投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 5月12日(月)21時07分10秒
>筆綾丸さん
>『絶望の裁判所』
未読ですが、私はもともと内部告発タイプの人はあまり信用しないようにしており、またご紹介の部分だけでも若干の違和感を抱きました。
検索してみたら、水口洋介という青年法律家協会・自由法曹団(共産党系)に所属している弁護士さんのブログに瀬木比呂志氏の経歴が出ていましたが、最高裁調査官まではエリートコースを歩んでいても、その後の経歴は今ひとつパッとしない方ですね。
水口洋介弁護士も「著書の裁判員裁判が刑事裁判官の復権のための「陰謀」であるかのような位置づけは、??と思います」、「言っていることは正しいかもしれませんが、その自身の立場を謙虚に語ることなく、裁判官及び裁判所が絶望的だと決めつけるこの本は、私にとってさえ共感するのが困難です。裁判官たちは、いっそう鼻白むでしょう」と言われていますね。
この人が裁判所内で、ご自身が考えるところの不正に対して一度でも戦ったことがあれば別ですが、裁判所を定年退職してからブチブチ文句を言っているだけなら、何だかなあという感じがします。
ちなみに自由法曹団の創設者の一人で、戦前に米騒動事件や朴烈事件、戦後に三鷹事件・松川事件などを手がけた超大物弁護士の布施辰治(1180-1953)は宮城県石巻出身で、石巻市立図書館の郷土資料コーナーでは地元出身の有名人として非常に厚遇されていますね。
他方、石母田正氏は全く特別扱いを受けておらず、著作集全16巻も書庫にしまわれていて、いささか気の毒でした。
布施辰治
自由法曹団
以前、少し検討した佐野眞一の『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社、2005年)には「男装の麗人」梅村淳に関する重要な情報提供者として日本評論社会長(当時)の大石進氏が登場しますが、大石氏の母親は布施辰治の娘だそうですね。
そして鎌倉で「男装の麗人」梅村淳と親しくしていたのだそうです。
〈朝鮮新報〉「布施辰治と朝鮮 孫の大石進・日本評論社会長に聞く①」
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
佐藤説の応用 2014/05/12(月) 13:16:17
小太郎さん
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Wars_involving_the_Mongols
まだレクチュア(Lektüre の名残り)と言うんだな、と家永氏のシラバスを眺めていると、「モンゴル戦争」という表現に目がとまり、 Mongol invasions and conquests なんて(複数形である如く)腐るほどあるよなあ、ノモンハン事件は含まないだろうけれども、と思いました。
http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2882507
ゆうべは、瀬木比呂志氏の『絶望の裁判所』を読みながら寝ました。
----------------------
数少ないすぐれた中国映画の一つである『鬼が来た!』(チアン・ウェン監督、二〇〇〇年)に、村人たちと歓談している日本人たちが、その場の「空気」の流れに従って自然発生的に虐殺を始めるシーンがある。非常によくできているそのシーンは本当に恐ろしい。現在の日本人の間にも、そういう「空気」の支配に流されやすい性格は相変わらず残っているからだ。私が民事局にいたころ、司法行政を通じて裁判官支配、統制を徹底したといわれる矢口洪一最高裁判所長官体制下の事務総局には、もしもそこが戦場であったなら先のようなことが起こりかねないような一触即発の空気が、常に漂っていた。(20頁)
----------------------
著者は現在の日本の裁判所と旧ソ連の収容所群島の類似性について言及されていますが、引用文を読みながら、私はなんとなくナチスの親衛隊を思い浮かべました。「司法行政を通じて裁判官支配、統制を徹底した」というところでは、いわゆる主従制的支配権と統治権的支配権などを連想し、最高裁長官を得宗、事務総局を御内人とすれば、一般の裁判官はまあ御家人のようなものかな、と思いました。
裁判員制度の導入においては、市民の司法参加や冤罪の防止などという理念はどうでもよく、真意は民事系裁判官に対する刑事系裁判官の逆襲・復活にあった、という穿った指摘は(66頁)、長い間、裁判官をした人でないとわからないものなんでしょうね。まだ途中ですが、裁判所と検察庁の関係、裁判所と法務省の関係を、それぞれ章立てして論述してほしかったですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC2%E4%B8%96
砂川事件の関係で、田中耕太郎最高裁長官とマッカーサー駐日米大使の会談の話がありますが(24頁)、このマッカーサーは紛らわしいですね。
小太郎さん
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Wars_involving_the_Mongols
まだレクチュア(Lektüre の名残り)と言うんだな、と家永氏のシラバスを眺めていると、「モンゴル戦争」という表現に目がとまり、 Mongol invasions and conquests なんて(複数形である如く)腐るほどあるよなあ、ノモンハン事件は含まないだろうけれども、と思いました。
http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2882507
ゆうべは、瀬木比呂志氏の『絶望の裁判所』を読みながら寝ました。
----------------------
数少ないすぐれた中国映画の一つである『鬼が来た!』(チアン・ウェン監督、二〇〇〇年)に、村人たちと歓談している日本人たちが、その場の「空気」の流れに従って自然発生的に虐殺を始めるシーンがある。非常によくできているそのシーンは本当に恐ろしい。現在の日本人の間にも、そういう「空気」の支配に流されやすい性格は相変わらず残っているからだ。私が民事局にいたころ、司法行政を通じて裁判官支配、統制を徹底したといわれる矢口洪一最高裁判所長官体制下の事務総局には、もしもそこが戦場であったなら先のようなことが起こりかねないような一触即発の空気が、常に漂っていた。(20頁)
----------------------
著者は現在の日本の裁判所と旧ソ連の収容所群島の類似性について言及されていますが、引用文を読みながら、私はなんとなくナチスの親衛隊を思い浮かべました。「司法行政を通じて裁判官支配、統制を徹底した」というところでは、いわゆる主従制的支配権と統治権的支配権などを連想し、最高裁長官を得宗、事務総局を御内人とすれば、一般の裁判官はまあ御家人のようなものかな、と思いました。
裁判員制度の導入においては、市民の司法参加や冤罪の防止などという理念はどうでもよく、真意は民事系裁判官に対する刑事系裁判官の逆襲・復活にあった、という穿った指摘は(66頁)、長い間、裁判官をした人でないとわからないものなんでしょうね。まだ途中ですが、裁判所と検察庁の関係、裁判所と法務省の関係を、それぞれ章立てして論述してほしかったですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC2%E4%B8%96
砂川事件の関係で、田中耕太郎最高裁長官とマッカーサー駐日米大使の会談の話がありますが(24頁)、このマッカーサーは紛らわしいですね。