今日も雪。
やっと一冊の本を読み終えた。
この頃全くと言っていいほど本を読むことがなくなった。ここ数年、一体何冊の本を読んだだろうか?
深い雪に閉ざされた長い冬、長い自由な時間があるにもかかわらずだ・・・
ボケ始め、溶け始めた脳に喝を入れるため、一冊の本を手にしたのが1月はじめ、既に40日以上前。
一昨年冬、およそ読むことがないだろう本を数百冊処分した。
現在本箱に残っている本はこれから死を迎えるまでの残された短い時間に読むつもりの選ばれた本。
その少ない本の中からの一冊、ツルゲーネフ、父と子再読。(40年以上前に読んだ本、だが、おおよそのプロットは覚えていた)
戦前の古い翻訳、それにロシア文学特有の読みづらい登場人物の姓名、父称、愛称と複雑に使い分けされ、時として混乱し、戻り読みする。
注意深くゆっくりとほとんど朗読するかのように読み進める、こんな本がボケ始めた脳にはピッタリなのだ。それにしても読書スピードが遅くなった事驚くばかり・・・
自分の若い頃、少年期、青年期を通し、根本思想のどこかに虚無的な考え、シニカルな悲観的考えが巣食っていた。
これははつらつと生きようとする青少年には非常に有害な考えであった。
そんな時分読んだ父と子、宗教、哲学、芸術を一笑に付し、すべてのオーソリティーを否定するニヒリスト、そんな主人公のバザーロフに共感したのであろう、共鳴するところがあったのだろう・・・
だが、今回の読後感は全く違うものであった。主人公バザーロフの不完全さ、未成熟さばかりが目立ち、若くして死んでしまう主人公の人生いの虚しさ、悲惨さ、彼の存在はなんだったのであろうか、と思ってしまう。
彼の優れた分析、批評能力は単なる否定のための否定、人間社会をより良くしようと努力する人間に嘲笑的態度を取ことに終わってしまう、若きバザーロフ・・・
今回の再読はツルゲーネフが創造した主人公バザーロフよりも彼を取り囲む人々、父と子、即ち旧時代と新時代との見解の相違、衝突と言う古くて新しい問題、人間の根源的問題、ライトモチーフとも言うべきものに心揺り動かされた。
パーヴェル・ペトローウィチ、バザーロフの激しい論争に体を熱くし、我が子を思う主人公の父、ワシーリイ・イワーノウィチ、母、アリーナ・ヴラシェヴナの狂おしいばかりの愛情、アルカージイとその父ニコライ・ペトローウィチにあっけなく感涙した。
40数年の時の流れ・・・変わった。年老いた。