学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

日立から八戸まで

2011-08-12 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月12日(金)22時11分42秒

8月2日から昨日まで、引っ越し荷物の片付けもしないまま津波被災地を車で廻り、被災地の神社とお寺の写真を撮っていました。
4月10日に宮古市田老地区まで行っていたので、八戸から南下して「道の駅たろう」に着いた時はそれなりの達成感がありましたね。
これで茨城県日立市から青森県八戸市まで、海沿いの主要道路のうち走行可能な部分を一応全部廻ったことになります。
例外はもちろん福島第一原発周辺の立入禁止区域ですが、ここもなるべく早く見に行ってみたいですね。

昨日は三陸自動車道を河北ICで降りて北上川北岸を東に向かい、大川小学校を対岸から眺め、神割岬・陸前戸倉、更に南三陸町の荒島を経て同町清水浜で引き返して陸前戸倉に戻り、そこから内陸部を西に向かって三陸自動車道の桃生津山ICに入り、すぐに河北ICで降りて今度は北上川南岸を大川小学校まで走行し、震災から五か月目の午後2時46分は大川小学校前で迎えました。
ついで旧雄勝町に行き、斎藤善之・高橋美貴氏編の『近世南三陸の海村社会と海商』に出てきた名振浜まで廻ってみました。
名振浜は雄勝町の他の地域と同様、津波の被害がひどくて、過去の繁栄を偲ぶ手がかりもありませんでした。
写真は近日中に開設予定の新しいサイトの方で順次公開して行くつもりです。

『近世南三陸の海村社会と海商』

※写真
コメント
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