歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

小津の「東京物語」と東武伊勢崎線堀切駅の真実は!京成押上線の八広駅でした!

2006年11月15日 | 映画の話し

1953年製作。小津安二郎監督作品「東京物語」の重大な謎を発見し、スルドイ推理により、小津監督の深層心理に迫り、驚くべき製作意図を完璧? に解明した大長編 (それほど長くないです) の力作です。 

小説仕立てで、書いてみました。

それでは、はじまり、はじまり・・・・・・・・・・・。


       ☆☆☆ 「東京物語」の真実 ☆☆☆

夕食後、真吾は一階の居間で信子と一緒に、小津安二郎の「東京物語」のビデオを観ていた……。

始まって少し経ったところで、尾道から東京へ場面が転換する。
お化け煙突のカットから、駅のホームのカットになった所で、真吾は一時停止のボタンを押した。それは「駅名案内板」を前にしてもんぺ姿の二人の女性が立っているカットのところだ。


「エッ。どうしたの?」

「案内板の駅名が気になって」真吾は画面に近づき

「上の部分が画面から切れているけど、この左側に『…がふち』右側に『…しだ』て書いてあるだろ、これは鐘ヶ淵と牛田なんだ。

この駅名があるのは『東武伊勢崎線』。そうするとこの間の駅は、堀切駅ということになる」

「そんな些細なこと、ストーリーと関係あるの?」

「前に一度見た時から気になっていたんだ」と言って、再生ボタンを押した。

「土手の上を車が走っているだろ、ホームの先を見ると踏切もあるし」

「それがどうかしたの?」

「うん。この画面だと線路と土手は同じ高さで、土手に交差して線路がある。そうすると、この先に川を渡る鉄橋があるということになる、しかし、堀切駅は土手の下にあり、土手と平行に線路があるんだ。それに、ホームの前後に踏切はない」



「ということは、駅は堀切駅じゃないの?」

「そういうこと」

「でも、映画だからそんなことよくあるんじゃない」

「まぁ、そうなんだけど。それに、この駅名案内板、普通はホームの壁の所に、取り付けられていたりするよね、しかし、画面に出てくる案内板は、ホームの上に、線路に対して直角に、不自然に立てられている。これでは、電車に乗っている客には駅名が確認できない」

真吾はビデオを巻き戻し、煙突のカットのところから再生した。

「そうねぇ」

「そう。撮影用に立てたものに間違いない。堀切駅でないのに、なぜ小津は撮影用に案内板まで立て、堀切駅に拘ったのか……。東京の人間でも、牛田と鐘淵の間にある駅名を知っている人は少数だし、まして、牛田と鐘淵の間は堀切だと知っている人でも、ホームとその背景の映像から、堀切駅でないと判るのは極々限られた人だしね……。それに、そんな事に拘って観ている人もいないしね」

「それならば、何の為にそんな事したの?」

「この撮影用の案内板は、映画を見る観客の為に立てたのではなく、あくまでも小津監督自身の、拘りの為だと思う」

「でも、そうだったら堀切駅で撮影すればいいのに、何故そうしなかったのかしら?」

信子は、真吾の謎ときに少し興味を示してきた。真吾は、焼酎のお湯割りを一口飲んで、

「映画の構想の段階から、長男の診療所は堀切駅のそば、長女の美容院は京成本線の『町屋』と設定していたと思うんだ」と言ってお湯割りを又、一口飲んだ。

「あまり飲み過ぎないようにね。食事の時にビールを二本飲んでいるんだから」
信子の言葉に、軽く頷いて話しを続けた。

「何故、堀切と町屋なのか……。小津の設定では、長男の診療所は 東京の外れで、川沿いの寂しい下町を考えたと思う。その条件に合うのは、荒川沿い、それと、全く人が住んでいなければ、患者が来ないしね。そこで、私鉄の寂しい小さな駅となる。その条件 〈下町、川沿い、小さな駅〉、それが堀切駅なんだ」

「まぁ、少し強引なところがあるけど……」

「それと、もう一つの理由があって堀切駅になったと思う」

「もう一つの理由って? 」

「信子はお化け煙突を知ってるかい?」

「知らないわ」

「尾道から東京への、場面転換の時に映っていた煙突。あれがお化け煙突」


  [これは模型です]

信子は、父の仕事の関係で、鳥取で生まれ、三年ほどで東京に転勤となり、その後は真吾と結婚するまで、川崎の溝の口で暮らしていた。

「この煙突は東京電力の火力発電所の煙突で、隅田川沿いの千住桜木町にあった。煙突が四本立っていて、その配置が、扁平の菱形で、見る角度により、四本の煙突が重なり合って、一本、二本、 三本と、異なって見えたので、お化け煙突と呼ばれたんだ。今で 言えば下町のランドマークだね。東京オリンピックの年に解体されてしまったけれど。中学一年の時かな……」

「なんか聞いた事がある……」

「ここが大事なんだけど、地方から見る東京は、華やかな大都会。当時だと、銀座、丸の内がイメージされたと思う、小津は、そんな成功者だけが暮らすような町ではなく、普通の庶民が暮らす、普通の町としての東京を描きたかった。その象徴として、お化け煙突を使ったと思うんだ」

真吾は、東京の亀有で生まれ育ったので、お化け煙突を実際に見ていて、記憶が残っている。 

「なるほど。それで?」

「うん。長男の診療所と長女の美容院は、煙突の見える範囲に設定した。そうしないと、煙突のカットが不自然だからね」

「そうすると〈お化け煙突、下町、川沿い、小さな駅〉ね。それで、美容院はなぜ町屋なの?」

「美容院のシーンで、最初にお化け煙突のカットがあり、煙突が四本見えている。次に店先のカットで、後方に都電が走っている。この条件を満たすのが町屋なんだ」

「今でも都電が走っていたわね……」

「うん。堀切駅からの交通の便がいいんだ町屋は。京成本線の町屋から、堀切駅に行くのには、町屋から二つ目の京成関屋駅で降りると、東武伊勢崎線の堀切駅はすぐなんだ、五百㍍位しか離れていない。

長女が長男の診療所を訪れたり、長男が美容院を訪れるシーンがあるけど、そんなに遠くから来ているように描いていない。それに、地方から出て来た兄妹としては、近くに住みたいと思うのが人情だろうし……。しかし、隣に住んでいたのでは、田舎から上京してきた両親が、子供達の家を泊まり歩くことで描こうとする、家族とか親子関係の問題が……」

信子は、真吾の長い解説に飽きてきた様子で、先ほどから、画面の方に視線を向けていた。ビデオは一時停止が長かった為に、テレビ放送に切り替わり、バラエティー番組をやっている。

真吾は、お湯割りを飲み干して、

「結論として、お化け煙突の見える『町屋』と、東京の外れにある、寂しい私鉄の駅『堀切』は、小津としては、どうしても変えたくなかったったのだと思う。

あの案内板のカットを入れなければ、いいのにと思うけど、そこが小津監督の映画えの拘りなんだろうね。

あくまでも、具体的な地名を設定した上での物語。堀切駅がドラマの起点であり。お化け煙突もテーマの象徴として必要であり、地理的関係にも、必然性を持たせたいから、長女の美容院は町屋。長男の診療所は堀切。

だから、実際のロケ地が別の駅であっても、案内板に不自然さがあっても堀切駅でなければ、小津は納得できなかったのだと思う。別の駅で撮影したのは、堀切駅がイメージと合わなかったのだと思う。

堀切駅は、今でも何もない 寂しい駅だけど、当時は周りに全く何もなく、絵にならなかったので、駅のホームのシーンだけは場所を変えたのだと思う。東山千栄子が孫と遊んでいる土手のシーンは、後方に見える鉄橋の形状から、堀切付近に間違いないからね」

真吾は、ビデオの再生ボタンを押した。画面はビデオに切り替わった。信子は一瞬、真吾の方に視線を向けた。
 
――画面は長男の診療所の内部、両親を迎えるため、嫁が部屋の掃除をしているシーン――

「ところで、実際に撮影した駅は何処なの?」と信子が聞いてきた。

「実は、昼間、地図を見たりして調べてみたんだ」

「それで、判ったの?」

「うん。堀切の近くで、土手のそばにあり、踏切の先が鉄橋、という条件にあてはまる駅を見つけたよ。堀切から二キロほど下流にある、八広という京成押上線の駅なんだ。たぶん間違いないと思う。明日、天気が良さそうなので、堀切から八広の辺りを歩いて 確かめて来る」

「あそう……」


[高架になり踏切が無くなった現在の八広駅]

その後、二人で30分ほどビデオを観ていたが、信子の瞼が何度も閉じるのを見て

「眠そうだね、風呂に入って先に寝たら……」

「うん。そうする」信子はソファーから立ち上がり、二階に着替えをとりに上がっていった。

ひとりソファーにもたれ、焼酎を飲みなから、画面を見つめていた。

 ――お化け煙突、荒川土手、鉄橋、踏切、都電の走る町、次男の嫁が住むアパート、上野の山の風景――。白黒の画像が、幼い頃の想い出と重なりあう。
 
遠い昔の懐かしく、心地よい風景……。心引かれる思いを感じていた。


      おしまいです・・・・・・。    
 


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4 コメント

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堀切駅 (星野裕成)
2014-06-01 10:40:57
堀切駅が実際は八広駅で撮影されていたという衝撃的事実を発見されたことに敬意を表します。私も駅名の看板から堀切駅である事をつきとめたまでは良かったのですが、まだ甘いですね(笑)。私の推論ですが、八広駅にしたのは、小津が踏み切りを映したかったではないでしょうか。「生まれてはみたけれど」「晩春」「麦秋」「東京暮色」・・・・にも踏み切りが登場します。
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Re掘切駅 (cocoro1)
2014-06-01 16:46:22
星野裕成様コメントありがとう御座います。先月の23日に小津監督の墓参りをしてきました。8年前の記事にコメントが付いたのも、何かの縁かも?
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ありがとうございます (星野裕成)
2014-06-01 19:15:33
まさか8年前に書かれた粋な小説へのコメントに対して返信していただきありがとうございます。小津監督の墓(北鎌倉、円覚寺)に参られたのですね!!今日、小津監督の映画が益々輝いてくる感じがします。今後も小津映画の論文を書いて頂きたく期待しております。
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足立区の古写真捜し (ko1ito)
2016-05-31 17:41:49
自宅近所に東武鉄道旧線路跡なる石碑が立っていることに、数年前に気付き、ネット検索。
・旧東武鉄道
・古写真
・古地図
・足立区 明治時代
・足立区 大正時代
・荒川放水路 明治44 工事
などなどでここに辿り着きました。
下町の明治、大正、昭和の写真になぜか惹かれます。
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