投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年12月22日(日)18時01分57秒
丸島氏には慶應らしいスマートさを全く感じないので大学から慶應なのかなと思ったら、『戦国大名武田氏の権力構造』の「あとがき」に「在籍していた慶應義塾高校」とありますね。
幼稚舎からなのかは分かりませんが。
また、「大学院進学後は、中島圭一先生が中世史の専任教員として着任され、研究環境は大きく変化した。ひとつ下の学年に、桃崎有一郎氏が入ってきたこともあり、ゼミは早くから活気を帯びていた。私の宿痾といえる、ついつい先回りして結論を出し、議論を深めずに終わりがちな悪癖に自覚的になったのは、中島ゼミの場である」のだそうで、「あとがき」には中島圭一氏をはじめ、私も多少の面識がある人々の名前が挙がっています。
その中に今はある大学の准教授になっている方がいて、十年くらい前に飲み会の場でその人と石母田正について話したことがあります。
私より一回り以上若いその人は石母田正の『中世的世界の形成』に感激して歴史研究者の道を選ぶことにしたのだそうで、実は私は『中世的世界の形成』の熱っぽい文体が非常に苦手で、「名著」と言われているから何度も手には取ったのですが、結局、その時点でも全部通して読むことはできていない状態でした。
私より一回り上の全共闘世代あたりの人だったら『中世的世界の形成』に感激するタイプも多かったでしょうが、私よりずっと年下で、しかも経済界のエリートを輩出する慶應の人が今どき『中世的世界の形成』に感激するのか、と内心では思ったのですが、まあ、人それぞれだし、あえて感想を言ってしまうと話が変な方向へ進みかねないので、私は曖昧に頷いただけでした。
先方から見たら、私はポカンとした間抜けな顔をしていたのかもしれません。
でもまあ、例えて言えば、慶応の人から「近代文学の最高傑作は小林多喜二の『蟹工船』ですね」と言われた程度にはショッキングな出来事でしたね。
ちなみに小林多喜二は1903年生まれなので、石母田正より10歳上ですね。
小林多喜二
>筆綾丸さん
>三枝
この夏の高校野球でも山梨県のチームに三枝という名字の人がいて、古代的だなと思いました。(笑)
>東島誠氏
勝俣鎮夫氏の「国民国家」起源論や「公界としての共同体」論には、やはり問題が多いですね。
私もやっと東島誠氏の苛立ちが多少は理解できるようになりました。
【カテゴリー:東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』】
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
三枝夫人 013/12/22(日) 13:04:42
小太郎さん
http://www.shinchosha.co.jp/book/865146/
三枝という姓は、高校一年のとき、福永武彦『風土』の「三枝夫人」で初めて知りました。「さえぐさ」であったか、「さいぐさ」であったか、内容とともにすべて忘れてしまいましたが、よろめき夫人というか有閑マダムというか、そんなイメージが「三枝」には揺曳してしまうのを、どうすることもできません(笑)。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/1999/77.html
東島誠氏の『公共圏の歴史的創造 ー 江湖の思想へー』を、丸の内の丸善で立ち読みしました。
http://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/nihon/78_1/01.pdf
謀反(謂謀危國家)と謀叛(謂謀背圀従偽)の差異について、前者は単一国家を前提にし、後者は複数の国家を前提にしたもので、ある時期以降、頼朝は大江広元の入れ知恵で両者を厳密に使い分けた、という論考をあらためて面白く思いました。
氏に従えば、「地域国家」論では「謀叛」はありうるけれども「謀反」はありえず、北朝鮮の一連の粛清劇などは逆に「謀反」の論理で一貫している、というようなことになりますね。
ご引用の中に、「しかしながら、地域国家という理解については、一定の評価を得つつあるように思われる(14)。」という、唐突な「論理」展開がありますが、べつに「地域国家」などと背伸びせずとも従来の「領国」でいいじゃないか、なぜ「領国」はダメなのか、という疑問は払拭できないですね。戦国期の流行語「国家」という用語の史料性・歴史性をなんとしても活かしたいのでしょうけれども。
小太郎さん
http://www.shinchosha.co.jp/book/865146/
三枝という姓は、高校一年のとき、福永武彦『風土』の「三枝夫人」で初めて知りました。「さえぐさ」であったか、「さいぐさ」であったか、内容とともにすべて忘れてしまいましたが、よろめき夫人というか有閑マダムというか、そんなイメージが「三枝」には揺曳してしまうのを、どうすることもできません(笑)。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/1999/77.html
東島誠氏の『公共圏の歴史的創造 ー 江湖の思想へー』を、丸の内の丸善で立ち読みしました。
http://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/nihon/78_1/01.pdf
謀反(謂謀危國家)と謀叛(謂謀背圀従偽)の差異について、前者は単一国家を前提にし、後者は複数の国家を前提にしたもので、ある時期以降、頼朝は大江広元の入れ知恵で両者を厳密に使い分けた、という論考をあらためて面白く思いました。
氏に従えば、「地域国家」論では「謀叛」はありうるけれども「謀反」はありえず、北朝鮮の一連の粛清劇などは逆に「謀反」の論理で一貫している、というようなことになりますね。
ご引用の中に、「しかしながら、地域国家という理解については、一定の評価を得つつあるように思われる(14)。」という、唐突な「論理」展開がありますが、べつに「地域国家」などと背伸びせずとも従来の「領国」でいいじゃないか、なぜ「領国」はダメなのか、という疑問は払拭できないですね。戦国期の流行語「国家」という用語の史料性・歴史性をなんとしても活かしたいのでしょうけれども。