歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画『蝉しぐれ』で大八車の“ふく”に涙して

2014年09月05日 | 映画の話し
昨日は、NHKのBSで“蝉しぐれ”を観ました。今回はめずらしく録画ではなく生放送?です。偶々チャンネルを合わせたので、冒頭の数分と、途中トイレに立った数分を見逃しています。

藤沢周平の代表作らしいのです。舞台はいつもの、東北の小藩で、下級武士で、貧しくて、美しくて、悲しくて、叶わぬ恋で、こころに秘めた純愛で、堪えて、堪えて、堪えて、そして、正義の剣で清く正しく美しく物語はラストを向かえるのです。

最後はそれなりに予想できるのですが、それでもやはり、ハラハラドキドキで観てしまうのです。

世の中はそれなりに単純で、いい人とわるい人がハッキリしていて、男と女な関係も清く正しく純粋で、時代劇でしか表現できない世界。

それにしても、泣けました、涙がポロリでした。処刑された父の遺体を一人大八車に乗せ家に連れ帰る息子“文四郎”が、山の坂道で苦闘している時、坂の上から駈け下りてくる“ふく”の姿。

何も語らず“文四郎”を見つめる“ふく”、何も語らず“ふく”を見つめる“文四郎”

大八車を引く文四郎、後ろから押す“ふく”

映像も、音楽も、ここは“泣き処”と、とても、とても、盛り上げるのです。これはもう完全に嵌ります、泣けます、美しかったです。

何処かで見たような?と、思った親友の“島崎与之助”は“今田耕司”で、えっ、もしかして?と、思った親友の“小和田逸平”が、あの“ふかわりょう”でした。

この二人が藤沢周平の世界に出現するとは、普段のキャラが思い出されたりして、ヨカッタような?ヨクナカッタような?

清く、貧しく、美しく、そして、そして、強く・・・・・・、観る人を、気持ち良くさせてくれます。現実の世の中では、眼にすることの無いドラマです。

でも、しかし、このような映画を観て、主人公に己を投影し、それなりにスッキリ!するのも、生きて行くには必要かも?

それにしても、大八車のシーンでの、文四郎を見つめる“ふく”の表情は、とても、とても、忘れられません。オジサンとしては、できることなら、“ふく”を、強く、強く、強く、抱きしめてやりたかった!

と、云う、事で、“蝉しぐれ”でした。


それでは、また。



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