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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画“母べえ”で想いをめぐらす③ -挙国一致は強くない-

2010年03月08日 | 映画の話し
先週の続きです。

やっぱり、金曜日の更新はできませんでした。都内の道路が予想外に混んでいたのです。渋滞のなかボンヤリした頭で、“そうか、今日は、五・十・日で、道路渋滞日でしたか”

そんな事で、帰宅したのが3時過ぎ、体力も気力も60代に入ると、それなりに衰えてきたようで、PCを起動したのですが、あちらこちらのサイトをボンヤリ小一時間眺めて、電源を落としたのでした。

それで、“母べえ”の話ですが、何故“2008年”に、こんな“ベタな反戦映画”が制作されたのか? と云う、前回の疑問からです。

“母べえ”の公開は2008年1月26日で、前作の“武士の一分”が2006年の12月1日の公開ですから、2006年の年末あたりに、“反戦映画”を制作する動機となる何かが? と、思ったのです。

すると、あったのです!大きな社会的出来事が! 私も完全に忘れ去っていた事が。3~4年前の出来事も、覚えていなかったのです。単なる“ボケ”なのか? それとも“慣れ”なのか?

2006年はどんな年だったのでしょうか?

9月26日に小泉内閣に変わって安倍内閣が誕生。

11月16日、“愛国心”の表現方法で揉めた、“改正教育基本法”が、野党が欠席する衆議院で、与党単独で採決し通過。

11月30日に防衛庁が、“防衛省”に昇格する法案が、与党の、自民、公明と、野党の民主と国民新の賛成投票で衆議院を通過し、翌年の1月9日に省に昇格。

はじめての教育基本法の改正、防衛庁が防衛省に、そして、憲法改正への“具体的手続き法案”の議論が開始されたのも、2006年でした。

“ふつうの国”として、生まれ変わると解釈する人達、“ふつうに戦争が出来る国”として生まれ変わると解釈する人達。

でも、あの当時・・・・・・、こんな表現をすると、何か、ホントに、遠い昔に思えますが、ほんの数年前の出来事です・・・・・・・、どこまで、ふつうに暮らす人たちが、いろいろと、考えていたのか・・・・・・・。

いまでは、教育基本法も、防衛省も普通になり、特に話題にはなりません。みんな、直ぐ忘れるのか? 直ぐに慣れてしまうのか? でも、あれから、何かが変わった筈です。

まぁ、そんな、こんな、で、山田洋次監督は、世相の変化に危機感を抱き、“母べえ”を制作した、と、そう、思うのです。

でも、どうも、しっくり来ないのです。

何故、ふつうの庶民ではなく、ドイツ文学者で元大学教授の知識階級の家族なのでしょうか?

一部の知識人にとっては、自分の意志に反して、無理矢理戦争に協力させられ、自由な発言もできず、辛くて、哀しくて、残酷な世の中だったのかも知れません。

でも、しかし、普通の庶民は、何だか判らないまま、


それなりに、当時の政策を支持し、


強制ではなく、率先して、疑問も抱かず、


忠誠心の競争をしていたのでは?


国と国が争い闘う時は、反対を一切認めず、全国民が一丸となり、敵と戦う方が強いと思っていたのでしょうが、事実は、結果は、それなりに自由な国の方が勝ってしまったのです。

挙国一致は、強さではなく、弱さの現れで、“鬼畜”米英等の感情に訴え、憎しみを煽っても負けるのです。竹槍でB29は撃墜できなかったのです。

戦争は政治であり、外交であり、経済であり、科学技術であり、“理性”で闘うものでは?

それで、反戦映画なのですが、反戦平和を唱える側も、感情に訴えていると思うのです。痛いとか、苦しいとか、腹減ったとか、そんな感情に訴える方が、短時間で理解され、賛同を得られ易いのです。まぁ、映画ですからね。

それと、思うのです。人間は“争い好き、戦争好き”だと、それを前提として、歯止めの“仕組み”を、理性的に、現実的に、作ったほうが良いのでは?

それで、「母べえ」なのですが、過去の戦時体制における、知識階級の苦しみを描く事では、新たな戦時体制への歯止めにはならない、と、思うのです。

何か、もっと、別な方法が、あるような? ないような? かなり、ムヅカシイのです。

でも、ホント、こういう、反戦映画は、ちょっと、もう、・・・・・・。

では、また明日。


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