歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑩野田市民会館「謎の390番」

2007年08月12日 | 建物の話し
昨日の続きです。

いろいろ歩き回っているのですが、見学者は他に誰も居ません。それに、職員らしき人の気配も有りません。昼の休憩時間なのかも知れません。

誰も居ない、広い屋敷を先ほどより一人でウロウロ、キョロキョロしています。多分、問題はないと思うのですが、誰も居ないと少し心配になります。

兎に角、勝手に歩き回り、見て回り、触れて回り、撮り捲ります。


この電話室、昔の「お金持ちのお屋敷」には必ずあったのです。テレビや映画では見たことがありましたが、実物を見るのは始めてです。



正面玄関の裏手、脇玄関を入った処に、電話室がありました。電話を掛ける為に、わざわざ専用部屋を造る、今から思うと不思議です。

公共の建物とか町中でしたら、他人の耳が気になるので実用上必要でしょう。

個人の家の中に造るのは、実用性と云うよりも、資産家の「ステータスシンボル」として、当時、流行ったのでしょう。

電話室の壁にあった貼り紙です。

警察が2番で、野田の390番はどこなの? 非常用の番号ですから、それなりの処なのでしょう。しかし、警察があって消防がないのも不思議です。

390番は、警察より下、消防よりも上、一体どこなんだ!そこは? 警察が2番とすると、普通に考えると、消防は1番か3番になる筈ずです。謎の390番です。

電話室から奥に進み、台所に来ました。
マホービンに、湯飲み茶碗に、薬缶が沢山並んでいます。この台所も現役です。


飾り気がなく、しっかりと造られた重量感のある食器棚です。この辺りはお金を掛けず、実用性が最優先で造られています。サスガに経営者です。


ガスコンロの台は、焚き口が二つ有り、薪を焚いた竈と思われます。しかし、焚き口の中には何故か?「ゴミ」が詰まっていました。

ここまでは、管理が行き届いていると思っていたのですが、見てはいけないものをを見てしまったようで、残念でした。


台所の先は風呂場になっていました。白いタイルに、紅色のベンガラ入り漆喰壁、「艶めかしさ」を感じます。それにしても「白と紅」の配色は鮮やかです。

壁に取り付けられた、シャワーヘッドがイイです。


洗い場は8畳ほどの広さで、ゆったりとしているのですが、湯船がとても狭いのです。二人で入る・・・・・・別に、二人で一緒でなくてもいいのですが・・・・・・のはとても無理です。

一人はシャワー、一人は湯船に浸かる・・・・・・・そう考えても洗い場は無駄に広すぎます。冬場など、浴室内は暖房でもしない限り、寒くて居られない気がします。


浴室の天井は手の込んだ板張りになっています。


洗面所も広く、洗面台が二つ並んでいます。この造り、懐かしいです。温泉地の古い旅館を思い出します。


床は寄せ木細工の板張りになっています。


台所、風呂場、と書いてきて、水回り3点セットの「トイレ」を見て来るの忘れた事に気づきました。

いつもの「トイレチェック」を忘れたのは残念です。風呂場、洗面所の凝り方から推測して、それなりのトイレの筈です。

あの広さですから2~3ヶ所はある筈です。しかし、気が付かなかったのも不思議です。厠として別棟だった?


茂木邸は見るところが多くあり、楽しませてもらいました。

さぁーてと、次は「郷土博物館」です。


それでは、また明日。

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⑨野田市「茂木佐平治さんの家」はスゴイ!

2007年08月11日 | 建物の話し
昨日の続きです。

庭を一通り見回し、右奥に茶室があるのを確認したのですが、暑さのせいで面倒になり、遠くから観察しただけで、母屋に向かいました。

庭先からの侵入です。一部のガラス戸は開け放たれているのですが、踏み石の置いてある所のガラス戸は閉まっていました。

踏み石でスニカーを脱ぎ、ガラス戸を開けようとしたら、動きが悪く開かないのです。建て付けが悪い?

金に糸目を付けないで、全国から選りすぐった材料を集め、腕のいい大工と、建具職人を使い建てた家も、80有余年の年月には勝てないようです。

仕方なく、踏み石の端から大股で、かなり無理な姿勢で縁側に這い上がりました。この縁側?廊下?がスゴイです。半分が畳み敷きです。



ガラス戸越しに見るに庭も良いものです。カラス戸の桟がイイです。


青い畳にはオドロキました。サスガに現役の市民会館として、管理も行き届いているようです。

しかし、市民会館としてどんな用途で使われているのでしょうか? 建物に相応しい内容に限定されるのでしょう。

お茶や、お花や、俳句の会とか、手芸とか、そんなところでしょうか? 畳の一カ所に切り込みがあるので、茶の湯の釜が置けるようです。


天井が高く、そして欄間がイイです。ゴチャゴチャとした木の「透かし彫り」より、シンプルな「竹の細工」に、数寄屋造りの良さを感じます。


中庭がまたイイのです。大正の匂いがイッパイしてくるのです。


中庭を囲んで三方が廊下になっています。しかし、広い屋敷です迷子になりそう。


ここが正面玄関です。 ホントはここから入ってくるのが正しいのです。この時、一旦入った所に靴を取りに戻りました。

石畳、踏み石、式台、二間続きの「玄関部屋?接客の間?」。


この玄関、数寄屋造りにしては、立派過ぎて威圧感のある構えです。正面玄関と云うことで「力が入り過ぎ」たのか、厳つい武家屋敷の佇まいです。


庭先から上がり込み、玄関に到達しました。

この後、まだ「茂木佐平治さん」のお屋敷には、面白いものが有りそうそうです。


それでは、また明日。 






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取り壊し「同潤会三ノ輪アパート」

2007年05月26日 | 建物の話し
先日の「場所入り見物」の日、「JR三河島駅」で降り「ウロキョロ」しながら、両国まで歩きました。

ガード下の三河島駅。好きなんです! 三河島で降りたのは、「同潤会三ノ輪アパート」の様子を見て来ようと思ったからです。


「ハングル文字」の看板が眼に付く商店街を通り、「信号」の処で路地を左に入るのですが、何故か?「いつも」違う信号を曲がってしまうのです。




一度間違うと、次回もまた間違うのです。4~5回来て「真っ直ぐに」行き着いたことが一度もありません、今回も間違いました。

覚えようと云う「気力?」がない? 「意識?」がない? それとも「迷いたい願望?」が無意識に作用しているか?

兎に角、今回も「迷い・彷徨い・ウロキョロ」しながら、回り道をして辿り着いたのでした。


「やっぱり」、「案の定」、「予想通り」でした。とうとう「建て替え」られるのです。そろそろ「そんな事態」が来るのではと思っていたのです。


「立ち入り禁止」です。もう誰も住んで居ません。「三ノ輪アパート建設委員会」と書かれています。



1928年(昭和3年)に建設されていますから「約80年」にも及ぶ歴史です。若い時には「80年」は長いと「思って」いましたが、最近では、100年が「一昔」と思うようになりました。

自分が生まれてから「約60年」です、その「過去」の「経過」を「思い返す」と、「100年」も「たかが100年」と思えるようになったのです。




この写真は、3年前に撮った写真です。この「状態」の「建物」に人が暮らしていました。

その時、窓越しに垣間見た部屋の内部を思い出します。
天井は「梁」が「剥きだし」になっており、釣り下げられた「裸電球」の下を、髪の薄い老人の頭が、窓を通り過ぎて行きました。不思議な光景でした。


遂に「取り壊し」です。数週間の「命」でしょう。


青色の「ゴミ収集車」が邪魔です。この角度から『同潤会三ノ輪アパート建て替え計画』の「垂れ幕」を入れた、「全景写真」を撮りたかったのですがホントに邪魔です。


「垂れ幕」にあった『株式会社コスモスイニシア』の文字に「何か?見覚え?聞き覚え?」そんな「気」がしたのです。

調べてみたら、あの「リクルート」の関連会社の「リクルートコスモス」が社名変更して「コスモスイニシア」になっていたのです。「江副浩正さん」は経営者として最近また「注目」されているようです。


それにしても「三ノ輪アパート」は「消えて」しまいます。これで「同潤会アパート」は「上野下」だけになりました。あちらは「状態」が良いので、後数年は生き残れそうです。

「上野下アパート」が取り壊される時は、「最後の」と云う事で「多少」は「話題」になるかも知れません。

最後から「2番目」は注目」されないでしょう。

それでは、また明日です。 
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水戸「弘道館」で「寝転んで」!?

2007年05月15日 | 建物の話し
昨日の続きです。

本日は、「三の丸庁舎」の裏手にある「弘道館」を見学します。

その前に「小ネタ」を一つ。
それは、庁舎の回りを「ウロキョロ」していた時何です、駐車場の先に「パステルカラー」の「建造物」を見つけました。

外観的には「配水塔」と思われるます。それにしても「色使い」が『チョット!チョット!』と、思うのです。周りの風景からも「浮いて」います。

「圧迫感」を「消す」為の「パステルカラー」なのでしょうか? 何でも「明るく爽やか」にすれば「いいのか?」と、「おじさん」は云いたい!

調べてみたら、「国の登録文化財」で1932年(昭和7年)に造られた「配水塔」でした。


さてと、庁舎の裏口から外に出ると、そこは「弘道館公園」です。梅林を通り、数分で「弘道館」の正門に到着します。


なかなか「立派」な「構え」です。さすが「徳川御三家」、「水戸藩」の「藩校」です。


入館料190円を払い、靴を脱ぎ見学です。
正面玄関から入って直ぐの部屋には、「大きく太い文字」の「掛け軸」があり、「尊皇攘夷」の略語、『尊攘』の文字が飛び込んで来ます。

「尊皇だぁ!」、「攘夷だぁ!」、「倒幕だぁ!」、「佐幕だぁ!」、「新撰組だぁ!」「鞍馬天狗だぁ!」何て、幕末の「チャンバラ物」の世界を思いだします。



「弘道館」は歴史ある「藩校」と思っていたのですが、第9代藩主「徳川斉昭」により天保12年(1841年)に創設されたそうです。

大政奉還が1867年ですから、幕末近くになって創設され、幕府が倒れた後の、明治5年(1872年)に「弘道館」は「閉鎖」されているのです。

たった「31年」の命だったのです「短い」です。私は天下の副将軍「水戸光圀」が造ったのかと思っていました。「黄門様」は「エライ人」でしたから・・・。

これが「正庁の間」と云って、弘道館で「一番の部屋」だそうです。藩主が臨席して「学科試験」が行われたり、庭先で行われた「武術試験」を、ここから見ていたそうです。

床の間の「掛け軸」は「弘道館」の「創設」にあたり、水戸藩士の学者「藤田東湖」が書いた「設立趣意書」の「拓本」だそうです。


この日は、見学者は私一人だったので、案内の録音テープを「寝っ転がって」聞いていました。当時であれば「打ち首」ものでしょう。

しかし、由緒のある、広い座敷にただ一人、「寝っ転がって」当時を偲ぶのも「これまた」いいものです。



寝っ転がりながら「何とはなし」に「畳」を眺めていたら、何と「縁」の模様が「三つ葉葵」なのです。これって「史実」の再現なのでしょうか?

当時も「葵紋」の「縁」であったとしたら、「縁」を誤って「踏んだ」藩士は、処罰されそうですね。大変です!

そういえば何かの本に、「仕来り」とか「作法」として「畳の縁」は「踏んではいけない」何て、書かれていたような気がします。


そうです。恒例の「トイレ拝見」です。
「広い」ですねェ~。畳敷きです、これでは「落ち着かなくて」出る物も出ません。さすが「殿様」の「便所」です。

「使用禁止」の「貼り紙」です。「貼り紙」が無い頃に「使用」した「不届きな輩」がいたのでしょう。なかなか「度胸」が「座った」輩です。

「弘道館」は、幕末から明治にかけての「歴史」を勉強してから見学すると「面白そう」です。

勉強してからまた来ようと思います。

明日からは、水戸の「未体験ゾーン」を「走り」ます。今回は自転車でしたから「行動範囲」が広げられ、「端っこ」も見てきました。

それではまた明日。 

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水戸三の丸庁舎「豪華知事室」と「ベンチの温もり」

2007年05月14日 | 建物の話し
昨日の続きです。

一階は「パスポートセンター」で「それなり」に人の出入りがありますが、2階に上がると人通りは途絶えます。

しかし、見事ですね! この自然石の「床」の「スベスベ感」は、「艶っぽい」です。



自然石の「硬さ」の差が、「摩耗」の差となり「七十有余年の時」が造りだした「滑らか」な「自然の凹凸」、「ひんやり」とした「艶っぽさ」です。



壁に天井の梁、それなりの「装飾」が施されています。



この廊下の静けさ、重々しい「お役所」の「匂い」が残っています。


「明かり取り」にも「それなりの細工」がしてあります。


ここで、いつもの「トイレ見学」です。「普通」のトイレでした、「改修」され「昔の匂い」は「まったく」ありません。

「男子用」は「ブルー」に、「女子用」は「ピンク」に、入り口の壁が塗られ、トイレ「付近」だけ「スーパー」の「店内トイレ」のようでした。

踊り場から見た、トイレの入り口です。

階段の「手摺り」、ホントに「摺り摺り」されて「七十有余年」、「ツルツル」で、「ピカピカ」で、「スベスベ」でした。

正面階段と異なり、左右両翼の「脇階段」は「材質」を落としています。大理石ではなく、「自然石」を「混ぜた」、「コンクリート製」です。


三階の廊下は「陽射し」が入り「明るく」なります。


この「コーナーベンチ」が「可愛い」のです。コンクリートの中の自然です。「木」の「温もり」があります。

2階と3階の「一カ所」だけにあり、このベンチに座ったら「何故か?」「餡パン」が食べたくなりました。


この部屋は「NHK文化センター」が使っているのですが、最上階で、正面から一番奥まった位置にある事、そして、「金色」に輝く「壁布」から、間違いなく「知事室」だったと思います。


「白漆喰?」で、「細工」された「天井」です。


どうです! この「豪華」な「壁布」、「何とか?織り」何て云う「由緒正しい」織物何でしょうね。

「ギリシャ」とか、「ペルシャ」とか、「ヘレニズム」とか、「メソポタミヤ」とかの、そんな歴史のある「紋様」なんでしょうねきっと。

昔、東映か何かの「映画」で観た、「御前会議」の「部屋」を思い出しました。

帰宅後に写真を見ていて「発見」したのですが、壁に「電光板?」が取り付けられていました。

拡大して見たところ、左から「議長」、「副議長」、「議会事務局長」、「土木部長」のところまで、判読できました。

「名札」の上に「ランプ」が取り付けられています。多分、在籍しているときはランプが「点灯」するのでしょう。

これで、この部屋は間違いなく「知事執務室」だったと「断定!」します。

三の丸庁舎、なかなか面白かったです。


明日は「弘道館」です。 それでは・・・


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水戸三の丸庁舎の「ネオゴシック」と「内部抗争?」

2007年05月13日 | 建物の話し

昨日の続きです。

さて、内部を見学します。チョットその前に「ゴシック建築」のことが「少し気に」なって、チョコット調べてだのですか、よく分かりませんでした。

「教会」とか「大聖堂」とか、高くて「尖った塔」があって、「過剰装飾」の建物って感じなのですが、それを「ゴシック建築」と云うのは「何とか分かる」のですが、この県庁舎が「ゴシック」と云われると「?」ですね。

この県庁舎を「設計」したのが、『置塩 章 (おじお あきら)』と云う人で、大正から昭和初期に関西で活躍し「公共の建物」を多く手がけた建築家だそうです。

「ネオ・ゴシック様式」だそうです。現在残っている代表作は、神戸市の「旧国立生糸検査所」と、茨城県庁舎だそうです。


そっくりですねェ!「検査所」は昭和7年竣工ですから、「県庁」の2年後となりますが、ほぼ同時進行に近いです。「ネオゴシック様式」だそうです。

どこら辺りが、「ゴシック」で、どこら辺が「ネオ」なのでしょうね。この頃は、「構造、意匠、設備」全て一人で設計したのでしょうか? 

素人考えですが、一回設計した後は、「敷地と規模」に合わせて「縦・横・高さ」の寸法を少し「いじれば」「OK」みたいに思えます。

まぁ。兎に角です!「建築様式」はあまり関係ないです、「分類」したところで「何も」変わらないですからね。

兎に角です! 楽しいです「旧県庁舎」は、「少しカビ臭く」て、「薄暗く」て、「ひやっと」して、「懐かしく」て、「趣き」があって、なかなか「面白い」ですよ。


玄関ですね。ここは「まあ。そうか」と云う感じです。


入って直ぐの正面ホールと階段。思ったよりも「少し狭い」感じがします。しかし、階段、手摺りには「大理石」が使われています。

茨城県は大理石の産地だそうです。どの辺で採れるんだろう?


踊り場から見た、一階のホールの床は「モダン」です。


この階段の「手摺り」と、「支柱?」「欄干?」って云うのか「どっしり」として「とてもイイ」です。


多くの人の「手」で「擦られ」て、「ツルツル・ピカピカ」になった「石の表面」に「時の流れ」を感じます。「ランプシェード?」も「似合って」います。


ところで、この「三の丸庁舎」何ですが、一階にある「パスポートセンター」を除いては、役所と云うより「関連団体」の「雑居ビル」のようでした。

「観光協会」とか、「NHK文化センター」とか、「茨城大学広報室?」とか、「大好きいばらき県民会議」とか、「茨城県高度情報化推進協議会」とか、そんな組織が事務所を構えています。

それで、この入り口の「案内板」の「無秩序」な「林立」何ですが、「関連団体」の「激烈」にして「陰険」な「抗争」の存在を「窺わせる」のです。

「いばらきサポートセンター」の前に「NHK文化センター」が立ち塞がり、その前に「茨城県観光協会」が立ち塞がり、またまたその前に「大好きいばらき県民会議」が立ち塞がっているのです。

一段ずつに「案内板」を置けば、全てが見えて「来館者」には「有り難い」のですが、何故か互いに「他の団体」の「案内板」を「見せまい」としているのです。
きっと「何か!」あるに違いないです。

善意に考えると、単に「清掃」の際に「じゃま」だったので、作業者が一カ所に集め、清掃終了後に「元に戻す」のを「忘れた」とも考えられますが・・・・・・。

話しが逸れてしまった。

続きは明日また・・・・・・・・・ 

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水戸「三の丸庁舎」は「裏」がイイ!

2007年05月12日 | 建物の話し
昨日の続きです。

これが「旧県庁本庁舎」です。この佇まい「なかなか」でしょう? 1930年(昭和5年)竣工です。


現在は「三の丸庁舎」と呼ばれています。この距離、この角度も「なかなか」です。「レンガ張り」の近世ゴシック建築です。

どう見ても「4階建て」なのですが、どの解説を見ても「3階建て」となっています。何故なんだろう? いつか調べなければ。


この玄関は、真に「お役所的」で、「重厚」と云うよりも「威圧的」です。しかし、この威圧感も「懐かしい」のです。


知事はこの「車寄せ」に「黒塗り」の「高級車」を横付けし、秘書課長か何かに「ドア」を開けさせ、守衛の敬礼を受け「登庁」したのでしょう。


正面玄関は「スッキリ!」で「遊び」がありません。まぁ。この先の「ホール」に「注意」を引きつける為の演出かも知れません。


玄関から外の眺めです。これも「スッキリ!」です。


直ぐに内部を見たいでしょうが、ここは「我慢」して頂き、裏側の入り口です。外観は「裏側」らしく「控えめ」なデザインです。


この内部の「色使い」が気に入っています。私がガラスに映っています。


壁の上部から天井の「白」が「イイ!」です。


「灰色」がかった「薄緑の自然石」、表面の「質感」がとてもいいです。そして、上下の「黒のタイル」が、空間全体を引き締めています。


裏側には「ホール」が無い分、この玄関回りに「ちから」が入っています。やっぱり、私の性格上「表」よりも「裏」に「惹かれる」ようです。

「華やか」な「表側」よりも、「寂しさ」漂う「裏側」に「こころ」が動きます。

ありました!「寂しさ」漂う、赤く「錆びた」蝶番が!「真鍮製」ではなく「鉄製」です。昭和5年から「そのまま」の様に見えます。



さてと。これから「内部」に入って行きます。

内部の話しは「明日」です。宜しくネ!
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蛇沼と洋館と「トンカチ」

2007年03月07日 | 建物の話し
先日の日曜日、蛇沼公園に「二人で」行ってきました。

「花粉対策スタイル」の彼女が蛇の彫刻を見て、一言

『この蛇へ~ん! 気持ち悪~い!』




公園の中、春の小川が「サラサラ」と流れていました。


公園を一周して、「あの洋館」に歩いて行ってみる事にしました。


途中、陽当たりの良い斜面に咲いていました。何て云う花なのでしょうか? 
「花びら」の「青紫」が陽に当たり、とっても眩しかったです。


洋館には10分ほどで到着。前回は自転車でしたから、徒歩で30分位と考えていたのですが、予想は「大ハズレ」。

『もう着いたの?』と云われてしまった。
「探し」ながら、「迷い」ながらの前回は、かなり遠くに感じていたのです。

『気持ち悪いから、ここで見ている』と、彼女は「洋館」に近づこうとはしませんでした。暫く一人で観察。




帰り道、彼女に、

『ああいう場所に、一人で、近づかない方がいいわよ。怪しい人だと思われ、警察に通報されたりするから・・・・・・』

『そうだね』と返事をしました。私は「多分」いつでも「怪しい人」と思われているのでしょう。

でも「それも」また、楽しい・・・・・・のかもね。

「航空写真」を見つけました。「赤い→」の所が「廃墟の洋館」です。



公園から、車で市街に向かい、「昼食」の場所を探したのですが、天気がいいので「外」で食べる事に決定。

ヨーカ堂で「お弁当」を買って、「ケーズデンキ」の先にある公園で昼食。




この日は、日向は暑く感じるほどで、日陰を探しての昼食でした。椅子とテーブルのある場所を見つけ食べ始めました。

『静かで、景色がよくて、最高だね!』

『そうね』

何て、のんびり食べていると、

『トン!・トン!・トン! トーン!!』 
『カン!・カン!・カン! カーン!!』と、「甲高い」トンカチの「響き」。

『何にッ!?』と振り向くと、少し離れた公園の柵に面した住宅地で、新築工事の「作業」が開始されたのです。

時計を見ると「もうすぐ1時」。昼休みが終わったのです。「まぁ。しょうがないか」と思いながら、「トンカチ」の「響き」を聞きながらの昼食。

食べ終わって、「ペットボトル」のお茶を飲んでいると、「トンカチ」の音が止み、

『ウィン~ーー』と回転音に変化。「電気ノコギリ」で板を切り始めたのです。

暫くして、彼女が、

『アラ!? アラ!ヤダ! 木の粉が飛んで来たワッ!』

と、ペットボトルの「フタ」を慌てて締め始めました。最初は「のんびり」と、終わりは「慌ただしい」昼食でした。


昼食後は、のんびりと公園を散歩。広い道路の下にある「トンネル」を抜けると、梅が満開でした。

木のそばに寄ると、「甘~い」香りがして来ました。

『へぇー。こんなにいい香りがするんだ!』
『ホント! 甘い香りネ!』




なんちゃって、「春」を楽しんでいると、「何と!」、「あの!」「梅に鶯」ではなくて、「メジロ」が「二羽」飛んで来たのです。



一瞬。「ウグイス色」に「反応」して『ウグイスだ!』と云ってしまいました。
ウグイス色で「目の周囲」に「白い輪」があるのは「メジロ」でした。

ホントに! ホントに! 「春だ~~」と思った一日でした。




最後に、公園の「シンボル」、「ストラータ(層)」で記念写真を「パチリ」。




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北条の街に「究極」の「歯科医院」を見た!

2007年01月10日 | 建物の話し
昨日の続き見たいのものです。

北条の町並みを紹介します。これは、昨日の「呉服屋」さんです、外壁は「黒漆喰仕上げ」風に見えたのですが、良く観察すると黒色の「ムラ具合」から「白漆喰」に「黒の塗装」したようにみえます。

それと、二階の窓回りの木製部分の「ペンキの色」は残念ですね。一階の「重厚感」と「正反対」ですね。実は、それで昨日の写真は「一階のアップ」を載せたのでした。二階はチョット「怪しい」です。


こちらは正真正銘の「黒漆喰仕上げ」です。北条の紹介には必ず出てくる、「宮本さんの家」です。1847年築の「登録文化財」です。


「黒漆喰」と云っても、ほとんどが剥げおちています。しかし、この「白」から「灰色」そして「黒」への変化。自然のグラデーションが「実にいい」味わいを醸し出しています。なかなか「モダン」です、面白いですこれは!

この「黒漆喰塗り」は「白漆喰」より、かなり「高価」だそうです。
「黒漆喰」は、白漆喰の上に「灰」を混ぜた「ねづ漆喰」を塗り、その上に「仕上げ」の「墨」を混ぜた「黒漆喰」を塗った、「三層構造」になっているそうです。
この「グラデーション」はその「証明」ですね。「宮本さん」はお金持ちだったのですね。


こちらの「お寿司屋」さんも「黒漆喰」なのですが、グラデーションを越えています。

白漆喰も剥がれ落ち、地の「土壁」が露出しています。「寂れ感」が漂う、私好み風景です。


そして、これです。どうですか? この「モダン建築」、石造りを模した、昭和初期?の木造モルタル二階建です。メインストリートから路地を入った奥にあります。

四方に石柱を模した柱をデザインしています。窓の形状が、通常の四角型に、アーチ型、そして尖った三角型と、多様なデザインになっています。



この「寂れ感」は素晴らしいです。外壁の退色具合に味わいがあります。ひび割れの補修跡に「哀愁感」が漂っています。

建物の入り口には「歯科医院」の看板があります。人の気配は感じませんでした。その時は、引退した「歯科医院」とかってに判断していました。

しかし、「驚いた」ことに、今回、つくば市の施設案内を調べたら、現役の「歯科医院」として記載されていたのです。

電話番号、住所を確認しました。間違いなく現役です。一度、中に入って診察して貰いたいですね。もしかしたら、若くて美人の「お医者さん」が居たりしてね。

何か「怖いもの見たさ」で一度は治療に訪れたい。皆さん、そんな気がしませんか? 私、先日、下の奥歯のブリッチ治療が終わったばかりで、悪いところがないので残念です。

「黒漆喰」の「土蔵造り」は日本全国どこにもありますが、この「モルタル二階建」の「モダン」な「現役」の「歯科医院」は、日本全国に「数えるほど」しかないでしょう。貴重ですね。

さァ。しっかり歯を磨いて寝ます。 







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「東京物語」-2 上野下アパート

2006年09月28日 | 建物の話し

この写真が「上野下アパート」です。
「三ノ輪アパート」と比較して、外壁の傷みもなく「現役バリバリ」に見えました。きっと設計は同じでも「施工業者」が違っていたのでしょう。
施工業者により建物の耐久性に差が生じるのは今も昔も同じだね。
その後、「東京物語」のビデオを見直していたら、アパート室内の会話シーンで、汽笛の音がバックに入っているのを「発見」・・・我ながら良く発見するのに一人で感心・・・・・。
この汽笛の音から、撮影場所は「上野下アパート」と判明しました。三ノ輪アパートは線路からかなり遠いので。
それと決定的なのが、老夫婦がアパートを訪れる前、上野の山の『寛永寺旧本坊表門』の石段に腰掛けて時間潰しをしているシーンがあるのです。
上野下に間違いありません。
ビデオを観て歩き回る・・・・・楽しいね。

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