学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

石母田正氏への奇妙に高い評価

2013-12-21 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年12月21日(土)21時41分32秒

『戦国大名武田氏の権力構造』の「序章 戦国大名研究の現状と本書の視角」から、「国家論」に関係する部分を、いささか長文ながらそのまま引用しておきます。(p4以下)

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 現代につながる戦国大名研究は、一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて行われた議論を出発点としている。これは戦国大名が、いかにして権力を獲得し、公権力化していったかを探る視角である。この議論は二つの方向から検討がなされたように思われる。ひとつは、大名権力の淵源を「守護公権」に求める視点であり、藤木久志氏や宮川満氏の手によって進められた(4)。しかしその後の研究により大きな影響を与えたのは、いまひとつの「戦国法」研究であるだろう。その嚆矢となったのは藤木久志・勝俣鎮夫両氏の研究であり、在地法のレベルでは対処できなくなった状況に対応するために、戦国法(分国法)が形成されていく過程が論じられた(5)。
 戦国法を、中世法全体の中で位置づけられたのが石母田正氏である。石母田氏は戦国法の制定権が戦国大名にあり、その認証をもって完結すること、数郡~数ヶ国にわたる各大名の支配地域において一般法としての地位を占めていること、大名権力が家産官僚制を組織していることなどを指摘された。そして各大名がキリスト教宣教師といった国外勢力から「国王」と見なされていたことなどをあわせて考察され、戦国期を国家主権が戦国諸大名に分裂した時代、戦国大名領国を「主権的な国家」と評価されたのである(6)。永原慶二氏も、こうした議論を踏まえて、戦国大名を日本における「下位国家」と把握し、その自立性を高く評価するようになる(7)。
 次いで勝俣氏は戦国大名を「分国における最高の主権者」「前代のあらゆる公権力の権力の効力を断ちきって、自己を最高とする大名の一元的支配権を確立」した存在と位置づけた(8)。勝俣氏は、戦国大名が自身を公儀化するための新しい支配理念として「国家」を創出したと評価され、その構成員として「国の百姓」を想定している。
 勝俣氏は国家について、主従制的支配権の客体としての「家」と、統治権的支配権の客体としての「国」の複合体と説明する(9)。戦国大名の用いる国家とは、いわゆる「日本国」ではなく、戦国大名領国を示しており、それは近世大名へと継承されていったもので、「地域国家」と位置づけられるものであったとしたのである。国そのものは国郡制の国を前提とはしているものの、地域的な共同意識(国共同体)が成立したとする。ここでは、戦国大名は「国民」に対する保護義務を負い、「国民」は国の平和と安全の維持に協力する義務を負うという双務的関係にあると位置づけられた。この後勝俣氏はこの論理を進めて、戦国大名の地域国家を、近代「国民国家」の萌芽と見通された(10)。
 勝俣氏の「国民国家」萌芽論は、大名滅亡の危機という非常時にのみ確認され、その上多くの制約を伴った民衆の軍事動員(11)を、戦国大名国家の一般的性質に拡大したものであるなど(12)、多くの問題を残す。特に大名側の一方的な支配論理主張(これはあくまで政治的フィクションに過ぎない)と、現実の政治状況が混同されている側面は軽視できない(13)。
 しかしながら、地域国家という理解については、一定の評価を得つつあるように思われる(14)。もともと中世史研究においては、列島全体を支配した統一国家という概念が無限定に適用できるかという議論が存在し、重層的な国家像が提示されてきた(15)。戦国大名を地域国家とみなす理解は、そのような研究史の延長線上に位置づけられるものといえる。
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私は史的唯物論の石母田正氏(1912-86)に対して全く何の敬意も親近感も抱いていないので、1977年生まれのまだ若い丸島氏が古くさい石母田の見解を紹介するに際し、一貫して敬語を使っているのが非常に奇異に感じられます。
引用部分では藤木・宮川・永原氏には一切敬語を用いず、勝俣氏についてはごく一部のみ敬語を用いてますね。
論文なのだから一切敬語を用いないのが一番すっきりするように思うのですが、丸島氏の対応はちょっと不思議な感じがします。

石母田正(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%AF%8D%E7%94%B0%E6%AD%A3
石母田正(マキペディア)
http://makipedia.jp/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E6%AF%8D%E7%94%B0%E6%AD%A3

※追記(2015.8.18)
 本投稿を含むカテゴリーの中で、本投稿のみ特に頻繁に閲覧されているようですが、私の石母田正氏に対する評価は大きく変化していますので、他のより日時の新しい投稿や、カテゴリー「石母田正の父とその周辺」の投稿も見ていただけると幸いです。
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丸島和洋『戦国大名武田氏の権力構造』

2013-12-21 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年12月21日(土)20時09分49秒

>筆綾丸さん
仙台のジュンク堂でパラパラ眺めてみたら、第10章に「武田家家臣三枝氏の家意識とその変遷」という論文が出ていたので、ちょっと躊躇った後、購入することにしました。
小説家の故・辻邦生の実家は山梨県春日居町で代々医者だったそうですが、辻家は古代から連綿と続く三枝一族だったことを誇りにしていたそうで、辻邦生は父の死を契機に先祖の歴史を知りたくなって、実家に大量に残されていた古文書を含め、相当本格的に調べたようです。
彼はその結果を『銀杏散りやまず』という小説、というかエッセイにまとめているのですが、一読したところ、やはり歴史に関する部分は素人くさくて、どうにももどかしい感じを受けました。
それから何となく三枝氏が気になっており、ちょうど良い機会なので読んでみることにしました。

辻邦生

「序章 戦国大名研究の現状と本書の視角」は筆綾丸さんが簡単に触れられた通りの内容で、まあ、こんなものなのだろうなという感じがしました。
やはり丸島氏には法制史の素養がないので、新田一郎氏の『中世に国家はあったか』を読んだ後だと、少なくとも「国家論」の部分に関してはガッカリ感が強いですね。
それにしても2004年に出ている『中世に国家はあったか』を本文はもとより注記でも引用していないのは少し妙な感じがしました。

『戦国大名武田氏の権力構造』

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Air Force Two と 『 Rabbit, Run 』 2013/12/11(水) 14:33:13
小太郎さん
メリル・ニューマン氏が「幽閉」されたホテルは、もしかすると、私が滞在したのと同じかもしれません。二十数階建の大同江河岸のホテルで、ゴルフコース(9ホール)が隣接していて、宿泊客はすべて「外国人」、平壌市民には無縁の豪華なホテルでした(通訳と公安以外、平壌市民はアクセスできないようで、ある意味、「幽霊屋敷」なのかもしれない)。最上階のバーラウンジは閑散としていましたが、それでも、平壌の夜景を眺めることができました。一緒に行ったフランス人はフランス語の通訳と、ビールを飲みながら、ヴェトナムからの日本製中古車の輸入の話で盛り上がり、一台当たり、結構、いい金になるんだとかなんとか、言ってましたね。伝統的な朝鮮料理が、あのホテルのものだとすると、おそらく不味かったはずで、あの国で美味いのはビールだけだったような気がします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%AC%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB
ちなみに、この虚仮威しのホテルは私が行ったときのままで、 鴎外ではありませんが、まだ「普請中」なんですね。(倒潰するまで「普請中」なのかもしれない)

ご引用の Santa Cruz Sentinel にニューマン氏の Palo Alto の自宅前の写真がありますが、瓦の屋根や白壁は、韓半島風あるいは日本風の建物のようですね。サンタ・クルーズ周辺は、むかし、行ったことがありますが、あのあたりは、アメリカでも人生に成功した人が老後に住むところなんですね。ニューマン氏の退役時の階級がわかりませんが、相当な高官だったようにも思われます。
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Vice President Joe Biden, who was in South Korea to visit a war memorial in Seoul, spoke with Newman by phone Friday and offered him a ride home on Air Force Two.
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政治的な宣伝目的であれ、副大統領がエア・フォース・ツーに乗って帰らないか、などと気軽に言うとは、ちょっと考えられせんね。(「ワシントン経由は嫌で」北京ー桑港の直行便がいい、とニューマン氏が応じるのも、いかにもアメリカ的です)
日本であれば、死体にでもならないかぎり、政府専用機に庶民を乗せてくれることなど、まずありえないでしょうね。
バイデン氏が、防空識別圏の関係で慌ただしく日中韓を訪問しましたが、ニューマン氏の帰国が主目的で防空識別圏はついでだったのではないか、とすら思えてきます。「人質」解放に尽力したスウェーデンの駐韓(・駐北鮮)大使に御礼を申し上げ、スウェーデンに借りができたななどと思いながら、バイデン氏は帰って行ったのでしょうね。
色々なことを考えさせてくれたニューマン氏です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AF
『走れウサギ』の「Updike」の up はなんとなく ap と同じように思われ、genealogy 的には先祖はウェールズなのかもしれませんね。(大工の倅すなわちキリスト?)

http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784215539
昨日、都内の所用の帰途、某書店の中世史コーナーに寄ると、丸島氏の『戦国大名武田氏の権力構造』があったので、序章を眺めてみました。「地域国家」を「主権的な国家」としたのは石母田正で、「地域国家」を「下位国家」としたのは永原慶二とありました。また、丸島氏は、「専門書」と「一般書」は全然違うと言ってますが、通読したかぎりでは、同じ文体で同じようなことしか書いてなくて、「地域国家」についての定義などは、「専門書」と「一般書」で瓜二つ、両者の差異がどこにあるのか、わかりませんでした。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/5/0029970.html
勝俣鎮夫氏の『戦国時代論』の関連領域を通読してみると、佐藤説を敷衍して、「地域国家」の国家とは、主従的制的支配権としての「家」と統治的支配権としての「国」の複合体である、というような記述がありました。
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