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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画『ディア・ハンター』で集団的自衛権に思いを巡らす?戦争はクソだァ!糞だァ!大糞だァ!

2015年10月09日 | 映画の話し
先日、『ディア・ハンター』を観ました。

この映画のタイトルとベトナム戦争関連?の話しだとは、うっすら知っていました。

公開は1978年、ベトナム戦争が終わってから3年後です。

舞台はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外にあるクレアトン。製鉄所で働くロシア系移民の若者の青春を、ベトナム戦争を背景?として描いた作品?

何故にペンシルベニアで、ピッツバーグで、クレアトンで、ロシア系アメリカ人なのか、意味が有るのか?無いのか?作品からはよく判りませんでした。

それで、公開がベトナム戦争が終わって未だ?3年と云う時間が微妙で、アメリカが初めて敗北したベトナム戦争、アメリカとって、国民にとって、その受け止め方は、とても微妙な時期?だった事を踏まえて観るべきなのかも。

それで、出征前、バーのカウンターで一人酒を呑む、グリーンベレーの軍曹に、若者の一人が、ベトナムの戦況を聞くと、軍曹は吐き捨てるように『クソだァ』と二度も云わせているのです。
※これは、1968年にジョン・ウェイン主役で制作されたプロパガンダ映画『グリーン・ベレー』に対しての皮肉かもね。

そんな世相で、そんな背景で、兎に角、三人の若者の青春映画?なのです。

それにしても、それにしても、前半のドンチャン騒ぎの日常風景がとても、とても長いのです。いつ、どこで、ベトナムに舞台が移るのか?と、気になって、気になって、しまうのでした。

見終わって気が付いたのですが、上映時間は3時間ちょっとの大長編だったのです。

ドンチャン騒ぎの日常から、ベトナム戦争への場面転換は、たぶん、一瞬にして、突然であろうと予測していたら見事的中。でも、まあ、それなりに、普通に予測できる場面転換? 

米国本土の平和な?フツウの日常と、ベトナムの戦争の日常との落差を、それなりに意図したそれなりの演出なのでしょう。

新聞テレビで見るベトナム戦争とは異なる生の戦争。兵士も、農民も、老人も、女子供も、泥まみれ、血まみれで、森も町も村も道路も橋も、破壊し、焼き尽くし、殺し、殺される、そんな戦争と米国本土の日常とが、同時進行している現実。

ベトナム戦争は、初めての非対称の戦争? 通常戦の米軍に対して、ゲリラ戦の北ベトナム軍。米兵にとってすべてが敵で、すべてが戦場で、人間の肉体的にも、精神的にも、限界を越えた戦争。

ベトナム人の正義への確信が、アメリカの正義に勝ったベトナム戦争。アメリカは軍事的にも、政治的にも、経済的にも、そして道義的にも、敗北したのです。

でも、しかし、ベトナム戦争を敗北し、それなりに反省したと思ったら、湾岸戦争、そして、イラク戦争、アフガン戦争、そして、テロの拡散で連鎖で、憎しみの増幅で、日常の破壊で、難民の増大です。

シリア情勢ががそれなりに落ち着いたら、国連の平和維持軍が派遣され、日本も当然に参加する訳です。

シリアの内戦?は国家間の通常戦争ではありません。宣戦布告も、停戦も無いのです。前線も後方も無いのです。

そして、日本でも、『グリーン・ベレー』とか、『ディア・ハンター』みたいな映画が作られるのでしょうか?

知恵のある動物は、何だカンダと理屈をつけて、争い、殺し合う、戦争を好む?

戦争と云う、極限の緊張感に、極限の使命感に、それなりに魅力を感じるのでしょうか?

平和を守る為、家族を守る為、祖国を守る為、と云って、また、また、あちらこちらの国々で、戦争が始まる条件がそろいつつある、きょうこの頃。

日本でも法整備は完了しましたので、あとは、その時が、いつなのか?だけです。

でも、しかし、皆さん、ホント! 戦争はクソです! 大糞です! 


それでは、また。



コメント (1)
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