歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“世界ふれあい街歩き”で、歩く!ブタペストのスターリンとフセイン?

2009年03月03日 | 世界の風景
先週の続きです。

ハンガリーの首都ブタペストの“ブタ”側を歩いています。

ここは“銅像公園”、たくさん、たくさん、銅像があります。これは、第二次世界大戦で、ナチスドイツに占領されたハンガリーを、“解放”した“ソビエト軍兵士の像”です。


こちらは“解放”してくれたソビエト連邦の指導者スターリンの銅像です。靴しかありません。それにしても“デカイ”です。右下の人と比較すると靴だけで3メートルはありそうです。


ハンガリー国民を解放してくれたソビエト連邦、そして、解放者は“支配者”となったのです。小さな国は大変なのです。

そのソ連支配からの“独立”を闘い、そして敗れた1956年の“ハンガリー動乱”、スターリン像は引き倒され靴だけが残ったのです。

この銅像公園には、ソ連支配時代に各地に造られた、42体の銅像が1989年の民主化後、ハンガリー国内からここに集められ、観光名所になっているそうです。

つい最近迄、全国にこんなモノが立ってたのですから、ハンガリー国民は、今更、のこのこ出掛けて来て、こんなモノをとても見上げる気には・・・・・・、きっと観光と云っても海外からの観光客が主なのでしょう。

この“靴だけ像”は、何処かで見覚えがあります。あのイラクの“サッダーム・フセイン大統領像”引き倒し“事件”です。

まぁ、このとき“参加”したのは“一部の国民”だったらしいのですが、こちら“スターリン像引き倒し”は、多数の国民によって行われたそうです。

“サッダーム・フセイン体制”と“スターリン体制”には、似通った特徴があると、専門家の間では云われているそうです。確かに、二つの“靴だけ像”からも、そのことは云えそうです。

このような事は、歴史上でも、2度あることは、3度ありそうです。3度目の靴だけ像は、我が国に近い、あの半島の、あの独裁者の一族が、国民多数の手により・・・・・・、アッ! これ以上、触れては、内政干渉に、そうです、その国の国民の決めることでした。

独裁者、独裁国家は、大きな銅像とか、大きな建造物を好むようです。



大きなモノは、見上げているうちに、大きいだけで、それなりに、偉いとか、尊敬とか、かしずきたい、ひざまずきたい、逆らえない、逆らってはいけない、支配されたい、支配されて当然だァ、となり。



そして、いつしか、思考停止状態になり、支配して下さい!、万歳!、万歳!、万歳!、と、涙を流し叫んでしまう。そんな効果を期待するのでしょうか。

我が国には、為政者の手による“為政者の大きな銅像”は、今のところはありません。見上げるような、銅像が造られた、その時では、もう・・・・・・手遅れなのです。

日本では、今のところ、見上げるような大きな銅像と云えば、


大仏か、観音様です。これは、見上げても、頭を下げても、手を合わせても、涙ぐんでも、叫んでも?、大丈夫です。

今日は、ブタペストの“銅像公園”ウロキョロしました。


“他人のふんどしシリーズ”は、明日が最終回の予定です。

それでは、また明日。


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“世界ふれあい街歩き”で、歩く!ブタペストで温泉

2009年02月27日 | 世界の風景
昨日の続きです。

フリマ公園の先に、こんな建物が、どことなく、それとなく“社会主義の臭い”を感じる建物です。


それなりに堅実と云うか、冷たいと云うか、威圧的と云うか、何処か、何故か、寂しい佇まい。

東欧の、社会主義の、建築に相応しい建物です。

池の畔りに佇み、一人建物を見上げる人。何を想い、何をみつめているのか、冬間近・・・・・・、哀愁です、ロマンです、いい風景です。


でも、しかし、池には“蓮の華”が咲いているのです。冬間近に?


このダウンジャケットのお兄さんに聞いたところ、ここは温泉施設で、池は暖かいの温泉水だそうです。


それにしても、足下には落ち葉がいっぱい積もっています。清掃予算が不足しているのでは無く、このプラタナス?の落ち葉は、“晩秋”の大事な彩りなのです。たぶんそうだと思います。

それにしても、階段の処に腰掛け、こちらを見つめる、あごひげを蓄えたおじいさん、ちょっと気になります。

温泉を楽しんだ帰りでしょうか。それとも、誰かを待っているのでしょうか? 公園のベンチに座り、道行く人を静かに眺める老人、これも東欧の風景、絵になります。

温泉施設の玄関です。施設名の看板も、余計な装飾も、入り口とも、出口とも、何の表示もありません。


奥のドアにも何も無し。日本では、どんな施設でも、やたら、めったら、案内書きとか、注意書きとか、広告が多すぎるのかも知れません。

それにしても、温泉施設にしては“冷たい風景”です。


ロビーはそれなりの暖かさを感じますが、どう見ても、1950年代の匂いがします。


中庭には温泉プール、日本の様な大浴場はないのです。温泉は何と云っても“素っ裸”で入ってこそ温泉です。でも、温泉施設は“スパ”なのです。


この光景は、まさしく社会主義の名残りでしょうか、受付で“書類”に施設利用の“申請”をしているようです。

住所、氏名、年齢、性別、利用目的、何て書かされ、そして、身分証明書の提示を求められたりして? 目的によっては医師の紹介状が必要だったりして?


この白衣の“おばあさん”かなり怖そう。温泉は娯楽と云うよりも、医療とか、保養とか、治療とか、体質改善とか、健康増進とか、そんな、堅くて“真面目”な施設のようです。

日本の様に、喰って、飲んで、歌って、踊って、騒ぐ、そんな雰囲気は微塵もありません。これでは、身体も、気も、休まらないような・・・・・・。


このおじさん、“書類”と引き替えに温泉水を受け取っています。


毎日来ているようです。座る場所も決まっているのです。


如何にも、長年勤め上げた役所を定年退職し、悠々自適の毎日を送る元下級公務員の雰囲気。


この帽子、この顔立ち、東欧の人です。私も、以前、塩原で飲んだ事がありますが、表現しづらい妙な味がしました。まぁ、それぞれの泉質で味は異なるのでしょうが、それでも、どこも旨くはないと思います。


ブタペストには温泉が沢山あるそうです。でも、やっぱり、日本人としては、温泉は、旨いもの喰って、旨い酒を飲んで、が無いとモノ足り無いのです。

これで、ブタペストの温泉紹介を終わります。

まだ、もう少し、“他人のふんどシリーズ”は続きます。


それでは、また来週。


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“世界ふれあい街歩き”で、歩く!ブタペストの“フリマ”

2009年02月26日 | 世界の風景
昨日の続きです。

今日は、ここで“ハンガリー料理”の紹介です。あまり聞いたことがありませんがどんな特徴があるのか?



先ずは、フランス料理で有名な“フォアグラ”です。ハンガリーの名産品だそうです。



ダチョウの“皮下脂肪”で、ダチョウの“肥大した肝臓”をじっくり揚げ、


揚げ終わったら、そのまま、皮下脂肪と一緒に冷やして固め、


スライスします、白く固まった皮下脂肪を“ベットリ”まとったフォアグラ、これぞ“脂肪肝”。旨いモノは、身体にはとても悪いのです。

シェフがハンガリーの大地からは、美味しい食材がいっぱとれると云ってました。


料理の紹介はこれで終わりにして、街歩きに戻ります。ブタの丘を下り、ドナウ河に沿って北に歩きます。岸辺の公園では“フリーマーケット”の様なものが。

タバコに火を点けているお父さん、


息子と一緒に、


朝の5時から店を開いているそうで、家から持ってきた、いろいろな“雑貨品”を売っていました。

少し“頼り無さそう”なお父さん、そして、“生活力”ありそうな息子です。


売り物のなかには、何処からか仕入れてきたような、靴とか、衣類も並んでいます。


仕事をしながら商売もできて、“社会主義の時代よりもづっといい”と云ってました。それでも、暮らしに余裕のある“様子”は感じません。

“余分”になったモノを売っていると云うよりも、生活する為には、売れるモノは売って、暮らしの“足し”にする、そんな様子が・・・・・・。

こちらは、骨董品と云うか、古民具と云うか、単なる“がらくた”と云うか、そんなモノを商っています。


18世紀?の双眼鏡が「1800円」で売れたようです。かなり高いと思います。


骨董品としてではなく、実用品として買い求めたようです。まだ、何とか、遠くが見えるようです。


“フリーマーケット”と云うよりも、生活感漂う“ぶつぶつ交換市”のような雰囲気がしました。

世界同時不況、東欧の旧社会主義国の経済は、相当に厳しい筈です。あのお父さんと息子は、いま、どうしているのでしょう・・・・・・。


それでは、また明日。


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“世界ふれあい街歩き”で、歩く! ブタペスト 赤い服の老女

2009年02月25日 | 世界の風景
昨日の続きです。

ブダの丘、住宅街を歩きます。

古い石造りの家が並ぶ、これぞ、ヨーロッパの街角です。


煉瓦造りの煙突、きっと、この下には暖炉があるのでしょう。


この方は、煙突の修繕を生業としているようです。単なる煙突の煤掃除だけではないようです。

お父さんも、お祖父ちゃんも、そのまたお父さんも、代々、ずっと、ずっと、続いている家業なのかも知れません。



数百年変わらぬ町並み、変わらぬ生活、旅人は、勝手にそう思いたくなるのです。ヨーロッパの外れ、東欧、ハンガリー、そして、ブタペスト、空は灰色で、人は疎らで、静かな町並・・・・・・そんな風景を望んでしまうのです。



そんな町並みを、颯爽と歩く、


若くて、


可愛い、


女の子のふたり連れ。


ふたりは、日本的には小学校の六年生です、ハンガリーでは、初等教育が8年間、中等教育が4年間だそうで、日本の中学校にあたるものは無いのです。

若い二人は、社会主義の時代を知りません。

昼休みに、町を散策しているそうで、冬に向かう今の季節が“一番好き”と云ってました。ブタの町で生まれ育った二人は、渋い季節を好むようです。

眩しい太陽、青い空、白い雲、そんな風景に憧れを感じないのでしょうか、もしかして、夏になると、私のイメージと異なり、ブタも明るく輝く風景になるのかも・・・・・・。

でも、やはり、よそ者は、ブタは暗い冬のイメージの中にあるのです。そして、そこに暮らす人達も・・・・・・。

でも、もしかして、他の女の子に聞いたら、“暗いブタは嫌いよ!夏が大好き!”何て云うかも知れません。

たまたま通りかかった、たまたま冬好きの、“若い二人”かもね。

こちらは、とても “若くない” 赤い服を着たお婆ちゃん。


85歳だそうです。ハンガリーの、“王制時代”、そして“ソ連占領時代”、そして“民主化の時代”を生き抜いてきたのです。父や母、姉弟、夫、娘、息子、いろいろあった筈です。


そんな婆ちゃんが、杖をつきながら、自慢の中庭を案内してくれました。


冬をむかえる中庭はとても寂しい風景です。春になり、夏になると、葉が茂り、花が咲き、鳥の囀りで賑やかになるようです。

白い髪に、赤い服、“お婆ちゃん!よく似合いますよ!”

これまで、いろいろことがあったのでしょう、

“これからも、ずっと元気でねェ”


煙突を修理する人、街を散策する冬好きの小学6年生、赤い服の85歳のお婆ちゃん、いろいろな人が暮らすブダの街。


まだ、まだ、“他人のフンドシ”で、ブダの街を歩きます。


それでは、また明日。


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“世界ふれあい街歩き”で、歩く!ブタペスト 

2009年02月24日 | 世界の風景
本日より、かの有名な、自分が如何にも、歩いているよな、旅番組、NHKの“世界ふれあい街歩き”で、さも、自分で行った気になって綴ります。

これぞ、“他人のフンドシで相撲を取る”と云ったところです。

この例え何ですが、ある時、ある人が、“他人の相撲でフンドシを取る”と云った事を思い出すのです。これは、これで、それなりに面白いと思います。

それでは、“他人のフンドシシリーズ”は、今回、ハンガリーの首都“ブタペスト”を歩きます。

ブタペストはドナウ河を挟んでブタとペストに分かれているのでした。両岸を繋ぐ吊り橋“くさり橋”は1849年にできたそうです。

全長380㍍は、まぁ、丁度良い長さです。吊り橋と云っても吊っているのは、ワイヤーロープではなく、鋼材を連結したものです。

その上を男が歩いて来ます。


この人は、当然、“不審者”ではなく、橋の点検作業を行っている作業員です。それにしても、私服でヘルメットも被らず、安全ベルトもなし、作業靴でも安全靴でもない普通の靴を履いています。

日本では、とても考えられません。ハンガリーは“そう云う国”のようです。人口は一千万ちょっとですから、東京都ぐらいでしょうか。


この方、毎日橋の点検をしているようですが、ここに一人で常駐しているのでしょうか、所謂“橋番”のブタペスト版と云ったところ。

あまり、忙しい仕事ではなさそうです。

公務員なの?、通いなの?、何処に住んでるの?、歳は?、奥さんは?、子供は? 給料は?、暮らし向きはどう?・・・・・・、何て、いろいろ聞いて見たくなります。

ハンガリーは旧社会主義国家です、そして、現在、所得の格差は相当に大きいようなのです。所得の単純平均としては、日本の半分程度みたいです。

旧社会主義国は体制が変わっても、人を“働かす側”の“顔ぶれ”と、“働かされる側”の“顔ぶれ”は特に変わらなかったようです。

橋を渡り終え、見上げる“ブダの丘”には、


大きくて、高くて、立派な、“王宮”が河を見下ろしています。


王宮の屋上?で、観光客相手に絵を売っている絵描きのおじさん。


この方、風景画はまったく描かないようです。こんな、訳の分からない、寓意画?のようなものを売っているのです。


観光客としては、この景色です。


風景画を望むと思うのです。


でも、しかし、彼は、観光客に媚びず、


自己の芸術的な信念を曲げず、断固、風景画を描くことを拒否しているのです。彼は、見下ろす風景が美しすぎて、絵にできないと云ってました。

そうか、そうか、なるほど、と思ったのですが、実は、ホントは、この方、風景画は専門外では?、と思うのです。

ここでは、絶対に!風景画を望む筈です、売れる筈です。でも、彼は描けない、それでも、ここには観光客が集まるのです。

ここで商売をした方が、他の街角で売るよりも、稼げるのでしょう。ここで商売するには、それなりに、届け出とか、認可とか、いろいろと権利関係が発生するのでは? 

まぁ、兎に角、おじさん頑張ってください。

しかし、この丘からの眺め、晴れていれば、もっと、もっと、“絵にも描けない美しさ”なのです。

この日は、曇り空で、どんよりと灰色の靄に包まれていました。

でも、しかし、これは、これで、私としては“東欧”と云う、言葉の響きに似合っていると思うのです。

東欧には、抜けるような青空よりも、灰色の空が・・・・・・、“旅愁”と云う言葉が、そんな、想いを懐かせる、ブタペストのブタ側でした。



それでは、・・・・・・また明日。

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