投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月21日(火)07時33分25秒
これも河北新報の記事です。
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学校側、対策の不備謝罪 石巻・大川小合同供養式
児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明になっている宮城県石巻市大川小の合同供養式が18日、同市桃生町の斎場で営まれた。学校と市教委の関係者も出席し、津波発生時の避難場所を定めていなかった点など防災対策の不備を謝罪した。
遺族でつくる実行委員会が主催し、約350人が参列。震災が起きた午後2時46分に合わせて黙とうした。2人の子どもを失った武山剛PTA会長は「子どもたち、先生のみ霊が安らかであるよう念じたい」などとあいさつ。学校行事の写真スライドも上映され、子どもたちの姿に遺族からすすり泣きが漏れた。
市教委によると、同小の柏葉照幸校長は「安全に対する取り組みの不十分さ、すべては私の至らなさの結果です」などと保護者に陳謝。市教委の今野慶正事務局長は「学校の防災計画を点検、指導するなど、津波への危機意識を高めるべきだった。本当に申し訳ありません」と述べた。
3月11日の地震直後、児童らは校庭に避難。津波が来る直前に北上川の橋のたもとにある小高い場所へ移動する途中、川から押し寄せた津波に襲われた。教職員も現場にいた11人のうち、10人が死亡、行方不明。保護者からは「裏山に登れば、多くが助かったはず」と疑問の声が出ていた。
供養式の後は遺族会が設立され、学校近くに慰霊碑を建て、植樹を進める方針などを確認した。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110619t13007.htm
大川小学校の校舎は1985年に建てられたそうですが、ずいぶん斬新な設計で、地域の自慢の建物だったそうですね。
裏山の近くには日比谷の野外音楽堂を思わせるような小さな階段状の施設があり、その外側に宮澤賢治の作品をモチーフとした壁画が描かれていました。
世界が全体に幸福にならない
うちは、個人の幸福は
ありえない・・・・・・
一番下の写真、中央に小さな道標のようなものがありますが、ここに「津波到達点」と書かれており、意外に低いなと感じました。
コンクリート壁を登るのは無理ですが、壁の切れた両脇からは小学生でも何とか上に行けますね。
引率された児童が向かった新北上大橋のたもとの微高地までは200メートル程ですが、そこまで行くと山を切り崩してコンクリートを吹き付けた垂直に近い急な壁になっており、裏山への逃げ場がないですね。
教師も大半が亡くなっているのに、なぜいつまでも責任追及をするのか、という論調が一部にありましたが、親にしてみれば、学校側の状況判断の誤りは許しがたいと思わざるをえないでしょうね。
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5903
これも河北新報の記事です。
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学校側、対策の不備謝罪 石巻・大川小合同供養式
児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明になっている宮城県石巻市大川小の合同供養式が18日、同市桃生町の斎場で営まれた。学校と市教委の関係者も出席し、津波発生時の避難場所を定めていなかった点など防災対策の不備を謝罪した。
遺族でつくる実行委員会が主催し、約350人が参列。震災が起きた午後2時46分に合わせて黙とうした。2人の子どもを失った武山剛PTA会長は「子どもたち、先生のみ霊が安らかであるよう念じたい」などとあいさつ。学校行事の写真スライドも上映され、子どもたちの姿に遺族からすすり泣きが漏れた。
市教委によると、同小の柏葉照幸校長は「安全に対する取り組みの不十分さ、すべては私の至らなさの結果です」などと保護者に陳謝。市教委の今野慶正事務局長は「学校の防災計画を点検、指導するなど、津波への危機意識を高めるべきだった。本当に申し訳ありません」と述べた。
3月11日の地震直後、児童らは校庭に避難。津波が来る直前に北上川の橋のたもとにある小高い場所へ移動する途中、川から押し寄せた津波に襲われた。教職員も現場にいた11人のうち、10人が死亡、行方不明。保護者からは「裏山に登れば、多くが助かったはず」と疑問の声が出ていた。
供養式の後は遺族会が設立され、学校近くに慰霊碑を建て、植樹を進める方針などを確認した。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110619t13007.htm
大川小学校の校舎は1985年に建てられたそうですが、ずいぶん斬新な設計で、地域の自慢の建物だったそうですね。
裏山の近くには日比谷の野外音楽堂を思わせるような小さな階段状の施設があり、その外側に宮澤賢治の作品をモチーフとした壁画が描かれていました。
世界が全体に幸福にならない
うちは、個人の幸福は
ありえない・・・・・・
一番下の写真、中央に小さな道標のようなものがありますが、ここに「津波到達点」と書かれており、意外に低いなと感じました。
コンクリート壁を登るのは無理ですが、壁の切れた両脇からは小学生でも何とか上に行けますね。
引率された児童が向かった新北上大橋のたもとの微高地までは200メートル程ですが、そこまで行くと山を切り崩してコンクリートを吹き付けた垂直に近い急な壁になっており、裏山への逃げ場がないですね。
教師も大半が亡くなっているのに、なぜいつまでも責任追及をするのか、という論調が一部にありましたが、親にしてみれば、学校側の状況判断の誤りは許しがたいと思わざるをえないでしょうね。
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5903