歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

王子桜新道に「昭和」があります!

2007年03月12日 | 東京の風景
京浜東北線「王子」駅前です。「飛鳥山」側に「この」「飲み屋街」があります。


都電荒川線の「停留所」は「飛鳥山」の反対側にあります。都電の走る町。
隣町「尾久」には「三業地」がありました。

王子から、十条、赤羽一帯は、「軍」の、練兵場、射撃場、兵器補給廠、火薬庫、被服廠等の、軍事施設がありました。

私が以前、住んでいた赤羽の団地、通った中学は、軍の施設の跡に建設されました。中学の「校庭」には、「高射砲」を「据え付けた」コンクリートの大きな塊がありました。

現在も、自衛隊の基地、兵器修理工場があります。中学生の頃に「戦車」に乗せて貰った記憶があります。止まっている戦車に乗ったのではなく、テストコースを「走った」ような気がします。

「戦車」の「内部」が「まっ白」だったことを、今でもハッキリ覚えています。

そんな、「昭和の記憶」に繋がる「場所」が「王子」の「この桜新道」なのです。



長屋です。十数件の居酒屋が「繋がって」いるのです。繋がっていたことで、この景観が保たれたのでしょう。



もし、一軒屋が「並んで」建てられていたならば、何軒かは「建て替え」られていたでしょう。多分、一人の「大家さん」の所有物だと思います。



戦後の「混乱期」が少し落ち着いた頃に、建てられた「貸家」でしょう。このように、外壁が「木造」の「家屋」いつ頃まで可能だったのか?

「消防法?」「建築基準法?」の規制なのでしょうか? もしかして、戦後、都内23区では「建て」られない?


先ほどは、全て「繋がっている」と云ったのですが、この「エアコン」の「室外機」の所で「分かれて」いました。正しくは2軒の長屋が「一列」に「並んで」建ってます。



この景観が現在、「残って」いるのは「いろいろ」な「事情」がありそうです。


それで、私の「想像」なのですが、「土地の所有」と「家屋の所有者」は別人で、土地の「契約条件」に、「建て替え」が「困難」な「条項」あるような?

そして、「家屋の所有者」と「借家人」との「契約条件」にも、「建て替え」が「困難」な「条項」があるような?



そして、「土地所有者」と「家屋所有者」と「借家人」との、3者には「個々」に「利害」が「絡み合い」、かなり「ややこしい関係」にあり、建て替えがこれまで「不可能」であった?



それに加えて、「借家人」の「商売柄」、「色恋」の「解けない糸」の「絡み合い」も重なって、「ゴチャゴチャ」で「ドロドロ」の、「色と欲」との「ドラマ」が「展開」していたりして?

何か「新派の芝居」になりそうな? そんな気がしてきました。



この場所を「眺めて」いると、いろいろ「想像」を「掻き立て」られるのです。
飲みながら「書いて」います。

あくまでも「酔っぱらい」の「戯言」で、事実とは一切関係ありません。誰も「事実」とは思わないか!?

でも、しかし。事実は小説よりも「奇」なりです!・・・・・・。ナンチャッテネ?



でも。それにしてもです。この場所は「不思議な空間」です。「時代」が「止まって」います。

この建物も、「そう長く」は「持ちそう」にありません。ここ数年で「寿命」がきそうです。文化財に指定されることは「絶対」にありませんから、見に行くなら今の内です。

それでは。。。。。。。。 
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2 コメント

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Unknown (さかいのぶよし)
2018-12-05 10:18:46
11年前、もう、ないでしょうか?昭和、平成、新元号。オリンピックもあるので壊したか。お客様も高齢者でくたびてます。貴重な記録です。
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Unknown (cocoro1)
2018-12-05 11:04:40
数年前に火災が発生したのをテレビのニュースで知りました。その後の報道はありません。たぶん再開発ですべて取り壊されたと思います。

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