかし、それは、自覚が無いだけなのです。

でも、しかし、天気が良くて、久しぶりの都心で、千鳥ヶ淵でのお花見ですから、ワクワク、ドキドキで興奮するのです。カメラをアチラこちらに向けて、撮りまくります。本日は連れ合いも一緒です。

この辺は、スポーツ用品店が多く、本屋さんもあります。

こちらは、コンサイスの三省堂です。

こちらは、価格表示で、最近、何かとお騒がせのABCマート。

ま直ぐ行くと靖国神社で靖国通り。

はい、こちら、毎度、お世話になっているサイゼリヤです。ここで予定どおりランチタイム。入店が11時半で待つ事15分でテーブルに付き、ランチセット500円にドリンクバーが110円。ホントは生ビールが飲みたかったのですが、トイレが心配で断念。

ランチを済ませ、トイレを済ませ、いざ千鳥ヶ淵です。しかし、それにしても、ダークスーツ姿の新入社員風から定年間際風の男女が、とても、とても、眼につきました。4月は、いろいろあって、あいさつ廻りに忙しい?

内堀通りとの交差点の左手方向に九段会館が見えて来ました。千鳥ヶ淵はもう直ぐそこです。

靖国神社の鳥居も見えます。九段坂を大勢の、まさに人波が押し寄せて来るのです。花見客とか、武道館での入学式帰りとか、靖国神社の参拝帰りとか、兎に角、“ゆるい下り坂”のため人波が“強調”されて見えるのです。

ひとり杖を手に信号待ちの「白髪のおばあちゃん」は靖国神社の参拝帰りのようです。ご苦労様です。気を付けてねェ!我が家の白髪の94歳のオバアチャンは本日はお留守番です。

歩道を渡って直ぐ左手に昭和館。覗いて見たかったのですが、本日はお花見の為、ちらっと横目で眺めて通過。

昭和館の裏手は、もう、そこは御堀端。カメラを構える人々がいっぱい、いっぱい、こちらも、何故か、遅れてはならじと、カメラを構えます。

人々は、皆さんこちらの“牛が淵”にカメラを向けています。

テレビ中継で映し出される、春の定番「千鳥が淵」は、ほんの少し先になります。

それにしても、ざっと見、外国人観光客の混入率は20~30%ぐらいです。

この続きは次回。

 

それでは、また。

  

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志村坂下・蓮根町 ⑮ スダジイで「こころ旅」で火野正平で山手線か?山の手線か?で占領軍の影が! 

2017年03月30日 | 東京の風景

一週間とちょっとのご無沙汰でした。

東京歩き、志村坂下・蓮根町シリーズです。

そして最終回です。

兎に角、歩いたのは1月の7日で、今日は3月29日で我が家のご近所でも、ちょっぴり櫻が開花しました。

そして、朝のウォーキングでマスクを外しても、眼も鼻も異常無しになりました。スギ花粉は峠を越えたようです。まあ、歳の所為で身体も年々花粉に過剰に反応する能力が低下したようです。

まあ、兎に角、それで、氷川神社に居るのです。

境内の木々は板橋区の保存樹木に指定されていました。

スダジイだそうです。所謂、ドングリの木です。

ちょっと調べたら、驚きの事実が判明しました。もしかして?驚くのは私だけ?

スダジイのドングリは食べられるようなのです。それも生でもOKだそうです。ドングリはすべて食べられないと思って、60有余年生きてきたのです。椎茸のホダ木もシダジイだそうです。

スダジイは鎮守の森の代表だそうです。もしかして、飢饉に備えて植えたのでしょうか?アオダイショウなどの住処になっていることもあるそうです。以前、我が家の庭にも青大将は姿を見せたことがありました。 

そう云えば、思い出しました。あの、「こころ旅」の自転車オジサン火野正平が以前生で囓っている場面がありました。

それにしても、「こころ旅」は7年目に入ったそうです。火野正平が自転車に乗れなくなるまで続きそうです。彼と私はほぼ同年齢。

それで、兎に角、話しは氷川神社を後にして、帰途につくのでした。都営三田線の駅を目指すのです。

蓮根駅前通りに出て、さて、右に行くか?左に行くか迷ったのですが、右に曲がった方が巣鴨に近く乗車料金が安いと判断。

地下鉄の高架?を辿って駅を目指します。

高架下を通って左に曲がります。

駅が見えて来ました。

志村三丁目駅です。

こんな処に駅があるのです。駅前広場もありません。バス停もありません。お洒落な店もありません。でも、都営三田線なのです。

都営三田線は板橋区の外れから、都心の大手町、日比谷を通り、三田、白金、高輪、目黒まで通っています。ここも東京、ここが東京、これでも東京と、沿線の風景は驚くほどの変化するのです。 

Suicaで改札を通過します。地下鉄ですが階段を登ります。

ホームにはホームドアが設置されています。

志村三丁目の先で、三田線は本来の地下鉄になります。

巣鴨で降りて、JRは、アレッ!山の手線?山手線?どっちだったっけ? はい!直ぐに調べます。

調べました。そうでした! 山手線と書いて「やまのてせん」が正解でした。第二次大戦後、占領軍の命令で「山手」と書いて、「やまのて」は判りにくいので、「やまて」となったのです。

そして、1971年に駅名に「ふりがな並記」が決まったとき、「やまて」から、歴史的経緯を考慮して、本来の「やまのて」に戻ったのでした。こんな処に戦争の影が、占領軍の影があったのでした。

私は1950年の生まれですから、物心が付いた頃には「やまてせん」でした。そして、21歳になって「やまのてせん」となり、いまでも、時々、どっちだか?判らなくなるのです。

1971年頃までは、「やまのてせん」と云うと年寄りと見られ、若い人は「やまてせん」と呼んでいたのです。

そして、いまでは、若い人は「やまのてせん」で、年寄りはいまだに「やまてせん」と呼ぶ方がいるのでした。

兎に角、まあ、わたしには「やまのて」でも、「やまて」でも、この際、どっちでもイイのです。

兎に角、都営三田線志村三丁目から、巣鴨で山手線に乗り換え、上野で常磐線に乗り換え、帰宅の途に着いたのでした。

と、云う、事で、今回の「志村坂下・蓮根シリーズ」は、どっちでもイイ話しで終わります。

 

それでは、また。

 

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志村坂下・蓮根町 ⑭ 懐かしの氷川神社で!幼稚園に!コヨリに!お祖母ちゃんに!思いを巡らします

2017年03月20日 | 東京の風景

志村坂下を、蓮根町を、まだまだ歩いています。

やぶ岩で550円のタヌキそばを食べ終わり、目指すは氷川神社です。

このバス通りは、十数年前までは、年に一度か二度は車で通り過ぎる事がありました。車窓からチラチラと横目で景色を懐かしんでいました。

そして、本日、ゆっくり、ゆっくり、懐かしのあの頃に思いを巡らし、想い出に浸りながら、歩きまわります。

この交叉点の、角から二軒目のビルは、小学校の同級生の「やまぐちクン」の家です。

「ヒコー堂 山口書店」彼の家は、昔から文房具と本を商っていたのです。私の方は山口クンを記憶していますが、山口クンは間違いなく私の事を記憶していない筈です。真ん中の子が山口クンです。

店の前には池袋行きのバス停がありました。このバスに乗って池袋のデパートに行って買い物して、大食堂で「お子様ランチ」を食べるのが、当時、我が家の一大イベントでした。今は何処行きのバスが通っているの?

あの頃、東口には三越、西武、丸物が、西口には東武と、4つのデパートが池袋にはありました。三越は何か高級そうで縁がありませんでした。西武と丸物が行き付?でした。

いまでもあの頃のデパートの夢を見ることがあります。屋上の遊園地にお子様ランチは、とてつもなく心躍らす夢と感動の世界だったのです。

神社を目指して、大東文化大の方向に歩きます。

見えて来ました。

変わらない風景です。

 大正13年(1924年)にこの地に「還座」したようです。そうすると、私が子の地に生まれたのが1950年ですから、私よりも26年先輩なのです。と云うことは、あの当時はそんなに古くは無かったのです。

この佇まい、そう、こんな感じです。

この石畳に石橋、とても、とても、何か、落ち着いてしまうのでした。ひんやりと湿っていて、苔のような神社の匂いを感じます。

本殿?拝殿?は鉄筋コンクリート製で新しそうです。

実は、実は、わたくし、そのむかし、この本殿の前で記念撮影をしているのです。

幼稚園の頃の写真です。全員紙で折った兜を被っているので端午の節句、こどもの日の記念写真のようです。 

あの頃の私にズームアップします。

 

なかなかの面構えです。とても、とても、悪戯小僧だったようです。

この頃、親爺の自動車修理工場の景気がよかっようで、長屋住まいの身には、幼稚園は身分不相応だったのです。たぶん一年ほどしか通わなかったと記憶しています。

それで、幼稚園と云うと、今でも、時々思い出すと、とても、とても、とても、悲しくも寂しい、胸キュンの想い出があるのです。

当時、幼稚園の送り迎えは父の母(私の祖母 )がやっていました。父は母親が50代前後にできた子供で、当時は80歳近かったと思います。いつも着物姿でした。

ある日、幼稚園に行く途中で、私が突然思い出したのです。前日に先生から「明日は“???”を一本持ってきましょう」と云われて、細い紙の紐を見せられたのです。

今にして思うと、それは、当時、ホッチキスの無い時代、閉じ紐として、事務用品として、閉じ紐として、一般的に良く使われていた「コヨリ」だったと思います。

私はもちろん、事務用品とは無縁なお祖母ちゃんも、コヨリなど知らなかったのです。知らない人が、知らない人に説明するのですから、これは、もう、絶望的。

祖母には、よく判らない言葉で「細い紙の紐」を何とか説明しようとしたのです。祖母は胸元から取り出した、鼻紙にする新聞折り込みチラシをぐグシャグシャと棒状に丸め、見ていた私は、違う!違う!と叫び、祖母は困惑し、悲しそうな顔をして・・・・・・・。

この後の、顛末は、まったく記憶に残っていません。きっと、きっと、悲しすぎる結末に、子供ごころに、自己防衛の為に、記憶を消し去ったのだと思います。

いまでも夢に見ることがあるのです。おばあちゃん!ホントに!ゴメンなさい!

話しを変えます。氷川神社でした。

最近はやりのポリエチレン製のしめ縄。稲藁に意味があると思うのですが、これがご時世?、神様もそれなりに妥協し納得?

とにかく、氷川神社で、幼稚園で、紙の閉じ紐で、おばあちゃん、ゴメンなさい!なのでした。

それにしても、幼稚園でコヨリは、いったい、何に使ったのでしょうかね。

今日は、これまで。

次回が最終回です。

それでは、また。

 

 

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志村坂下・蓮根町 ⑬ お昼は志村坂下一丁目の生そば「やぶ岩」で「たぬきそば」を美味しく頂きました! 

2017年03月13日 | 東京の風景

前回の続きです。

生まれ故郷の東京は板橋区蓮根町・志村坂下界隈を、過去の痕跡を探しつつ、想い出と夢と妄想の世界を楽しみつつ、彷徨っています。

そろそろランチタイムで、そば屋を探しつつ歩いて居ると、この町に相応しい?そば屋を見つけて暖簾をくぐります。

内装はこんな感じで、テーブルも、腰掛けも、壁の色も、黒塗りの板に白文字の“お品書き”も、テレビの配置も、とても、とても、町のおそば屋さん的な佇まいです。

先客は一人、チビチビとビールを飲んでいます。店内禁煙はとても良い事です。

右から左に向かって価格順に見事に整列(丼物の一部を除く)。価格設定は、東京の外れで板橋区の外れとしての価格設定となっています。

上段の「ちゃんぽんうどん」の隣で消されているは「八宝うどん」です。その下の黒マジックは「冷やし中華」で、その右の黒マジックは「八宝丼」です。

中華系を抹消したようです。それにしても、「ちゃんぽんうどん」とか、「八宝うどん」とか、「八宝丼」は見たことも、聴いた事も有りません。「八宝丼」は、世間で云う「中華丼」だと思います。

見たことも聞いた事も無いモノを、味わってみたい衝動に駆られたのですが、ここは、やはり、店に入る前から、堅く心に秘めていた私の定番「たぬきそば・550円」を注文。

やはり、何と云っても、日本ソバと云えば「たぬきそば」で決まりです。ホントは「もり」が一番なのですが、この日は冷え込んでいた為、暖かいモノが美味しいのです。

奥でオッサンがビールを飲んでいたので、注文しようかどうしようか迷ったのですが、以前、寒い日に外出してビールを飲み、突然の尿意に焦り、トイレを探し駆け込んだ苦い想い出が蘇り断念。

こちら、今では遠い昔の想い出「セットメニュー」です。50代の前半頃までは「カツ丼にもりそば」とか「カレーにもりそば」とか、セットでないときは、必ずすべて「大盛り」で注文。きっと、きっと、あの頃から、食後血糖値は爆発していたのです。

こういうセットメニューの写真を見つめていると、何か、やっぱり、とても、とても、魅力的に見えてくるのです。

 それで、「たぬきセット」ですが、価格が850円から840円に書き換えられているのです。経営的な判断で、価格の微調整をおこなったの?と思ったら、上の「おしながき」を見ると、840円となっており、調整ではなく、書き間違いの訂正のようです。

この写真入り「おすすめセットメニュー」は、きっと息子か娘にパソコンで作らせたのでしょう。店は私とほぼ同年代の夫婦で商っていました。

それで、この奥さんですが、やたらに腰が低く、馬鹿丁寧な応対なのです。もしかして?サングラスに口ひげで、店内を撮影している私が、とても、とても、怪しく見えた?

それで、たぬきソバが到着。汁の香り、揚げ玉の香り、そばの香り、久しぶりの、日本そば屋の香りです。最近は汁を飲むための道具も付いてきます。そして、おしぼりも。

なかなかケッコーなお味でした。最後の、一本、一滴、一欠片まで、美味しく頂きました。

東京都板橋区志村坂下一丁目の「生そば やぶ岩」さん、ごちそうさまでした。そうでした、器もヨカッタです。

本日は、ここまで。

 

それでは、また。 

 

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