歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

北綾瀬の「大出俊」 亀有~赤羽 その1

2006年12月10日 | 東京の風景
以前、亀有から赤羽まで歩い事があります。
その日は「ちょっとした用事」があり、亀有駅には朝の7時過ぎに到着しました。

用事を済ませて、環七通りの内側を路地伝いに、赤羽を目指して歩き始めました。赤羽は東京を離れる前に、40数年暮らしていた町なのです。


「東和」の西友の近くに来たところで、「オハヨー!」と大きな声が聞こえました。小学生の集合場所のようです。「マック」の右側に建つ「西友」の外壁に反射して、「爽やかな響き」が増幅して耳に飛び込んできたのです。

退職して暫く、この時間に外にいる事はありませんでした。職場や学校に向かう朝の風景がとても新鮮に感じました。

朝はみんな「いろいろと忙しい時間」何ですよねェ~・・・・・・。それに引き替え、この私は「のんびり」「ゆっくり」「気ままに」「ぶらぶら」している訳です。

『すまない! みなさんご苦労さん』と小さく「呟き」、仕事に出かける「振り」をしながら、足早にその場を立ち去りました。 


北綾瀬駅の高架をくぐると大きな公園があり、一休みしょうと思い、「どれでも100円」の自販機でコーヒーを買い中に入りました。入って直ぐの東屋の下にこの「おじさん」がいたのです。


「紺のダブルでノーネクタイ。えんじ色のシャツの襟を上着の上に」出し、一見もしや?「その筋」の雰囲気。

前を通ると、なにやら「独り言」をしゃべっているのです。「チョット危ない人」のようで、顔を前に向け「眼」だけを一瞬動かして、表情を確認したのです。

そうなんです。その時、直ぐに「あの人に似ている」と思いました。
そう。50代以上人ならば知っている、昔しあった「日本社会党」の「国会止め男」と云われた「大出俊さん」です。

「国会爆弾男」は「楢崎弥之助さん」です。55年体制のあの頃は、与党と野党、お互いに役割分担をして、時折、緊迫感を「演出」してみせたりして、長閑かな時代でした。

二人とも、委員会質問が妙に「芝居」がかっていましたね。それはそれで「受けた」時代でした。「止め男」って云うのも「何だかネェ~」・・・・・・今思うと笑えますね。そう言えば「大出俊」って同姓同名の俳優がいましたね。


話しがそれました。そのおじさんです。
顔付き、ダブルのスーツ、渋い声、体型が似ているのです。通り過ぎた先のベンチに座り、彼のスキを見てシャッターを押しました。

もう少し勇気と好奇心があれば、あの「北綾瀬の大出俊先生」にインタビューができ、面白いコメントが貰えたかもしれません。残念でした。 



コーヒーを飲み終え一息付いて、公園を後にしました。
綾瀬川の上を首都高速三郷線が走り、遠くに「東京拘置所」望む橋を渡って直ぐ右手に、この空き地がありました。野球場が4面ほどできる広さです。


空き地の中に「民家風」の古い建物があり、側に止めた軽ワゴン車に積まれていた「ダンボール箱」を、中年の男が一人、「家の中に」運び入れているのです。倉庫代わりに使用しているようです。

それにしても、広大な空き地の中にポツンと建つ古い一軒家、何か「怪しい匂い」のする不思議な空間です。

うん。これは「怪人二十面相」の隠れ家だよ「明智君!」ナンチャッテね。 

一回で終わりそうになくなりました、今日はここまでとします。


今夜は「小朝」の本でも布団の中で読も~うッと 

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