学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

東日本復興計画私案(後半)

2011-05-31 | 東日本大震災と研究者
東日本復興計画私案(後半) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月31日(火)23時25分26秒

三、歴史的建造物の復元

 復元の対象となる歴史的建造物は、各教団がそれぞれの歴史的伝統を踏まえ、決定する。
 仏像や核心的な重要性を有する建造物はかつて存在したものと同種の素材で復元すべきであるが、それ以外の建造物はデザインのみを承継するものとし、必要に応じてスケールを拡大し、素材は木造建築にこだわることなく、最新の建築技術を駆使して、今回の大震災規模の地震・津波が再び起きた場合にも充分に対応できる頑健な建造物とする。
 万一の災害時には、住民の避難所として活用する。
 また、陸前高田市のような広い平坦地では、核シェルター並みの地下避難所を併設することも検討する。
 災害対策のために付加された部分については、公的支援を特に手厚く行う。


四.建設工事による雇用の創出

 伝統的建造物復元工事には地元の建設業者を活用し、大勢の被災者を雇用する。
 壮麗な宗教的空間を創造する工事への参加は、それ自体が死者を供養する行為であり、被災者に心の安寧をもたらすことができる。
 大勢の被災者に誇りをもって働くことのできる場を提供し、物質面のみならず精神面においても、生活再建のきっかけを与えることができる。


五、門前町の形成

 各寺院の門前には参拝者・観光客を受け入れるための門前町を作り、ホテル・旅館・飲食店・土産物店等の事業を奨励し、若年層のみならず高齢者も働くことのできる雇用の場を創出する。
 そして寺院を精神的紐帯とする、高齢者にとっても安心して生活できる地域コミュニティを作る。


六.東北版「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の形成

 主要被災地ごとに壮麗な歴史的建造物を復元し、かつ石巻市釜谷の大川小学校のような特に痛ましい被害があった場所には死者・行方不明者の人数に応じた規模の寺院を建立し、また、殉職した警察官・消防官・消防団員等、顕彰すべき功績のあった人々のために、それぞれにゆかりの場所に堂宇・慰霊碑を建設し、それら全てを連結して数百キロメートルの巡礼路を造り、更にこれらを中尊寺や瑞巌寺等の名刹・古刹と連結させて、福島県から岩手県までの太平洋沿岸に、文化的レベルにおいて京都・奈良に匹敵し、規模において京都・奈良を凌駕する落ち着いた雰囲気の広域的宗教空間をつくる。
 そして、東北の豊かな自然環境と組み合わせた国際的な観光地とし、観光業を東北地方の経済を長期的に支える主要産業とする。
 その際に最も参考となるのは、スペインの、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」である。
 イエスの十二使徒の一人、聖ヤコブが埋葬された地と伝承されるスペイン北西部の宗教都市、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路は、千年を超えて存続し、現在もなお多くの巡礼者を迎えており、近年、ユネスコに 「道の世界遺産」として登録されている。
 最も重要なルートが海に沿って展開し、数多くのロマネスク様式の教会・修道院を結ぶサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、東北に新しい広域的宗教空間を形成する上で見習うべき重要なモデルとなる。


七、おわりに

 以上、雇用の創出、産業の形成を中心に論じてきたが、これらと並んで重要なのは教育である。
 大震災により、被災地の子供たちは千年に一度の黙示録的光景と直接に向き合う過酷な経験を強いられ、また、被災地外においても、メディアを通じて多くの子供が惨たらしい映像を繰り返し見せつけられた。
 しかし、過酷な経験を強いられた子供たちこそ、世界を変革する主体となる可能性を秘めている。
 これらの子供たちの中から、人類のあり方を巨視的に見通す深い洞察力と構想力を持った科学者・思想家・哲学者を生み出すことを目標に、子供たちが深く考えるための素材を日本の全歴史の中から取り出して実体化すべきである。

以上



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本復興計画私案(前半)

2011-05-31 | 東日本大震災と研究者
東日本復興計画私案(前半) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月31日(火)23時21分45秒

5月11日の投稿で朝日新聞の「ニッポン前へ委員会」に論文を送ったこと、落選したらこちらに載せるつもりであることを書きましたが、その後、何の動きもないようです。
昨日、今後の予定について質問のメールを送ったのですが、返事はありません。
私も別に副賞が欲しくて応募した訳ではなく、新聞のような古いメディアの暢気な時間感覚にはとても付き合えないので、結果の発表を待たずにこちらに載せることにします。
ま、考えをまとめる機会を与えてくれた点は朝日新聞に感謝したいですね。


-----------------

東北に「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を
- 歴史的建造物の復元による復興計画 -


一、はじめに

 被災地の復興は津波による多数の死者・行方不明者を忘れて行われてはならない。
 死者を悼み、供養することこそが復興の出発点でなければならない。
 そこで、天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗等の伝統的な仏教教団が中心となって、主要被災地に死者を供養するための巨大寺院と門前町を作るものとする。
 それら寺院は、藤原道長の法成寺、白河法皇の法勝寺、源頼朝の永福寺(二階堂)、西園寺公経の西園寺、九条道家の光明峯寺や、また例えば浄土真宗であれば山科本願寺・石山本願寺等、歴史的に極めて重要な役割を果たしながら既に失われてしまった歴史的建造物を、歴史学者・建築学者の協力を得て復元して建設するものとする。
 遥か昔に失われてしまった歴史的建造物は、津波により無慈悲に命を奪われた人々、特に遺体さえも失われてしまった人々を供養する施設としてふさわしい。
 そして、歴史的建造物の復元を目的とすることにより、特定の宗派の施設ではなく、国家及び国民一般にとって歴史的・文化的価値のある施設としての要素を加え、憲法第20条の政教分離原則に反することなく、国・地方公共団体による、財政的支援を含めた様々な協力・援助が可能となる。
 主要被災地に巨大寺院と門前町を作り、また特に痛ましい被害があった場所にも寺院を建立し、更に顕彰すべき功績のあった人々のために、それぞれのゆかりの場所に堂宇・慰霊碑を建て、それら全てを連結してスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」をモデルとする巡礼路を作り、東北に京都・奈良に匹敵する広域的宗教空間を形成し、観光業を発展させ、数百年に及ぶ長期的・安定的な雇用を生み出すものとする。


二、復興の主体

 一般には復興の主体は国・地方公共団体等の公的存在と考えられている。
 しかし、復興における最も重要な課題は、被災地における人心の荒廃を防ぐことにある。
 今回の津波はあまりに残酷で、多くの人の心に深い傷を残した。
 その傷を癒すことは容易ではないが、出発点として、まず何よりも死者を悼み、供養しなければならない。
 そして、これほど多くの死者を悼み、供養するためには、千年、百年単位の伝統を有する仏教教団の宗教的使命感と組織力が必要である。
 伝統的な仏教教団は、自衛隊に匹敵する豊富な人材と資金を有しており、物理的復興に一応の成果を得た次の段階において、精神的復興のために最前線に立つべきである。
 そして、国や地方公共団体は、憲法第20条の政教分離原則を守りつつ、伝統的な仏教教団の活動を側面から支援すべきである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決議案と決議の異同(その2)

2011-05-31 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月31日(火)22時33分15秒

四番目の「情報統制」に関する部分ですが、原案起草者はこの部分に尋常ならざる関心を抱いているようで、分量的にも他の項目の2倍はありますね。
しかし、内容はどうかというと、まず「東電福島第一原発で発生した事故はチェルノブイリに匹敵する破局的事態」と断定している点は、事実認識としてかなり異論があるでしょうね。
原子炉そのものが爆発したチェルノブイリと安全装置が作動して緊急停止した福島第一原発を、その放出された放射性物質の量の相違にもかかわらず全く同視して「チェルノブイリに匹敵する破局的事態」と言うことは、それ自体が「風評」「デマ」ではないかと考える人もいると思います。
次に、「政府・東電による情報提供の不適切さは、インターネット上等における様々な不安の声や、時として不確実な情報の氾濫を招いた。これは情報公開の遅れや不十分さが引き起こした事態であるにもかかわらず、このようなさまざまな声を、『風評』『デマ』等のレッテルを貼ることにより、封殺しようとする動きが観察される」との主張は、原因がどうであれ、結果として生じた「風評」「デマ」をそのまま放置しろという主張になりますが、それは歴史学研究会が強調する「科学的」態度と言えるのですかね。
「さまざまな声」の内、科学的知識の不足による誤った声は社会に混乱をもたらすだけだから、正しい科学的知識によって牽制されければならない、と考えることこそが科学的態度ではないのか。
文字通りの「風評」「デマ」を放置しておいて、「現在の危機をどう収拾すべきかをめぐる、冷静・客観的な議論」ができるはずはないと私は思いますね。
また、「災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、『他者』を排除する傾向が強まる場合があることは関東大震災の際の苦い教訓が示す通り」とありますが、これを書いた人はいったい何年生まれなんですかね。
ごく限られたエリートのみが海外に行けた大正時代と異なり、普通の市民が日常的に海外に旅行し、海外で働く人、学ぶ人が当たり前に存在する現代日本において、災害が起きたから関東大震災の時のような外国人の虐殺が起きるのではないかと心配する人がいたら、それは単なる馬鹿ですね。
インターネットが普及している現代において、異論を封じることなどできるはずがないのは、ウィキリークスひとつ見ても明らかです。
1900年に生まれて、若いころに関東大震災を経験し、戦争で苦労して戦後は定年まで一生懸命働いた人が、歳をとってかなり耄碌し、インターネットに触れることもないまま111歳になって東日本大震災に遭遇したなら、「災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、『他者』を排除する傾向が強まる」のではないかと心配するのも理解できますが、普通にインターネットを利用する現代人が、何でそんな訳の分からない心配をしなければいけないのか、ちょっと理解できないですね。
前の投稿で、「中野聡氏のような東大・一橋大学の本当に優秀な歴史学者ならそのような離れ業ができるのかもしれませんが」と書きましたが、もちろんこれは単なるイヤミで、こんな原案を提出した「科学運動」の「全体を統括する」事務局長の中野聡氏は相当深刻な馬鹿であり、その馬鹿の度合いはレベルセブンの「チェルノブイリに匹敵」するでしょうね。

>筆綾丸さん
実は私も公開初日に「アジャストメント」を観に行ったのですが、「ボーン」シリーズのようなスピード感溢れるサスペンスドラマかと思ったら全然違っていて、ちょっと戸惑いました。
1時間くらいは我慢していたものの、結局途中で出てしまったので、ご指摘の場面は残念ながら見ていません。
ここには書きませんでしたが、「八日目の蝉」も観ています。
女優陣はみんな迫真の演技でしたが、新興宗教の教祖役の余貴美子は怖すぎました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする