前回の続きです。
志村坂下から蓮根町を彷徨っています。
坂下にあったヘビ屋と三木屋の探索を諦め、中山道を戸田橋方向に引き返します。
懐かしいあの頃の匂いを漂わす風景です。
木造モルタル二階建てのアパートです。外壁がモルタル塗りでなく板張りであったら、私が住んでいた“引き揚げ者住宅”に似ています。
アパートと云えば「UR」です。この辺には、UR物件が、あちら、こちらに散らばっています。
ホンダの2輪専門の販売店です。その昔は2輪車で、少し昔は4輪車の販売店で、そして、今は二輪車販売に祖先帰り、都内で車が無くても暮らしに不便は感じません。地方では車は必要不可欠、一家に2台、3台はあたりまえです。幼い頃には考えられない変化です。
あの頃は、車を所有するのは“お大尽”だけでした。でも、しかし、我が家にはいつも車があったのです。父が車の修理屋をしていたので、商売モノを乗り回していたのです。その頃、私は「車屋のしんちゃん」何て、呼ばれたりしていたのです。
中山道から裏通りに入ります。モルタル二階建てに惹かれます。
モルタル二階建ての民家、以前は食べ物屋を商っていたようです。所謂、仕舞た屋。
有りました!これです!この風景が、あの頃です。
この屋根の上に、もう一つ屋根が、こんなのがあったのです。
この排気筒も、とても、とても、むかしなのです。
我が引き揚げ者住宅の向かいにあった城北公園のその先は、こんな感じの町工場(まちこうば)が点在していました。町工場好きは幼き頃に刷り込まれたのでした。
そう、工場(こうば)で思い出しました、それは「こうば」と云うよりも、「こうじょう」的規模のソース会社の「製造所」があったのです。脇を通るとソースのイイ匂いがしました。
名前が思い出せないのですが、ネットで調べたら有りました! 「青星ソース」です。「1957年(昭和32年)には板橋区坂下2丁目9番7号に板橋工場を建設」とありました。
そうです!「青星ソース」でした、思い出しました。
- 1949年(昭和24年)12月:青星ソース株式会社として台東区で創業。
- 1957年(昭和32年)3月:板橋工場完成を機に、本社・工場を板橋区に移転。
- 1968年(昭和43年)3月1日:大町ソース株式会社ら2社と合併し、青星大町ソース株式会社に社名を変更。
- 1969年(昭和44年):ユニオン食品株式会社ら8社と合併し、現社名ユニオンソース株式会社に変更。
- 1970年(昭和45年):京塚昌子を起用し、スポットでCMを流す。
- 1991年12月:今市市(現日光市)にマヨネーズとケチャップの製造工場完成。
- 2005年(平成17年)
- 1月:本社を現在地に移転。生産拠点を日光工場へ集約し、ソース専用工場棟完成。板橋工場閉鎖。
- 4月:オタフクソース株式会社と業務資本提携。
- 2006年(平成18年):オタフクソースがユニオンソース特級ウスター・中濃・とんかつソースを発売[9]。
- 2009年(平成21年)10月1日:持ち株会社化に伴い「お多福グループ」の子会社となる[10]。
- 2010年(平成22年)9月期:業務用ウスターソースなどの生産がをオタフクソースから当社へ移管[11]。
- 2012年(平成24年):本社を日光工場内に移転。営業部はオタフク東京本部に移転。
※wikipedia調べ
1957年に板橋工場が操業開始したのですから、私が7歳の頃です、私が匂いを嗅いだころは、まだ、できたてのホヤホヤだったのです。
私にとっては、遠い、遠い、そのむかしの、懐かしのソース工場は、現役バリバリで今も活躍しているのでした。
それにしても、青星ソースは、私の知らないところで、波瀾万丈の道を辿っていたようです。通産省の行政指導による業界再編ですか?
それにしてもソース業界は大変な業界なの? 青星ソースは、企業として、それなりの“リソース”を持っていたので、現在まで生き延びたのでしょう。
ユニオンソースでは、ソースに、マヨネーズに、ケチャップに、焼き肉のタレも作っているようです。
今度、スーパーに行ったら、ユニオンソースの製品を探してみたいと思います。あったら必ず買い求めたいと思います。
60年前には匂いを嗅いだだけなので、しっかりと味を確認したいと思います。
フライにソース、メンチも、コロッケも、トンカツも、ハムカツも、クジラカツも、レバカツも、イカフライも、ポテトフライも、ウィンナーフライも、とんかつソースをいっぱいかけて食べるのは、最高に!大好き!で~~~す!
と、云う事で、本日は青星ソースでした。
それでは、また。