学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『近代法の形成』

2014-02-03 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 2月 3日(月)22時05分43秒

村上淳一氏の文体の紹介を兼ねて、『近代法の形成』の冒頭部分を少し引用してみます。
村上氏は1933年生まれ、東京大学名誉教授、専門はドイツ法ですね。
なお、ルビを<>で表示しています。
日本語で同じ「国家」であっても、国家<シュタート>、国家<ポリス>と異なったルビが振ってあります。
<>がない「国家」は、もともと原文にルビが振っていないものです。
また、原文で傍点がある部分は【 】としました。

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第一章 政治社会と国家
一 旧ヨーロッパの政治社会

 神聖ローマ帝国崩壊(一八〇六)の数年前に執筆した『ドイツ国制論』において、ヘーゲルは「ドイツはもはや国家(Staat)ではない」、と述べている。ヘーゲルによれば、国家というものには君主および身分制議会という一個の中心があって、さまざまの権力を統合するとともに各部分を自己に従属させるべきであるのに、ドイツにおいては、【法によって】、個々の帝国等族にほとんど完全な独立性が認められている。ドイツという国家的構造物は、個々の部分が全体(帝国)から奪い取った諸権利の総和にすぎないのであって、全体にはいかなる権力も残らないように監視する【正義】こそが、ドイツの国制の本質なのである。それゆえ、「ドイツ滅ぶとも正義行われよ」(Fiat iustitia, pereat Germania!)という碑文ほど、ドイツにとってふさわしいものはない。
 このようなヘーゲルの見解については、次のことを指摘しなければならない。まず第一に、それは、三〇年戦争に終止符を打ったヴェストファーレン条約後におけるドイツ諸領邦の主権国家への発展と、帝国の空洞化を的確にとらえたものである。「多数のものが一個の国家<シュタート>を形成するためには、共有の軍隊と国家権力とが必要である」(ヘーゲル)という前提をとる限り、ドイツ(神聖ローマ帝国)はもはや国家<シュタート>ではない、という結論に至らざるをえないことは明白であった。しかし、第二に、「軍隊と国家権力」、すなわち常備軍と整備された行政組織とをもつ機構としての国家<シュタート>の観念は、ドイツにおいてもようやく一七世紀の後半以降、徐々に広まってきたものであって、それまでは─そして、そのような国家<シュタート>の観念と競合しながら一八世紀の末に至るまで─自由人ないしさまざまの自立的権力の形成する【法共同体】(Rechtsgemeinschaft)こそが、国家【ないし】政治社会(civitas sive societas civilis)にほかならぬとされてきたのである。その意味では、ドイツ帝国はその終焉に至るまで、「国家ないし政治社会」であったと言わなければならない。しかも、法共同体としての「国家ないし政治社会」の観念は、ひとりドイツのみならず、アリストテレスの政治学を継受した旧ヨーロッパの国家論に共通の伝統をなすものであった。
 アリストテレスが国家<ポリス>の本質を政治社会(politike koinonia)として、すなわち幸福な生活、徳ある生活のために結合した市民の共同体としてとらえたことは周知のとおりだが、そこで政治社会を構成するものとされた市民とは、非自由人に対して【実力による支配】を行うことにより家を単位とする労働と生産を統率した、自由人としての家長たちにほかならなかった。したがって、自由人の自由人に対する支配(すなわち実践<プラクシス>)が行われるべき政治社会=国家<ポリス>においては、支配は【法による支配】、正義に合した支配でなければならなかった。
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慣れないとチンプンカンプンかもしれませんが、私も別に全てを理解した上で引用している訳ではありません。
法制史に関する文章でも、石母田正氏あたりとはずいぶん雰囲気が異なると思いますが、私にとってはこの種の文体が理想の世界で、まあ、憧れはしますが、自分では全く書けないですね。
ちなみに村上淳一氏の父親の朝一氏は最高裁判所長官(1973-76)で、法曹界の超エリート親子ですね。
コメント
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