歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

足利は思ったよりも近かった!そして道中は桂子ちゃんのポスターばかり!喜四郎先生は?後継者は? 

2023年11月18日 | 旅の話し

14日の朝、8時少し前に家を出て足利に向かいました。

この日は、十数年前に、何かの ? ポイントが貯まって、タダで貰った定価1万円ほどのカーナビ(これまでそこそこ役に立っていました)を頼りに、一般道を伝っての足利行きです。所要時間は約3時間の予定。

もしかして、もしかして、出勤時間帯で渋滞が ? との予想が的中。水海道市街(現在は常総市)の手前から、街中を抜けるまで渋滞に巻き込まれ、30数分 ? のロス。

常総市からは354号線で、坂東市を通過し、境町を通過し、古河市を通過。この辺りまでは、それなりに見覚えのある町。この先からは、まったくのカーナビにお任せとなります。

坂東市を通過中から、道路際には衆議院議員で現在は文科大臣の"永岡桂子"のポスターが、いつまでも、いつまでも、付いてくるのでした。彼女の選挙区は、常総市と坂東市あたりだと思っていたのです。

どこまで続くのこのポスターは ? と、思いつつ横眼で眺めていたのでした。今調べてみたら、彼女の茨城7区は 、古河市、結城市、下妻市、常総市、坂東市、結城郡、猿島郡が選挙区だと判明。茨城7区の隣は、もう栃木県なのでした。

茨城7区は、かの有名な"選挙の神様 中村喜四郎"の選挙区。14回連続当選の彼が、前回、小選挙区で永岡桂子に負けたのです。旦那の急死で、急遽後継候補となり、小選挙区では喜四郎先生に負け続けて、前回初めて勝利した桂子さんは目出度く初入閣。

因みに、小沢一郎先生もこの時の選挙で、初めて小選挙区で敗北し比例で復活。 一郎も、喜四郎も、田中角栄を政界の師と仰いだ二人。何か、時代とか、因縁とか、感じたりして・・・。 

自民党を離党し、汚職事件での逮捕後は、保守系無所属。そして、前回は立憲民主党からの立候補でした。保守的な茨城では、自民党の看板、保守の看板は、絶対なのです。自民党・保守の看板があっての選挙の神様だったのです。比例での復活でした。私より1歳年上です。

因みに、10数年前、坂東市のそば屋で、隣のボックス席に、黒く日焼けした人相の悪い男を発見し、何処かで見たようなと思っていたら、中村喜四郎先生でした。

それにしても、喜四郎先生のポスターも、後継候補のポスターも、立憲民主党のポスターも、1枚も見かけませんでした。次回の選挙は、息子の勇太を立てるような噂を耳にしたのですが、後継候補問題は揉めているの ?

因みに、"喜四郎"という名前ですが、父の後を継いで政治家になるときに、父の名を継いで喜四郎(出生時は伸)を襲名 ?したそうです。母は参議院議員で、息子は現在県会議員。

茨城県では、日本では、政治一家と云うか、家業が政治家と云うか、世襲制議員と云うか、こういう二世・三世が、いまや自民党では幅を利かせているのです。”とてつもなく無能”な岸田君も二世だったか、三世だったか。

立憲がだめなら、後継者を自民党から、何てことは無理筋だし、立憲民主党は、立憲民主党で、”ニタニタ兄ちゃん”の泉健太執行部体制で、もう、ほとんど、断末魔状態。

あっ!話が逸れてしまった。

それで、古河を過ぎたあたりからは、カーナビは当てにせず、道路案内板を頼りに足利を目指しました。

実は、古河から舘林へ向かう辺りから、354号線の新しいバイパスらしき広い道路を外れ、狭い旧道らしき道路への、案内表示、音声案内が繰り返され、それに従い走行していました。

舘林の市内を抜けて50号線を走ります。到着までの距離数は10㎞を切ったのですが、道路案内板に”足利”の文字は現れません。

まだか、まだかと案内板が現れる度に眼を凝らしていたのです。しかし、突然、予告もなく、足利市内表示が現れたのです。 これって、 遠くから、足利を目指して訪れるような酔狂な人が居ないので、こんなことになってるの?

まあ、兎に角、渡良瀬川を越えて市の中心部に向かい、駅前を通過し、ルートイン(通り1丁目交差点の左下の角辺り)の建物を左前方に見て交差点を右折し、市営の無料駐車場(善徳寺の下Pマーク)を目指したのですが、案内表示を見落として、鑁阿寺をぐるっと一周して駐車場に11時半過ぎに到着。

思っていたより早く着いてしまいました。途中、ホームセンターでトイレを借り、お礼に缶コーヒー買い、10分ほど休憩して、所要時間は3時間半弱。水海道での朝の通勤渋滞がなければ2時間半。足利は近かった。

それなりに満車を心配していたのですが、駐車場は空いていました。途中で買った缶コーヒーを飲みつつ一休みして、駐車場の係員に足利学校の方向を確認して、いよいよ、足利学校に向かいます。

この先は次回とします。

それでは、また。

 

 

 

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