歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

"光る君へ" ⑥『進むべき道』アレとコレで石野真子と財前直見の変貌で律令体制の衰退へ

2024年04月18日 | NHK大河ドラマ

今回も、またしても、『光る君へ』のお話となります。

正直な話、そろそろ、もう、飽きてきつつあるのですが、兎に角、"光る君へ"は、いまのところ"ブログ更新"のネタとして、ボケ防止対策として、大事なのです。まあ、こんなことを冒頭から述べては、ホント、身もふたも・・・です。

ボケると云えば、先日、スーパーに買い物に行った際、到着直前で財布を持って来なかったのに気づきUターンとか、買い物忘れ防止の為に、事前に作成した買い物リストを忘れるとか、人の名前が出てこないとか、いろいろ危ないのです。

それと、録画したドラマを見るまでが億劫で、しかし、ところが、見始めると、これが面白くそれなりに楽しく見てしまう。また、ブログ更新も、書き始めるまでが億劫で、一二行書き始めると、それなり、スラスラ・スイスイとなったり、まあ、そんな、こんなの繰り返しの日々。

ところで現在、録画 (好きな時間に見る為) しているドラマですが、朝ドラの「虎に翼」、NHKBSドラマ10の「船を編む」の三本です。一番面白いのは、やはり「舟を編む~」ですかね。

「船を編む~私、辞書つくります~ (三浦しをん原作)」は、辞書編集者の、言葉へのこだわりが、情熱が、言葉の役割が、とても、とても、勉強になります。次回が最終回。それにしても、言語学者役の柴田恭兵(72歳)の容貌の変化に、歳月の流れを感じたりしています。

歳月の流れと云えば、光る君へでも、倫子の母役の石野真子とか、道綱の母役の財前直見とかに、歳月の流れを感じたりしています。まあ、毎朝、鏡に映る我が容貌にも、感じる事ですけどね。

トラと翼は、ヒロイン役が「伊藤 沙莉ちゃん」なので見ていますが、男社会と戦う女性の物語なので、女性が見る分には、それなりに面白い・・・と、しかし、男としては、それなりに・・・痛い。

伊藤 沙莉ちゃんですが、朝ドラ「ひよっこ」(2020年前期)から注目していました。米屋の娘で、米は食べずにパン食で、父親とのコミカルなやりとりが面白かったです。

それで、本題の「光る君へ」ですが、歴史的な背景とか、史実とドラマの関係とか、いろいろ勉強的な意味と、登場人物が多く、名前や、役職を覚えたり、それなりにボケ防止には役立っているような? そんな気がする今日この頃。

平安時代で、源氏物語で紫式部で、枕草子で清少納言で、"かげろう日記"で道綱の母で、摂関政治で政争謀略で 、いろいろと調べたり、考えたりで、ホント! ボケ防止。

それでは、13回『進べき道』です。

この市場での、"縫い針"と"カブ"の交換シーンですが、ここで、わたくし冒頭より引っ掛かったのです。物々交換が一般的だったの ? それとも、貧乏なまひろの特殊な事情? と思ったりしたのです。

調べて見ました。

708年に鋳造・発行された貨幣として"和同開珎"が日本最初の貨幣として教科書などに記されています。しかし、"一般的には流通はしていなかった" との説が有力で、貨幣が流通し始めたのは、鎌倉時代(1200年代前半 )に入ってからのようです。

"まひろ"の紫式部の時代は1000年前後で貨幣は流通しておらず、物々交換の時代だったのです。通貨を必要とする活発な経済活動も、貨幣の価値を保証できる強固な権力も存在していなかったのです。

はい、社会科のお勉強でした。

それで、市場でまひろは、文字が読めないために、親子が引き裂かれる悲しい現場に遭遇します。反物一反と子供一人が交換されるのです。

こういう、縄に縛られ悲しい表情の子供 ! 見ると、ホントに、ホントに、辛いです、悲しいです、可哀そうです。

そして、まひろは、読み書きを教えることで、世の中を変えていく一歩として、自分の使命として、"進むべき道"として行動を始めます。この女の子、とても、とても、可愛いで。

一方、道長の、"進むべき道"です。

領民に過剰な負担を強いて私腹を肥やす"国司"に対して、領民は中央政府に直訴。しかし、その訴えは簡単に却下される。

道長一人が「民なくば我々の暮らしもありません」として、詳しき審議すべきと発言するが無視されます。

二人は、世の中を変えるために、それなりに努力はするが、なかなか報われないのです。

そんな中、道長が婿入りしてからは数年間、会っていなかったまひろの窮状を耳にした倫子は、まひろを雇おうして、屋敷に呼び寄せるが、救いの手を断るまひろ。

別れた道長の屋敷で働くのは、いくら何でも無理筋の話。

その場で、倫子より意外な物を見せられるまひろ。自分が書いて道長に送った文を見せられたのです。道長は、ずっと、ずっと、大切にして、倫子と暮らす屋敷にまで持ってきていたのです。

道長は倫子に婿入りした後も、まひろを忘れていなかったのです。あの時の『妾であっても、まひろが一番』との言葉は嘘でなかった、と、気づくまひろ、動揺します。

忘れられない二人。幼いころに出会い、心を通じ合い、身も通じ合い、誓い合った二人。まひろの初めての男、道長の初めての女、忘れる事はできないのです。

帰り際、二人は、屋敷の中で出会います。

道長の屋敷を訪れたのですから、まひろとしては、もしかして ? は、それなりに覚悟していた筈。しかし、文を見せられた後ですから、かなりの動揺と混乱。

道長とっては、数年ぶりの、突然の再会です。動揺と混乱で呆然自失。

ここで、13回『進むべき道』はお終い。

それにしても、今回、まひろの文に書かれていた「陶淵明」の詩「帰去来の辞」も、道長の屋敷「土御門殿」も、私腹を肥やす「国司」も、すべてをひっくるめての「律令体制」についても、引っ掛かって来ました。

これは、また、いつかの機会に。

 

それでは、また。

 

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"光る君へ" ⑤ 妖しくも怪しい倫子! と 泣くまひろ! 怪演?の黒木華と好演の吉高由里子の対決 !

2024年04月11日 | NHK大河ドラマ

前回の続きです。

さすが、"ラブストーリー" の名手です、大石静さんです。

切れた、別れた、諦めた、と、思ったら、互いに、何度も、焼けぽっくりに火が付きそうになったり、消えかかったり、見ている者を、焦らします。

私としては、何故に道長? です。諦めの悪い奴だと思ったりしています。まあ、二人の関係は、最後まで、付かず離れずで、もつれ、絡まり、引きずっていくのでしょう。

それでは、第12回『思いの果て』です。

左大臣家の倫子を北の方とする、政略結婚を受け入れた道長。当時も、そして、今も、上級国民は、ほぼ政略結婚。

そも、そも、彼ら上級国民にとっては、今も昔も、政略としての結婚ではなく、結婚とは政略なのです。

それで、父から、道長との話を聞かされた倫子ですが、嫌がると予想していた倫子の口から、道長への想いを告げられ驚きの父、左大臣源雅信。

しかし、それにしても、この驚き方は、かなりくさい芝居でした。これは、雅信のキャラクター表現 ?  血筋としては一流で、人柄も良く、しかし、政治力は二流で、それなりに娘想いのやさしい父親ですかね。

彼の官位は従一位で、道長の父兼家とは、官位は同じですが、関白兼家の強引なやり方に、そして、官位は同じでも、天皇家につながる血筋で、家柄は上として、兼家を快く思っていない雅信。

ちなみに、官位は、正一位から少初位下まで30階に分けら一般的に、五位以上の官僚を「貴族」、三位以上の官僚を「公卿」と呼ぶそうです。紫式部 の父、藤原為時は、 正五位でギリ貴族。

この婚姻話は、兼家の血筋に、天皇家の血筋を入れ箔を付けるための、見え見えの政略結婚。可愛いい娘を、憎たらしい兼家の三男の嫁にするのは反対の雅信。

泣くほど好きでは致し方ないとして、倫子と道長の婚姻は進められる。倫子の妖しく、怪しい思惑を感じさせるシーン。

そして、"庚申待ち" の夜、人々は眠らない、眠ると腹の中にいる3種の虫が天に上り、天帝にその人の罪を告げると言われる中国の故事。大陸の昔の人はいろいろ考えるものです。

この夜、道長は、いまだ諦めきれないまひろに文を送り、密会します。

喜ぶ、まひろ、「妾でもいい、あの人以外の妻にはなれない」との思いを抱きつつ、密会の場に飛んでいきます。

『すまぬ、呼び立てて』

『いえ、私もお話ししたいことがあり、お会いしとう御座いました』

そこで、道長から告げられた言葉

『左大臣家の一の姫に婿入りすることとなった。お前には、そのことを伝えねばと思い参った』

想定外の言葉に、唖然、呆然、放心、虚脱、しばらく言葉も出ないまひろ。あの倫子さまでは、道長の心は奪われ、妾となったまひろは、忘れ去られると・・・。

『倫子さまは・・・大らかなすばらしい姫様です。どうぞお幸せに』

『幸せとは思わない。されど地位を得て、まひろの望む世をつくるべく、精いっぱい努めようと、胸に誓っておる』

『楽しみにしております』

妾でいいと言ってほしい道長。

『お前の話とは何だ?』

『道長様と私は、やはり、たどる道が違うのだと私は申し上げるつもりでした。私は私らしく、自分の生まれてきた意味を探してまいります。道長様もどうぞお健やかに・・・では』

すべては終わったと悟り、別れを告げ去って行くまひろ。

道長も、すべては終わったとして、その足で、倫子の居る屋敷へ向かう。

"しな垂れ掛かる" 倫子。愛の欠片もない、見え見えの政略結婚に対して、この反応、戸惑いつつも、"妖しさ" と"怪しさ" を感じつつ、抱き寄せる道長。

倫子との結婚で、道長の、

『幸せとは思わない。されど地位を得て、まひろの望む世をつくるべく、精いっぱい努めようと、胸に誓っておる』

思いは、少しずつ、権力闘争大好き人間に変貌していく、そんな気がするのです。倫子は、妖しくて、怪しい、したたかな女性だと考えます。

それで、突然ですが、ここで、"平安の世"とは、如何に ? と、先ずは気になっていた、人口構成を調べてみました。

平安時代の日本の人口は各種の推測値としては、600万~700万位のようで、平安京の人口の推測値は10万人位のようです。

平安貴族の人数は、上級貴族は30人 (三位以上)、中級貴族 ( 五位以上) は900人、そして下級貴族は4千人で、合計すると4,930人となる。 当時は位階を持つのはほとんどが男性であり、 つまりこの約5千人というのは、ほとんどが成人男性だそうです。

 

と、云う事で、全人口の1.5%が都に住んでいて、都に住んでいる中の10人に一人がが貴族だったようです。

これで、"平安の世" が、以前よりも、何となく、それとなく、少しだけイメージできた気がします。

それで、話を戻します。

これまで、泣いてばかりで可哀そうな "まひろ" 、"紫式部"も一度結婚したそうですが、数年で夫と死別、その後は独身で通したそうです。

それにしても、これまで、泣くシーンが多くありました。吉高由里子さん、とても、とても、涙のシーン、好演でした、素敵でした。

1988年7月生まれで35歳、娘役として、今が一番、脂が乗っています。やっぱり、時代劇向き ?

まひろ・紫式部が、権力闘争を背景にした、長編ラブストーリー「源氏物語」を書き上げたのは、現実には叶わなかった恋の欲求を、妄想と云う形で昇華したのが、源氏物語だった、ような思いに駆られる今日この頃。

それと、ついでと云ってはなんですが、倫子役の黒木華さんですが、1990年生まれで34歳。まひろの由里子さん、と、倫子(ともこ) の華(はる) さん、同年配の二人、役柄としても、女優としても、今後の対決が楽しみです。

はい、これで、本日の第12回『思いの果て』のお話はお終い。

それでは、また。

 

 

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"光る君へ" ④ 北の方と妾の間は無いのです ?  

2024年04月04日 | NHK大河ドラマ

前回の続きです。

第11回、『まどう心』です。

父為時は、政変で失職。"まひろ"は、左大臣の娘 "倫子" に口添えを願うが、いつもと異なる激しい口調で拒絶され、止められ摂政の" 兼家 "に直談判。

しかし、兼家からは、冷たく、厳しく、憎たらしく、拒絶され、これで、父の官職への道は、ほぼ完全に閉ざされます。

思いつく限りの方策は、すべて徒労に終わり、使用人は解雇し家事を自らが行い、もう、なるようにしかならないと、ほぼ観念したまひろ。

でも、しかし、もしかして、もしかして、道長が・・・、救いの手を・・・、かすかな期待を抱きつつ、日々を送るまひろ。

そんなある日、父・為時の同年配の友人"藤原 宣孝"が心配して、為時の留守にまひろの家を訪れます。

『婿を取れ。有望な婿がおれば何の心配もない』

『このようなありさまの家に、婿入りするお人なぞおりますでしょうか?』

『北の方(正室)にこだわらなければいくらでもおろう。そなたは博識であるし話も面白い。器量も・・・そう・・・悪くない。誰でも喜んで妻にするであろう・・・』

『私は、しょう(妾) になるのは・・・』

『私にも幾人の妾がおるが、どの女子も満遍なく愛しんでおる、文句を言うものなぞおらん・・・もっと男を信じろ、まひろ』

年老いて捨てられた妾の、悲しくも哀れな姿を見ているまひろ。

まひろは惑います。もしかして、できることなら道長の正妻に、北の方に、一縷の望みを託します。

そんな日々、歌会の席で、引く手あまたの倫子が、まひろに、

『わたし、今、狙っている人がいるの。両親は猫にしか興味が無いと思ってますけど・・・でも、必ず夫にします。この家の婿にします』

と打ち明ける倫子。

引く手あまたの倫子が、これまで断り続けた理由は、あらゆるつてを使って情報を集め、将来、権力を手中に収める、そんな器量の男を物色していた、と、思います。

それは、私が勝手に思ったのではなく、うすうす、そう思わせる脚本の、演出の、演技の、結果だと、そう思うのです。ホント、倫子は、賢さと、したたかさと、そして、怖さをも、併せ持つ女性。

ここで一言。

人間には、①支配したがる者 ②支配されたがる者 ③支配したくも、されたくもない者、この三種類に分かれる、と、考えます。または、野党的資質? 気質?の者と、与党的資質・気質の者に分かれる、と、考えます。

道長を、権力闘争大好き人間に変えたのは、この倫子の資質・気質の影響が大だと、そう思えて来ました。

そして、そして、待ちに待った、道長から届いた手紙。逢瀬の場に、淡い期待を抱きつつ、飛んでいくまひろ。

抱き合い、求め合う二人、長く、激しく、濃厚な口づけ、いや、"口吸い"、糸引くような口吸いです。これは、実際に舌を絡ませています。NHKとしては、かなり思い切った過激なシーン。

そして、道長は、

『妻になってくれ。遠くの国へは行かず、都に居て、政の頂を目指す。まひろの望む世を目指す、だから傍にいてくれ。二人で生きていくために俺が考えたことだ』

『それは、私を北の方にしてくれるってこと ? 』

『・・・・・・』

『ショウ ( 妾 めかけ ) になれと云うこと ?』

『北の方は無理だ。されど、俺の心の中ではお前が一番だ。まひろも心を決めてくれ』

『心の中で一番でも、いつかは、北の方が・・・』

『それでも、まひろが一番だ』

『耐えられない、そんなの !』

『お前の気持ちは分かっておる』

『分かってない ! 』

『ならばどうすると言うのだ ! どうすれば、お前は納得するのだ・・・言ってみろ・・・、遠くの国に行くのは嫌だ。偉くなって世を変えろ。北の方でなければ嫌だ。勝手なことばかり、勝手な事ばかり言うな』

捨て台詞を残し、道長は去って行くのでした。淡い期待は、木っ端みじんに打ち砕かれました。

妾となる事を拒絶した事で、道長との関係を終わらせてしまったまひろ。それでも道長への想いは残り、拒絶への後悔と、終わってしまった関係に涙するまひろ。

まひろと決別した道長は、父の兼家にたいして、ある決意を継げます。

どうする? どうなる? まひろと道長です。

第11回『まどう心』でした。

ここで、一つの疑問。

正室がだめなら、側室の手があると思うのですが、何故、妥協点として側室の提案はなかったのでしょうか?  受領貴族の娘だとしても、いきなり妾はないと思うのです。

そうでした。そもそも、ここで二人が結ばれては、ドラマは12月を待たずして、終わりを迎えてしまいます。ここで悲しい別れで前半の山場。

これから中盤は、まひろ、道長、倫子の三人の絡みで展開していく?

まあ、それは、それとして、そういう事なのだとして、この続きを期待します。

 

それでは、また。

 

 

 

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光る君へ ③ 末法の世で! 国風文化で! かな文字で! 受領貴族で! 紫式部誕生!

2024年03月30日 | NHK大河ドラマ

冒頭から、勘違いのお話です。

作者の " 大石 静さん "ですが、それなりに、何となく、知っていたお名前でしたが、私は男性とばかり思い込んでいました。

まさか、まさかの、女性だとは! つい先日、経歴を見ていたら、日本女子大卒業とあり、えっ ! そうだったの ! この誤解は、" 伊集院 静 " からの 、勝手な思い込みだったようです。

世間では、それなりに、"ラブストーリーの名手"と言われているようです。知りませんでした。

そうなると、このドラマは、 "ラブストーリー" として見るのが王道なのかも ? 権力闘争は、あくまでも、背景として、物語として、拗らせ、悩み、苦しむ、障害物としての役割 ? 

でも、しかし、やはり、いま放送の大河です。単なるラブストーリーではなく、それとなく、なんとなく、「男女共同参画社会」を絡ませて、それなりに、いまを物語に忍ばせている ? 

まあ、ラブストーリーには興味が薄くなるお年頃なので、勝手に権力闘争を重点に見ていく所存です。それでも、恋の、絡み合い、もつれ合いにも、未だ、それなりに興味はあります。

それで、前回は 「遠くの国へ」、「月夜の陰謀」で、道長と"まひろ"が、それなりに、思いを重ね、誓い合ったところで終わりました。

そして、今回、「まどう心」、「思いの果て」です。二人の恋は、当然ラブストーリーですから、もつれに、もつれて、想定外で、行き違いで、すれ違いで、物語は展開していきます。

まひろの父は政変で失職、日ごろ歌の会で、それなりに通じ合う、理解し合う、左大臣源雅信の娘 "倫子"に力添えを願い出るが、

『それは難しいわ!。だって、それ、摂政様がお決めになったことでしょう ? 摂政様のご決断は、すなわち帝のご決断。左大臣とて覆すことはできません。ごめんなさいね、お力になれなくて』

※これまでのシーンでは、華さんは、お姫様より、お女中向きと思って見ていたのですが、この厳しい表情は、やはり、お姫様に見えてきました。

『では、摂政様に直接お目にかかって・・・』

『おやめなさい ! 摂政様はあなたがお会いできるような方ではありません』

歌の会で見せる顔とは異なる、権力構造に肯定的で従順で、いつもとは異なる厳しい口調で否定されて、戸惑う まひろ。

それで、NHKのHPを見ると、

源 倫子(みなもと の ともこ) 源 雅信の娘で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。まひろ(紫式部)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく』と、紹介されています。

でも、しかし、わたしとしては、" おおらかさと強さを併せ持つ "  だけではなく、賢さと、したたかさを併せ持つ、そんな女性に見えます。

 

そして、倫子に止められても、まひろは、身分の差など、屁とも思わず、道長の父で、摂政の" 兼家 "に直談判。

しかし、

※段田さん、憎たらしくて、イイ感じで、確かに摂政関白 兼家に見えます。

『そなたの父はわしの命は聞けぬと、はっきり申した。・・・一たび背いた者に情けをかけることはせぬ。わしの目の黒いうちに、そなたの父は官職を得ることはない、さがれ ! 』

と、厳しく、冷たく、憎たらしく、拒絶されます。

まひろの訪問を遠くから見届け、驚く道長。父に訪問の件を聞くと、

『虫けらが迷い込んだだけだ』

と、一言。

下級とは言え、貴族の娘。でも、やっぱり、天皇と同等の、いや、それ以上の権力者にとって、下級貴族は、やっぱり虫けら?

そこで、ここで、歴史のお勉強をしたいと思います。物語の時代背景です。

"まひろ" こと、紫式部ですが、所領を持たない下級の貴族。官職を失えば飢え死にです。この下級貴族を"受領貴族"と云うそうです。受領については各自で検索して下さい。

それで、紫式部の「源氏物語」ですが、その誕生の時代背景として、歴史書を紐解くと、

①中国文化へのあこがれは失せ、文学では漢字から、仮名を使ってありのままの感情が生き生きと表現される。国風文化の始まりる。

②仏教は貴族と密接に結びつき世俗化、現生利益追求に走り堕落。

③ 世俗化した宗教に対して、新たな浄土思想が広まる。それに連なって末法思想が広がる。末法とは、釈迦の生きていた時代から遠くなるに従って、仏法は行われず、いろいろな災厄が起こると云う思想。日本では1052年(永承7年)に、末法の世に入ったと信じられた。

④この当時の社会は、末法到来を思わせるように、地震、飢餓、疾病などの天災地異が相次いだ。

⑤かな文字の使用が広がる → 感情や思想の表現が自由に → かな文字は女性が使用 → 女流文学が盛んになる。

⑥女流文学者はその多くが受領貴族の出身で政府と農民との間に立ち、社会の矛盾をもっとも敏感に感じる地位にあった。

と云う事で、  "まひろ" 誕生の歴史的背景でした。

ここまで、それなりに、いろいろ調べて、ボケ防止になりました。

話は途中ですが、長くなったので、これで、本日はお終い。

それにしても、今日は、暑い。

 

それでは、また。

 

 

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" 光る君へ " ② 道長の尻を蹴り上げ ! そして誓い合い身を重ね合う"まひろと道長"

2024年03月22日 | NHK大河ドラマ

"光る君へ" 3月3日放送の第10回「遠くの国へ」、10日放送の第11回「月夜の陰謀」までを、先日、見ました。

それにしても、毎回、オープニングで流れる、テーマ曲と云い、タイトルバックの映像と云い、それなりに、お金と手間暇かけ、豪華で絢爛で雅で、格調高く、妖艶で、とても、とても、好きです。

それで、「遠くの国へ」「月夜の陰謀」のお話です。

支配体制の頂点近い位置に居る、藤原家の三男の道長。史実では、道長の時代に、藤原家の "摂関政治" の全盛期を迎えた、とされています。権力闘争大好き人間だったようです。

このドラマでは、謀略を巡らす権力闘争には興味なし、極少数の支配階級に、富と権力が集中し、圧倒的多数の被支配階級は、貧しく、卑しいとされる、国家の在り方に疑問を抱く、そんな男として描かれています。

脚本家は当然、道長の史実は "百も承知で二百も合点" ですから、若き日の道長が、権力闘争大好き人間に変化していく過程を、まひろ(紫式部)との関係の中でドラマチックに描きあげると云う寸法?

権力は魔力的で、魅力的で、維持するためには、志とは異なる政策も、時には必要となり、そんな、こんなを繰り返すうちに、いつしか、逆転現象が起こり、権力維持が目的となり、志は遠く彼方に消え失せてしまう? 

はい、それでは、この辺で、ドラマに戻ります。

政治に関心のない道長、父たちの権力闘争に嫌気がさし、"まひろ"に、

『一緒に都を出よう。海の見える遠くの国へ行こう。俺たちが寄り添って生きるにはそれしかない』

『どうしたの?』

『もっと早く決心するべきであった。許せ』

『そんな・・・。』

『藤原を捨てる。お前の母の敵である男の弟であることをやめる。右大臣の息子であることも、東宮様の叔父であることもやめる。だから一緒に来てくれ』

『道長さま・・・。うれしゅうございます。うれしいけど・・・どうしていいか分からない。

『分からない?』

『大臣や摂政や関白になる道をを本当に捨てる?』

『捨てる。まひろと生きてゆくこと、それ以外に望みはない』

『でも、あなたが偉くならなければ、直秀のような無残な死に方をする人は無くならないわ。鳥辺野で、泥まみれで泣いている姿を見て、以前にも増して道長様のことを好きになった。前より、ずっと、ずっと、ずっと好きになった。だから、帰り道私も、このまま遠くへ行こうと言いそうになった。でも、言えなかった。なぜ言えなかったのか、あの時は、よく分からなかった。でも後で気づいたわ、二人で都を出ても世の中は変わらないから。道長様は偉い人になって、直秀のような理不尽な殺され方をする人が出ないような、よりよき政をする使命があるのよ。・・・この国を変えるために、道長様は高貴な家に生まれてきた。・・・ひもじい思いもしたこともなない高貴な育ちのあなたが、生きていくために魚を採ったり、木を切ったり、畑を耕している姿、全然思い浮かばない』

『まひろと一緒ならやっていける』

ここで、まひろは、:現実から逃げるな、現実をみろ、と、きつく、強く、厳しく、道長の尻を蹴り上げ、突き放す言葉を放ちます。

『己の使命を果たしてください !  一緒に遠くの国には行かない ! 』

そして、すかさず、心を引き寄せ鷲づかみの言葉、

『でも、私は、都であなたのことを見つめ続けます。片時も目を離さず、誰よりも愛おしい道長様が、政によって、この国を変えていく様を、死ぬまで見続けます』

道長はまひろの言葉に、想いに、心を揺さぶられ、動かされ、誓いあい、心を、唇を、身を、重ね、想いを一つにするのです。

世の中は、男と女の "上部構造と下部構造" と、社会の上部構造と下部構造が、絡み合い、もつれ合い、変化していくのかも・・・・・・。

 このカット、まひろと云うよりも、かなりリアルな吉高由里子 ? 吉高の、甘ったるく、やわらかい、笑顔、話し方と声、好きです。

実際の紫式部とは吉高由里子は、内面的には似ていて 、二人は、かなり理屈ぽく面倒くさい女性では ? 外面的には、かなり異なる女性だったような気がします。

 

それで、このカット、この台詞もよかった。涙を流すまひろに、道長は、

『振ったのはお前だぞ』

『人は幸せでも泣くし、悲しくても泣くのよ』

『これは、どっちなんだ ? 』

『どっちも。・・・幸せで悲しい』

道長とまひろ、最上級の貴族と、最下級の貴族、都では、決して結ばれることは無い、悲しい決断。このことで、まひろの志を成し遂げる、一歩を踏み出した喜び。

まひろは、紫式部は、面倒で、ムズカシイ女性なのです。

『送っていこう・・・また会おう。これで会えなくなるのは嫌だ』

すこしだけ微笑む "まひろ"

いいシーンでした。吉高の表情が、涙が、セリフの間が、語り口が、いい芝居をしています。そうでした、音楽も、照明も、セットも、カメラワークとても良かった。そうでした、脚本が、演出がよかったのでした。

この回の、このシーンが、前半の山場でした。

しかし、この設定は、前回の "どうする家康" の「家康と瀬名」の関係と、うりふたつに見えてしまいます。

所詮、この世は、女と男・・・ですかね ?

歴史は、女によって創られる ?  なんて諺が、格言が、言い伝えが、有ったような ?無かったような? 

それにしても、面倒くさい女に惚れてしまった道長。史実には、道長と紫式部に、それなりの関係を示す記録は無いようです。ただ、「紫式部日記」には、少しだけ道長について触れた記述はあるようです。

兎に角、"光る君へ" 面白いです。

 

それでは、また。

 

 

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『光る君へ 』① "ロバートの秋山" と "ユースケ・サンタマリア" で柔らかな平安宮廷ドラマに !

2024年02月08日 | NHK大河ドラマ

今回も家康に引き続き、NHK大河ドラマ『光る君へ』見ています。

平安時代と云うのが、ちょっとねぇ~、と、思っていたのですが、これが、ケッコウ面白いでのす。

セリフが、ほぼ現代語会話で解り易く、今から千年ほど前の、貴族社会という壁は、あまり感じず、物語の世界に入り易く、脚本も演出も、それなりに考えられています。

そして、そして、それなりに重要な役回りに、ロバートの秋山とか、ユースケ・サンタマリアとか、平安時代の壁を越え易くするキャスティングになっています。

それ以外にも、たぶん私の知らない、それなりに若者に人気の俳優・タレントを起用しているのでしょう。

今回のドラマについて、NHKのHPでは、

『主人公は紫式部(吉高由里子)。 平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語』

と、書かれていました。

これまで放送された5回分を、3日ほどで観たのですが、"変わらぬ愛"とか、"たぐいまれなる想像力"とか、"秘められた情熱"とか、よりも、時の権力内部で繰り広げられる、激しいと云うか、醜いと云うか、汚いと云うか、そんな争いが、とても、とても、面白いのです。

上級国民である貴族の、地位と名誉と、そして、そのことで、もたらされる富と権力を巡る、騙し、騙され、殺し、殺される、人間ドラマとしては、それなりの究極的設定。

そこに、男と女の、美しく純粋な愛と、醜く打算的な愛と、そして、そして、動物的な、本能に赴くままの、単なる生殖行動も絡まれば? これは絶対に面白い?

それで、今のところ、ドラマの中では、ほとんど語られていないのですが、平安時代は、とても、とても、平安でない時代で、そのことから、たぶん、都の名前を平安としたのてしょう。

この時代、陰陽師が活躍したのは、天変地異とか、干ばつとか、洪水とか、飢餓とか、疫病とか、悪いことが頻発し、世の中は、平安ではなく、不安が時代であった為のようです。

陰陽師"安倍晴明"を演じる"ユースケ・サンタマリア" 、メーキャップも、なかなか怪しくて、いいです。

そして、天皇の側近"藤原 実資"を演じる"吉本興業" 所属の"ロバートの秋山"、それなりに好演です、

がァ、しかし、二人が登場すると、何故か大河ドラマというよりも、"コント" を見ている気分になったりするのです。 

まあ、兎に角、堅苦しい宮廷貴族ドラマより、柔らかめの宮廷貴族ドラマの方が、それは、それで、イイと思います。

そうでした、主役の紫式部は"吉高由里子"で、思いを抱く相手の藤原道長は"柄本佑"です。"ちょっとめんどくさい性格"の紫式部に、"ちょっとめんどくさい性格???"と、その筋で囁かれる"吉高由里子"にピッタリだと思います。

それにしても、平安時代は、自然災害に、飢饉に、疫病にと、末法の世で、無常で、世の中は平安ではなかったようです。特に、都市に人口が集中し始めた平安の世は、飲料水、人の排泄物、遺体等の処理が不適切で、人々の健康に影響し、感染症の温床になるとの認識は皆無で、とても、とても、不衛生だったそうです。

それと、そうでした。前回は、信長、秀吉、家康で、戦国時代で、武士の世の始まりの物語でした。

今回は、その前の時代で、天皇親政時代から、権威と権力が分離し、摂関政治で、外戚で、貴族が権力を握る時代の始まりの物語。いろいろと歴史の勉強になります。

それにしても、天皇制の権威は、貴族の藤原氏も、武士の源氏も、家康も、そして、そして、敗戦後のマッカーサーも、その存続を認めてきました。廃絶するチャンスでしたが、彼らは、しなかった? できなかった?

やはり、やはり、このへんの秘密は如何に? です。

神としての天皇の物語を成立させた巧さと、それなりに民を思う政の巧みさと、やはり、日本が島国であった事で、他民族の侵略で、権威権力が入れ替わることが無かった。そんな、こんなの条件が重なったことにより、天皇制は現在も存続している、のでは、ないかな?

それと、NHK出版新書、『世襲制の日本史』(著者 本郷和人)-の冒頭で、「日本は世襲制の社会で、地位よりも人、人というのは血、いや血よりも家、これが日本の大原則だったのです」と、言い切っています。

まあ、そんな、こんなで、いろいろと、お勉強になる、ボケ防止になる、大河ドラマです。

これからが、それなりに楽しみです。

あっ、それと、おまけの豆知識ですが、何と、何と、紫式部は本名ではなく、式部は貴族の地位で、"式部"のところの、通称、紫という娘、という程度の事だそうです。この時代、女性は本名を明かさなかったようです。本名が世間に知れると、悪いことが起きる、と、思われていたそうです。

ですから、同時代の、清少納言も、少納言のところの、通称清と云う娘ということだそうです。知りませんでした。

と、云う事で、この時代の女性は、本名も、生まれた年も、亡くなった年も、記録には残っていないそうです。 

 

それでは、また。

 

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⑪『どうする家康』"伊賀を越え" は〈神君家康の物語作り〉で真実は海上コース!

2023年08月09日 | NHK大河ドラマ

"どうする家康"です。

本日は、『伊賀を越えろ』の回となります。

家康の話も、本日で連続11回目となり、そろそろ飽きてきました。

何を隠そう、私、とても、飽き易い質なのです。長続きしないのです、熱中しないのです、諦めが早いのです、極めることができないのです。

そういう質の人間には、世を極め、天下人となる、偉大な人物の話は、段々と、重たくなり、疲れるのです。

でも、しかし、そもそも、"どうする家康"を、ブログを、綴る一番の目的は、ボケ防止ですので・・・。兎に角、飽きずに励みます。

因みに、このブログは開設が2006年9月からで、来月で17年となります。我ながら、よくも、まあ、飽きずに続けてこられたもんだ、と思います。この際ですから、あと17年やッてみッか ァ! 何て、今、突然、思って、見たり、しているのです。

ハィ、話は家康に戻ります。

ドラマの冒頭、

『岡崎まで、距離にして250㎞。神の君、一世一代の逃避行が始まったのでございます。』

のナレーション。

この、堺から岡崎までの逃避行のコースはいろいろな説があるようで、それによって距離も変わってくるのです。

そも、そも、信長が、光秀に殺された事を、家康が知った時点で、咄嗟に、次は自分だァ!と、身の危険を感じる筈です。でも、ドラマでは、周りから言われて、それなりに感じるのです。

史実によれば、家康は逃げられないと諦め、自害を決意したと言われています。しかし、家臣の説得で諦めたようです。

それにしても、家康は逃避行でいろい危険な目にあうのですが、史実として、その後、家康が天下を取った事を知っていますから、あまり、見ていて、ドキドキハラハラはしないのです。

突然、話は戻ります。

前回、お市の方が、

「あなた様は、兄のたった一人の友ですもの・・・兄はずっとそう思っております。こころを許すたった一人の友には憎まれている・・・あれほど哀れな人はおりませぬ。兄の人生で楽しかったのはほんのひととき・・・竹殿(幼き頃の家康)と相撲を取っていたあのころ・・・。いずれ誰かに討たれるのであれば、あなた様に討たれたいと、兄は、そう思っているのではと・・・兄が遠い昔に捨てさせられたものを、あなたは、ず~っと持ち続けているから」

この相撲を取っていた話ですが、ドラマの前半でも描かれていました。

家康が、織田家に人質として預けられていたのが、天文16年からの2年間です。

家康が生まれたのは天文11年(1542年)で、干支は寅年、寅の日、寅の刻、とされています。しかし、史実としては、天文12年だそうで、この年は卯〈うさぎ〉年なのでした。

このことが、ドラマでは、家康の内面を、生き方を、想いを、悩みを、迷いを、そして、決断を、読み解く、鍵となり、ストーリーは展開されていくのです。

信長に、度々、耳元で「白うさぎ」と云われ、挑発され、屈辱感を味合わされ、そして、最後に、"安土城の決闘"の回、信長の耳元で「兎が狼を食らうのじゃ」と反撃するのです。

それで、話は相撲の話になるのですが、信長は家康より8歳年上です。家康が6~8歳まで織田家の人質でした。ドラマでは二人は相撲を取ったことになっていますが、真ん中をとって、家康7歳、信長は15歳として。

家康は、一歳サバを読んでいますので、6歳対15歳の対決となります。小学校の1年生と中学3年生の闘いです。相手になりません。設定に無理があります、古沢さん。

またしても、ドラマにケチを付けてしまった。でも、こういうの、好きなんです。昔、むかし、品質管理で糊口を凌いでいたので、職業病かもしれません。あら捜しが好きになってしまったのでした。

話を『伊賀を越えろ』に戻します。

兎に角、結末を知りながらの視聴ですから、それなりです。

それにしても、捕らえられた家康と家臣たち、家康は家臣を庇い、家臣は家康への忠誠心を叫び、互いに信じあう姿。

まあ、何とも、美しい人間愛と云うか、主従愛と云うか、人間として、指導者として、後の天下人としての家康への、賛歌を歌い上げるような、美化し過ぎで、気持ち悪かったです。

殿様が「わしを先に殺せ!」何て、あの戦国の世に、云う筈ありません。もし、言ったとしても、それは、かなりの計算ずく、そろばんずく、打算です。

ドラマでは、そんな打算を感じさせるような描き方はしていません。もしかして、していたの? 家康の”タヌキ親爺的面”が顔を出しつつ有る、としての表現?

う~~ん、やっぱり、もっと素直にドラマの世界に浸っていた方が、心と身体の健康の為にも良いのかも・・・反省。 

あッ! 最後に忘れていました。堺から岡崎までの逃避行ですが、一番安全なのは、堺の港からの海上コースだと思います。

最終日は海上を船で渡っていますが、これは、ホントは、堺の港から、ずっと、ずっと、船だったのでは、と、これが一番安全です。

当時の操船技術では、時間が読めないとか、気候的に、どうの、こうの、いろいろ言われていますが、ここは、家康の命が一番ですから、真実は海上コースでは、と、思ったりしています。

“伊賀越え“は、やはり〈神君家康の物語作り〉としての、後の創作だと思ったりしています。わたしの新たな視点です。

うん、まあ、兎に角、そんな、あれ、これ、でした。

 

それでは、また。

 

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⑩ 『どうする家康』本能寺の変はかなり変!北川景子の”お市の方”は良かったです!

2023年08月05日 | NHK大河ドラマ

家康です。

本能寺の変です。

冒頭は、突然、少年信長のシーン。

 『身内も家臣も、誰も信じるな。信じられるのは己一人! それがお主の道じゃ!』

父の教育方針に健気に従う少年信長が、遂にぶち切れて、通説どうりの"うつけもの信長"に変身します。信長12歳。

次に、何度か流れた、寝床で物音に気付き、刀を抜き辺りを警戒するカット。ホント、このシーンは、夢幻として2~3回見せられています。

画面に『天正十年(1582年)6月2日』文字、そして、本能寺の文字が映し出されます。

ここで、視聴者に『今回は夢幻ではありません』のメッセージです。

信長と鎧兜に覆面の武士と切り合うシーン。どうなるのかと思って見ていると、途中で場面は、本能寺門前のシーンへ転換。

そして次の場面は、家康と家臣たちが山中を駆けるシーン。

ここで、タイトルバックに転換。

この手の演出が流行りなのでしょうか、冒頭に、本編のキーになる場面を細切れにして見せる手法。

わたしは、これが、嫌いです。分かりずらく、ドラマの中に入りずらく、思考が途切れます。

タイトルバックが終わります。

場面は出陣の準備をする明智光秀のシーン。5月29日のテロップ。

家来より、信長が少ない手勢で京に向かったことを知らされた光秀。

そこで、明智光秀が、小雨降る中、本能寺に向かう決意を固め、天を仰ぎ、

『ときは 今 雨がしたしる 五月かな』と、歌を呟くのです。

本能寺の変の9日前に、京都の威徳院での歌会で、明智光秀によって詠まれた有名な発句。

何故に有名かと、それは明智光秀が、天下取りを決意した歌との説が、戦国時代好き筋で、それなりに支持されているのです。

こういう解釈なのです。

「とき」は、明智光秀の本姓「土岐」で、

「雨がした」は、雨〈あめ〉は天〈あま〉で、

「した」は下で、

「知る」は「治める、支配する」で、

         『ときは 今 雨がしたしる 五月かな』

                 ↓

         『明智は 今 天下を治める 五月かな』

まあ、それなりに面白いです。解釈が強引です、いくら何でも、そんな風に解釈される歌を、本能寺襲撃の9日前に、それなりの公の場で詠むことは、とても危険で不自然です。

かなり強引な説を、古川良太さんは採用しました。特に、新たな視点ではありません。

これまでの「新たなる視点」が、それなりに面白かったので、いろいろ期待していたのですが、この回は、期待外れでした。

考えて見たら、いくら、なんでも、新たな視点で「本能寺の変」の史実を変えることはできないのです。

本能寺に至る、家康と信長の、内面を、新たにな視点で描くことは可能ですが、史実を新たな視点で、変える事は出来ない、と云う、当たり前の話。

天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が、京都本能寺に宿泊する、織田信長を襲撃し、信長が亡くなった。これだけの話。

それにしても、です。この明智光秀でですが、人相からして、とても、とても、嫌な奴として、悪役として描かれています。光秀がすこしだけ可哀そう。

そして、家康が京都に向かった情報は、京都で待つ家康にも届き、信長を討つ決意を固める家康。

しかし、家臣たちより、「信長を討ったとて、天下は転がり込んでこない。信長の息子たちはどうする 天子様は、公家たちは、彼らを味方につけなければ」と問われ。

「わかっている、だから、これから境に向かう」と、答える家康。堺は国際貿易港で、国産鉄砲の生産地。有力商人との顔つなぎ。

5月29日 織田信長本能寺へ。

6月1日、6日間滞在した京から堺へ向かう家康。信長の入京直前に、京を離れ、堺に向かった家康。このことも「本能寺の変」謎のひとつ。これについての、新しい視点は特になし。

それにしても、実質滞在は一日だけ、信長後に向けての体制作りには、実質的な成果は無理。

そして、そして、ここで新たなる視点。

堺の町で、家康は、信長の妹、お市の方と町中で出会います。

はじめは、男と女、恋愛感情を挟み込み、中休み的な色模様と思っていたら、突然、

「兄を恨んでいるでしょう」と云われ、「とんでもない」と答える家康。そして、驚きの話をきかされます。

「あなた様は、兄のたった一人の友ですもの・・・兄はずっとそう思っております。こころを許すたった一人の友には憎まれている・・・あれほど哀れな人はおりませぬ。兄の人生で楽しかったのはほんのひととき・・・竹殿(幼き頃の家康)と相撲を取っていたあのころ・・・。いずれ誰かに討たれるのであれば、あなた様に討たれたいと、兄は、そう思っているのではと・・・兄が遠い昔に捨てさせられたものを、あなたは、ず~っと持ち続けているから」

※家康は幼少期に織田家に人質にだされていたのです。その後、今川家の人質に。

家康、衝撃です、混乱です。安土城での信長の言葉を思い出し動揺します。

でも、でも、しかし、恨まれることを承知で、たった一人の友に、妻と息子を殺すように命じるでしょうか。疑問です。

まあ、それなりに、互いに男と女を意識しての、なかなか微妙なやりとりもあるシーンでした。立ち去るときのお市の方の表情、よかったです。

『花のあと』〈2009年公開〉での北川景子 2013年08月19日 | と比べると、うまくなりました。十数年の歳月が流れ、それなりに、大人の女に見えてきました。よかったです。景子ちゃん。

話は戻ります。それで、本能寺で家康を待つ信長。死が近いと父から、家督を継ぐように言われた時のことを回想します。

『どうしても耐え難ければ、心を許すのは、一人だけにしておけ。こいつなら殺されても悔いはないと思う友を、一人だけ』との言葉を思い起こし、家康を待つ信長。

そして、本能寺の襲撃シーン。信長を襲った鎧兜に覆面の武将に、腹を刺されながらも反撃し、覆面を剥ぐと、何と驚きの家康。

混乱しました、わたしの見間違い、このカット何度も見直しました。家康なのです。どうなっての、歴史の改ざん、しかし、そのあとの死に絶えたカットを何度も見ると、武将は別人になっていました。

混乱します。こんな演出はありません。

信長の目で、一人称でのカメラアングルで撮影されたならば、信長の目にはそう見えた、となりますが、信長の肩ごしのカットに家康の顔ですから、こんな混乱する手法はありません。

そして、燃え上がる本能寺、腹を刺されても、超人的に闘う信長。あのような闘いの状況であれば、光秀軍は信長の首を取れたと思います。

本能寺の変の謎の一つとして、信長の遺体が見つからなかった事が伝えられています。

そして、堺での家康。お市の方から聞かされた信長の想い。瀬名と息子を殺され、信長に復讐すること、"瀬名の夢"を実現するために天下を取ると誓ったこと。迷います、苦悶します。

そして、「今のわしには到底成し遂げられぬ」と、信長を殺し、天下をとることを断念する、苦渋の決断を家臣に告げます。

そして、翌朝、信長が本能寺で、明智光秀の軍勢により、討ち死にしたことが伝えられます。

数日前まで、殺そうとしていた信長、断念した翌朝に信長の死を知ります。迷い、苦悶し、苦渋の決断をしていた頃、信長はすでに殺されこの世にはいなかったのです。

何という、悲劇、何という喜劇。

明智が、家康の首をとれとの号令を発したこと、明智の兵も名を上げたい浪人、褒美目当ての民百姓、四方は敵だらけと告げられます。

信長は家来と共に、敵だらけの中、伊賀の山中を岡崎に向け、距離約200kmを2泊3日間で駆け抜けます。これも謎のひとつです。

次回、『伊賀を越えろ』となります。きっと、謎の「神君伊賀越え」の新しい視点が提示されるのでしょう。

 

それでは、また。

 

 

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⑨ "どうする家康" 安土城の決闘『是非に及ばず』は信長の解き放たれた言葉 !

2023年08月02日 | NHK大河ドラマ

はい、今日も家康です。

このところ、更新のペースが早くなっています、家康、面白いです。

そして、本日は『安土城の決闘』です。

冒頭より、信長の心象風景を夢として映し出します。

武田を滅ぼし、ほぼ天下統一を成し遂げ、信長の緊張の糸が切れかかり、戦うことに、殺しあうことに疲れ、いつか、誰かに、殺される不安を抱く、信長も戦に疲れている・・・。そんな説明シーンだと思いました。

そして、信長を殺し天下を取ると宣言した家康は、忍びを使って、本能寺周辺で信長襲撃の準備を進めます。

えっ、まさか、家康が実行犯 ? 歴史を塗り替えるの ? いや、その展開はありえません。どういう筋書きで、新たな視点で、実行犯の光秀に繋げていくの興味が湧きました。

話の途中ですが、ここまで画面を見ていて気づいたのです。

あれ、もしかして、本能寺で襲撃され、それが明智光秀の謀反と知った信長が発した『是非に及ばず』の言葉です。これも本能寺の謎のひとつ 。

いろいろ解釈が分かれますが、古沢良太氏は「是〈良い〉も、非〈悪い〉も及ばす〈言っていられない〉」と言うことで、「仕方がない」説で、それを「信長も疲れている説」へと繋げた?  何て思ったりしたのです。

"信長も疲れている説"は、家康が、信長を京都で殺す計画の為に、唯一京都に残る光秀の軍勢を遠ざける為、光秀の差配による祝宴を失敗させます。

しかし、信長がぶち切れし、光秀を激しく打ちのめします。その結果、この謀は、成功しすぎて、光秀は完全に"ぶち切れ"ます、恨みます。本能寺の変、光秀遺恨説です。

この後の、信長と家康が対峙するシーン。これがタイトルの『安土城の決闘』です。

そこで、信長と家康との、生まれ育った環境の違いによる、つくられた性格、考え方の違いによる、言葉の対決が展開されます。

家康「明智殿のご処分は、ほどほどに」

信長「しくじりは許さん、使えんものは切り捨てる」

家康「上様は、厳しすぎる。うちには使えんのが、ようおります」

信長「お前が甘すぎる。おまえのところの家臣は、お前のことを友恒のように扱うではないか。甘くみられれば、足元をすくわれる」

家康「それなら、それで、しょうがない。かって古い家臣に、信じなければ、信じてもらえんと。それで、裏切られるなら、それまでの器だったと。上様、あなたは何でも一人でおできになる。常人ではござらん。まさに乱世を鎮めるために、天が遣わしたお人かも知れません。しかし、私は違います。一人では何もできぬ、これまで生き延びてこられたのは、周りの助けがあったゆえ」

家康が立ち去る際。

「上様、京へ入られるのでございましょう。一足先に行ってお待ちしております。穏やかになった京を堪能したいと思います。今後のことは、その時に」

「京で待ち伏せして、俺を討つつもりか・・・図星か、やめておけ、お前には無理だ白兎。腹の内を見せなくなったな。謝ってほしいか。妻と子供殺して、すまなかったと、謝ってほしいか、謝らんぞ。下らん」

"下らん"の言葉に、家康、ぶち切れます。

「下らん・・・我が妻と息子の死を下らんと申すのか!」

「ああ、下らんな」

「ふざけるな!」

しかし、信長は意外な言葉を、涙を浮かべて、

「俺は、そのような感情、とうに捨てたわ! 人を殺めるということは、その痛み、恨みすべて、この身に受け止めるということじゃ!10人殺せば、10の痛み、100人殺せば100の痛み。万殺せば、万の痛みじゃ! 俺はどれだけ殺した・・・」

意外な展開に呆然の家康、私も、呆然、信長はこんな人?

涙を流しつつの信長、

「俺はどれだけ殺した・・・どれだけ殺した・・・この報いは必ず受けるであろう。俺は誰かに殺される、誰よりも無残にな。だが俺は覚悟はできている。お前はどうじゃ、お前にできて、せいぜい、俺を支えることぐらいじゃ」

家康、呆然、自失。私も、アレレでした。

しかし、しかし、です。人を殺めた痛みに苦しむ信長。この設定は、とても、とても、変です。不自然です、理解できません。

戦国時代を今の感覚で捉えていること。そして、そして、自らの手により殺したのではなく、殺しを指揮しただけの信長。

殺して、心を痛めるのは、前線で殺し合った末端の兵士です。指揮命令する立場の人間には、死者の数は、単なる数字で、それ以上の意味は無いのです。

そして、平時を語りだす信長。

「戦なき世の政は、乱世を鎮めるよりはるかに困難じゃろう。この国のありすがたのためには、やらねばならぬことが多すぎる、恨め、憎んでもいい。俺のそばで、俺を支えろ。」

家康も涙を流しつつ

「私には、あなたのまねはできん。したいともおもわん。わしは、わしのやり方で、世を治める。たしかに、わしは弱い、だが、弱ければこそ、できることがあると、わしは信じる。行き詰まっておるのお主ではないのか?  弱きウサギが狼を食らうんじゃ」

「なら、やればいい」

「俺はわずかな手勢を率いて京に向かう。本当に、お前が、俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て、待っててやるさ、やってみろ」

家康が下がり。信長の少年時代の回想シーン。

・・・論語を繰り返し、繰り返し唱え、何度も、何度も、書き写し、父信秀より、

『誰よりも強く、賢くなれ。お主の周りはすべて敵ぞ。誰もが、この首を狙っている。身内も家臣も、誰も信じるな。信じられるのは、己ひとり。それがお主の道じゃ』と、叩き込まれる少年信長。

純真で、可愛らしい少年信長、愛おしくも、可哀そうに思えました。

頑張って、頑張って、父の教えに忠実に生きてきて、それとは真逆の家康。

疲れ、混乱し、限界を感じ始める信長。

京で待つ家康、少ない手勢で本能寺に向かう信長。

自分を試す、家康を試す、本能寺。 

これは、やはり、すべては『是非に及ばず』の言葉が起点となって、あらたな視点の「家康物語」が組み立てられた、そんな気がしています。そうでしょ古沢さん。

前に、磯田説として、『信長の下に使える者は、どこかで"信長疲れ"を起こしてしまいます。その信長疲れの総決算ともいえるのが、明智光秀の起こした本能寺の変だったといえます』

家臣の失敗を許さない信長、これは、自らの失敗も許さない事だと、そして、相手に緊張を強いる事は、自分にも緊張を強います。

自分だけを信じ、強いリーダーを演じ続け、戦乱の時代を戦い続け、駆け抜けた信長。

本能寺の変は"信長疲れの総決算"の磯田説ですが、わたしは"本人の信長疲れ"の総決算"でもあったと考えます。

信長の自刃を前にしての『是非に及ばず』は、緊張感からの解き放たれたことで、発した言葉だった、と、思うのです。

戦乱の時代は終わりつつあり、信長の時代も終わりつつあり、強い緊張感から解き放たれることを、予測していた、望んでいた・・・・・。

まあ、そういう事です。

さて、本能寺の変、どのように描くのか、楽しみです。

それでは、また。

 

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⑧ 家康覚醒 ! 信長殺して天下取り ! 嵌められる光秀 ?

2023年07月31日 | NHK大河ドラマ

はい、本日も、『どうする家康』の話となります。

中盤の山場であり、見せ場であり、家康の松本潤も、瀬名の有村架純も、信康の細田佳央太も、大熱演でした。二人の自害シーンは見ていて、それなりに、目をうるうるさせてしまいました。

ドラマとして、史実には残されていない、当事者たちの内面を、人間として、母として、父として、夫として、妻として、息子として、大胆に、ドラマチックに、目っいっぱい、これでもか、これでもかと、感動的に描きあげました。

でも、しかし、史実としては、「築山殿〈瀬名〉と信康」は武田側に接近したとして1579年、家康の命により処刑されたとしか残されていません。そこに、どんな人間ドラマがあったのか、想像するしかありません。

ドラマでは、"瀬名の夢"に武田勝頼も、家康も巻き込み、"慈愛の同盟"は着々と拡大しつつあると思われたが、勝頼の裏切りにより、信長に知られる。

勝頼は、企てを信長が知る事になれば、信長と家康との戦になる、と考えての行動でしたが、結果は、戦は起こらず、信長は、家康に、瀬名と信康の処刑を命じ、二人の死で終結。

このドラマ展開、信長と家康を対立させ戦わせ、その間隙を突いて、武田勝頼が勝利する企みは不発に終わります。これは、とても、無理筋の展開。

そして、そして、"瀬名の夢"に家康も賛同し、それに向かって共に行動していた家康に対しての、信長が考えた、罪に対する罰は、愛する、妻と息子を、自分の命で処刑させると云う、かなり残酷な罰でした。

この展開は、とても、とても、感動的でした。 

それにしても、この展開は、二人に対しての二重の裏切りであり、そこまでして、家康はなにを望んでいたのか、画面から読み取れませんでした。

ドラマチックな展開です、新しい解釈です。でも、これは、史実としては、とても、とても、無理があります。でも、しかし、それは違うという、確かな資料は残されていません。

毎度おなじみの磯田道史氏によれば、

『いくら信長に言われたからといって、家康がまったくの事実無根だと考えていたら、さすがに嫡男は殺さないでしょう。多くの研究者が、岡崎の信康と築山殿の処刑の裏には、対武田の外交方針をめぐって、浜松の家康たちとの路線対立があったとみています〈柴裕之『徳川家康』〉 』

私もこの説が、事実に近いと思います。

そして、その後の家康は豹変し、『ぶらり富士遊覧』の回では、信長に、気持ち悪いほど、上様、上様と、下にも置かぬ、誰が見ても不自然な接待を繰り返すのです。

信長は、自ら滑稽踊りを率先して踊る家康の姿に、二人の処刑を命じたことの恨みを、悟られないための行動と、信長も、そして、画面を見ている視聴者も、誰しも分かる、描き方をしています。

『富士遊覧』は、武田勝頼が敗北し武田家が滅亡した1582年に行われました。瀬名と信康の処刑は1579年ですから、3年の月日が経過しています。

そして、ドラマ終盤、家康の豹変を問いただす家来たちを前に『わしは、信長を殺す。天下を取る』と宣言します。家康覚醒です! 

そして、本能寺まで46日のテロップが映し出され、つづくの文字。

そうか、そういう事か!と、思いました。

瀬名が覚醒し、夢を語り、集い、そして、信長の命で、瀬名と信康を見殺しにした家康。

この史実とは、かなり異なる無理な展開は、"本能寺の変"に対する、"新たな視点"へと繋げる布石だったのです。

明智光秀の "本能寺の変"は、日本史最大のミステリーとして、戦国史筋で、巷で、ありとあらゆる説が、唱えられています。

実行犯は、明智光秀で間違いないのですが、先ずは動機で、恨み説、野心説、操られ説等があります。

それに加えて、犯行は、光秀の単独犯説、複数犯説とがあり、動機とも、 いろいろ絡み合い、訳の分からない状態のようです。

古沢良太氏の、この展開では、明らかに家康の絡みを示唆して、次回に続くとなります。

ここで、ここまでのドラマの筋立てに沿って、家康の心のうちを、ちょっとだけ覗いて見たいと思います。

自分も賛同した"瀬名の夢"、自ら下した妻と息子の死に対して、一つの答えが、信長を殺す、天下を取るの言葉だと思います。

信長を殺し天下を取るとの宣言は、信長への恨み、復讐心ではなく、瀬名と信康の夢を、実現する宣言。

家康は、慈愛の心、徳治主義の正当な政治、王道を望んではいるのですが、日本列島が多数の国に分裂していた、群雄割拠、下克上の戦国の世は、王道では覇道に勝てない。との現実的な選択。

21世紀の現在も、平和の為の戦争が、防衛の為の侵略が、世界中起こっています。やはり、地球上に、多数の国家という形態が存在する限り、戦争は終わらないのです。

話が大きくなりました。話を戻します。

兎に角、この先の展開が気になります。

明日あたりには、溜まっている三本『安土城の決闘』『本能寺の変』『伊賀を越えろ』を視聴の予定。

それでは、また。

 

 

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