投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月26日(木)07時53分45秒
先週末に歴史学研究会の大会がありましたが、同会のホームページには下記の決議案が載っていました。
実際に決議された内容とは違うようですが、ずいぶん奇妙な案のように思えるので、「歴史学研究会」を研究するための基礎資料として保存しておきます。
こういう案は事務局長が起草するのでしょうか。
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歴史学研究会委員会は下記の総会決議案を来る2011年5月20日の歴史学研究会総会に提案します。会員各位には総会討議にふるってご参加ください。ま下記のアドレスにてコメントを受け付けますので、どうぞ率直なご意見をお寄せください。
意見集約アドレス:rekiken@mbk.nifty.com
総会決議案:http://rekiken.jp/hssj2011resolution_draftproposal.pdf
(以下、PDFファイルと同一内容です)
2011年度歴史学研究会総会決議(案)
3・11後の歴史学関係者の責務
2011年3月11日に発生した東日本大震災と大津波、またそれに引き続く東京電力福島第一原子力発電所における事故は、かつてなく深刻な事態を引き起こしている。無数の生命が失われ、生活が破壊された。歴史学研究会は、犠牲者の方々に対して心から深い哀悼の意を表するとともに、復興に向けて努力する被災者と連帯する。そして我々は、歴史学の担い手としての社会的責任の自覚に立ち、東日本大震災と原子力災害がもたらした現状について、以下の見解を表明する。
1、歴史学関係者として、我々は、災害をめぐる歴史学の取り組みが果たして十分であったかを自ら問い直さなければならない。今回の巨大地震・津波では、貞観地震をはじめとする過去の地震・津波の教訓を現代日本社会がいかに軽んじてきたかが明らかになったが、歴史学もまた、自然と人間のかかわりの歴史(地震史・災害史といった分野)にもっと注意を払い、社会に警告を発するべきであったという痛切な反省の念を抱かずにはおられない。
2、歴史学関係者として、我々は、歴史資料・文化財・公文書館・博物館・図書館等(以下、歴史資料等)の救援に全力を挙げなければならない。阪神淡路大震災(1995年)における歴史資料ネットワークの取り組みを起点として、過去16年間、歴史資料救援の取り組みは、日本各地で発生する災害に応じて広がってきた。いまも、宮城資料ネットワークをはじめ東日本各地で資料救援活動が展開している。しかし、東日本大震災と原子力災害がもたらした歴史資料等の被災の規模と内容は、我々に、これまでにない取り組みを要求している。日本史・外国史を問わず、全国の歴史学関係者は、歴史資料等の救援に全力をあげて協力しなければならない。また、我々は、今回の被災地域以外においても、予想される将来の災害に対する歴史資料等の防災・減災に取り組まなければならない。
3、歴史学関係者として、我々は、原発問題、エネルギー政策についての取り組みもまた、きわめて不十分だったことを反省しなければならない。今回の原発事故は、これまで「安全神話」によって国民を欺いてきた電力会社および歴代の政府によって引き起こされた明らかな人災であるが、本来であれば、我々は、原発問題を歴史学のテーマとして正面から取り上げ、「科学技術」過信の成長優先主義がいかに危険なものであるか、警鐘を鳴らすべきであった。核の「平和利用」が本当に安全なのかどうか、被爆国の歴史学界として自覚的に検証することが必要であった。今回のような破局的事態がさらに拡大することを防ぐためにも、我々は今後、歴史学の立場から、企業や国家の論理を厳しく監視・批判する作業に取り組んでいかねばならない。
4、今回の災害、とりわけ原発事故に関しては、事故発生と同時に、政府・東電・専門家・マスコミ等による情報公開のあり方等をめぐり、懸念すべき状況が生じている。東電福島第一原発で発生した事故はチェルノブイリに匹敵する破局的事態であるにもかかわらず、その実態に関する情報提供は極端に遅れ、放射能の影響等に関する客観的データや指標が体系的に発表されることもないという状況が続いた。政府・東電による情報提供の不適切さは、インターネット上等における様々な不安の声や、時として不確実な情報の氾濫を招いた。これは情報公開の遅れや不十分さが引き起こした事態であるにもかかわらず、このようなさまざまな声を、「風評」「デマ」等のレッテルを貼ることにより、封殺しようとする動きが観察される。また、一部マスコミ・報道機関や研究者の間には、現状を客観的に分析し、将来を予測し、公表することを控える動きが広がっている。
こうした情報統制、情報発信の自主規制のもとでは、現在の危機をどう収拾すべきかをめぐる、冷静・客観的な議論は不可能となってしまう。災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、「他者」を排除する傾向が強まる場合があることは関東大震災の際の苦い教訓が示す通りであるが、こうした現象が繰り返されることがあってはならない。我々は、今回の原発事故をめぐる情報が迅速かつ体系的に公表されること、すべての記録が保存・公開されて事故の全容が明らかにされ、国民の英知を民主的・科学的に広く結集することを通じて、解決の道が見出されることを強く求める。
今回の破局的状況を、日本社会のこれまでのあり方を批判的に検証し、人の命が大切にされる社会へと大きく舵を切る転換点とするために、我々歴史学関係者もそれぞれの持ち場で力を尽くしていきたい。
2011年5月20日
歴史学研究会総会
http://rekiken.jp/2011resolution_draftproposal.html
先週末に歴史学研究会の大会がありましたが、同会のホームページには下記の決議案が載っていました。
実際に決議された内容とは違うようですが、ずいぶん奇妙な案のように思えるので、「歴史学研究会」を研究するための基礎資料として保存しておきます。
こういう案は事務局長が起草するのでしょうか。
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歴史学研究会委員会は下記の総会決議案を来る2011年5月20日の歴史学研究会総会に提案します。会員各位には総会討議にふるってご参加ください。ま下記のアドレスにてコメントを受け付けますので、どうぞ率直なご意見をお寄せください。
意見集約アドレス:rekiken@mbk.nifty.com
総会決議案:http://rekiken.jp/hssj2011resolution_draftproposal.pdf
(以下、PDFファイルと同一内容です)
2011年度歴史学研究会総会決議(案)
3・11後の歴史学関係者の責務
2011年3月11日に発生した東日本大震災と大津波、またそれに引き続く東京電力福島第一原子力発電所における事故は、かつてなく深刻な事態を引き起こしている。無数の生命が失われ、生活が破壊された。歴史学研究会は、犠牲者の方々に対して心から深い哀悼の意を表するとともに、復興に向けて努力する被災者と連帯する。そして我々は、歴史学の担い手としての社会的責任の自覚に立ち、東日本大震災と原子力災害がもたらした現状について、以下の見解を表明する。
1、歴史学関係者として、我々は、災害をめぐる歴史学の取り組みが果たして十分であったかを自ら問い直さなければならない。今回の巨大地震・津波では、貞観地震をはじめとする過去の地震・津波の教訓を現代日本社会がいかに軽んじてきたかが明らかになったが、歴史学もまた、自然と人間のかかわりの歴史(地震史・災害史といった分野)にもっと注意を払い、社会に警告を発するべきであったという痛切な反省の念を抱かずにはおられない。
2、歴史学関係者として、我々は、歴史資料・文化財・公文書館・博物館・図書館等(以下、歴史資料等)の救援に全力を挙げなければならない。阪神淡路大震災(1995年)における歴史資料ネットワークの取り組みを起点として、過去16年間、歴史資料救援の取り組みは、日本各地で発生する災害に応じて広がってきた。いまも、宮城資料ネットワークをはじめ東日本各地で資料救援活動が展開している。しかし、東日本大震災と原子力災害がもたらした歴史資料等の被災の規模と内容は、我々に、これまでにない取り組みを要求している。日本史・外国史を問わず、全国の歴史学関係者は、歴史資料等の救援に全力をあげて協力しなければならない。また、我々は、今回の被災地域以外においても、予想される将来の災害に対する歴史資料等の防災・減災に取り組まなければならない。
3、歴史学関係者として、我々は、原発問題、エネルギー政策についての取り組みもまた、きわめて不十分だったことを反省しなければならない。今回の原発事故は、これまで「安全神話」によって国民を欺いてきた電力会社および歴代の政府によって引き起こされた明らかな人災であるが、本来であれば、我々は、原発問題を歴史学のテーマとして正面から取り上げ、「科学技術」過信の成長優先主義がいかに危険なものであるか、警鐘を鳴らすべきであった。核の「平和利用」が本当に安全なのかどうか、被爆国の歴史学界として自覚的に検証することが必要であった。今回のような破局的事態がさらに拡大することを防ぐためにも、我々は今後、歴史学の立場から、企業や国家の論理を厳しく監視・批判する作業に取り組んでいかねばならない。
4、今回の災害、とりわけ原発事故に関しては、事故発生と同時に、政府・東電・専門家・マスコミ等による情報公開のあり方等をめぐり、懸念すべき状況が生じている。東電福島第一原発で発生した事故はチェルノブイリに匹敵する破局的事態であるにもかかわらず、その実態に関する情報提供は極端に遅れ、放射能の影響等に関する客観的データや指標が体系的に発表されることもないという状況が続いた。政府・東電による情報提供の不適切さは、インターネット上等における様々な不安の声や、時として不確実な情報の氾濫を招いた。これは情報公開の遅れや不十分さが引き起こした事態であるにもかかわらず、このようなさまざまな声を、「風評」「デマ」等のレッテルを貼ることにより、封殺しようとする動きが観察される。また、一部マスコミ・報道機関や研究者の間には、現状を客観的に分析し、将来を予測し、公表することを控える動きが広がっている。
こうした情報統制、情報発信の自主規制のもとでは、現在の危機をどう収拾すべきかをめぐる、冷静・客観的な議論は不可能となってしまう。災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、「他者」を排除する傾向が強まる場合があることは関東大震災の際の苦い教訓が示す通りであるが、こうした現象が繰り返されることがあってはならない。我々は、今回の原発事故をめぐる情報が迅速かつ体系的に公表されること、すべての記録が保存・公開されて事故の全容が明らかにされ、国民の英知を民主的・科学的に広く結集することを通じて、解決の道が見出されることを強く求める。
今回の破局的状況を、日本社会のこれまでのあり方を批判的に検証し、人の命が大切にされる社会へと大きく舵を切る転換点とするために、我々歴史学関係者もそれぞれの持ち場で力を尽くしていきたい。
2011年5月20日
歴史学研究会総会
http://rekiken.jp/2011resolution_draftproposal.html