歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

パレルモを歩く(3)-吊される自転車

2010年02月08日 | 世界の風景
久しぶりの、パレルモです。

旧市街に入って行きます。

通りの名前が、イタリア語に、ヘブライ語に、アラビヤ語で書かれています。一番下のアラビア語は何となく見たような気がしますが、真ん中のヘブライ語は、何だかとっても不思議な文字。ヘブライ語と云えばユダヤ人でイスラエルとなります。

この順番は、人種の多い順なのでしゅょうか、アラブ系が多いと思ったのですが、ここはやっぱりユダヤ系なのでしょう。そういえば、あの“ベニスの商人”に登場する、“悪役の商人”はユダヤ人でした。


イタリアの自転車屋さんです。自転車はホントにイイです。この辺りで普通の自転車はいくら位で買えるのでしょう。

チョット調べてみたら、普通のスポーツ車で5~8万円なので、まあ、日本とそれほど変わらないようです。月収は約30万位ですから、まぁ、日本と同じくらいの感覚で自転車が買えるのです。


右端の真っ赤な自転車で、真っ青な地中海を眺めながら、シチリア島を一周する、う~ん、イイかも知れない。


おじさん、棒に引っ掛け自転車を吊しています。毎日やっているので、ジムに通う必要はないと云ってます。毎朝、毎晩、入れたり、出したり、しているのでしょう。

「半分しか見えなものは、半分しか売れない」との言葉があると、おじさんが云ってました。確かに、客からすれば、見えないものは無いのと同じですから、見えないものは売れる事はないのです。


この自転車屋のおじさんも、トテモイイ顔をしています。それにしても、イタリア人は太りすぎが多いいようです。


うわ~、こういう、金髪の美しい女性が、スラリと伸びた美しい脚を出して、自転車に跨り、颯爽と街を走る、想像しただけで、元気が出てきます。すべてが眩しく輝いています。パレルモはとても良いところです。


こちらは、おじさん達です。自転車の修理でしょうか、こういう、普通の風景は、パレルモまで来て、別に見なくてもいいのです。


路地を進みます、スクターです。イタリアと云えばスクーターで“ローマの休日”です。ここはシチリア島でパレルモです。



今日は、天気も良く、暖かく、風もなく、格好の自転車日より、今日は、この辺でパレルモ歩きは終わり、久ぶりに自転車で近所を走りまわって来ます。


それでは、また明日。


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パレルモを歩く(2)-お兄さんはマフィア?

2010年02月03日 | 世界の風景
昨日の続きです。

イタリアの、シチリア島の、パレルモを歩いている“つもり”になっています。“つもり”になるのも、なかなか、それなりにムヅカシイのです。

画面をじっと眺め、景色、建物、木立、陽ざし、風、温度、匂い、音、人の流れ、いろいろな様子から、自分があそこに居たら、


あの建物窓から街を眺めたら、あの路地を曲がったら、


路地に佇み行き交う人の流れ、車の流れをボンヤリ見つめていたら、


あのおじさん、このおばさん、どこから来て、どこへ行くの? 観光客? 地元の人?  どんな仕事をしているの? 何て、いろいろと、思いを巡らしていると、少しずつ、いつの間にか、そこに行ったつもりになって来たりするのです。


平日の午前、こんなカフェで、タバコをふかし、コーヒーを飲んでいるお兄さん、仕事はどうしたの? 失業中ですか? それとも夜勤明け? パレルモには夜勤何てものはない?


この帽子に、サングラスに、ヒゲのお兄さんは、チョット恐そうです。もしかして? マフィアの一味? シチリアはマフィアが名物だったと? たぶんそうです。危ないから、知らんぷりして通り過ぎます。


教会の前に出ました。広場に立ち、首が痛くなるほど、頭をそらして尖塔を見上げます。青い空に、白い雲、シチリア島パレルモの空の下、聖人達が下界の雑踏を見下ろしています。段々、イタリア気分になってきました。


こういう通り、こういう建物、外国です。お婆ちゃんも洒落ています。やっぱり、洋服は西洋人に似合います。


何百年もの間、何万、何十万、何百万?人達が通り過ぎていった歩道の石畳、表面が摩耗し輝いています。これぞヨーロッパの風景。


いいですねェ~、石造りの建物、年月を経て味わいが出てきます。アルミとか、ステンレスの外壁だと、年月を経て出てくるのは、汚らしさとか、見窄らしさだけです。


こんな通りをひとりで歩き、時々は立ち止まり、上を見上げ、振り返り、また、ゆっくり歩きはじめる。う~ん、いいなぁ~。

それと、あの一番上の階の窓辺に佇み、大きめのカップにタップリと入ったコーヒーなど飲みながら、ボンヤリと外を眺めていたりして、コーヒーはやっぱり“カプチーノ”でしょうか。

寒いニッポン、寒い午後、炬燵に入って、パレルモを歩いています。

それでは、また明日。


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パレルモを歩く(1)-魚市場は?   

2010年02月02日 | 世界の風景
今朝、窓を開けると、昨晩からの雪で一面の“銀世界?”に近い?風景。とても寒いです。

こういう時は、暖かい地中海に行きたくなるのでした。そこで、今日は、イタリアはシチリア島の“パレルモ”をぶらぶらと歩いてみようと思います。まぁ、ホントに歩くのではなく、歩いたつもりになるわけです。

NHKの“世界街歩き”で歩くのです。

島ですから、先ずは船でパレルモに向かいます。漁船と云うより、観光用のボートに見えますが、そのスタイルから遊んでいるのではなく、漁業に従事しているように見えます。


いよいよ上陸。日本の観光地ですと、旅館の幟が出迎えるのですが、イタリアのシチリアのパレルモでは、そう言う風景は繰り広げないようです。

でも、赤いトラックの運転席の下で、青シャツにネクタイの男性が、A4サイズの紙を持って立っていますが、この方は、何となく業者の出迎え的な雰囲気がします。


街に入る前に、港の様子を眺めます。こちらはレジャー用の“ヨットハーバー”でしょうかね。こんなヨットで沖に出て、青い空、青い海、心地よい風、デッキに横になり、ワインを飲んで、ボンヤリして、波の揺れに躰を任せ漂う・・・・・・・、一度やってみたい!


こちらは明らかに漁業従事者のようです。このあたりの漁業は、レジャーボート的小型船が一般的なようです。


これは、所謂、“刺し網”と云うやつでしょうか?


いい笑顔です。毎日、毎日、楽しく暮らしているようです。でも、お父さん、太り過ぎでは?


それにしても、小型船でもそれなりに漁船はあるのですが、漁港に付き物の魚市場は見かけません。水揚げした魚は、卸業者から仲卸を通して、魚屋さん、そして消費者の手元に、そういうルートは日本だけ?

獲った魚は、どなたが? 何処へ? 持って行かれたのでしょうか? この季節は、イワシに、サバが中心だと云ってました。

イワシはフライとか、アンチョビにするのでしょうか? それにしてもイワシは安いのですが、アンチョビは高いです。パレルモではそんなに高くないの? 

イワシがアンチョビに変わるまでには、それなりの手間と、暇がかかるので、やっぱり、パレルモでもそれなりの価格なの?

う~ん。そんな話をしていたら、アンチョビのピサ゜が食べたくなりました。

お父さんに旧市街への道を教えてもらい、港を後にします。



それでは、また明日。


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黄山宏村はすべてが世界文化遺産です

2009年07月06日 | 世界の風景
先週の続きです。

“黄山宏村シリーズ”の、たぶん?最終回です。

お呪い?とか、厄よけ?とか、そんな事なのでしょうか、真っ赤な“お札?”が、どこのお宅の入り口にも張られています。

おじさんが、しゃがみ込み、水路の掃除でしょうか?


このお方、水路から家への取り入れ口のゴミを取り除いているのですが、そのゴミは、後方の水路に“ポィ”しているのです、すべて水に流す・・・・・・そういう事?なのでしょうか。


いろいろ説明に熱中し、後ろから来た女性に気付かず、もう少しで、女性の顔に“ゴミ取りハサミ?”が直撃かるところでした。しかし、おじさんは、女性に対して、まったく知らん顔です。


家に案内してくれるそうです。入り口には、これも何かのお呪いでしょうか? 男の子と、女の子の、絵と云うか、お札と云うか、兎に角、可愛い笑顔です。


これぞ!中国!と云った、格子模様。


この家にも、掛け軸が壁にいっぱい掛かっています。明の時代に建てられたそうで、400年も前です。

父も母も、祖父も祖母も、そのまた父も母も、そのまた祖父も祖母も、ずっと、ずっと、この家で暮らしていた何て、いったい、どんな? 感じなのでしょうか?

我が家では、祖先はせいぜい、祖父と祖母迄で、その先はまったく判りません。父の方は、明治の頃に名古屋方面から東京に出て来たようだと、何かの時に父から聞いたことがある程度です。

代々受け継いで来た家、代々受け継いで来た財産、代々受け継いで来た暮らし方、400年ですからねェ、何とも、重苦しいような、かび臭いような、そんな・・・・・・。


なかなか手入が行き届いた庭です。庭の池、そして、家の床下にも水を廻し、夏はとても涼しいそうです。冬にはどんな効果が? 冬は、やっぱり、寒いので水は止めるのかも?


二階に組まれた櫓を案内してくれました。階段が途中から垂直になるのです。櫓への荷重が垂直に懸かるように設計されているのです。


その昔、斜めに階段を造り、片側に荷重が集中して、櫓が倒れた経験から、このような形式が生まれたのでしょう。すべての知恵は、失敗の経験から生まれているのです。

でも、しかし、櫓が倒れるように、結果は直ぐに判る形で現れないのが人の世の常、いろいろな要因が複雑に絡み合い、何が、何処に、どのように影響したのかはとてもムズカシイのです。

まぁ、兎に角、垂直階段により荷重を分散し、安定し長持ちしている櫓からの眺め、それなりにケッコーでした。


村の中心、半月の池、“月塘”に戻って来ました。外にテーブルを出して夕食です。お父さんは晩酌ですか?


夕食のおかず、う~ん、何でしょうかねェ。


この女の子、この後すぐ、茶碗を抱えて家の中に入ってしまいました。知らない人に見られながらの夕食は、とても恥ずかしいですよねェ。


夕方の散歩です。この老人、何処かで見た覚えがあります。うん、社会党が政権に入った当時の書記長で、たぶん、何かの大臣で入閣された方に、とてもそっくりです。名前は忘れました。


こちらでは、洗濯をしています。


世界文化遺産で、ふつうに暮らす、宏村の人たちです。

村人も、村の暮らしも、ぜんぶ含めて、世界文化遺産なのです。



“世界ふれあい街歩き”で、歩いた、中国は、黄山宏村でした。

これでおしまいです。


それでは、また明日。




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黄山宏村で山椒で麻で痺れます

2009年07月03日 | 世界の風景
昨日の続きです。

人影の無いメインストリートを進みます。

気付きました? 道には“電柱”が見あたらないのです。古い街並みに電柱が無い! これは景観を意識して“地下に埋設”したのでしょうか、ど~も、そう言う気配は感じられないのです。

だからと言って、電気の無い生活をしている訳でもなし、電気は何処を通って家々に送られているのか? 家の裏手辺りの壁伝いをひっそりと?

ヨーロッパの古い街並みを、目を凝らして“良~く見る”と、建物の壁伝いに電線が引かれているのです。石造りがそれを可能にしているのでしょう。

日本では、壁伝いに電力線や電話線を這わすことは、法律的に不可能な筈です。建物とは独立して敷設する事になっている筈です。

それは、それとして、この街では何処に電線を這わしているのか? 私としては、とても、とても、気になるのです。まぁ、そんなこと、ふつうは気にしないのでしょうね。


この壁の下の所に、鉄製と思われるパイプが2本、地面から立ち上がり壁の中に入っていますが、1本は水道管、もう一本は下水道管だと?思うのですが・・・・・・。


それは、それとして、先の方の木の棒に、何やら得体の知れないモノがぶら下がっています。

肉の塊のようです。


間違いない! 肉です!


この角度から見ると、骨とか、筋とか、血管とか、脂肪とか、皮とか、何か、とても生々しい“切断面”が露出しています。

これを見てしまうと、ちょっとこれを食べるのには、かなりの度胸と、根性と、決断と、食欲が必要のようです。


このお家の人が、肉の塊を干していたのです。説明では、豚の生肉を塩漬けにした後、天日干しにしているとのこと。いわゆる“生ハム”の類です。


一度食べたら“癖に”なる味だと、おじさんはにこやかに言っていました。そうです。たぶん、相当に“癖のある味と臭い”だと思います。

癖の強い食べ物ほど、一度ハマルと、二度と抜け出せないのです。

中国の食文化からすれば、この程度のものは、極々ふつうの食べ物だと思います。単に乾燥豚肉ですし、ヨーロッパでも似たような食材がありますからね。

わたしも一度、生ハムを、何かメロンに被せて食べたような、微かな記憶があります。味は、何か、塩辛くて“肉ぽっいハム”だったような気がします。

食べ物は、その国の文化ですから、他の文化圏の人間が、自分の文化に無いからと言って、野蛮だとか、残酷だと言って否定するのは、それこそ、“野蛮”で“残酷”なことだと思うのですよ。

食べ物は慣れなのです。慣れてしまえば何でもOKなのです。

話は少し変わりますが、以前、中国の四川で、辛い、辛い、とても辛い“麻婆豆腐”を、中国の幼い子が、平気な顔で、とても美味しそうに食べているのを、テレビで見たことがあります。

そう言えば、“麻婆豆腐”の“麻”ですが、麻酔の“麻”で、痺れる辛さですが、その痺れる辛さの“山椒”で大変な事があったのです。

以前に、わたくし、庭の山椒の“青い実”を、どんなモンかと? 前歯の先で、ほんの少し囓った事があるのです。

すると、実に接触した唇の処から、痺れが除々に拡大し始め、ヤバイ!これは、もしかして? 口全体に? そして、顔全体に? そして、全身麻痺に?

痺れる唇を鏡で見つめ、言葉がしゃべれる今のうちに、119番に連絡したほうが? と、真剣に思い詰めた事があるのです。

でも、痺れは、暫くして、上下の唇の片側部分でとまったのです。でも、その時は、ホントに真面目に、真剣に、ヤバイと思ったのでした。

あの、小さな、小さな、青い実は、とても、とても危険なのです。2~3粒を口の中に放り込み、ぐしゃぐしゃ噛んだら、これは、もう、間違いなく救急車のお世話になっていました。

話が逸れてしまいました。

宏村を歩いています。バイクは良く見かけます。


まだ、まだ、ホントに、宏村を漂います。


それでは、また来週。




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黄山宏村で異国情緒はムリでした・・・・・・。

2009年07月02日 | 世界の風景
一昨日の続きです。

宏村のメインストリート、ケッコウ広いのです。壁もそれなりに白く、観光客を目当てに、おみやげ屋さんも、あったりして、中国の観光客でしょうか、仲良く手を繋いだりして、ケッコウなことです。


それにしても、先ほどより、女性の歌声が通りに流れているのです。観光客へのサービスなのでしょうが、何か?、どうも、余計なサービスだと・・・・・・。

我が国の観光地でも、良くあるのです。一度、東北の美しく、静かな、湖の畔のドライブインに入ったら、♪お酒は温めの燗がいい~~・・・が、大音響で流れて来たときには参りました。

通りすがりの観光客は、いちいち文句は云いません。それを良いことに、自分の好きな歌を流しているとしか思えないのです。

演歌は、昼日中、人前で、楽しんではいけません。演歌は、夜夜中、独りで、こっそり楽しむものです。

それで、宏村のメインストリートですが、アカチャンが可愛いですね。たぶん、まだ、“一人っ子政策”は継続されている筈です。


それにしても、観光客の姿はあまり・・・・・・。


おみやげ屋さんの前では、店の方でしょうか? 爺ちゃん、婆ちゃん、二人仲良く、せっせっと豆をもぎっています。


こちらの看板? 良く見ると日本語です。懐かしい“旧漢字”が使われています。右隅には“ハングル”でも書かれています。

やはり、日本の観光客、そして、韓国の観光客がメインなのでしょうか? 何たって“入村料金80元”何ですからね。


このおじさん定年退職してから、このお店を開いたそうで、以前は工場で「給料」とか「労働時間」とか、そんな計算をしていたそうです。

その時から、この算盤で計算していたそうで、電卓は「計算が見えない」ので信用できないと云っておりました。う~ん。そうかも知れない!

それにしても、この算盤の“珠?”がデカイ、これの上げ下ろしは、指先が疲れそうです。そのせいなのか? おじさんの指はかなり太い!


それで、このおみやげ屋さんですが、商品も少なく、商売気も少なく、生活の糧にしている様子もなく、そんな、こんなで、軒先で豆などもぎっているようです。

寂しい風景です。


それにしても、やっぱり、アジアは、とくに中国は、知らない、遠くの、異国の、旅情に浸るのには、無理があるようです。

見る人、会う人、みんな、近所の、おばさん、おじさん、そして、田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃんに、とても似ているのです。話す言葉が違っていても、顔かたちが似ていると、どうしても・・・・・・。

白い壁、瓦屋根、漢字の看板、異国情緒は無理です。折角の旅、遠く感、異国感、孤独感が欲しいのです。

やっぱり、異国情緒は、青い目、金髪、高い鼻、長い脚、石積みの高い塔、横文字の看板でしょうか? 

何か、間違った国を訪れてしまった?

あれ、ちょっと、予定外の方向に・・・・・・・。

う~~ん。 ここで、この“黄山宏村シリーズ”が終わってしまうと、いろいろ、都合が悪くなるので、次回から、楽しみ方を考えねば・・・・・・・・。

たぶん、明日もこのシリーズは続く筈です。


それでは、兎に角、また明日。




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黄山宏村は世界遺産で・・・・・・?

2009年06月30日 | 世界の風景
昨日の続きです。

NHKの“世界ふれあい街歩き”を見て、歩いている“ふりをしている”シリーズで、中国の「黄山宏村」を歩いています。

街の外れに近づき、緑が目に付くようになりました。ひとりで散歩している犬とすれ違います。日本でも見かける犬です。


スケッチの道具を手に提げ、先ほど会った、武漢から来た美大の学生さん達のようです。


やってます、傘をさした方は壁に向かって写生ですか? そんな方を向いて何を描いてるの?


出ました。先ほどから、高い壁と狭い路地で、視界が、ずっと、ずっと、遮られ、広々として、遠くを見渡せる場所に出たかったのです。


街の外周は、緑もあり、遠くに黄山の山並みを望む大自然なのです。でも、何で?どうして? なのです。


狭い一画に密集し、狭い路地に、高い壁に、窓の少ない家、どうしてなの? 土地は、いっぱい、いっぱい、あるのにねェ。

昔は敵が攻めて来るので、防衛上の理由からでは?と考えられますが、それは、ずっと、ずっと昔の事では? と思うのですが、やはり、つい最近まで守りを固める必要性があった?

それより、やっぱり、いろいろな事情から、ずっと、ずっと、昔のまま住み続け、暮らし続けて現在に至り、そして、“昔のままが珍しい”で、世界遺産で、観光客が押し寄せ、入村料金“80元”で、ヨカッタ、ヨカッタ・・・・・・と、云ったところでしょうか。

まぁ、その辺の事情は、置いといて、河のせせらぎを聞きながら、遙か彼方の黄山を眺め、一休みして、街の中心に戻ります。

崩れかけ、剥がれかけた土塀の先に、まだ白さの残る“ばとうがき”が見えます。


門から中庭を覗くと、おじさんが花に水をやっています。ちょっと入ってみましょう。


バイクがあります。狭い路地では四輪車より二輪車です。


この“ジョウロ”なんか、どこか、変?デス。全体のバランスが、これまで、あまり、見かけないデザインです。中国固有の伝統に基づくデザインなのでしょうか?


なかなか広い庭です。建物はやはり窓が少ないです。この住居は二百年前のものだと、おじさんが話してくれました。

テーブルに置かれた“赤い魔法瓶”、同じ色、同じ形、同じ大きさ、他でも良く見かけました。きっと、ヒット商品なのでしょう。


部屋に案内してくれました。いろいろなモノが、いろいろと置かれています。


中国の方は、掛け軸が好きなようで、どこのお家でも良く見かけます。ここは居間なのでしょう。高く積まれたイス、滅多に使わないのでしょう、柱から伸びた紐で、しっかりと固定されています。


このおじさんも、現役を引退して、故郷で余生を送っているそうです。ここの住民は、若いときは外で働き財産を蓄え、老後は故郷でのんびり暮らす、そんなスタイルが、ずっと、ずっと、昔から続いているそうです。

そして、世界遺産に登録された現在、ここの暮らしは変わるのでしょうか?

これからは、外からお金を持った観光客が、大勢村にやって来るのですから、住民の暮らしも、いろいろと変わっていくのでしょう。


まぁ、そんなこと、通りすがりの観光客が考えても・・・・・・。


まだ、まだ、宏村を歩き回ります。


それでは、次回。


※明日は一日ドックの為に、たぶん更新できないと思います。宜しく。



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黄山宏村で中国2~3年の細工を見る

2009年06月29日 | 世界の風景
先週の続きです。

狭い路地に、間口半間ほどの小店、観光客相手のおみやげ屋さんです。竹細工のようです。


店内では、男性が盛んにノミと金槌で、竹に細工を施しています。加工場も兼ねているようです。

男性の作業服を見て、直ぐに頭に浮かんだのは、“人民解放軍”の制服です。たぶん、こんな色をしていました。下に着ている赤いシャツの襟が、階級章に見えたのです。


どうも、私の中国に抱くイメージは、人民服に、人民解放軍なのです、20~30年前でとまっているのです。

今や、改革開放で、中国共産党の指導者もスーツにネクタイの時代になったのです。軍人の制服は今でもこんな色だと思います。

朝鮮民主主義人民共和国の将軍様も、いつかは、きっと、スーツにネクタイの時代がくるのでしょう。

話を戻します、おみやげ屋のおじさんです。

経営者兼、加工職人兼、販売員の男性が、竹製の“急須”と云うよりも、“土瓶”に近い急須を手に、熱心に効能を説明します。

茶葉を茶筒に入れると、茶葉が散らばらず便利と強調しています。普通のことだと思うのですが、あたかも、このおじさんが、世界ではじめて、考案したような話しぶりで、とても、可笑しいと云うか、のどかです。


竹製の急須で入れたお茶は、身体の火照りをとり、そして、一番の効能は茶葉が腐らない事だそうです。

中国の、この地方の、黄山市の、この宏村では、一度急須に入れた茶葉が腐るほど、何日も、何日も、長期間に渡り入れっぱなしで、お茶を飲むのでしょうか?

確かに、竹には殺菌作用があると思いますが、いくら中国でも、茶葉が急須の中で腐るほど入れて置くことは無いと思うのですが、もしかして、そんなこと・・・・・・あったりして?


まぁ、それにしても、中国4千年の緻密な伝統工芸と云うよりも、中国2~3年のお土産品と云った、かなり、大雑把な観光客相手の竹細工です。


購買意欲は、まったく刺激を受けず外に出ます。路地の向かいもおみやげ屋さん。陽当たりの悪い、狭い路地、昔は白かっただろうと思われる壁は、石畳に近い処が青く苔むし、それなりの趣。


こちらは親子?のようで、お婆ちゃんが、背中に髪の毛でも入ったのか、娘に見て貰っているのです。

我が母も、時折、こんな格好をして、“痒いんだけど、何か入ってないかい?”何て事があるのです。どこでも同じなのです。


娘の手には、竹の皮が、盛んに細く引き裂いています。藁を束ねる紐として、加工の真っ最中なのです。


竹の皮を裂いた紐を使って、藁を束ねる? 藁とは、稲藁の事だと思うのですが、稲刈り後に稲を束ねるのに使用する?

我が日本の米栽培農家では、その昔、コンバインを導入する以前、稲を手で刈ったあと、稲藁は稲藁で束ねていたのですが、ここでは、収穫した稲は竹皮の紐で束ねるのでしょうか?

いろいろあるのです。世界は広いのです。

それにしても、狭い路地で、竹の皮を裂きつつ、痒そうにしている、母親の背中を覗き込む風景、とても、いいです。これも、世界文化遺産です。


まだ、まだ、宏村の路地を歩きます。


それでは、また明日。


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世界文化遺産“黄山宏村”で油売りのオジサンは今日も納得のいかない表情で常連客の女性を見送ります

2009年06月26日 | 世界の風景

昨日の続きです。

竹細工屋さんの工場を後に路地を進みます。

この辺りの壁はケッコウ白いです。

それで、この、路面から壁の立ち上がりの隅、雑草と苔、アジアです、中国です。路地には湿った苔の匂いが漂っています。


この真っ赤に塗られた消火栓は路地で良く見かけます。世界文化遺産ですから、防火対策が重要なのです。


はげ落ち、朽ち果てつつあるこれらの文字は、落書きではなさそうです。


掲示板ですか? いゃ、何かのお店のようですから、看板ですか? 商品の説明とか、宣伝広告とか、そんなことが書かれているのでしょうか。


油屋さんのようです。


店の中は、とても、とても、暗~いのです。


何か、明治、大正の匂いがします。建物自体は、もっと、もっと古く、数百年の時を経ているのでしょう。


分銅を使った秤です。外観と云い、内装と云い、秤と云い、こういう店で、商売をして、暮らしを立てているのです。


このご婦人、眉を八の字にして、かなりの早口でまくし立てています。油を買いに来たのです。500㍉リットルのペットボトル1本で充分に入る量の油を、2本に分けて入れるように要求しています。


油屋のおじさん、ご婦人の要求に従い2本に分けて入れます。現金取引ではなく、掛け売りで、それも、原料の菜種で支払っているようです。

菜種1.5㎏で油は500㌘の交換比率だそうです。どの程度の儲けになるのでしょうか、店の様子からは、まぁ、食べていくのが・・・・・・。


未だに、貨幣経済の枠の外での暮らしが残っています。これぞ、まさに、世界文化遺産の暮らしです。ご婦人が最後にキャップをしっかりとしめます。


常連さんのようですが、人の良さそうなご主人は、いつも、いつも、押されっぱなしのようで、“何か? どうも? いつも、納得? いかないんだョなァ~”と言った表情で、ご婦人を見送っています。


黄山宏村は、街並みも、暮らしも、村人も、ぜ~んぶ含めて、世界文化遺産のようです。

黄山宏村、まだ、まだ、ウロキョロと彷徨います。


それでは、また明日。


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黄山宏村の白壁を見つめ昔の面影を偲びます

2009年06月25日 | 世界の風景
昨日の続きです。

黄山市の宏村を歩いています。

宏村は約800年の歴史があり、この村の人達は商売上手で「安徽(あんき)商人」の名で、中国では知られているそうです。


故郷を離れ、一旗揚げて、故郷に錦を飾るのが、安徽商人の誇りなのだそうです。稼いだ富で、水路や白壁?の建物などの美しい町並みが造られたそうです。

“故郷に錦を飾る”と云えば、この“ばとうがき”なのです。


火事の類焼を防ぐための防火壁です。これが、高ければ、高いほど、成功者の証となるのです。日本で云う“うだつ”と同じものです。


商売に成功して、故郷に造ったのが、広い道路に大邸宅ではなく、狭い土地、狭い路地、密集した家屋で、防火壁の“ばとうがき”ですから、その富も、まぁ、それなり、と思われます。


それにしても、白い壁の美しい村と云われるほどに、壁は白くなく、確かに、昔は、白い壁であった事が、偲ばれる程度の白さです。

まっ白に塗り直すと、歴史的な“重み”とか、“風情”とか、“味わい”とか、“趣”とか、そんなものが損なわれるとの、判断が働いているのでしょうか?

それは、それとして、緑のない狭い路地、高い壁で遮蔽された家は、窓は少なく、そして小さく、この中で、どんな人が、どんな暮らしをしているのでしょうか。

中を覗いてみます。


女性の姿が、


切り刻まれた“孟宗竹”でしょうか?


元気よく、体格もよく、明るい女性です。


竹を加工している作業場です。旦那が竹細工職人のようです。


どんなモノを造っているのでしょうか。それで、今日はお仕事はお休みですか?


家の中を案内すると云って、入り口の処で、“これも竹細工”と云って物干しを指さしたのですが、そこには、どう見ても明らかに、“ご婦人用”の“下履き”と思われるモノが引っ掛けて・・・・・・。あまり、美しく無いシーンです。

【このシーンの放映意図は如何に?単なる見落とし?】

壁際のベットが竹細工だそうです。こういうのを造っているようです。


竹細工よりも、この桶は? 何なの?


昔からの暖房装置のようです。ふ~ん、この中に入って暖をとるわけですか、一人用の炬燵ですかね。


宏村は、大陸の中にあっても、温度変化は少なく、夏は涼しく、冬もそれほど寒くなく、平均温度が1度程度だそうです。

冬、日中の平均気温が1度ってことは、日本でいったらどこら辺りでしょうか?

それで、やっぱり、いろいろ思うのですが、白壁は“まっ白”がいいのか、それとも、時の移ろいが偲ばれる“元白壁”がいいのか、かなり、微妙なところです。

美しいのは、やっぱり“まっ白”でしょう。でも、“趣や歴史を偲ぶ”のであれば、“元白壁”の状態でしょう。

うん。ここは、欲深く、どちらの風景も見たくなってきました。でも、世界の文化遺産ですから、かなり、ムズカシイのでしょうか。


それでは、また明日。


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