学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「特養移すか残すか 飯舘村、国避難指示に異論」

2011-05-18 | 東日本大震災と研究者
「特養移すか残すか 飯舘村、国避難指示に異論」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月18日(水)01時06分59秒

『河北新報』の記事ですが、これも2週間ほどで消えてしまいそうなので、保存しておきます。

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 福島第1原発事故で全住民の計画的避難が始まった福島県飯舘村で、唯一の特別養護老人ホーム「いいたてホーム」の入所者を避難させるかどうかが焦点になっている。国は村外避難を求めるが、村は環境変化に伴う容体悪化や移動リスクを心配し、入所者をホームに残してケアを続けたい考え。国に対し「画一的に決めず、実情に合う対応をしてほしい」と訴えている。
 ホームは社会福祉法人いいたて福祉会の運営で107人のお年寄りが入所している。平均年齢は84.7歳で最高齢者は102歳。要介護度は平均で4と重く、自力で動けない人も多い。
 ホームによると、避難は受け入れ各施設に2~10人程度ずつ分散移動するか、旅館などを改修した仮設施設に全員そろって避難するかの方法が考えられる。分散避難の場合、受け入れ施設は埼玉県内の約30カ所になり、移動が大変だ。ホームを存続させられなくなる可能性もある。全員避難のケースは設備の整う仮設施設の確保が難しい。
 県内の他の自治体では3月の震災と原発事故発生当時、施設入所者や入院患者が避難先で体調を悪化させたり、死亡したりする例が相次いだ。
 計画的避難でホームの職員107人も村外に出なければならない。入所者がホームに残れば、職員は村外から通うことになって通勤時間が長くなるが、雇用は継続される。
 三瓶政美施設長(62)は「計画的避難は緊急避難と事情が違う。入所者は室内にいて、浴びる放射線量も少ない。利用者の安全を第一に考える必要がある」と話す。
 国は全村民の村外避難を原則としている。村はホームの意向を酌み、入所者がホームでケアを受けられるよう国に要請し、回答を待っている。
 菅野典雄村長は「入所者の生活のリスクを考え、実情に沿った対応を考えてほしい。もっと村に裁量権があっていい」と語っている。
2011年05月17日火曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110517t63015.htm

「平均年齢は84.7歳で最高齢者は102歳。要介護度は平均で4と重く、自力で動けない人も多い」という状況であれば、避難により相当多数の人が死亡する蓋然性が高いですね。
「国は村外避難を求める」そうですが、一体誰がこのように求めているのか。
避難が実行され、現実に死者が出た場合、私はその決定をした国の責任者を殺人罪で告発するつもりです。
告発は死亡者と特別な関係のない私人でもできますからね。



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自由の問題

2011-05-18 | 東日本大震災と研究者
自由の問題 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月18日(水)00時44分13秒

>Akiさん
ご紹介のページを読んでみました。

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端的に言えば、低線量被曝をした人々の健康への影響を直接検出し、定量化することは難しく、たいていは不可能なのだ。低線量被曝に関連した長期的健康被害の中で、最も心配されているのは、がんである。しかしながら、どのような集団でも約40%の人がいつかはがんになることを考えると、被曝した人々の集団が非常に大きく、個人の被曝線量が比較的よくわかっていないかぎり、被曝に関連した発がん率のわずかな上昇を評価することは、かなり不確実である。
(中略)
だが、低線量被曝をした人々の研究から得られる情報には根本的な限界がある。被曝に関連したがんの発生数は、常に、背景となる「自然な」がんの発生数に比べて非常に小さいと考えられるだけでなく、被曝が原因のがんとそれ以外のがんを区別する方法もないからだ。そのため、集団研究だけでは、極低線量被曝の危険性に関する情報を提供できない可能性がある。
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D. J. Brenner氏の見解に従えば、低線量被曝の問題は結局のところ「長期的」にガンになる確率がどの程度かの問題であって、低線量被曝の場合、発ガン率は「わずかな上昇」に止まると理解してよい訳ですね。
そして、低線量被曝者、例えば木村真三氏や岡野眞治氏、あるいは鈴木小太郎氏などは、いつかは約40%程度の確率でガンになるはずですが、仮にガンになったとしても、被曝が原因なのかそれ以外に原因があるかは分からない、「被曝が原因のがんとそれ以外のがんを区別する方法もない」訳ですね。
最後の部分、Akiさん自身のお考えとしては、「自分が放射線に弱いかどうかは、実際に放射線を浴びたあと、実害が出て初めてわかる」とのことなので、全く区別する方法はない、というD. J. Brenner氏は見解とは違うのだろうと思います。

低線量被曝にはもちろんリスクはある訳ですが、放射線は人間が生活して行く上で覚悟しなければならない様々なリスクのひとつにすぎず、どう生きるかはどのような種類のリスクを甘受するかを決定することともいえそうです。
私の場合、自分の生命に対する最大のリスクは何かというと、明らかに自動車の運転ですね。
どんなに自分が注意していたとしても、冬の雪道、特に高速道の対面通行区間あたりで対向車がスリップして正面衝突となったら、相当な確率で死にます。
しかし、私にとって自動車で移動することは新しい知見を得ることと殆ど同義ですから、リスクがあったとしてもやめる訳にはいきません。
そして、自動車運転のリスクと比較すると、私にとって「長期的」に、発ガン率に「わずかな上昇」が生ずる程度のことは、殆ど無視してよい程度のリスクとしか思えないですね。
仮に自分が放射線に弱い体質であって、客観的事実としては発ガン率の相当な上昇があったとしても、それを含めて、まあ仕方ないなと思います。
もちろんこれは私個人の考え方で、人に押し付けることはしませんが。

それと、Akiさんの「できれば無用の被曝はしないにこしたことはない」との穏当で常識的なご指摘の部分、実は私は若干の違和感を抱きます。
というのは、何をもって「無用」と考えるかは人それぞれであり、牛に飼料をやるため、あるいは他人の犬や猫を救出するために警戒区域に入ろうとする人は、多数者から見れば「無用」なことをやっているように思えるかもしれないですが、ある程度の人は十分に「有用」と考えるのではないかと思います。
また、私は警戒区域内の神社や寺が今どのような状況になっているのかを確認して写真を撮るために警戒区域内に入ることを考えており、こうなると大多数の人が「無用」と判断するはずです。
しかし、私は何が無用かの判断を世間や多数者に委ねたくはないし、まして菅や枝野に決定されたくはないですね。


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