歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

大泉学園 “裸婦像で自己保存”

2008年07月17日 | 東京の風景
昨日の続きです。

大泉学園に向かっています。以前に、車で町の端っこを通り過ぎたことがあるだけで、駅に降りるのは今回が初めてです。

去年の7月には「西武線シリーズ前編」で、新宿線の上井草駅から石神井公園を通り、池袋線中村橋駅まで歩いたことを思いだします。

大泉学園から、池袋に向かって、石神井公園→高野台→富士見台→中村橋という順序になります。

初めての大泉学園駅です。


南口に降り立ちます。南口方面に今日は“用事”があるのです。駅前は、予想以上、想像以上に都会でした。

最近良くある、人と車を分離した二層構造広場になっています。典型的な東京郊外私鉄駅風景です。


それなりに、お洒落で清潔で、ちょっとだけ「よそよそしさ」が漂います。


ショッピングセンターに、


下はバスターミナルにタクシー乗り場。


反対側の方が、ビルが多く賑やかな商業街のようです。


駅前広場を一通り眺め、下に降りて目的の場所を目指します。駅前から50メートルほど行った処で、これです。


蔦屋敷の先を左に曲がると、


見えてきました。練馬区立勤労福祉会館です。事前に地図で確認したよりも近いです。駅前からほんの数分の距離でした。


玄関脇で、裸婦像が出迎えてくれました。


この「裸の婦人」ですが、確かに、美しいですし、魅力的です。でも、そうだからと云って、中年男が一人、裸の婦人の前に立ち、じっと、暫く、見る角度など変えながら、眺めている風景は、何となく、どことなく、変だと思うのです。

芸術の鑑賞と云うよりも、嫌らしい魂胆を抱き、変な想像を巡らし、動物的本能の赴くまま、自己保存本能を刺激しているように見られそうです。

でも、雄と雌の関係を離れて、裸婦像を見る事などあり得ないと思います。ですから、昼日中、公共の場において、裸婦像の鑑賞は変なのです。

ですから、この様な場に裸婦像はマズイと思います。裸婦像は、薄暗い美術館の室内で、スポット照明で浮かび上がらせ、鑑賞するものだと思うのです。

以前から、ずっと、ずっと、そう思っていました。“芸術です!”何て上品な事を云って見たところで、雄雌の感性を抜きにした鑑賞はあり得ないのです。

それにしても、町中の裸婦像を“ご婦人達”はどう云う気持ちで観ているのでしょうか? 

私は、男の裸像を観て、芸術的にも、本能的にも、まったく魅力を感じません。

裸婦像で“変に”興奮してしまいました。それで、この福祉会館には、ある会合に出席する為に、遙々やって来たのです。

その会合は2時からで、この時、時計は未だ11時半でした。大夫早いのですが、一応、予定通りの時間です。

館内に入り、今日の予定が書かれている掲示板で、会合名、時間、会議室の場所を確認して外にでました。

2時迄、辺りを散策し、昼飯を食べ、1時半頃にここに戻る予定です。


それでは、また明日。


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1 コメント

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Unknown (さかいのぶよし)
2015-03-31 09:57:57
裸婦像はさてと。大泉学園、東映撮影場を見学した。「不良番長シリーズ」で梅宮辰夫さんの撮影シーンでした。小生高校生で親戚に照明の仕事をしていました.「キーハンター」で名前が出ていました。社長が多いとか。親戚にいたような。
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