歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

春日部 ⑪ 日光街道は粕壁宿に入り!ノミとシラミと馬のバリを考えます!

2018年04月07日 | 街の風景

前回の続きと云うか・・・。

今回より、春日部訪問の本題、宿場町ウォークとなります。いよいよ、旧日光街道に出ました。

旧日光街道の春日部市街は、今回が初めて目にする風景です。今回分かったのですが、現在の4号線は市街地の手前で二股に分かれ、市街地を通過していなかったのでした。

電柱もなく、歩道も広く、街灯もおしゃれ、なかなか整備されています。思っていたより、かなり、おしゃれな町並です。

こんな標識が建ってます。

 

道路の整備拡張のずっと前から、ここで八百屋さんを営んでいたのでしょう。ホントに、変わらず、きちんと、真面目に、細々の商い。スーパーに負けないで下さい。

 

ふり返ると、雲が切れて、青空が見えてきました。昼頃より晴れるとの予報は当たっりました。 道路案内標識に一部が隠れている白亜のビルが、あの”匠大塚”です。

春日部ではなく、ここはやはり”粕壁接骨院”です。

粕壁宿の入り口にある東陽寺です。

門前で六地蔵がお出迎え。手向けられた花は生き生きとしています。

鉄筋コンクリートです。そして、何やら修理中で足場が組まれていました。鉄とコンクリートのお寺は、ちょっとイマイチです。

本堂の前には、石碑が。松尾芭蕉の「奥の細道」の一文ではなく、弟子の曾良が書いた「曾良旅日記」の一文が刻まれていました。

アップにします。

”廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余”とあります。泊まったのがこの東陽寺だったとの説があるそうで、そこで、この石碑が、ここに建っているのです。

奥の細道には、粕壁に泊まったのに、まったく記述がありません。手前の草加は通過しただけなのに、記述があるのです。

芭蕉にとって粕壁は、出会いも、名所も、名物も、感動も、特段書き記すことは、何も無かったようです。

草加の先で記述があるのは、現在の栃木県惣社町にある「室の八島」となります。旅に出て最初に俳句を詠んだのは日光でした。

まあ、粕壁の次、間々田、鹿沼にも泊まっているのですが、何の記述もありません。 粕壁宿だけが冷たくされた訳ではありません。

因みに、奥の細道で芭蕉が詠んだ句の中で、一番好きなのがこちらです。

『蚤虱 馬の尿する 枕もと・・・ノミシラミ ウマのバリする マクラもと』

「バリ」ではなく、「シト」と読ませるする解説が一般的なようですが、曾良の解説本では「バリ」とルビが振ってあるそうです。「シト」と「バリ」では、迫力が違うのです。

我が家の本棚にある解説本にも「しと」あり、私はいつ何処で記憶したのかハッキリしないのですが、「バリ」とハッキリ記憶しているのです。

それで、馬の排尿ですが、映像で見た事があり、とても、とても、「シト」何てシロモノではなく、まさに「バリ」と表現が適切なシロモノなのです。

映像でもかなりの迫力ですから、これが生の体験であったなら、それなりに離れているはずなのに、枕元で起きているとの錯覚が起きるのです。

しとでは語感が弱いのです。バリと云う語感の強さがあって、成り立つ句だと思います。ノミときて、シラミときて、ウマのションベンですから、ここは「バリ」とこなければ、全体の、リズムが、バランスが崩れるのです。

因みに、「バリ」はこの地方(出羽)の方言だそうです。

こういう、ばっちい事をさらりと詠む芭蕉が好きです。親しみを感じます。情景が浮かびます、音が聞こえます、臭いがしてきます。

そういう事で、バリでは「ばっちぃ」ので、現在解説本では「バリ」ではなく「シト」と読ませるのです。

解説本を書く方々は、みなさん教養豊かで、お上品ですから、俳聖松尾芭蕉大先生が「バリ」なんて汚い、お下品な言葉は似合わないと考えているのです。

馬のバリ話しを長々としてしまいました。この辺で、ばっちぃ話しはお終いにします。

粕壁宿から話しが逸れてしまいました。

切りが良いので、本日はこれでお終い。

 

それでは、また次回。

 

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春日部 ⑩ 土屋王国?そして”小さい花”と郷土資料館で観光パンフを入手!

2018年04月05日 | 街の風景

前回の続きです。

学校通りを歩いています。

自民党総裁の安倍さんです。隣は、”つちや品子さん” 思い出しました。あの”土屋”さんの娘でした。春日部が選挙地盤のようです。

参議院議長から埼玉県知事になった、あの”土屋義彦さん”の次女が「品子」さんでした。

1992年に品子さんのお父さんが、知事選に立候補した時、自民党県連は党内の勢力争いで、中央政界を巻き込んでの大騒ぎがあり、全国的?ニュースとなりました。

知事を3期務めましたが、1996年には、何と!何と!”梅の街”として有名な越生に、「日本桜の会」と共同で、”桜の里”建設計画を発表し、県民に反対されて断念。

次女の品子さんが「日本さくらの会」の理事を務めていたことから、公私混同の批判を受けたりしたのです。このことも全国的と云うか、関東一円的と云うか、それなりに話題になりました。

この年に、品子さんが衆議院議員に初当選。これは、特に、全国的、関東一円的なニュースにはなりませんでした。

公私混同と云えば、2003年には、ダム湖名を長女と名前と同じ「もも湖」としたり、まあ、お父さんとしては、ホントに、二人の娘を溺愛していたようです。

そして、3期目の2003年に、長女の桃子さんが政治資金規正法違反で逮捕され、知事を辞職し政界引退。その5年後、多臓器不全により死去(86歳)

次女品子さんは「殿様選挙」で、現在7期目で、66歳だそうです。長女の桃子さんは実業家だったそうですが、2005年に自己破産していました。

それで、引退後の義彦さんですが、出前芝居の劇団に入り、老人福祉施設などを慰問して、ハーモニカで童謡など演奏し、聴衆から拍手喝采を浴び、満足げな様子であったそうです。

春日部は、いまでも、「土屋王国」と、その筋では囁かれているみたいです。

かなり脇道にそれました。

学校通りを歩いています。

こんな建物が見えてきました。見るからに公共施設。

市の教育センターで、一階は郷土資料館になっていました。

ここにも彫刻です。横に座って記念写真を一枚撮りたくなったのですが、やはり、芸術作品ですから、それは禁止?と思い、とどまりました。

  「小さい花」 黒川晃彦さんの作品です。

作者コメント

「彫刻とその周辺の空間、そして、彫刻を見る人がひとつになれるよう、少女とベンチ、小さい花の鉢で、制作しました」

この作品、作者の制作意図を考えると、台座に設置しないで、歩道と同一平面上に置かれていた方が、見るだけではなく、少女の横に座り易く、作品の一部となり、制作意図が実現したのでは? 

もしかして、制作意図を考えると、この作品は横に座ってよかったの?

郷土資料館に入ります。

入った正面に、これです!この手の施設によくある、竪穴式住居とその住人です。これって、やはり、それなりに受けるのでしょう。世の中には、こういうのを専門に扱う業者がいるのかも?

宿場町を再現したジオラマです。これも専門業者?

そうか、そうか、で、軽く通過。

当時は、川が大量運搬手段の主流。

球体の物は、懐かしい手動洗濯機。母の実家にありました。 活躍した時期は短く、アイデア倒れで、実用性に甚だ乏しいシロモノでした。

館内を数分で巡り外に出ました。実は、ここに立ち寄ったのは、観光案内のパンフレットを手に入れる為でした。そんな施設を探しつつ歩いていたのです。

勘は当たり、パンフ巧いこと手に入りました。パンフを広げて見ると、東口を直進して最初の交叉点の右側角に、「ぶらっとかすかべ」なる観光施設があったのでした。そこからが春日部観光のスタート地点なのでした。

そんなことは駅前の案内板に書いてあった? 兎に角、これで、本来の目的である、宿場町の名残を、面影を、探す旅?が始まるのです。

シリーズ11回目以降から、やっとこ、さっとこ、宿場町ウォークの開始となります。

長い、長い、”まくら”でした。 

今回は、これまで。

 

それでは、また次回。 

 

 

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春日部 ⑨ 劇場都市春日部で自転車オジサンと!笛を吹く女性!と赤ちゃんでした!

2018年04月03日 | 街の風景

前回の続きです。

旧日光街道と平行している”学校通り”を歩いています。

彫刻の街、春日部です。

こちらに「自転車おじさん」です。

わたしも、自転車で近所を走り廻るので、後ろから眺めていると、何か、自分の後ろ姿を見ている気がしてきます。

目の前を通り過ぎる、クルマを、ヒトを、見つめているようで、遥か彼方を見つめ、想いを馳せているような・・・・・・。

彫刻のタイトルは「旅人 樹陰」作者は池田宗広さんです。

旅人で樹陰で、物語を感じます。

作者の作品へのコメント。

「人はみな人生街道の旅人。よりよい明日のために樹陰でチョット一服・・・」

詳しくはこちら。
http://www.yuugaku-kasukabe.jp/4%20tenjishitu-exhibition/1%20tyoukoku-kasukabe/1%20chokoku%20top%20.htm

池田さんは1932年生まれで、私より18歳上、1992年制作ですから60歳の時の作品です。92年と云えばバブル崩壊直後で、バブルの余韻が残っていた頃。

人々は未だ「よりよい明日」を信じて?・・・「人生街道、旅の途中で一休み」ですか・・・。

旅の終わりに近づきつつある身としては、視線は、前を、明日を、見つめている、と云うよりも、過ぎ去った、遠い過去を、見つめているように見えるのでした。

春だというのに、いや、春だからこそ、桜の花が咲き、散る季節だからこそ・・・、そんな気持ちにさせる・・・・・・。

春は生と死が行き交う季節。

桜は生と死が行き交う花。

春の日に、春日部で、ちょっと「文学」をしてしまった。

兎に角、よりよい明日のために樹陰でチョット一服します。

一休みして少し歩くと、直ぐに横笛を吹く女性が出現。

作品名「瑶韻」。作者は一色邦彦さんで、1935年茨城県生まれの方です。

作者コメント

「たゆとう音楽の調べに身を委ね、心の安らぎを得る至福のひとときへの憧れを造形することで、人類平和への祈念とした」

だそうです。

女性の彫刻は、何故に、半裸か全裸なのでしょうか?女性の裸体は、美と、愛と、平和の象徴でしょうか?余り長く立ち止まり見つめていると、怪しいオジサンになるので、さっさと立ち去りました。

芸術とは離れます。

でも、また、ちょっと芸術?こんな看板が現れました。

「ひと・もの・未来 多彩な交流 劇場都市 かすかべ」とあります。

「アクシス春日部」で、春日部市商工振興センターとあります。春日部の中心で軸のようです。 

それにしても、「劇場都市」とは、何ぞや?

それで、商工振興センター「アクシス春日部」は、耐震性能が不十分であることが判明したため、利用者の安全を第一に考え、平成29年4月1日をもって閉館したそうです。

確かに閉館しています。見た目にはそれほど古い建物とは見えませんでした。

お隣は、BAR ”来楽”で”ライラック”イイ感じです。

ライラックは英語名、フランス語名でリラ、和名はムラサキハシドイだそうです。でも、隣近所は ライラックと云うよりも、イヌフグリ的な風景。失礼しました!

背中に赤ちゃんをおんぶして、買い物袋を下げ、ベビーカーを押す若いお母さん、子育て真っ最中です。ご苦労様です、頑張って、楽しんで、子育てして下さい。

赤ちゃんは、ホントに!ホントに!ホントに! 可愛い~~~!

本日は、これまで。

それでは、また。

 

 

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春日部 ⑧ 春日部は昔は粕壁で!もっと昔は春日部でした!そして!今でも粕壁は残っています!

2018年03月31日 | 街の風景

前回の続きです。

旧日光街道を目指して歩いています。

途中でこんなものが眼に入ってきました。

見た瞬間に、これは、もう、町会の、祭り道具の、御神輿の、収納庫と直ぐに分かる建物。

 それで、この『日光道中 粕壁宿』の文字ですが、”粕”の文字が”柏”に見えて、何じゃ?「カシワカベ」!と、思ったのです。老化は眼からです。

硝子越しに中を覗き込み、うん、神輿、神輿と、それなりに納得して、

その場は、何だか分からないけど、まあ、イイか、で通り過ぎたのでした。

暫く歩いていると、この看板下の文字が眼に入り、そうか「かしわかべ」ではなく、「かすかべ」だった!と、気付いたのです。春日部は粕壁なの?

と、云う事で調べて見ました。 

春日部市は、江戸時代に入ってから「粕壁」で、昭和の始めに粕壁から春日部に変更したようです。

鎌倉時代(1185年頃~1333年)から、南北朝時代(1336年~1392年)にかけて「春日部氏」が支配し、春日部郷と呼ばれていたそうです。 

そして、昭和19年に内牧村を合併した時に、粕壁から春日部になったそうです。

と、云うことで、春日部は「春日部 → 粕壁 → 春日部」に変遷しているのでした。それにしても、「粕壁 → 春日部」は、大変よく理解できるのですが、「春日部 → 粕壁」の改名は、大変よく理解できないのです。

粕壁ですよ!粕の壁ですよ!粕とは、「残り物、役に立たない、つまらない、最も下等とか」とても、とても、自慢できる文字ではありません。

地質的には、「かす」とは「やせた土地」を表し、地形的には「かべ」は「崖」を表す用語のようです。やせて土地で、崖のある場所で、粕壁となるようです。

因みに、春日部市内には、北東部の宝珠花台地、南東部の金杉台地、南西部に花積台地、北西部に内牧台地が存在するそうですから、台地と平地の境には崖があるのでしょう。

春の日から、「かすのかべ」への変更ですが、やせた土地で、崖があり、農業に適さないのと、外に向かって表明する、その事で、それなりに何かメリットがあったかと?思ったり・・・するのです。

でも、もしかして、世間体など気にせず、地形的、地質的な特徴を、そのまま、素直に、正直に、価値判断を加えずに、「かすのかべ」だから、「粕壁」としたのかも? 

はい、これで、歴史と、地理と、ネイティブ粕壁のお勉強を終わります。

兎に角です。春日部は粕壁で、その昔は春日部だったと云う、実に、為になる?発見をしたのでした。

はい、旧日光街道を目指します。宿場町の面影を名残を、探し求めて歩きます。

それで、歩いて居ると、「碁 1日700円 (コーヒー付)」の貼り紙。そうなのか、コーヒー飲みながら一日700円で碁ができるのか!ヘェ~!とか、それにしても、「銀座サロン」ですか?と呟きつつ、通り過ぎたのでした。

因みに、こんな経路で歩いています。この時は、この先に、 郷土資料館があるとは、夢にも思わなかったのです。

本日の話しの地点は、だいたい、「たかさご耳鼻科」辺りだと思います。

まだまだ粕壁歩きは旅の途中です。

それでは、また次回。

 

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春日部 ⑦ ”彫刻のある街”で心静かにアートを見つめ楽しみます!

2018年03月29日 | 街の風景

前回の続きです。

春日部駅の東口に到着しました。

コインパーキングの料金調査です。一日最大で1000円ですか、我がつくば市の駅周辺の料金よりも、ちょっとだけ高いようです。まあ、そんなところでしょう。それなりの稼働状況です。

東武鉄道のドクターイエロー?

駅前ロータリーは、人も車も西口よりも少ないです。

雑居ビルも少なく、飲食街も、歓楽街も、眼に入りません。静かな地方の駅前風景です。それは、それで、イイと思います。

駅舎はこんな感じです。ローカル線的な趣。

それでも?それだから? カーネルサンダースのお爺さんも居ます。

駅前の路線バス発着場。こんな風景がイイのです。

ロータリーの中心に眼を移すと、居ました、居ました、走り廻る子供達とイヌ。

飛び回る、男の子、女の子。

親子連れの姿も、

ママの膝の上に乗り、戯れる女の子?

パパの肩に乗り、戯れる男の子?

後でわかったのですが、春日部市は「彫刻のあるまちづくり」として、現在、市内各所に22作品が設置されているそうです。最近はこの手の街が増えてきた気がします。まあ、悪くないと云うか、それなりにイイ事だと思います。

アートを楽しむ、そんな余裕なんか有るかァ!なんて云われる方もいらっしゃる、と、思います。

でも、たまには、こころ静かに見つめていると、作品から、それなりの想いが、囁きが、呟きが、歌声が、胸に、伝わり、響き、こころは、日常から解き放たれ、それなりに、軽く、明るく、柔らかく・・・・・・と、なったりすると、思います。

はい、ここで、日常に戻り、改札口の風景などを見つめたり、

路線図とか、料金とかを見つめます。

そして、これより、本命の日光街道宿場町の名残を探して、街中をウロキョロと歩きまわります。それで、それでは、と、案内看板を探したところ、最近はこんな風になっているのです。

 

情報は「QRコード」をスマホで読み込め!となっていました。何だこりゃめんどくせぇ!となり駅前を後にしたのでした。

以前に調べたときの記憶では、駅前のメインストリートを直ぐに進むと、旧日光街道にぶつかり、その辺りが、旧宿場町のほぼ中心と記憶していました。

と云う事で、宿場町の越谷寄りの端から攻めようと、メインストリートは避け、駅前ロータリー右手方向より路地に入ります。

本日はここまで。

それでは、また次回。

 

 

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春日部 ⑥ 秋葉神社の夫婦松は夫婦銀杏で!地下通路は水族館でした!

2018年03月28日 | 街の風景

前回の続きです。

これより、春日部駅西口から東口に向かいます。

由緒謂われがありそうな、大きな樹が目に入りました。

近づと、根元には石碑が、刻まれている文字を読もうと思ったのですが、写真に撮って後で家でじっくりと思い、その場は「秋葉神社の夫婦杉」と云う表題だけを確認し、

 

絡み合う根元の様子を眺めて、立ち去ったのです。

後で、じっくり読もうと思ったのですが、残念ながら石碑の文字は写真からは判別できませんでした。

兎に角、写真をじっくり眺めました。そこには2本の銀杏の大木と、一本の松の中木?

 

左に銀杏、少し離れて絡み合う銀杏と松。

絡み合っている銀杏と松は、幹の太さとか、樹高とか、明らかに銀杏の方がメインで、銀杏に松が絡んでいるように見えます。

それなのに、それなのに、”夫婦松”なのです。『夫婦銀杏』では語呂が悪いから? それと、この”秋葉神社”ですが、以前、ここに秋葉神社があり、駅前区画整理で神社が移転し、夫婦松だけは残されたそうです。

秋葉神社は火防の神様で、火災の延焼を防ぐそうで、そこで、御神木が銀杏と云うことのようです。銀杏は水分が多く、燃えにくい難燃性の樹木だそうです。

と、云うことで、秋葉神社の御神木は銀杏で、見た目にも大きな銀杏に、小さな松が絡んでいるので、これは、もう、誰に、何と云われようとも、正しくは「夫婦銀杏」だと思うのでした。

まあ、ホント!歳をとると、いろいろと、めんどくさい、どうでもイイことを、ぐだぐたと、云わずにはいられなる、小言幸兵衛なるのです。

はい、ここで、キッパリと夫婦松と別れを告げ、東口を目指し地下通路に向かいます。予想どうり通路の入り口を発見。 

※後で分かったのですが、この地下道の右側に秋葉神社があるようです。木立が覗く辺りがそのようです。

地下連絡通路の入り口に掲げられた変体文字?何のコッチヤ?と見つめ、考え込んでしまいました。後ろから人が来るので、いつまでも見つめて居られないので、家に帰り写真を見つめ、”Aquarium”で、アクアリウムで、水族館と判明。

確かに、地下通路の壁には、こんな可愛いシャチの親子が泳いでいました。

でも、反対側の壁には、一組の男女が楽しそうに踊る姿、水族館と如何なる関係なのか? まあ、楽しそうなので、それは、それで、OKと納得。

通路の階段を上がり、いよいよ、本命の東口です。

曇り空で、人影も疎らで、何か、寂しげな感じがします。 

この先は、次回とします。

まだまだ、春日部の話は続くのです。 

それでは、また。

  

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春日部 ⑤ 駅付近の高架化で!東西つながり効果で!活気あるまちになるか?

2018年03月24日 | 街の風景

前回の続きです。

春日部を歩いています。

春日部駅西口から伸びるメインストリートに出ました。左に曲がると駅前広場。

こちらが西口駅前広場です。それなりに結構整備され、思っていたよりも広いです。

因みに、男性に抱きつく女性、抱きつかれている男性、そして、傍らに佇む男性、三人は中国の方達です。ホント!、街中で石を投げれば中国の方に当たる、何て程、何処にいってもよく見かけるようになりました。

春日部駅の西口です。まあ、ふつうのよくある風景。

それで、私の感覚としては、西口は裏口で、東口が表なんて、そんな思い込みがあります。しかし、春日部は西口の方が賑やかのようなのです。

コチラが春日部駅周辺の航空写真です。蛇行しているのが古利根川、その少し左に春日部駅。市街地は写真左側の西口の方が、住宅地、商業地が深く広がっています。

東口側は「古利根川」が街の広がりを遮断しているのです。昔は日光街道に沿って町が形勢され、明治に入って東武伊勢崎線が開通して駅を中心に街が発展したのです。

西口側は古利根川があるため、街を形成する条件としては不利なのです。春日部市役所も西口側にあります。

それで、この看板です。

高架推進の期成同盟会とか東武鉄道が、こんな看板を掲げているのです。

”鉄道高架で『つながる東西』活気あるまちの実現を”だ、そうです。

つなげる方法として「春日部駅付近連続高架化事業」だそうです。野田線と伊勢崎線を立体交差にして、ついでに、駅周辺の下を車も人も自由に往来して、これで街の発展はオーライ!と考えているようです。

工事に掛かる費用は誰が負担するの?東武鉄道にとっては、立体交差にするメリットは少ないと思います。春日部市にもそんな余裕は無いと思うのです。

そもそも、その事情はです。

春日部は、同じ沿線の草加とか、越谷とかに比べて、遅れを取っているとして、いろいろな地元の、商工会とか、飲食組合とか、商工会議所とか、商店連合会とか、観光協会とか、まあ、そんな方々が、将来に不安を抱いているのでしょう。

人口をみても、草加、越谷は増加傾向が続いているのに、春日部は平成12年をピークに減少しているのです。経済的な地位も低下しているようです。

因みに、春日部市の人口ですが、3月現在で23万5480人です。

その打開策が「つながる東西」で「活気あるまち」なのです。東西が繋がって街に活気が生まれる理屈がイマイチ理解できません。たぶん、片側に吸い上げられる「ストロー効果」が起きたりして・・・・・・、活気が生まれることは、かなり難しいのでは?

日本中が少子高齢化です、春日部も逃れるのは難しいと、「高架化」への投資は、「効果」は期待できないと思います。

拡大再生産的、自転車操業的、そんな発想から、少子高齢化しても、経済が縮小しても、のんびりと面白可笑しく暮らすことに、知恵と、勇気と、男と女で、未来に向かって街造り、何てことの方が・・・・・・。

誰が何と云おうと、東と西を結ぶと云うなら、駅上に連絡デッキを造った方が投資は少なく・・・・・・。何か、通りすがりのよそ者が、長々と、余計な口を挟んでしまった。

兎に角、それで、駅前からメインストリートの眺め。

これより、日光街道側、東口に向かいたいと思います。たぶん、こちらの方向に連絡通路がある気配がするのです。

何か、由緒謂われがありそうな「老木」が眼に入って来ました。

これより、東口に向かいます。

 

それでは、また次回。

  

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春日部 ④ クレヨンしんちゃん!と桐箪笥で大塚家具は線路を挟んで親子で対峙!

2018年03月22日 | 街の風景

前回の続きです。

いよいよです。春日部駅の西口側から攻めたいと思います。

本来と云うか、不確かな記憶では、神社仏閣、店蔵など宿場町の面影を残すのは、日光街道がある東口側なのです。

それなのに、それなのに、西口側から先に攻めたのは、この風景、この雑居ビル群に誘われたのでした。

久しぶりのゴチャゴチャ看板群。イイです!興奮します!

いろいろ入っています。宮崎県も進出しているのです。

メニューのタテ看板が乱立している「磯丸水産」24 時間営業です。最近は人手不足、この手の商売で24時間営業は珍しいです。昼近くでしたが、店内に客の姿は有りませんでした。

こういう居酒屋とは、かれこれ10数年ご無沙汰しております。ホント!あの頃はよく飲んだ!酷いときには月曜日から金曜日まで連日宴会の日々、あのままの生活が続いていたら、今はもう、土に埋もれていたかもね。

そうでした。春日部と云えば「クレヨンしんちゃん」です。そして、私は子供の頃に「クルマ屋のしんちゃん」と呼ばれていました。オヤジが車の修理屋をしていたのです。

路地の奥には「IDC大塚家具」のビル。

ここ、春日部は「大塚家具」創業の地だったのです。春日部は桐箪笥の産地として、それなりに有名だったのです。

春日部はクレヨンしんちゃんよりも、桐タンスの街で、大塚家具創業の街とは、これまで、まったく知りませんでした。

後で分かったのですが、西口にIDCがあり、東口には「匠大塚」の大きな店舗があったのです。線路を挟んで対峙しているのです。

IDC大塚の社長さんが、娘の「大塚久美子さん」で、匠大塚の社長?会長?がお父さんの「大塚勝久さん」です。

父と娘の、追い出したり、追い出されたりの争い、最後は父親が追い出され? 創業の地春日部に”匠大塚”を構えたようです。

IDCも匠も、内部抗争で疲れ果て、そして、イケヤとか、ニトリとか新興勢力に、囲まれ、挟まれ、あまり明るい未来は、なかなか、見えないようです。まあ、私には、まったく関係無いことですが、それなりに、すこしだけ気にはなるのです。

ここで一枚自撮り。マスクに、サングラスに、黒い帽子で、辺りを撮りまくる怪しいオヤジ。 

日高屋に、白木屋に、丼てんや、看板を眺めるだけで、何か、とても、とても、テンションが上がるのです。

こちらは、鶏肉料理が専門。

鶏の唐揚げです。Sが3個で270円、Mが5個で450円、Lが10個で900円、何のことは無い、1個90円と云う事。1個の単価は変わらないのです。

いろんなモノがあります。たまにはこんな店で、男と女、呑んで語って、 笑って怒鳴って、何て思ったりして、でも、歳ですから、そんな事をカウンターの隅から眺めつつ、一人酒なんて、思ったりするのでした。

うん、歓楽街と云うか、飲食街と云うか、飲み屋街と云うか、そんな喧噪に思いを馳せつつ、路地を曲がると、今の私に、歳相応?の落ち着いた構えの「和風レストラン 」の看板。

 こちらではビルの解体中。ずっと、ずっと眺めていたかったのですが、先を急ぎます。この先を左に曲がると駅前広場です。

本日はここまでとします。

それでは、また。

※佐川宣寿氏の証人喚問が来週の火曜日に決定されました。佐川クン!みんな喋ってスッキリしましょう! どちらにしても、彼方の逮捕は決まったのです。安倍政権は、もう彼方を見捨てました。

 

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春日部 ③ 砂糖専門店の「わび・さび」の看板と安倍昭恵ちゃんの居酒屋再開を願って!

2018年03月19日 | 街の風景

前回の続きです。

前回、春日部駅が「アーバンパークライン」と「スカイツリーライン」が交差する駅と分かり、それなりに驚きました。

アーバンパークラインの踏切を渡りきり、ふり向いて、一枚パチリ。

踏切の先、最初の信号を左折し駅に向かいます。

直ぐにスカイツリーラインの踏切が見えて来ました。

周囲の風景とは異質な仕舞た屋と云うか、ほとんど廃屋間近と云うか・・・。

久しぶりに見る、「わび・さび」の看板。それにしても、カミヤ商店は砂糖だけを商っていたの? 砂糖単品で商売が成立する時代があったの? 六十八年生きてきましたが、「砂糖屋さん」は知りませんでした。

踏切を電車が通過します。でも、ここでは踏切を渡りません。

現役を引退されたようにお見受けするオジサン。その足下には、現役を引退していると見られるゴミ箱が、懐かしいタイプのゴミ箱です。

 電車が通過するのを見届け、線路脇の路地を駅に向かいます。

「わかば耳ビ科」です。耳鼻科ではなく、耳び科。初めてみる表記です。”び”が、とても、とても、強く感じます。”び”の音だけが、ビィ~ビィ~と、強く、強く、耳に響きます。

耳鳴りしそうな「わかば耳び科」を過ぎた電柱に”おしゃれ横丁”の看板がひっそりと、

どこら辺りが「おしゃれ横丁」なのか、そこいらをウロキョロしたのですが、よく分かりませんでした。

駅のホームです。

今どきの駐輪場は、こういう風になっているのです。

それで、話しは、寂しい春日部駅から、安倍政権に飛びます。

本日は参議院の予算委員会で「森友関連の公文書偽造問題」の集中審議が開かれています。政府は”しらバックレテ”、大きな進展は無いと思います。

安倍政権の支持率が各社の調査で軒並み急落で、30%の前半となりました。以前も「もりかけ」で急落しましたが、総選挙で勝利して支持率回復。

今回は、北朝鮮のミサイル発射はなさそうですが、国政選挙も有りませんし、人の噂も75日で、国民は、そのうち忘れると考えているのです。確かに、それも真実。

今回もは「佐川宣寿氏」にすべての責任を押し付ける作戦のようです。いままでは、憎たらしい高級官僚に見えていたのですが、最近では、体つき、顔つきから、気の弱い小役人に見えてきました。

安倍政権に楯突いた、前文部次官の前川氏が、佐川氏にすべてをしゃべってスッキリしろと呼びかけているようです。

ですが、前川氏と佐川氏では、家庭のと云うか、家計のと云うか、事情がかなり異なり、スッキリしたいが、この先の生活を考えると、前川氏のようなちゃぶ台返しは期待できないと思います。 

それと、安倍昭恵さんですが、お茶目と云うか、物事を深く考えないと云うか、脳天気と云うか、とても、とても、明るく、一緒に酒を酌み交わしたら、かなり、かなり、楽しい方とお見受けします。

でも、しかし、そんな楽しいオバサンですが、総理夫人となると、かなり、かなり、問題なのです。

たぶん、結婚当初、昭恵ちゃんも、晋三クンも、総理大臣になるとは夢にも思わなかったのでしょう。

昭恵ちゃんが悪いのか、晋三クンが悪いのか、いや、晋三クンを総理大臣にしたり、選挙で勝たせたりした、有権者の責任なのです。

もう、晋三クンは辞任して郷里山口に帰り、昭恵ちゃんは、そこで、もう一度居酒屋を営んで下さい。晋三クンは、のんびりと焼き鳥でも焼いている方が身の丈にあっています。

元総理の居酒屋は、きっと、きっと、きっと、流行ると思います。その時は、必ずお店にお邪魔します。その際はよろしく。

それでは、ここまで。

春日部話しは、まだ、まだ、続きます。

 

それでは、また次回。

  

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春日部 ② 東武野田線の”アーバンパークライン”はそれなりのジョークですか?

2018年03月16日 | 街の風景

前回の続きです。

先ずは、ここで訂正をします。前回、「水戸街道」と記したのは「日光街道」の誤りです。失礼しました。

今朝、ウォーキングの途中で、春日部は水戸街道?って書いたかも?帰宅して直ぐにブログを確認したら、案の定「水戸街道」となっていました。水戸街道と日光街道が頭の中でゴチャゴチャに記憶されていた?二つの街道は印象が薄い?

それでは、しっかり気お取り直して続きの始まりです。

ハイ!春日部駅を目指して歩いています。

途中で駅への方角に間違いがないか、念の為に、工事現場の入り口で佇むカードマンの方に、

「スミマセン!春日部駅はこちらの方向ですよね?」尋ねると、

「いえ、向こうですよ!」と、歩いて来た方向を呼び差すのです。

「えっ!反対なの!?」と叫ぶと、

「あっ!間違えた!あっちは北春日部の駅だった」と、直ぐに訂正。

きっと、あのガードマンの方は毎日、毎日、北春日部駅で降りて、この現場まで歩いて来ているのです。北日部駅から歩いた方が近いのです。

そんな、こんながあったりして、春日部駅に向かって歩いていると、こんな看板に遭遇。

「春日部市勤労者会館」の看板。勤労者会館?なんか聴いた事があるような?ないような?それにしても、勤労者と云う文字は、今では、あまりと云うか、ほとんど目にしない、耳にしない、口にしない、言葉です。

愛称は“LIME”だそうです。それなりに努力した結果なのでしょうが、なんか、とても、そぐわないと云うか、こそばゆいと云うか、困ってしまうと云うか・・・・・・。

それにしても、なんですかね?勤労者会館てものは? 調べてみたら、

『勤労者会館は、勤労者の教養を高めるとともに、福祉の増進・地位の向上を図り、豊かな人間性を培うことを目的とした施設です。また、就労者に対する支援事業を行い、家庭・職場・地域などの活動と交流の場、憩いの場として設置しています。』・・・春日部市のHPより

と云う事で、体育室・講習室・和室・茶室・調理室があって、午前と午後の各半日の使用料は1900円~950円程度のようです。詳しく、春日部市にお問い合わせ下さいね。

ネットと調べると、全国の所々の市に勤労者会館はあるみたいです。ただ、“LIME”の愛称を使っているのは、唯一!春日部市だけ!でした。

因みに、我がつくば市には勤労者会館は有りません。一時期流行ったのでしょう。いまでは、全国的に”生涯学習センター”が流行のようです。

ちょっと勤労者会館の話しが長くなってしまった。話しを戻します。

それで、歩き始めると、こんな佇まいの、ちょっとだけ趣を感じる仕舞た屋やがあったりしました。なんと!肥料屋さんで、タバコ屋さんもやっていたようです。時代に取り残されたと云うか、時代が目の前を通り過ぎていったと云うか、商売は難しいのです。

前方に踏み切りが見えて来ました。 セブンアイホールディングスの看板も見えて来ました。思っていたより駅は近いようです。

東武伊勢崎線の踏切です。今は、スカイツリー線? 

左春日部駅方向も線路はカーブ、

右方向も線路はカーブしています。この踏切の先がカーブしている風景が好きです。でも、安全面からすると、それなりに危険箇所?

何て思いつつ線路を眺めていたら、左手後方より春日部駅に向かって走る列車が現れたのです。あれ?あっちにも線路? 車両のデザインから、アチラが伊勢崎線? 

直ぐに、今度は目の前を列車が通過。

その後駅で確認したら、春日部駅は東武野田線と東武伊勢崎線の二つの路線が交わる駅でした。

 因みに、伊勢崎線は2012年の3月17日より、”愛称”が「東武スカイツリーライン」で、野田線は2014年4月1日より「東武アーバンパークライン」と云うそうです。

スカイツリーラインについては、まあ、それなりに許せますが、野田線の”アーバン”については、わたし的には”田舎”のイメージの方が強いので、納得できないと云うか、しっくり来ないと云うか、スッキリしないと云うか ・・・・・・。

アーバンパークラインは4月1日からなので、それなりのジョークが込められていたりして? それは無いか?

兎に角、今回、春日部駅は二つの路線が交差する駅だと、初めて知ったのです。まあ、特に、それほどの意味は有りませんが、わたし的には、それなりの発見でした。

それにしても、今回は、“LIME” とか、”スカイツリーライン”とか、”アーバンパークライン”とか、愛称話となりました。

 

それでは、また。 

 

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