暖かい小雨降る一日、薪ストーブ前で本を読みながら音楽を聴いていた。
何年ぶりか、リヒターのマタイ(1958年録音)を聴く。
ピリオド楽器、演奏、Herreweghe に心酔していた耳には響かないだろう、
と思いつつ聴き始めた、が、昔と変わらずリヒターに圧倒された驚き、もう言葉はない。
聴きながら読んでいた本は「モーツァルト」を愛する各界著名人が熱く語っている1989年に出版された『私のモーツァルト』
リヒーターに限りなく感動しつつも、本にしばしば出てくる「モーツァルト」短調ピアノソナタK310、
聴いてみたいという整理のつかない心理にも陥っていた、そんな経緯で今日、K310を聴くこととなった。
やがてPires 、内田光子 、schiff、Haebler、そしてGouldの聴き比べになっていた、
モーツァルトのソナタは女性ピアニストに限るという通念、認めざるを得ないと思いながら。
だが数曲聴いて投げで出していたGlenn Gouldの演奏の衝撃、
とんでもないアーティキュレーション、アゴーギク、最早モーッアルトをなぶっているのかとさえ、
その上1966-1974年かけての録音、モノラル、ステレオ有りの音質は良くない。
今回そんなGouldの演奏に限りない感動とスリルを感じるた自身の知らずして音楽鑑賞、感性、感受性の変化に
この年にして驚く。
18のソナタ全曲聴いたのはもちろんであり、愛聴盤のひとつなろう、投げ捨てず、よかった、
とつくずく思う、と言って決して万人にオススメできる「モーツァルト」ではないことは確か。
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