昨日の続きです。
両国駅の直ぐ隣が国技館です。駅前を過ぎると直ぐに、「力士の幟」が見えてきました。
場所中ではないのに、「力士幟」とは以外でした。丁度いいタイミングで「若い力士」が歩いていました。シャッターチャンス!
折角来たので、「相撲博物館」を覗くことにしました。平日ですが「そこそこ」の来館者でした。撮影禁止なんですが、展示品ではなく来館者をフラッシュナシで撮影したので・・・・・・まぁ。OK?
一通り見学して外に出ると、あの「若い力士」が「ポリ袋」に「湿布薬」を入れて帰っていくところでした。博物館の向かいに「相撲診療所」があるので、兄弟子の使いで来たようです。
ここに来るのは三度目なのですが、「過去に2回」とも、あの「放駒親方」と「接近遭遇」していたのです。この日「もしかして」と思ったのですが、三回連続はありませんでした。
これは以前に撮ったものです。腰掛けて携帯電話で話をしているのが、「放駒親方(元大関隗傑)」です。
この店は国技館の直ぐ側にある「定食屋」さんです。
写真を見ると、どこか「寂れた田舎町」にある「食堂」の雰囲気です。「下総屋食堂」と染め抜かれた「暖簾」が「哀愁」です。外壁に取り付けられた「店名」は「堂」が「剥がれ落ち」ています。
ガラス越しに「そっと覗く」と、客の居ない店内では「おやじさん」が「テーブル」に新聞を広げ「休憩中」でした。内部は「まさに定食屋さん」の作りでした。
「旧安田庭園」の周りを歩き、隅田川沿いに戻り、暫く川沿いの道を歩き、厩橋を渡りました。
橋を渡った先の交差点で信号待ちしていた時、ビルの「ショーウィンドー」に目を向けると、「古いレジスター」が何台か並んでいました。「木製」の「レジ」は「味」があります。「暖かい」です。
順番に目で追っていくと「猫」の「置物らしき」ものがありました。一瞬、「ウン?」と思ったのですが、直ぐに隣のレジスターを見ていると、何か動いた気配がしたのです。
生きている「猫」です、手を振ると「眠そうな目」をして「上目使い」に、視線を向けてくれたのですが、直ぐに目を閉じてしまいました。
信号が変わり、浅草に向かいました。毎年浅草には「2日」の日に初詣をしていたのですが、去年の正月から「何となく」行かなくなり、この日が初詣でした。
お参りを済ませ、六区を「ぶらつき」ました。「フランス座」も「ロック座」も何年か前になくなり、「フランス座」が「東洋館」と名前を変えて、「色物」の「演芸場」になり。
「ロック座」は「浅草大勝館」と変わり、「大衆演劇」専門になってしまいました。「ロック座」も「フランス座」も、元は「ストリップ劇場」です。
「フランス座」は「井上ひさし」の小説の舞台として登場します。20代後半から30代にかけて、「井上ひさし」を読みました。
フランス座での「舞台監督・脚本書き」の経験をもとにした、小説、エッセイを読み、実際にこの目で見たくなり、何度か「ショー」を観に来たことがあります。
フランス座では、「コント」などの「お笑い」が「ストリップ」の間に入ります。そのなかから沢山の「お笑い芸人」がでました。
小説やエッセイにも登場した「渥美清、関敬六、谷幹一」の時代。そして、「萩本欽一、坂上二郎」の時代。
そして、最後の「フランス座」出身の大物「ビートたけし、ビートキヨシ」。私が行き始めた頃は、「たけし」も有名になり、「たけし軍団」の時代でした。
ストリップ劇場なのに、「女性客」が入り、「軍団」の「コント」が始まると「声援」が飛んでいました。
その時に「印象」に残ったのが「大阪百万円」です。今は「何処で?何を?」しているのでしょうか。フランス座の前で看板を観ながら、そんな事を思い出しました。
今回の「東京歩き」はここでお終いです。神田駅で降り、永代橋を渡り、深川、清澄、両国、浅草を歩きました。帰りは上野駅まで歩き3時半の電車に乗り帰宅。。
最終回でした。。。。。。。。
両国駅の直ぐ隣が国技館です。駅前を過ぎると直ぐに、「力士の幟」が見えてきました。
場所中ではないのに、「力士幟」とは以外でした。丁度いいタイミングで「若い力士」が歩いていました。シャッターチャンス!
折角来たので、「相撲博物館」を覗くことにしました。平日ですが「そこそこ」の来館者でした。撮影禁止なんですが、展示品ではなく来館者をフラッシュナシで撮影したので・・・・・・まぁ。OK?
一通り見学して外に出ると、あの「若い力士」が「ポリ袋」に「湿布薬」を入れて帰っていくところでした。博物館の向かいに「相撲診療所」があるので、兄弟子の使いで来たようです。
ここに来るのは三度目なのですが、「過去に2回」とも、あの「放駒親方」と「接近遭遇」していたのです。この日「もしかして」と思ったのですが、三回連続はありませんでした。
これは以前に撮ったものです。腰掛けて携帯電話で話をしているのが、「放駒親方(元大関隗傑)」です。
この店は国技館の直ぐ側にある「定食屋」さんです。
写真を見ると、どこか「寂れた田舎町」にある「食堂」の雰囲気です。「下総屋食堂」と染め抜かれた「暖簾」が「哀愁」です。外壁に取り付けられた「店名」は「堂」が「剥がれ落ち」ています。
ガラス越しに「そっと覗く」と、客の居ない店内では「おやじさん」が「テーブル」に新聞を広げ「休憩中」でした。内部は「まさに定食屋さん」の作りでした。
「旧安田庭園」の周りを歩き、隅田川沿いに戻り、暫く川沿いの道を歩き、厩橋を渡りました。
橋を渡った先の交差点で信号待ちしていた時、ビルの「ショーウィンドー」に目を向けると、「古いレジスター」が何台か並んでいました。「木製」の「レジ」は「味」があります。「暖かい」です。
順番に目で追っていくと「猫」の「置物らしき」ものがありました。一瞬、「ウン?」と思ったのですが、直ぐに隣のレジスターを見ていると、何か動いた気配がしたのです。
生きている「猫」です、手を振ると「眠そうな目」をして「上目使い」に、視線を向けてくれたのですが、直ぐに目を閉じてしまいました。
信号が変わり、浅草に向かいました。毎年浅草には「2日」の日に初詣をしていたのですが、去年の正月から「何となく」行かなくなり、この日が初詣でした。
お参りを済ませ、六区を「ぶらつき」ました。「フランス座」も「ロック座」も何年か前になくなり、「フランス座」が「東洋館」と名前を変えて、「色物」の「演芸場」になり。
「ロック座」は「浅草大勝館」と変わり、「大衆演劇」専門になってしまいました。「ロック座」も「フランス座」も、元は「ストリップ劇場」です。
「フランス座」は「井上ひさし」の小説の舞台として登場します。20代後半から30代にかけて、「井上ひさし」を読みました。
フランス座での「舞台監督・脚本書き」の経験をもとにした、小説、エッセイを読み、実際にこの目で見たくなり、何度か「ショー」を観に来たことがあります。
フランス座では、「コント」などの「お笑い」が「ストリップ」の間に入ります。そのなかから沢山の「お笑い芸人」がでました。
小説やエッセイにも登場した「渥美清、関敬六、谷幹一」の時代。そして、「萩本欽一、坂上二郎」の時代。
そして、最後の「フランス座」出身の大物「ビートたけし、ビートキヨシ」。私が行き始めた頃は、「たけし」も有名になり、「たけし軍団」の時代でした。
ストリップ劇場なのに、「女性客」が入り、「軍団」の「コント」が始まると「声援」が飛んでいました。
その時に「印象」に残ったのが「大阪百万円」です。今は「何処で?何を?」しているのでしょうか。フランス座の前で看板を観ながら、そんな事を思い出しました。
今回の「東京歩き」はここでお終いです。神田駅で降り、永代橋を渡り、深川、清澄、両国、浅草を歩きました。帰りは上野駅まで歩き3時半の電車に乗り帰宅。。
最終回でした。。。。。。。。